ブログ「日々整体」

歯の治療の話

「歯科医にいかなくてはいけない。」


という人がいたので、


「この様子なら何年も延々と通っているのではないですか?」


と聞くと2年ほどずっと通っているということでした。
それで、


「こんなんじゃいつまでたっても歯の治療なんか終わらないでしょう。」


なんていう話をしました。



「人間の体を部品単位で考えてはいけない。」


といつもいっていますが、つい忘れがちになるものの1つが歯です。
歯の大きさ、形、はえ方なんかをみると体の様子がおおよそ推測できるぐらい歯というのは体の状態に影響をうけています。そして、影響を受けているということは歯になにかあると体はその影響を受けるということでもあります。


だから、


「体の調子がおかしくなった。」


なんていってこられて体をみたら、どうも変だと。
それで、


「医者にいったんではないですか?」


と聞くと、歯の治療にいったというケースは非常に多いです。
歯の治療をしてそれが体には何も影響を起こさないと思うほうがおかしいのです。だから、本当は歯の治療なんかはやっていい時期とかタイミングがあって、いつでも好きな時にやっていいようなものではないのですけどね。


歯科というところが、歯しか見ていないせいで起こるのだろうとは思います。
歯は無理やり矯正すればいいというほど単純ではありません。ゆがんではえてきたりかみ合わせが悪くなるのにはそれなりの理由があります。そういう理由とか原因とかほったらかしで歯の並び方だけなんとかしましょうというのは無理があります。

簡単にいうなら顎が弱い人だと、歯が弱って虫歯になりやすかったり、歯が歪んだり曲がったりしやすいわけです。だから、顎が弱く食べたものがちゃんと噛めないような人がいくら歯の治療をしてもほぼ成果はあがりません。どうして顎が弱っているのか、弱った顎がどうすれば丈夫になってゆくのか、そういう事を考えなければならないわけです。それなのに、顎を丈夫にしましょうという発想をもっている専門家には会ったこともなければ、聞いたこともありません。


アメリカのスポーツチームなんかだと専属の歯科医がいたりするそうです。
歯がしっかりとしていなければ身体能力を発揮できないという考えが根底にあるそうですね。マウスピースをしている選手が多いのもそういう考えからくるのでしょう。経験とか、歴史とか、文化とか、そういう積み重ねがあってやっているのでしたらそれなりに変わってくるとは思うのです。

ただ、相談にやってこられる人たちをみていると、日本ではまだ足りないとか、的はずれになっているとか、そういう事になっていると思ってしまいますね。まぁ、探せばしっかりとした経験と高い技術をもった技術者はいるのかもしれませんけどね。

餅は餅屋というのは誤った考えではないでしょう。
しかし、口をあけたときに見えるのは氷山の一角でしかないという事は踏まえておいてもいいのじゃないでしょうかね。



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日本人は頭を使わなくなってしまった

イチローが引退した時の発言に、


「メジャーの野球は頭を使わなくなってしまった。」


なんていうのがありましたが、


「メジャーの野球はスピード重視になってしまって、経験とかテクニックを活かすことができなくなった。」


と、捉えるとわかりやすいのじゃないでしょうか。
ピッチャーは速い球を投げ、バッターはその早い球に素早く反応して打ち返す。メジャーの野球はそれだけの野球になってしまっているのでしょう。実は、イチローは私と同じ年の生まれだったりするので40歳半ばなわけですが、これぐらいの年齢になるとスピードへの対応力は低下します。

イチローの発言を私なりに解釈してみます。
メジャーの野球は、30ー40球ぐらい投げたらピッチャー交代みたいなことになってんじゃないでしょうかね?ピッチャーは常に全力で投げて、球威が落ち始める前に交代しているわけです。そうなると速い球への対応力を失い始めているイチローではチームに貢献できないのです。要求されるのは速い球へ対応ができる若さをもった選手のみという事になっているのでしょう。


スピードに対応できないというのは衰えと感じるかもしれません。
しかし、野球というスポーツはスピードだけでやっているわけではありません。長くプレーし続けることによって、駆け引きが上手になって引き出しが多くなってくるという表現がわかりやすいですかね。


ドカベンなんかを読んでいると頭を使った野球をしています。
ストレートに目を慣れさせておいてから変化球で空振りさせにいくとか、序盤のピッチャーの球威があるうちは打てないけど球数が増えて球威が落ちてくるところで一発を狙うとか、打てない球はファールにしてピッチャーの球数を増やして失投を待つとか、野球には様々な駆け引きがあります。

長く野球選手として活躍していれば年をとってゆきますから次第にスピードを失います。
しかし、そのかわりに得ているのものもあるわけです。イチローぐらいの実力のある選手であればヒットを打つ以外でもチームに貢献する方法などいくらでもあるのです。このあたりの駆け引きが野球というスポーツの面白さであり、イチローが長く選手として活躍できた理由なのでしょう。そして、このことを踏まえて考えると、


「頭を使わなくなった。」


というイチローの発言はしっくりくるのじゃないでしょうかね?
求められるのは速い球を投げれるピッチャーとそれを打ち返すことができるバッターだけになってきているわけです。だから、今のメジャーは、


「よく頑張っても27歳ぐらいまでが限界ですよ。」


なんてことになってんじゃないでしょうかね。
ボクシングでいえば、ノーガードで殴り合ってどっちが先に倒れるかみたいな試合ばかりなわけです。そういうのが好きな人もいるでしょうけど、野球が好きな人だと見ていてつまらないんじゃないかと思いますけどね。


メジャーで活躍することにしか価値を見いだせない人ならイチローは衰えて引退したとしか考えられないでしょう。でも、本当のところは野球選手として成熟しつつあるイチローは、


「もっと面白い野球がしたい!」


と、メジャーに見切りをつけたんじゃないでしょうかね。



私も日頃仕事をして、


「もっと考えなあかんわ。」


なんて発言をする事が多いですね。
人間は年をとったからといって衰えるような生き物ではありません。年齢を重ねるにつれて洗練されてどんどん元気になってゆくことができる生き物です。


「年をとったら腰や膝が痛くなってきた。」


なんて発言は、スピードをなくした人間には生きる価値がないみたいな非常に面白くない考え方といえます。

ドリフのコントで老人を捨てる山みたいなのを見たような気がします。
ドラマなんかでも見たことがありますかね。じじ捨て山とか姥捨て山みたいなストレートな表現はなくなりましたけどね。最近になって、そういう施設が山のようにできているという事に疑問を感じてみてもいいのじゃないでしょうか。


「ある程度の年齢まで生きたら周囲の人に迷惑をかけないように施設にはいって心臓が止まるまでおとなしくしていてください。」


私ならこんな事をいわれら気が狂うぐらい腹がたつでしょうけどね。



「もっと面白い生き方をしたい。」


そんな具合に、頭をちょっと使ってみれば、もうちょっとましな生き方と死に方ができるんじゃないでしょうかね。


あ、書き終わってから気がつきましたがメジャーどころか、野球なんて10年以上まともにみていません。メジャーの事情も、イチローの頭を使わないという発言から想像の翼を広げただけですので、嘘をいっている可能性がありますから他人とこんな話をするときは注意してくださいね。
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人は変化して生まれ変わる生き物

ある日の私は異様に活動的になっていました。
朝、目が冷めたらさっと体を起こして趣味の遊びに没頭して、それに飽きたら出勤という流れに淀みがありません。通勤は原付きなのですが、


「何人たりとも俺の前の走るんじゃねぇ!」


というぐらい快調でした。

ところが、翌日は一転していました。
目が冷めても体を起こそうという気になりません。炊飯器の音が聞こえているので時間は推測できているのですが、おそらく一旦寝直していたのではないかと思います。その時間は5分なのか、30分なのかいまいちよくわからないぐらい覚醒が遅かったですね。

体を起こしたあとも、体に疲れが残っているのを感じます。
様子をみてみると腕に疲労からくる硬直があるのがわかりました。おそらくそれで寝起きがよくなかったのでしょう。


通勤の運転では、


「お先にどうぞ!」


というぐらいに、昨日とは180度変わっています。


こんな話を聞いても、


「昨日は忙しかったのじゃないですか。」


と思うだけかもしれません。
ほとんどの人とって、寝起きと運転の様子がちょっと違うという程度の話ですしね。ただ、私においてはその程度ですが、体の具合があまりよくない人だと、耳鳴りが大きくなるとか、めまいがきつくなるとか、胸が苦しくなるとか、そういうことが起こったりします。こういうときに私がよくいうセリフが、



「体の調子の変化に振り回されるな。」


ということです。


この2日の私の体の変化はどういうことかというと、昨日は体の緊張が高まっていたせいでテンションが上り、今日になってそのピークを超えて弛緩が始まったということです。


ちょいと忙しかったもので疲労が溜まってる時期だったわけです。
で、その疲労が抜ける変化が体に起こったわけですけど、そのときに起こるのはまず体が緊張して、その後で弛緩がはじまるということです。この流れでいくとその翌日は品川にいくわけですが、品川から帰る頃に元気になってきて翌日は元気を余らせてどこかにでかけようなんてしているんじゃないかと思っていましたが、まさしくそのとおりになりました。


私であれば疲労が抜ける流れはこんな風になるわけです。
ところが、私のところへ相談にきているような人だと、


「昨日までは調子がよかったのに、今日は急にしんどくなってきた。」


なんてことを言い出したります。
私に言わせればそれでいいのです。私の場合だったら、疲労が抜けていくってだけですが体の具合が悪い人も、この緊張から弛緩へ変化が起こったときに体が一番大きく変わります。だから、こんなことをいってくる人がいたら、


「耳鳴りは鳴らしておけ。」
「ふらふらしていればいい、ホームに落ちて電車にひかれないようにだけ気をつけて。」
「心臓が止まったらもうそれは寿命だから諦めてください。」


なんて返事になるわけです。


高調と低調なんていう言い方をするときもありますかね。
体の調子というのは日々、変化していくわけです。まぁ、だいたいそれが潮の満ち引きというか、月の満ち欠けに同調しているらしいですけど、個性なんかもあると思うのであまり掘り下げて考えなくていいんじゃないかとは思っています。ただ、月単位でみたら変化があるし、年単位でみたら12年の周期で変化していくという話もあります。そして、私も12年で体の調子は1周するという考えで体をみていると非常にしっくりきています。暦でいうと干支が12で、1年が12ヶ月なんていうのもそうですし、心理学のペルソナや整体の体癖も12で分類していますからね。


蛇足でもうちょっと付け加えてみましょうかね。
13という数字を不吉とするのは、12を超えたら1に戻らないと具合が悪いのに戻れない人はなんか起こしちゃうのじゃないでしょうかね。あと、厄年とか更年期というのも12から1への体の変化がうまく起こせないときの状態といえるでしょう。まぁ、12で割れないからこのあたりはもうちょっと掘り下げないとうまく説明できないのでしょう。たぶん、易とか勉強するとあれこれと能書きがいえるようにはるはずです。


さらに、蛇足が続きます。


タロットカードなんかは、それをさらに細かく22で表現しています。
タロットカードは災厄、戦争、争い、病気なんて意味のカードが含まれているから結構好きだったりします。人間の一生には争いとか病気は必ず起こるものなんですよね。それを知っていれば、私がたまに原付きで暴走してしまいそうになるの当然の事なわけで、それがわかっていれば事故を起こすような事はほぼなくなるはずです。

それをダメだと、頭が戦争状態になっているのに、それはいけない、ダメだとかいう人が他人に喧嘩をふっかけたり、交通事故をおこすわけです。クレーマーなんていう人種はそういう状態の時に、反撃されない相手を選んでいちゃもんをつけてきているだけだと考えるとわかりやすいかもしれません。

だから、じゃあ、そういう時はどうやって過ごしましょうかと考えるのが元気に生きる事じゃないでしょうかね。まぁ、このあたりの数字とその意味なんていうのは体の変化とか成長にほぼ符号しているでしょうから、いくらでも掘り下げようはあると思いますけどね。勘がよくて上手に生きている人は、こういう体の変化に対する感受性が高いから、そのときどうしたらいいのかという判断が常に適切なわけです。


まぁ、こんな事を知っていれば、人間とういう生き物は常に変化していくものですし、人生のうちに体は何回か生まれ変わっていてそのたびに新しい人生がはじまるのだとそういうこともいえるわけです。そういう大きな流れとか変化、変遷が必ずついてまわるのだから、永遠不変でいようなんて考えていると必ずおかしな事になるわけです。
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元気な人を病気にして喜ぶ風潮

「子供が学校の健康状態のチェックにひっかかったので見て欲しい。」


なんて言われたことがります。
母親からしたら、息子になにか大きな問題があるかもしれないから心配になったのでしょう。何を言われたのかと聞いてみれば発育不良だと言われたとのことでした。小学生の子供でしたが定期的に体をみているので、いったい何をもってそんな事をいわれたのかとそんな事を考えました。で、聞いてみれば、


「片足で立つことができない。」


というだけのことでした。


「アホか。」


と、私の口からはこの言葉以外ではでてきませんでしたね。

私のところにやってきたので、片足立ちをやってみるようにいいました。
すると確かにうまく立てないようでした。ただ、様子を見ていたらなんでできないかが、すぐにわかりましたので、やり方をちょっとだけレクチャーしてもう1度やってみました。


すると、あっさりと片足立ちができました。
たぶん20~30秒ぐらいは立ってたんじゃないでしょうかね。整体した後、母親がやってきたので私が、


「やってみ。」



と一言いったら、やはりしっかりと片足で立っていました。



レクチャーしてから実際に立つまで10秒ぐらいでしょうかね。
10秒で解決するような問題をわざわざ、


「おたくの息子さんの健康状態には問題があるから改善するように。」


なんていう通達を書面で送りつけてくる組織や団体があるわけです。
やっている当人たちはまじめにやっているのでしょうけど、私からみたら滑稽としかいいようのない事です。


そういや、私は小学6年生ぐらいまで鉄棒で逆上がりができませんでした。
小6で身長が170センチぐらいあったのですが、今から振り返ると運動能力が体の成長に追いついていなかったようです。ちなみに、走るのも遅かったのですけど中学にはいった頃には短距離走で学年で3番目のタイムを出していましたね。運動とか学力なんかの成長は個人差が大きいなんていうのは頭ではわかっているのでしょうけど、その知恵なり知識が教育現場ではほとんど活かされていないのかもしれませんね。今できない事を問題にしてしまう教育者がほとんどのように感じます。


「いつかできるようになるから楽しみにしておきない。」


と声をかけておいてあげれば、片足立ちだろうが、逆上がりだろうが、勉強だろうが、そのうちにできるようになるなんてのは間違いなく当たり前のことなんですけどね。


私の場合、小6になって体が動くようになったらあっさりと逆上がりもできたわけですけど、出来たときに思った事は、



「嘘を教えられていた。」



ということだったりします。
できないときには、こうするのだよとか先生にアドバイスをもらうのですけど、それらが全部まとはずれだったということがよくわかりましたね。運動についてきちんとレクチャーできる教育者なんてのは絶滅危惧を通り越してすでに絶滅してしまっていると思った方がいいのじゃないでしょうかね。



実際、彼は私がいなかったらずっと発育不良として扱われていたわけです。
母親も、本人もなんの問題もないのにそうだと思いこんでしまっていたかもしれないわわけで、そんな事を考えると、


「あほか!」



と言いたくなる私も気持ちもちょっとはわかってもらえるのじゃないでしょうか。


今回紹介したような発育についての確認ですが、それをする側にはそれを実施する力量、見識、経験の全てがないのは明白です。似たような奴に、メンタル状態のチェックなんてのもありますね。判別方法は簡単です。


「今まで何の問題もなかった事を、急に問題として指摘されて病人扱いされた。」



ということがあったら、逆上がりのやり方を指導できないのにアドバイスをする人かもしれないとまずは疑ってかかることですね。そんなくだらない事に振り回されたりしないようにすることです。





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日本くよくよ協会の発足を提唱します

「くよくよ考えるのはダメなことだ。」


誰が言い出したか知りませんが、とんでもない勘違いです。
くよくよ考えてしまうのであれば、そうして考えて迷っておけばいいのです。ところが、プラス思考でなければ人間としては認めないみたいな世の中になってきてしまっているせいでしょうかね。くよくよと考えこんでいると人格を否定するような事をいってくる人がかなり増えてきてしまっています。まぁ、確かに周囲にそういう人がいて、心配してもしょうがないような話を延々とされるのは私だって煩わしいですけどね。

ただ、この煩わしいというがポイントです。
煩わしいから聞いてられないだけなのです。で、


「プラス思考で前向きにならなければダメだ。」


なんて言って口封じをしてしまうわけです。


ただ、これは共感できない人に話かけるからそうなるだけだといえます。
ですから、共感してもらえる人にくよくよと話かければすべて解決するはずです。ですから、くよくよと考えこんでしまう人たちが週に1回ぐらい集まって、日々の心配事についてお互いに話あえばみんなが幸せになれるはずなんですけどね。


くよくよするという事はどういうことでしょうか?
辞書を紐解くと、『いつまでも気にかけて思い悩む様子』なんて書いてありました。このいつまでもっていうのはどれぐらいの期間を意味するのでしょうかね?それで思うわけです。


「人間というのはどれぐらいくよくよし続けていられるものでしょうか?」


いつもくよくよしてしまうという人はどれぐらいの時間くよくよできるか試してみるといいのです。
おそらくですが、かなり頑張って1~2日ぐらいじゃないでしょうかね?くよくよするというのは結構エネルギーを消費するもので、そんなに膨大なエネルギーを抱えている人はあまりくよくよはしませんから、すぐにくよくよする力を不足させてしまって、気持ちが切り替わってしまうはずです。つまり、半端にくよくよするから延々とくよくよしてしまっているわけですね。


このエネルギーってのはどういうものかはうまく説明するのがなかなか難しいのです。
整体においてだと気の集まりとか、気の流れとかそういう表現になってしまうのですけどね。ちょっと誤解をさせてしまうでしょうけど、平易な言葉で解説すると、胃に力が集まっているとか、頭に力が集まりすぎているとか、そういう状態のときに人間っていう生き物はくよくよしはじめます。ただ、今の世の中ってこういうものをストレスとかいう言葉で説明しようとするから、耳鳴りとか、めまいとか、不安症とか、そういう体の問題が原因不明みたいな事になってしまうのです。つまり、ストレスなんかとはまったく別物なんです。


単純に、手を握りしめて拳を作ってください。
ぎゅっと握りしめれば手に力が集まっている事はどんな人でも自覚ができることでしょう。また、隣にいる知人、友人に、


「手を強く握ってください。」


と頼んで、その拳の様子を観察してみてください。
ある程度の観察力のある人だったら、手の様子をみているだけで拳に力が集まっていることがわかるでしょう。そして見てわからない人でも、手で拳にふれてみてください。すると、手にどれぐらいの力が集まってどれぐらい固くなっているかを確認することができるはずです。


ところが、これをレントゲンとかMRIで確認しようとしたらどうなりますかね?
私が言う、気の流れとか、気の集まりとか、体のどこにどう力が集まっているかなんてことはわからないんじゃないでしょうか。ちゃんと観察できているようなら私のところへやってきてトンチンカンな事をいう人はもっと少ないはずです。

おそらくある程度経験を積んだ人が見ればわかるはずですけどね。
ただ、撮影する人も、それを確認する人もそういう視点をもっては見てないのであろうと思われます。だから映っているけどそれを認識できていないというのが正確な表現になるのじゃないでしょうか。まぁ、ひと目見てわかるようなことを、わざわざ何億円もするような機械を使って確認しようなんて事をやってりゃ見えるものも見えなくなってしまうのでしょう。



さて、くよくよするというのは頭だったり胃だったりに力が集まったときにするものです。
何のためかと言うと、集まった力を発散するためのものです。だから、ちゃんとくよくよしていれば、発散されてくよくよしなくなるし、たいした量の力が集まるわけではありませんから、そんなに長い間くよくよしていられません。半端にくよくよして、気持ちを切り替えようとするから、うまく力が発散されなくて延々とくよくよしてしまうわけですね。人間、落ちるところまで落ちればあとは這い上がるしかないなんていうのはこういう体の変化を表現している言葉だと思いますけどね。


ついでにいうと、こういうのは頭とか胃に力が集まりやすい体質みたいなものです。
ですからくよくよしないようになりたいなんていうのであれば、1回死んで生まれ変わるしか方法がありません。来世があるとして、生まれ変わっても人間として生まれてくるかなんてのは怪しいし、ミジンコあたりに生まれ変わったら目もあてられませんから諦めてくよくよしておくことですね。


ただ、そうでない体質の人に向けてそういうエネルギーを発散するのはあまり面白くありません。
そこで、私は日本くよくよ協会というものの発足を提唱しています。くよくよしてしまうという、似たもの同士で集まって一緒にくよくよしておけばよいのです。定期的に近所のファミレスあたりに集まって、お互いにくよくよ自慢をしましょう。そして、もっともくよくよしている人を表彰して称えましょう。そうすれば、きっとみんなが幸せになれるのは間違いありません。





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