ブログ「日々整体」

恋愛とお金と健康と

最近、新しくやってきた方たちが、ほぼ同じ事を聞いてきくるという事が続きました。
その方たちは、

「それで私はどうしたらいいのですか?」

という質問を繰り返してきました。
体について、健康に生きるという事について勘違いしている人がする質問といえるでしょう。

少し前に、体の事は恋愛におきかえて考えましょうという事を書きました。

好意を感じる人が現れたとします。
それで、

「その人と、どうすれば相思相愛になれますか?」

なんて相談されたら、話しかけてデートに誘おうとか、趣味を聞いてそれの事を聞いてみるとか、バーベキューを企画するのでそれに誘ってみようなんていう具合にいろいろやれる事は思いつく事でしょう。でも、恋人と呼べる存在になってもらおうと思うなら、これはきっかけにしかならないのは当然の事です。

「100%自分の事を好きになってもらうにはどうすればいいですか?」

なんていうおかしな質問をする人はあまりいないはずです。
ところが、体の事になるとこの質問をやってくる人が多いのです。

恋愛で考えれば簡単なんですよ。
お伽話なんかで、魔女にそそのかされて惚れ薬を使った人がどうなるかなんてのは考えてみるといいでしょう。薬で心を操った人と一緒に暮らしはじめても、人間は幸せを感じることができません。人間はそういう風にはできていないわけです。

もしかしたら、恋愛だとわかりにくい人もいるかもしれません。
そういう方はお金儲けに置き換えて考えてみましょう。

「100%間違いなくお金持ちになる方法はないだろうか?」

あなたが友人にそんな相談をされたらどう答えるでしょうか。
いろんな考え方があるでしょうが、私だったら、

「一生懸命に働いてお金をコツコツ貯めなさい。」

とアドバイスします。
もし、努力や苦労なしでお金持ちになりたいなんていう奴が知り合いにいたら縁を切るでしょう。恋愛では惚れ薬を使って意中の人の心を操作しても幸せにはなれないのです。お金儲けだったら、詐欺や盗みで金銭を得ても人間は満足を感じることができないような生き物といえます。


犯罪じゃなくても、例えば宝くじが当たって億単位のお金を手に入れてそれで幸せになれるかというとやはり駄目です。宝くじにあたった人にアンケートをとったら

「当たらないほうがよかった。」

と、9割の人答えたという結果になったのを以前に見たことがあります。もし宝くじで一攫千金の夢を買っている人がいたら買うのを辞めることですね。

余談ですが、私は20代の頃に、馬券が数十万円あたっただけでおかしくなりました。
金銭感覚が狂って1年ぐらい元にもどりませんでしたね。しかも、そのおかしくなっている期間、自分がおかしいという自覚がずっとあってそれでもなかなか元に戻らないのです。お金という物も手に入れ方がまずいと、人生を狂わせてしまうものだなぁという事を実体験させてもらいました。自分の器は、わずか数十万程度であふれてしまうのかという事を思い知らされた出来事でもありましたけどね。


惚れ薬で成就した恋愛で人は幸せを感じる事はできません。
お金も似たところがあって、悪いことで手に入れたお金や、苦労や労力を経てだったり、何かと引き換えというような手に入れ方をしないとやはりお金に振り回されて幸せを感じられないという事なのでしょう。

恋愛やお金なんかはそれをどうやって成就したか、手に入れたのかということがとても大切なのです。そして、当然ですが、体や健康についても同じ事がいえます。

私が体の調子を整えたいという方まず最初にするアドバイスは、

「お腹をこれでもかというぐらい空かせましょう、そしてご飯をおいしく食べましょう。」

という事が一番多いです。
私にとって健康であるということは、喜怒哀楽、そして幸せを感じることができる状態であるということです。そうなるためにどうするかというのを言葉にすると、


・運動する。
・体にいいものをバランスよく食べる
・十分な睡眠をとる


なんていうことになるのかもしれません。
でも、


「毎日運動をすれば、幸せになれる。」


なんて言われたら嘘だと思いませんか?
元気になる、健康になるっていうのは、もうちょっとファジーに捉えておかないとうまくきません。恋愛だって、お金だって、そういう具合にふわっとした感じで考えている人の方がうまくやっていると思いませんか?
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骨粗鬆症と骨の話(有料記事)

骨の話をまとめてみました。
骨は積み木細工のようなものと捉えているといろいろうまくいかない事が増えてきます。




有料記事ですが、1周間程度、アカウントの登録だけで支払いなしでもみれるようにしておきますので、興味が湧いた方は登録して読んでみてください。
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幸せに生きる戦略

「文明の利器を使って効率的に仕事こなそう!」

そんな事を考えたわけでもないですが、Ipadを購入しました。
現状、月の半分ぐらいは電話にでれない状態なのでその状況を変えたいと考えたわけです。それで何ができるかなぁとみていたのですが、図やイラストが書けるということで、それを試してみる事にしました。

今日、整体にこられた方と病気の概念について話をしていたのでそれを図にしたらわかりやすいかもと考えました。まずは、人間の生きる目的がいったいなにかという事は以下のようにシンプルに表現できるでしょう。

tohappy.jpeg
考えてる事を図にできるっていうのはいいですね!


人は幸せになるために生きています。
当たり前の事なのですが、これがわかっていない方が非常に多いのです。そして、忘れてはいけない事が一つあります。それは、


「人にはいつか必ず死がやってくる。」


ということです。
人間というのは世代交代をしながら繁栄し、幸せに生きる種ですから人生の終わりには必ず死がやってきます。

todeath.jpeg
非常に大切な事なのに、ちゃんと考えられずにいる人が多すぎると私は思います


つまり、生きるといことは死に向かっていくことです。
さて、この時、幸せと死というものの位置関係はどのようになるでしょうか?

tohade.jpeg
当たり前の事だと思うのだけど・・・


人は幸せになってそして死んでいくのです。

ところが、死を恐れるあまりこの道程をそれていく人が多いのです。今の日本人の9割以上は道を間違えてしまっているのではないかと、私にはそんな風に感じられます。

todark.jpeg
死から目を背けると幸せも見えなくなります。

死を恐れるあまり幸せからもそれてしまっていないでしょうか?
さて、病気を恐れる理由はなにでしょうか?その向こう側に死があるような気がするからじゃありませんか?

ここで、


「あれ?」


と気が付きませんか?


test.jpeg
これぐらいの課題はこなしてもらわないと困ります

死というのは幸せの向こう側にあるのです。それじゃあ、この図において病気というのはいったいどこに位置しているのか?もう答えをいってしまったようなものですけどね。この事が理解できた時に、自律神経の働きっていうのは整うわけです。
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丹田の四方山話とその見極め方

「呼吸をする時にはおへその下の丹田を意識しましょう。」

そんな言葉は誰でも聞いた事があるでしょう。
実は、丹田というのは1つだけではなく体にいくつかあります。有名なのはおへその下の臍下丹田で、丹田というそれを意味すると考えている人も多いのじゃないでしょうか。

そういや、チャクラなんて言い方をすることもありますかね。
チャクラについて勉強したことはないので、もしかしたらチャクラと丹田は違うという人がいるかもしれませんが、ほとんどの人にとっては、まぁ同じようなもんだろうと大雑把に思っておいていいのじゃないでしょうかね。

さて、外科手術で腹部を切り開いても丹田という器官は見つける事ができません。
すると丹田は空想とか想像の存在という事でしょうか。科学者なんかはそんな事をいうかもしれませんが、多くの人は呼吸をしたり体を動かしたりしたときにその存在を感じる事ができるはずです。感覚的にはあるけど、目で見たり、写真に撮影することができないものについて、研究者たちはどういう見解をとっているのでしょうか?

宇宙の研究をしている人なんかだと事情が違ってきたりします。
相対性理論から導き出される推論として、ブラックホールというものがあってその中心には特異点があるなんて事をアインシュタインは言っていたそうです。

「ただ、それは実際には見つからないだろう。」

と補足していたのだとか。
ところが、きっとあるはずだと長い間観測が続けられた結果として宇宙には無数のブラックホールの存在を確認する事ができました。そして、そのブラックホールの観察を続けた結果、ブラックホールが地球をはじめとする様々な星を誕生させるきっかけを作っている事までわかってきました。ブラックホールがなければ私たち人間は存在することはできなかった可能性が高いのだとか。

丹田というのは人間の体の中にあるブラックホールみたいなものじゃないかと考えています。
人間というのは、手に触れる事ができる存在だと、すべてが見えていると思ってしまうようです。だから、人間の体の中に何か特別というか重力みたいな力を発揮するようなものがあるとはあまり考えないみたいですね。体が発揮する力は全部筋肉だなんていう説明でわかった気になっているからいろんなものが見えてこなくなるといえるでしょう。

ブラックホールは自身の重力であらゆるものを吸い寄せます。
吸い寄せる物の大半はチリとかガスとかそういうものらしいですが、吸い寄せる過程でチリやガスを加速させます。その加速によって得られたエネルギーで吸い寄せたガスやチリを頻繁に放出しているのだとか。あらゆるものを吸い込んで離さないなんて考えられていましたが、実際は吸い寄せてから放出してまき散らすという運動をずっと続けているそうです。

この運動っていわゆる丹田呼吸と同じものじゃないかと私なんかは思うわけです。
力の集中と解放、体の場合だと緊張と弛緩といった方がわかりやすいですかね。人間が生きていく上で一番大切な運動です。収縮して血液を送りその後弛緩してまた収縮する心臓や、空気を吸い込んだり吐き出したりしている肺の動きをイメージするとわかりやすいのじゃないでしょうか。

丹田というものは人が生きている間にだけ存在するものです。
だから、死んだ人間の体を細かく切って分解していっても丹田は見つけることができません。しかし、生きて活動している人間を観察していると丹田の存在を感じる事はそれほど難しくありません。存在感の大きな人というのは重力をもっているようなものです。なんとなく気になる人、なぜかずっと注目してしまう人なんかは丹田の力が大きいと考えてみるとよいのじゃないでしょうか。

私が思いついたのは、芸能人のスカウトの話です。。
たくさんの人がいてもその人だけ光って見えるとか、存在感が違うなんていう生まれきってのスターだなんていう話はきいた事がないでしょうか。確か松田聖子にそんな話がありましたよね。この光って見えるというのは、丹田の存在を感じ取っているからだ思えます。

最近、半沢直樹というドラマをちょびっとだけ見たんですが、堺雅人や香川直之といった役者の存在感は非常に大きいですよね。これは丹田にしっかりと力が集まっているからでしょう。

「演技力=丹田の力」

という事をいってしまっていいと思います。。
歌舞伎役者は子供ころから舞台に上がって丹田に力を集める練習しています。だから表現力や演技力が他の役者より1枚も2枚も上手であることが多いのでしょう。宝塚なんかでも若いうちから演技や表現力を高める練習をしていますし、楽器の演奏なんかも物心つく前からはじめるのが当たり前にになっていますよね。だから、子育てっていうのは丹田の力を高めてあげるという事だと考えてみるといろいろ気が付くことがあるかもしれません。

書いていて思いましたが、麻酔で眠って手術している人なんかだと丹田の存在はかなり希薄なはずです。
腹に穴があいているときに丹田が存在感をだしてしまったら痛すぎて普通の人は我慢なんかできないはずです。ですから、麻酔というのは丹田の存在を消してしまうものだという事がいえますね。

寝たきりのお年寄りには丹田がない、またはその存在が希薄になっているという事がいえるでしょう。そうであれば、丹田の存在をもっと重要視していれば寝たきりになってしまうような人はかなり減ってくるはずです。

振り返ってみれば、丹田をなくしている人は老人だけではありません。
10代までの子供で丹田がなければ起立性調節障害なんて言われています。ちょうど今、出産後の女性で体を動かせなくなっている人がいるのですが、その人は産後鬱なんていわれたようです。この女性もやはり丹田がない状態であるといえます。

丹田について思いつくままに言葉を並べてみようと思って書いてきたのですが、今の世の中は丹田をなくしている人が増えてきていますね。

丹田が力を失っているのに、丹田の存在なんて見えないから知りませんという立場をとっている人たちは、

「その原因はストレスです。」

なんて事をいっています。


丹田の存在を認識するのは私にとっては日常茶飯事ですが、ストレスの存在を感じる事は私にとってはかなり珍しかったりします。ストレスだって目に見えていないから、丹田やブラックホールと同じような扱いにして考えていかないといけないのじゃないかと私には思えますけどね。


丹田の存在を無視する、考慮しないという事は、


「目に見えていないものは存在しない、あるいは考慮しなくてよい。」


という事につながるわけで、それだったらストレスの事だって存在しないとか、考慮しなくていいという具合に思考を進めなくては辻褄が合わなくなってきます。丹田だと存在する場所はほぼ確定していますから、ストレスだって同じく存在するのであれば体のどこか決まった場所に力が集まっているはずなのですが、今のところ、


「ここがストレスの集まる場所だ!」


なんて話は聞いた事がありません。


あと、丹田に似た存在に魂なんてものがあります。
魂というものの定義がはっきりとしているか知りませんが、おそらく生きている間だけ存在して、死んでしまうと体から離れていってしまうものだと思われます。これは似ているというより、同じものと考える方がいろいろすっきりしそうな気はしますね。


さて、こんな事を考えてしまった私は困りました。
より多くの人の幸せを達成するために思いついた事は、


『丹田と魂の存在についてもっと考えて!』


そんなメッセージを書いたプラカードや横断幕を用意して駅だったり、病院の前に立つことです。
しかし、そんな事をしても誰も相手にしてくれないとでしょう。奇人、変人扱いならまだましで、新手のカルト教団扱いか、気がふれてしまった凶人というような目で見られそうな気がします。いくら私が浮世離れしてしまっているとはいえそれぐらいの事はわかりますね。


あと、


「自分の丹田はどれぐらいしっかりしているか?」


という事を確認するいい方法を思いつきました。


「倍返しだ!」

とか、

「土下座しろっ!」

なんて具合に、半沢直樹のモノマネをしてみるといいのです。
似る必要はないのですが、半沢に比べてどらぐらい迫力があるか?というのを比べてみると自分の丹田の力がどらぐらいかというのを測る事はできるはずです。
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人を呪わば穴二つ

新幹線にのって自分の席に到着すると親子が座っていました。
反対側の席をみると祖母と思われる人が頭を小さくさげていました。夏休みということで、家族旅行でディズニーにでもいくのでしょう。母親は私が来たことを察して、すぐに移動を開始しました。

祖母、母、娘二人の家族4人ですが子供が小さいということで席を3つしか確保していなかったようです。
それで空いているシートに座っていたわけです。そこまではいいのですが、移動の時に親子が私に恨めしそうな視線を向けてきます。

「なんで私が楽しい家族旅行を邪魔したみたいな図になっているのだ。」

と感じました。
気分悪いなぁと思いましたが、ふと、常日頃から、気持ちを前向きにいろんな事に挑戦してみようと考えていた事を思い出しました。そこで、これはよい機会だと、この親子を呪ってみることにしました。

しかし、頭に浮かんできた言葉は、

「この忌まわしき血脈を受け継ぐ家系に災いあれ。」

なんていう工夫もセンスも感じることのできないチープなセリフでした。

どうも私は三流の悪者にしかなれないようです。
きっと悪い事とかしようと思っても、万引きとか、オレオレ詐欺とかくだらない悪事を働いた末に、薬物中毒患者に刺されて、

「なんじゃこりゃー!」

とか言いながら死ぬみたいな結末しか待っていないのでしょう。
こんな使い古されたセリフとシチュエーションで死んでしまうのはかなり嫌です。まっとうに働いて普通の人として生活していくのが自分には向いているのであろうと再確認できました。普段やらないことをやってみると今まで気がついてなかったことに気づける事があるのだなぁと、前向きに生きる事の大切さを再確認することができましたね。


さて、この親子に呪いの視線を向けたときにある事に気がつきました。
それは、眉間の奥、頚椎4番、頚椎6番に異様な力みが生じていたことです。この場所は体にとって非常に重要な場所です。あらゆる不調はこの場所をの力を抜いてあげることで解消してしまうといってもいいぐらい、私が今行っている整体のキモなる場所といってもいいでしょう。

逆の事は当然のように起こります。
つまり、他人を呪う、妬むという気持ちをずっと抱えているとどんな病気になってしまっても不思議はないといううことでもあります。

「人を呪わば穴二つ」

という言葉があります。
言葉をストレートに解釈するなら、他人を呪うような人間は呪い殺した相手と同じように死んでしまうので墓穴が二つ必要になるというような意味でしょう。でも、私には他人を呪いで殺してしまうような力はありませんから実際に穴が必要になるのは1つだけという事になりますね。

ここまで考えたときに、車内販売がやってきたのでモーニングセットを頼む事にしました。

気持ちを切り替えようと考えたわけです。
サンドイッチを食べ終えて、コーヒーを飲みながら隣の列に座っている4人の家族を見たときに、思った事は

「ミッキーに蹴られて泣かされてきやがれ。」

ということでした。
頚椎4番の力は抜けており、コーヒーを飲み終える頃には晴れやかな気分でした。
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