ブログ「日々整体」

物事を前向きに考える方法

「物事を前向きに考えなくてはいけない。」

どこででも聞くアドバイスです。
私も20代のころにこの考えに取り憑かれた事がありましたが、30代になったらダメだと考えるようになりました。なぜかというと、臭い物にふたをするためにこの言葉を使っている人が多いという事に気がついたからです。

さて、英語の勉強をはじめて4ヶ月ほど経っています。
それなりの英語力にはまだまだ時間がかかりそうですが、勉強していて気がついた事があります。それは自分の思考が使う言語によって大きく影響を受けるという事です。これは受験のために英語を勉強していたときにはまったく気がつきませんでしたね。でも、会話をするための勉強をしていると、そういう事がなんとなく肌で感じられます。例えば、英語でなにかを表現するときは日本語の時より1.5割増しぐらいで誇張して表現しないとうまく相手に伝わらないように思います。

それで、最初の

「物事を前向きに考えなくてはいけない。」

というのもおそらく英語話者の発想だという事もなんとなくわかってきます。
太宰治が書いた手紙を読んだ事があるのですけど、現代に生きる私が読むと稚拙な内容になっていると感じました。その手紙には、

「私はその賞が欲しい、賞がもらえれば私は元気になります、活気がでます、・・・。」

なんていう言葉が書き連ねてありました。
これは芥川賞だったかなにかの賞の審査員に宛てた手紙です。どうも彼が生きていた頃には物事を前向きに考えるという言葉や思考がなかったようだというのがわかります。

「物事を前向きに考えなくてはいけない。」

を英語で表現すると、

Look at the bright side.(明るい面を見てみて、探してみて)

といった具合になります。より直接的に表現するなら、

Think positively. (ポジティブに考えてみよう。)

です。
これが、日本語に置き換わった時に、

You have to tihink positively.(物事を前向きに考えなくてはいけない。)

に変わってしまったのです。

Look at the bright side.
Think positively.

という表現がすでに、日本語の感覚からすると1.5割増しに誇張されたと考えてちょうどよいのです。おそらく英語ネイティブからすると、ちょっとだけでも良い面を探してみよう、どうす ればいいかヒントを見つけようというぐらいのニュアンスな訳ですね。have to は

『遅刻をしてはいけない。』
『約束は守らなくてはいけない』
『人を殺してはいけない』

といった強いルールや規則を表現するフレーズなのだというと、言いたいことは伝わるでしょうか。

このように変化してしまうのは、我々が日本語を使っているからだと思うわけです。
平たくいうと、日本語で考えていると、あらゆる事が「ねばならない。」というルールに変化しまうという事です。日本語の表現はあいまいでわかりにくいと外国人によく指摘されていますけど、日本語が数多くのルールや前提があるから成立する言語なのではないかと思うのです。そして、それらのルールを理解していなければ何を言っているのかわからなくなってしまうという事でもあります。

このことは、体と健康についても同様です。
日本人は皆、

「死んではいけない。」

という思考、思想に偏ってしまっているように思います。
いつか必ず死はやってくるのですから、死んではいけないというはとんでもない矛盾なのです。これもなるべく長生きしたいよねぐらいのニュアンスだったのが、日本語の特性のせいでいつの間にか変化してきたのではないでしょうか。その結果、寝たきりになったり、認知症になったりしている訳ですけど、そんな生き方を本当に望んでいるのかをよく考え直してみた方がよいと思うのです。

さて、物事をポジティブに考える方法です。
これはとても簡単で、英語で考えばよいだけです。日本語で考えると、それは必ずねばならないに繋がってしまって、自分を縛りつける鎖を増やしてしまう事になります。

ただ、英語は習得に時間がかかりますから、はじめの一歩としては、前向きに考えるではなくて、太宰治のように、

「どうすれば自分は元気になるのか?」

と、考えるのがいいのじゃないかと思います。

外来的な思考や思想が混じっていない日本語で考えてみるのは今の我々には不可能だと思えます。
いずれ翻訳機も普及するだろうと思いますが、細かなニュアンスを理解するのはまだまだ何十年とかかかるでしょう。それよりは英語のコミュニケーションを身につけて、掘り下げてちゃんと考えた方がよいなと今は思います。
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徳川家康の死因

「徳川家康は天ぷらの食あたりが原因で亡くなった。」

わりとよく聞く話ではないでしょうか。
当時は、今と違って精油技術が不十分だったので油で腹をこわしたのだとかいう説をよく見かけます。死因についての話はほかの偉人でもよく聞きますが、根本的に間違いのある考えです。

何を間違えているかというと、この手の話は、

「病気にならなければ基本的に死なない。」

という発想が前提にあるからです。
少ない情報からこういう病気で死んだなんて推測するのは専門家なので、専門家であるほどこういう考えに陥っているように思います。

現在の人間の体についての専門家は、病気にさえならなければ120歳まで元気に生活できると信じて疑っていない訳です。

少しまろやかに、

「病気にならなければ老衰で死ねる。」

と言い換えてもいいかもしれません。
しかし、この前提はおかしいといいきってしまってよいでしょう。
なぜなら、

「人は寿命が尽きたときに死ぬ。」

からです。
寿命が尽きた時、どのような病気になるかは体質や、生活習慣だったりで様々です。だから、寿命が尽きたときに、癌、心不全や、脳梗塞を起こすのです。この部分をなぜか多くの人がひっくり返して考えるから、おかしな行動や判断をしているのでしょうね。

徳川家康の場合だと天ぷらを食べた事によって体の調子をくずしたのでしょう。
家康は、晩年、自身で帯を締める事ができなくなるぐらい太っていたなんて聞いたことがあります。彼の行動、判断、思考をたどると徳川家康は10種体癖であったであろうと私は推測しています。10主体癖は平たく言うと天才性をもっており、おおらかな気性で身内や味方にはとても細やかな配慮ができるタイプの人間です。現代の人で例えると、マツコデラックスがおそらく10種傾向が強いと感じています。

10主体癖の人は、歳をとるにつれて太る傾向があります。
おおらかな気性を持つという事は骨盤が大きく開く傾向が顕著にでますから、年齢を重ねるに連れてどんどん太るのです。細身の人と太っている人を並んでいるのを想像してみてください。どちらの方が、おおらかなで接しやすい人でしょうか?

余談ですが、骨盤が開くなら締めればいいと考える人が多くいます。
骨盤は締めるということは、家康から徳川家康らしさを失わせる事になります。おおらかで接しやすい人柄でなくなった時、江戸幕府は毛利家や島津家におこなったような仕打を全国の大名にしたかもしれません。もしそのような事になっていれば徳川幕府400年の天下太平はなかったと思いますね。骨盤は締めるというのは、人格や思考にまで影響を与えるという事をし知っておかなくてはなりません。マツコ・デラックスだって骨盤を締めたらやたらときつい事をいう気持ちの悪い嫌なおっさんにしかみえなくなるのじゃないでしょうかね。骨盤を締めさえすれば人生がすべてうまくいくみたいな安易な発想は早々に捨てることです。

徳川家康は75歳で亡くなったとされています。
10体癖は骨盤が開く傾向があると考えると、かなり長生きした方だといえます。彼自身の天才性と骨盤が開く傾向から寿命を早めに消費してしまいがちな体癖だといえます。また、太っていたということから考えると免疫になにかしらの問題を抱えていたのかも知れません。天ぷらで食あたり説が浮上したのはそのあたりが理由でしょう。

通常、健全な人であれば悪い物を食べると嘔吐、吐くという運動が行われます。
嘔吐すると驚いて慌てる人が多いのですが、吐けるというのは元気があるからできるのです。だから、吐けないで苦しんでいる方が心配な状態です。

なお、嘔吐するという事を、難しい表現で説明すると、悪い物を体の外に排泄しようとする自律運動が起こるわけです。だから、悪いものを食べれば同時に下痢を起こすはずです。

吐くためには頸椎6番の運動が不可欠です。
6番がうまく動いてくれないと吐くという運動ができないのです。おそらく家康は天ぷらを食べて調子をくずしていた時には頸椎6番に異常が生じていたのだろうと思われます。太っている人は首のくびれがなくなる人が多いのですが、おそらく甲状腺が肥大していたのではないかと思われます。

そこから察するに。天ぷらをうまく飲み込めなかったか、あるいは悪い油だと気がついても吐く事ができなかったのでしょう。頸椎6番の動きが悪いと、飲み込む運動もうまくできません。正月によく聞かされる、もちを喉に詰まらせたりするのはそれが理由です。喉に餅が詰まるのは、餅が悪いのではなく飲み込めない状態の人間げ餅みたいな詰まりやすい食べ物を食べるからです。

結果、天ぷらを食べた3ヶ月後に亡くなったそうです。最近でへ、訳知り顔で胃がんだったに違いないなんていう優秀な人が多いみたいですね。

それで結論です。

徳川家康は寿命でなくなったとしか思えません。
体にいくつかの不調は生じていたのでしょうが、寿命がつきていたのですから当然です。生物として存在する、生命を維持することができなくなっている訳ですから体のあちこちが壊れてくるのは自然な事です。

なお、現代の医療であれば、そういう状態、いわゆる死に体でも多少の生命維持(?)はできるみたいですね。ただ、それは心臓を動かし続けるだけの技術でしかありませんから、そのような治療を受けるかはよく考えてから判断する方がよいでしょう。

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子育てと健康と

私の息子は今、中学生です。
私の同時期をふり返ると、その頃はバスケットボールに熱心に取り組んでいました。高校の進学についても多少は頭にありましたが、部活を引退してから考えればいいやというぐらいの認識だったと思います。

私の頃ならそれでも問題はありませんでした。
ぬるま湯に浸かったそんな状態でもなんとかなる程度の余裕があったといえます。ところが、これから先、あるいはもう既にそうはいってられない状況になってきました。

それで息子に、

「もし自由に生きたいと思うのであればお前はこれから人生をかけて勉強に打ち込まなければいけない。自由に生きるという事は選択肢が多いという事で、狭まって少なくなった選択肢を取捨選択することではない。」

と、こんな話をしました。

日本は没落はもう止まらないでしょう。
残念な事に、今でも先進国の1つであると勘違いしている人も大勢いるようです。ところが、アジアでいうなら韓国や中国はもう日本を越えた経済力をもっていますし、インド、フィリピンといった国々も経済的にもう日本を追い越したといっていい状態です。各国の格差を理解するために、ビッグマックの価格差で比較する手法があります。先月、確認してみたら、ビッグマックの価格は日本よりフィリピンの方が高くなっていました。
そのような状態で最近示された、増税と軍事費の増強です。
傾いた経済にさらなる大きな負担を強いるこの政策が実施されるようですから、日本の国力低下はさらに加速するでしょうね。蛇足ですが、これは80年ほど前の日本と全く同じ選択でもあります。

話を戻します。

所得の半分程度を所得税や住民税、そこからさらに生活のための費用に消費税がかかります。もちろんガソリンだったらガソリン税といった具合に、消費には他にもさらに様々な税金がかかっています。実質的には、所得の7~8割程度が税金として吸い上げられてしまうのじゃないでしょうか。

あほかと思いますが、それが現実です。
残った2~3割の中で選択する自由は自由とはいえません。これらは、

「息子に日本はもうダメだから日本をでていけるように準備をしろ。」

という話をした後にでてきた情報なので、もうちょっと漠然とした話をした訳ですけどね。ただ、息子は私が言うことがどうやら本当らしいと理解しはじめたようです。

「自由に生きるという事は、アメリカでも、カナダでも、オーストラリアでも、ニュージーランドでも、中国でも、インドでも、欧州でも、もっとも自分が幸福に暮らせる地域、国を選べるという事だ。もちろん、日本でもいい、でもこの状況の日本で暮らしていくという選択は頭が悪いか、それともとんでもなく頭がよいかのどちらかだ。」

と補足をしました。

もちろん先の事はどうなるかわかりません。
だから、救世主が現れて日本の様子をがらりと変えてくれるかもしれません。そういう風になり得る人は数人心当たりがありますが、そういう人たちが、

「何をやっているのか、言っているのか理解できなくて腹が立つ。」
「ちゃんと政治家としての仕事をまっとうする気持ちをもっていない。」

なんて言われているのをよく耳にします。
どうやら、ほとんどの人は、所得の7~8割を税金として治める国、憲法9条の意味をよく考えもしないで軍事費を増大させる国、未来の人たちの負担を増やしていけないとかいいつつ未来を潰してしまう国で生活をするという選択をするようです。

そうして、そんな状況の中で、自分の息子や娘に、

「やりたい事をみつけて欲しい。」
「やりたい事をやって欲しい。」

といっているのですよね。
とてもおかしな事をいっているのですけど、そうやってしまっている事に気がつけなくなっている訳です。

さて、人生経験が十分なはずの大人たちがこんな状態です。
今の10代の人たちはどう考えるでしょうか?10代の学生では、これから先、日本がどうなっていくのか判断できるほどの知識と経験をもっていません。息子以外にも何人かの学生と話をしましたから間違いないようです。もちろん、優秀な中学生だっているでしょうが一部の優秀な学生だけです。

だから、私は自分の考えと判断を押しつけなければいけないと考えました。

「本当に自由な人生を望むのであれば今は必死になって勉強しろ。」

とね。
今の10代は日本という悪魔に取り憑かれて殺されてしまうでしょう。それから逃れるために必要な事は、様々な知識を得て、それを活かせるような人間にならなくてはいけません。自由に生きるという言葉は簡単に口にすることはできますが、それを実現させるのはかなりの努力や労力が必要です。

そう言えば、使い古されたセリフに、

「俺は親のいいなりにならない、親が敷いたレールを走るのは絶対に嫌だ。」

なんていうのがありますね。
私が中学、高校の頃このセリフをいう同級生が何人かいました。でも、私はそれを聞いた時、

「レールの上も走れない奴が、レールから外れて走れるはずがないだろう。」

と思ってましたね。

10年そこらしか生きてない人間に、

「好きなことを見つけなさい。」
「自由に生きなさい。」

というのは、現状の日本においてはただの責任放棄になります。
やりたいこと、好きなことを見つけるのは簡単な事ではありません。私がそうであったように30年とか40年とか生きてみてはじめて気がつく人の方が多いのではないでしょうか。

なぜこんな事をまとめたかというと、この考え方って健康にも同じ事がいえるなと思ったからです。
今の日本では、我々の人生には3つの選択肢が用意されています。

1.寝たきり介護人生コース
2.癌闘病コース
3.その他の病気コース

さぁ、あなたらどのコースを選びますか?
私ならこの3つからは選びませんね。医学、医療というものの存在が我々からその他の選択肢を奪っているのだと気がつける程度の教養と知性は身につけておいた方がよいと思います。
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本物とまがい物の差

「ずっと頭が痛くてなんにもできない。」

といって相談にこられていた学生さんがいました。

その彼の就職が決まったそうです。
日本で知らない人がいないであろうIT系の会社へ技術者としてです。私はこのことを彼の母親から聞いたのですが、母親としてかなり鼻が高いでしょうね。私にすると大丈夫だろうとは思いつつも、もっとよくなる余地があるという状態で一区切りしたので多少気にしていました。彼はこの入社をステップとして海外へでていく事をかんがえているそうで、きっと明るい未来が待っているでしょう。

それに対して、ある日、別の20代の若者がきました。
半年から1年ぶりだったと思うのですが、来られたときに杖を突いていたのでちょっと驚きました。こちらの彼は、元々かなり悪い状態で、

「こんな体ではまともな人生を送れないから時間をかけて体を変えていかないといけないよ。」

と話していました。
それで、整体を終えたときに、

「時間がかかって仕方ないから。」

と言っていました。
それじゃあ、今日はいったい何をしにきたのだろうかと思ったのですが、話はしないで送り出すことにしました。話など無駄だと思ったし、彼もそれを望んでいないようでしたしね。やはり、何をしにきたのかと思ってしまいますね。体が辛すぎたのでとりあえずちょっとでも楽になればみたいなことでも考えたのでしょうか?

それで、この二人を比べて思いました。
一方は、健康を手にいれようとすると、そのために時間をかけなくてはいけないという事をわかっています。ところが、一方はできるだけ短期間で手に入れる事に価値を見いだしている訳です。

このように考えるには、彼らが日々どのような言葉を発しているかを知らないといけないかもしれません。
ただ、そういうのを詳しく紹介する訳にもいきませんからね。ただ、考え方の違いが、大手企業への入社、杖をつかないとまともに仕事もできない状態という極端な差を生んでいるのでしょう。


私は最近、英語の勉強を始めました。
こういうご時世ですから、インターネット、そしてSNSを有効に活用しています。英語の勉強をはじめて気がつきましたが、

「今は学ぶことがとても容易になっている。」

というのを強く感じています。
一番大きな事は、わからない事がでてくればすぐに調べられるという事です。私が学生の頃なら、書店や図書館をはしごして本を探したものですがそういう手間は今は一切不要です。英語のオーディオやビデオだってすぐに聞いたり、見たりできます。そして、海外に住んでいる英語話者相手のレッスンが自宅でできてしまいます。

でも、そういう容易さをはき違えて考えてしまう人がほとんどになってしまっているのを感じますね。
例えば、英語に関わるSNSなんかでは、

「3ヶ月という爆速で英語の聞き取りができるようになる。」
「1年で英語がペラペラになる。」
「短期間で効果的に英語が身につく。」

みたいな謳い文句ばかり目につきます。
何かを学ぶときにとっかりとしてこういうものに触れてみるのは構わないと思いますが、簡単に身につくものにはやはりその程度の価値しかないものです。

それで、そういう違いのわかる人だけが、

「一流企業への就職をステップに海外に出て行こう!」

なんて事を考えて、実際に行動できるようになるのでしょうね。

とりあえず、

「聞いているだけで自律神経が整う。」
「長く苦しんだ耳鳴りやめまいが3ヶ月で治る。」
「この運動だけやっていれば健康で幸せな生活が手に入る。」

なんていうものはたいていは、まがい物だと思っておいた方がよいと思います。
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骨は動かない

突然、

We don't must move bornes.

という英語が浮かんできました。
最近、英語の勉強をはじめたからなのですけど、日本語より英語の方が表現しやすい事というのがあるようです。

意味は「骨を動かしてはいけない。」のつもりです。
ほとんどの人は、骨がずれたら押して元の位置に戻せばいいと考えているようです。骨のイメージを間違えてとらえているからこのような考えに陥ってしまうのでしょう。

だから、まずは骨がずれているとか、骨に力を加えて正せばよいなんて考えている人は、今夜の夕食を鯛の塩焼きにしてください。塩をぱらぱらとふって焼くだけですから簡単な料理ですが、料理が苦手でしたら日本料理店にいって注文するとよいでしょう。そして、食べ終わった後の背骨を箸でつついてみてください。マナー違反かもしれませんが、指摘されたら骨について勉強しているのだと言い訳してください。

おそらく大半の人は、

「これは動くようなものではない。」

とすぐに気がつく事でしょう。
真鯛だったら結構太い骨なので簡単には折れたりしませんが、さんまみたいな華奢な魚の骨だと突いたらすぐさま折れる事ともあるでしょう。

つまり、ずれた骨を無理矢理動かすと折れるのです。
また、この時、折れるというのは実は誤った表現になります。真鯛やサンマの骨を箸でついて折れたというのは、骨の結合がはずれたということを意味しているのは気がつけると思います。だから、脱臼と表現したほうが正解に近くなります。ところが、多くの人はこの状態を骨が折れたと表現してしまうことに違和感を感じていないのです。

医学という学問は骨というものの理解を根本的に誤っていると言わざるをえません。
だから、一般的な表現に適切なものがないというのが本当なのです。誤った表現が正確な表現に変わるには、天動説が地動説に変わるぐらいの出来事になるだろうと思いますね。

話がちょっとそれますが、問題のある骨に触れてみるとたいていの場合、通常より丸くなって大きく感じられます。これは骨に必要以上の負荷がかかっていて、その骨に関わる神経に過剰な緊張を起こしているという事になります。その緊張が内臓、筋肉に過剰な負荷をかけてそれが原因で病気を起こす訳です。整体であらゆる体の問題が解消できるのはこの事が理由です。

ただ、根本的な骨に対する理解を誤っていると、

「骨がずれて病気になる。」

という事がわからないし、その意味を理解できないのです。まぁ、そもそもわたしなどは骨がずれているなどという事を考えませんから、この表現もまた変なのですけどね。

さらに余談をはさみます。
数年前に、鳴門の海に生息している真鯛はたいてい背骨を骨折しているというレポートを読んだ事があります。いわゆる明石の真鯛は、激流に揉まれて生活しているからその成長過程において数回背骨を骨折しているという内容でした。背骨が折れたら内蔵がうまく機能しなくなるから普通は早々に死んでしまいます。仮に死ななくてもまともに泳げなくなります。そんな状態で流れの激しい明石海峡で生き残って元気に復活するなんていうのはかなりの幸運でしょう。人間でいうなら車にひかれて背骨を骨折したのだけど放置していたら治ったみたいな話です。おそらく明石の鯛の骨になんらかの変化があるのでそのような結論になるのだと思いますが、それを骨折だと判断してしまうのは骨の働きや機能を誤って認識しているからでしょう。

「そういう間違った認識を前提に治療をしてよいのか?」

学者の大半は骨についての理解を誤っているという事についてよく考えた方がいいでしょうね。

話を戻します。

骨が丸く大きくなるという事については、自分で簡単に確認できません。
そこで、ちょっと試してみてください。肩の骨に触れて、その骨に力を加えてみればよいのです。手で押すのではなく、肩を入れる、力ませればよいだけです。力が加わった時に骨の様子が変わります。それをどのように感じるかは個人差があると思いますが、変化が起こるのは誰にでも確認ができることでしょう。そして、普段から力が入ったその状態がずっと保たれていればどうなるか?と考えてみればよいのです。その骨の変化を観察してみて、

「骨がずれているから動かして元に戻せばいい。」

そう考える事ができるでしょうか?
一部の人は、ちょっと違うかもしれないと気がつけるのではないかと思います。
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