整体師が音楽家に口出しする話
2019年02月15日
整体という仕事ですが、音楽に関わる人に偉そうに口を出す機会が増えてきます。
私が音楽に詳しいかというと全く知りません。楽器の演奏はできませんし、歌は歌えなくはないですが音痴ではない程度でカラオケで気持ちよくなれるぐらいでしょうか。
でも、偉そうに口をだすと案外受け入れられる事が多いのです。
そして、口出しした内容を実践してみたら本当に演奏がよくなったなんて言われることがあります。なんで音楽の経験のない私のアドバイスが適切なことがあるかというと、歌とか演奏というのは、効率的に体を使えたときによい演奏ができるからでしょう。
もうちょっと付け足すなら、よい音がでていれば体を痛めて壊すこともありません。
楽器というのは体を効率的に使えた時にもっともよい音がでるはずです。楽器なんて、何百年も前に形が完成しているわけで、それがどういう事を意味しているかと考えみてください。だから、演奏していて体を壊すという事は演奏技術に難があると言えます。簡単にいうなら余計な力が入っている演奏を長くやっていれば体を痛めてしまうわけです。
余談ですが、ピアノで腕や指を痛めた人が集まる演奏会なるものがあると最近聞きました。
そこへ参加している人たちには気の毒な物言いになりますが、演奏技術に難があるからそういう状態になっていることは明白だと思えます。いずれそういう方の体の状態をみることもあるでしょうから、その確認の機会待ちですけどね。
書いていて思い出しましたが、数年前までこられていた人に難聴になって片耳が聞こえないというピアニストがいました。当時はどうしてあげればいいかかわかりませんでしたが、いまならちゃんと解決してあげることができるかもしれません。
話を元に戻します。
体を上手に使うにはこうするのがいいというのが私なりにあるわけです。
それになぞって考えると、演奏をするときには手をこうやって使うし、足はこういう状態で立つし、座る時の姿勢で大事なポイントはこうだとか、のどはこうやって使うはずだよということがを説明できるわけです。
体の調子を悪くしてやってきた音楽家の人たちに、
「たぶん演奏の時にはこういう体の使い方をしていてそれで体を壊しているはず。」
「演奏が上手になれば体はよくなってくるから、こういう事を意識して演奏してみて。」
なんてアドバイスをして、それがうまくはまったとき私は最もほっとしますね。
関わった方がよい音を出せるようになって嬉しいという気持ちがないわけでもないですが、おそらく私が考えていること、やっていることが間違いではなかったということが確認できるからでしょう。
私は自分のやっていることに自信をもって取り組んではいますが、私が間違えていると関わった人の人生を台無しにしてしまう可能性があります。
だから、
「本当に自分は間違えていないのか?」
私のような人間でも、こういう不安を日々抱えているみたいですね。
どうもこんなことでもなければ私はなかなか安心するということができないようです。これは自分でもちょっと驚く心の動きだったりします。おそらく、あまりにも大きな世間と自分のずれの事を思うとこういう感情を抱えないでいることはなかなか難しいのでしょう。
スポーツなんかでもうんちくはいくらでも語れますけどね。
ただ、スポーツをやっている人は筋肉を崇拝すること神のごとしなのでたいてい聞く耳がありません。運動ばかりやって頭の悪い人の事を脳みそ筋肉、略して脳筋なんていいますが、スポーツの世界は脳筋の人が圧倒的に多いようです。芸術関連の方が視野が広く柔軟性をもった人が多いようで、話が予想以上に会話が盛り上がったりすることがありますかね。
さしあたって、毎日チョコレート食べなきゃやってられないみたいな体の状態になっていればよい音は出せなくなっていると思っていいでしょう。ただ、演奏の面白いところは実力ある指揮者がいたりすると奏者の実力以上の演奏ができてしまったりするところがあるということでしょうか。このあたりの事についてもちょっと語ってみたい気もしますが、それは整体の領域を超えているような気もしますから今は辞めておくのが無難ですかね。
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