ブログ「日々整体」

早期発見早期治療が全否定されている

コロナウイルスについて不安にさせるもっとも大きな要素は、


「早期発見早期治療を全否定している。」


という事ではないでしょうか。
今まで、医療は全力で『早期発見早期治療』という事をを謳ってきたのに、コロナウイルスについては全力でこの言葉を否定しています。この事に気が付いていなくても、今までのお医者さんたちとは全く反対の対応をされることにほとんどの人が大いに戸惑っているのではないでしょうか。

確かに、新種のウイルスということで検査するための技術や設備が整っていないという事もあるでしょう。
しかし、それにしたって違和感を多くの人が感じているでしょう。これを書いているのは休みの日だったのですが、昼飯を食いながらテレビをつけていたら、アレルギー症状に関するドキュメンタリー番組をやっていました。
それで、


「体に異常を感じたらすぐさま病院へいって相談、診察を受けてください。」


と訴えていまいた。


ところが、コロナが流行するかもしれない状況になってくると、


「しばらく家で様子をみて病院に来てはいけない。」


なんて事を、いろんな理屈をつけて言っているわけです。
この状況、医療に関する絶大な信頼をもっている人たちにとっては、


「どうしていいかわからない。」


という状況といえるのじゃないでしょうか?
何しろ、いままでずっと何も考えずに医者にいけばすべて解決してくれると、そういう謳い文句を心の底から信じてきた人たちなわけです。そういう人たちに、


「落ち着いて冷静に対処しましょう。病院にこられても迷惑なだけだから来ないでください。」


なんて言ったら、大いに不安に、人によってはパニックを起こしてしまうことでしょう。


これは、言っている本人たちも自覚しているのじゃないでしょうかね?今回のコロナについての説明が全般的に不十分というか、つぎはぎの多い苦しい言い訳が非常に多いのです。


ついでに、ある大学教授がYouTubeでコメントを出していましたね。


「病院によっては、『コロナの患者が来ると通常の患者がよりつかなくなる。』そういう発言をしているようです。」


病院だって、患者を診ることでお金をもらって経営しているわけですから、コロナのせいで経営が圧迫されるのは具合が悪いでしょう。ただ、病院の社会的な役割というものを考えるとその発想だけで経営されてはかなわないというのは説明する必要もないことでしょう。

ただ、こういう具合に考える医者がいるという事であれば、


「厚労省と医療がずっとそろばん勘定をやっていた。」


とすれば、納得できる部分がいろいろあったりします。
そろばん勘定が済んでいるようなものについては、テレビCMをだして、テレビ番組を作るのにお金をだして、


「病院はあなたの体の問題と悩みをすべて解決します。」


みたいな事をうたいますが、そうでないものについては知らんぷりを決め込むわけです。


日本におけるインフルエンザの感染は年間で1000万人だそうです。
つまり、日本の医療においては感染者1000万人に対応できる能力があるわけです。


「この1000万の対応能力の10分の1をコロナに当てましょう。」


とすると、100万人の患者に対応できる事になります。
残ったインフル対応の人たちには苦労をかけますが、緊急事態だという事で通常の1.1倍働いてもらう事にします。もちろん、新種のウイルスですからインフルエンザと同程度の対応力を求める事は難しいであろうと思われます。ですから、現実はその3分の1ぐらいしか対応できないとしましょう。でも、それでも30万人の患者に対応できる事になります。


「1年の数字だから、そんな単純な計算でははかれない。」


という人がいるでしょう。
すべての人が同時にインフルエンザになるわけじゃありませんから、さらに対応力を12ヶ月に分けたとして、12分の1にしましょう。それでも対応できる患者数は2.5万人、その半分でも1.25万人です。これを書いている2月26日現在で感染者数は139人ですから、余裕がありすぎて閑古鳥が鳴くような状態になると思われます。(今はもうちょっと増えてますね。)

電卓を叩くまでもなく導き出されるような数字です。
この数字から導き出す私の考えは、


「やろうと思えばできたけど、医療はコロナに関わろうとしなかった、手をだしたくなかった。」


という事ではないかという気がしますね。


これまたネット上で拾った話です。
飛行機で旅行へいったという夫婦の話です。行き先は中国ではありませんでしたが、隣に座った外国人男性がひたすら咳をして苦しそうにしていたそうです。あまりに苦しそうにしているので声をかけてみると中国に行ってきたという事でした。心配でしたが、どうすることもできませんからハンカチを渡して口にあてるようにいったそうです。

そして、日本に返ってきたらご主人が38度の熱をだしたそうです。
数日して熱が下がったそうですが、奥さんの方にも感染しているかもしれないと不安になるのは当然です。そして、この夫婦がもっとも心配したのは、自分たちが感染を広めてしまうかもしれないという事態です。それにも関わらず、病院では一切、相談に応じてもらえなかったそうです。


「1.2万人の枠があれば、できる事があったのではないか?」


と思わずにはいられません。


「新種のウイルスという事で適切な検査ができないし適切な処置ができない。」


また、


「また、日本は防疫についての専門家が少ない。」


というのは、確かにそうかもしれませんが、ほとんどの人には言い訳にしか聞こえていないのじゃないでしょうか?


「それでも何か医師が、専門家が取り組むべきことがあったのではないか?」


と、多くの人がそう感じたのじゃないでしょうかね?


ニュースをみていたらコロナの検査が30分で可能な装置が近々導入されるそうです。
喜ぶ人もいるでしょうが、そろばん勘定してでてきたのがこれかと私は思いましたね。


そして、多くの人が、


「なんで今まで何もしなかったんですか?」


と、そういう風に思うのじゃないでしょうかね?
多くの人々が求めていたのは、感染に対する適切な診断と処置だったのだと思うのですがそれは一切行われませんでした。そして、1ヶ月以上も放置して(機械の導入はまだ先だから2ヶ月ぐらいですかね?)、


「さぁ、どうぞ!新型機械が導入されたんでいくらでも来てください。」


と言われてもね。
その検査はいったいいくらなんですか?これから何人検査するか知りませんが、この機械の導入で病院にはいったいどれぐらいのお金が流れ込むことになるのですか?その数字が頭の中にあったから、


「病院には来るな。」


と、そう言っていたんじゃないですか?
まぁ、人によっては違うものが浮かんでくる人もいるでしょう。


まだ、渦中なのでもうちょっと後でいいと思いますが落ち着いたときに、


「医療っていうのはいったい何なのだ?」


ということについて考え直してみる必要があるのじゃないでしょうかね。
機械がなければ検査できません、診察ができませんというのでは医師という存在は社会にとって不要だと私なんかには思えますけどね。
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アカスリ通いの話 パート2

アカスリの記事についての感想とか質問をいくつか頂きました。
具体的な事に落とし込んだ話は、実践してみようという具合に行動につなげやすいのでしょうか。一応、私が自身の感じている変化についておさらいしておくと、

・疲れにくく、疲れが抜けるのが早くなった。
・肌が例年より潤いを保っている。
・ぬるいお風呂で十分温まるようになった。

ということでしょうか。
疲れに関しては、技術的な向上が大きいのもあるのですが、2月に入ってから疲れ切って動けなくなるみたいなことがなくなりました。

また、私は寒い時期は肌が乾燥しがちなのですが、今年はそれがなくなりました。
肌は荒れやすいタイプだったので、疲れから代謝が悪くなりがちだったという事でしょう。そういう意味でアカスリというのは私にはずいぶん向いているのかもしれません。

あと、お風呂の入り方が完全に変わりました。
熱い風呂が嫌いになりましたね。ぬるめのお風呂にゆっくりつかる方が体の調子がよいように感じます。東京へ出張する際には、ホテルの近所の銭湯をいつも利用しています。関東の銭湯ということで、とんでもなく熱い風呂があるのですが、それには近づきもしなくなりました。

そんな具合に、アカスリをきっかけに変化がありました。
ただ、以前にアカスリを試したことのあるという二人の女性から、

「韓国に行った時に試したけど痛すぎて気持ちよくなかった。」

なんていう話を聞かされました。
これについてはやる人の技量の差もあるかと思うので、一概には言えない部分が多いでしょうけど力を緩めて優しくやってもらうしかないかもしれません。あるいは、自分には合わないということで違うものを模索するのもいいかもしれませんね。

関東の方に聞いたのですが、首都周辺は銭湯はたくさんあるのですがアカスリのサービスはほぼないようです。どうも江戸の風呂がそのまま残っているみたいですね。私が宿泊先で利用する銭湯でもアカスリなどのマッサージのサービスはありません。それに対して関西の場合は、大きめの銭湯にいけばほぼ間違いなくアカスリスペースが用意されています。もしかしたら、関西の風呂設備に関しては在日の方が大きな影響力を持っているとかあるのかもしれません。

あと国柄みたいなもので考えを巡らしてみると、韓国という国が異常なまでの学歴社会であることはご存じでしょうか?女性を下にみる風潮もいまだに根強いそうです。私には儒教のダメなところが集約してしまっているという印象があります。

役人や大企業にはいって身を立てる以外の処世を一切認めることがないそうです。
そのため、学業が得意ではないので技術を身につけたり、得意な事を活かして生計を立てるという生き方は敗北者として扱われるそうです。親子で何代も続くとか、江戸時代から100年稼業を引き継いでみたいな家系は韓国では一切存在していないのだとか。

そんな社会ですから、抱える不満やストレスは日本で暮らしている私たちよりかなり根強く深いものがあるでしょう。怨念といっていいほどのストレスをそぎ落とす事を求められているはずですので、とんでもなく力を込めてゴリゴリとやられるわけです。

ですから、日本で暮らしていて、

「私はそこそこハッピーに暮らしていますのでお手柔らに。」

というスタンスでのアカスリはハードすぎるのかもしれません。

私がアカスリを気にいったのは、心身ともにそれなりにハードに仕事をしているのと、趣味で釣りに頻繁に行くからでしょうか。日焼け対策など全くなしで日光、潮風、海水にさらされているので皮膚がそれなりに分厚くなっているせいであろうと思われます。まぁ、単純に日本で受けているからかもしれませんが。


ただ、一つ矛盾あって、

「江戸っ子はやたらと熱い風呂を好む。」

という傾向は割とよく聞く話です。
これは整体にこられた方もいっていたのですが、どうも首都圏に済んでいると熱い風呂を好む傾向があるようです。これは大阪よりストレスの多い環境にいるという事でもないと思いますので、熱い風呂の方を重宝する理由が何かあるとは思います。

単純に考えるなら汗をかきにくい、またはかきにくくなる風土があるという事でしょう。
古くからある銭湯が数多く残っているというところから考えてもこの事は間違いがないような気がします。江戸は、徳川家康が湿地を埋め立てて作ったなんて話もありますから土壌が絡んでいるのかもしれません。

その事に加えて、長風呂することがためらわれるような理由がある、あるいは短時間で済ませることを良しとするような価値観があるのじゃないでしょうかね?
風呂を熱くする必要があるわけです。

もしかしたら、湿地にあるお風呂で長風呂すると特定の病気になりやすいみたいなものがあるとか?
もし、そうなら今の住宅事情でしたら、考慮する必要はない気がします。お風呂の習慣を変えてゆこうと思うのでしたら、このあたりの事を1回掘りさげて考えてみるといいかもしれません

とりとめもなくかいていたら思いもしないところへ着地してしまいました。

結果として、アカスリというサービスをきっかけに入浴という習慣について考える事になりました。
ただ、あれこれ考えていると結論がでなくなるので、まとめると、

「目指すのは可能な限り低い温度のお風呂でしっかり汗がでる体。」

と、いう事でよいかと思います。


さて、私がよくすすめる古くからある習慣に、お墓参りとか節分の豆まきとかがあります。
どんな意味があるのかほとんどの人は知らないでしょうけど、お盆に墓参りしたり、節分に豆をまくのは、私に言わせれば健康法です。体操したり、体にいいもの食べるよりよほど効果的ですから縁のなかった人は今年からはじめてみるといいですね。

こういう催しに意味を感じることはあまりないかと思います。
しかし、健康を保つために意味があるから習慣化するのだと考えると非常に大きな意味がらあります。

実は、お盆や節分は、体がもっとも大きく季節の影響をうけるタイミングです。そのタイミングで意味もなく墓参りに行ったり、豆をまいたりするはずがないと思いますね。

この事を踏まえて考えます。
日本人はお風呂好きなんてよく言われます。それは入浴が我々の体を健全に保つ事に大きく関わっているからでしょう。今、大きな話題になっているコロナウイルスだってちゃんと入浴していればそれほど恐れるものでもないかもしれません。

そして、東京と大阪でもお風呂の様子がずいぶん違う事がわかってきます。
ですから、

「アカスリがいい。」

みたいな単純なところで考えをとめてしまわないで、もうちょっと掘りさげてみると自分にとって、自分が生活している地域においてのよい入浴方のヒントが見つかるんじなないでしょうか。
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アニメと整体の感性と

正月ごろから放送している

「映像研には手を出すな!」

というアニメがあります。
NHKが放送しているのですが、これを見るためだけに受信料を払ってもいいと思えるぐらいに非常に面白いアニメです。タイトル自体は数年前から知っていて、その時はコミックが2巻まで発売されていたようなのですけど、

「もうちょっと貯まってから読もう。」

と考えて、ツバだけつけて温めてありました。それがアニメ化されてしまったという事で、自分だけが知っている隠れ家的な喫茶店が多くの人に知られてしまったというような気分に陥っています。

私はアニメを見るのは、気に入った奴だけを1人でみるという感じでした。
それが息子が成長するにつれてちょっと変化がでてきました。テレビのアニメは基本的には3ヶ月おきに入れ替わって放送されるのですが、その入れ替わりのタイミングで、

「次のシーズンはどれを見る?」

というのを息子と2人でチェックするのが恒例行事になっています。
そのせいで、見る量が一気に増えてしまっています。ただ、その中で先に紹介した「映像研には手を出すな!」は、放送される2週間ぐらい前から、

「おそらく今シーズンでもっとも面白いアニメのはずだ。」

と息子に宣言していました。

第1話が放送されたのは、私が東京へ出張している日です。
それで東京から帰って、視聴状況を確認したのですが息子は見ていないのです。我が家では、新たに録画された番組には『NEW』のマークがつくのですのが、そのマークが消えていません。

それで、息子が学校へいってから私は1人で見てみた訳ですが、予想通り非常に面白いのです。

「これ、面白いから見てみ。」

といってもまだ見ようとしませんでした。
どうやらタイトルとコンセプトイラストを見ただけでは全く興味が沸かなかったようです。仕方がないなぁということで、再三すすめてやっと見てみる気になったようです。それで見終わったときに、

「面白かっただろ?」

と聞いてみたら、


「むむむ。」


と返事をしていました。


ところで、今シーズンの放送で世間に広まってしまったのは喫茶店だけではありませんでした。
もう1つ、もうちょっとコミックが増えてから一気に読もうと温めていたものに空挺ドラゴンズというのがあってこちらも放送がはじまっています。こっちは隠れ家的なカレーショップでしょうかね。

それで、空挺ドラゴンズも息子は見ようとはしていませんでしたが、この時は、


「たぶん面白いから一緒にみよか。」


と見てみたら、やはり、


「むむむ。」

といっていました。

それで、

「この2本はタイトルを見ただけで面白いとわからなあかんわ。」

と言うと、なんでそれだけでわかるのかということをかなり不思議に感じたようです。


私がタイトルだけで面白いマンガやアニメを見分けることができる理由は簡単で、


「目が肥えているから。」


です。
本や雑誌なんかでも大体読む前にわかりますね。見たり読んだりしたら、期待はずれだった、あるいはその逆でダメだと思った物が実は面白かったという事は皆無ではありませんが、大きく外すことはそうありません。

私の場合だとサブカルに偏りますが、映画やドラマでわかる人もいるでしょうし、初めて会った人が優秀だとか、親切だとか、そういう事がわかる人もいるでしょう。目が肥えているとちょっとした情報だけでいろんな事がわかる事は普通にあるわけです。

さて、ここでちょっとした問題です。
「映像研には手を出すな!」を見たことがない息子に、このアニメが面白いということがどうしてタイトルを見ただけでわかったか?という事を説明して、理解してもらう事はできるでしょうか?

おそらく不可能でしょう。
こういうやりとりは整体をしていても頻繁に起こります。


「体のここを押さえると何か違和感とか痛みがあるでしょ?それが不調の原因ですよ。」


なんて事を言う訳ですけど、


「ちょっと痛みみたいな物を感じますが、これは体の異常なのですか?」


という具合の返事が返ってきます。
その部分に変化が起こっても体の状態が変化するという事がまったく想像できないわけです。

こんな事をいう人には、きちんと説明されれば理解できると思い込んでいる人が多いように感じます。学問的に理詰めで詰めていけば、体のしくみはすべて解明できると考えているので、そう思うのかもしれません。

生命のしくみなんてわかっていないことの方が圧倒的に多いのです。
私の感覚では、学術的にわかっている事なんて生命についての1%ぐらいじゃないでしょうか?その1%の情報からあーでもないこーでもないと、残りの99%について考えるわけです。私の場合、触知で体の状態を確認するからもうちょっと情報量は多いですし、これまで何万という人の体を見てきているわけですからそれなりに目が肥えているはずです。でも、1%のヒントに何も感じることがない、気が付くことができない人に、残り99%について説明しても理解してもらうことは不可能だろうと思います。


アニメだったら見てみたら一発でわかりますから簡単です。
それじゃあ、体だったら?アニメと同じで考えるなら、体が変化して元気になればやっぱり一発で全部わかるんじゃないでしょうかね。
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専門家曰く日本人はみな軽躁社会

「専門家はろくな事を言わない。」

この事は、広辞苑とか国語辞典に銘記してもいいのではないかと思います。
先日、精神科医が書いているブログをみていました。おそらく、専門家になるために様々な事を学び、専門家になった後でも様々な事を学んだ事でしょう。しかし、その結果、発信される情報が、

「日本社会は軽躁状態だと推測される。」

というものでした。
有名YouTuberの状態を引き合いにだして説明するわけです。一応、彼は演技でやっているのだろうから、軽躁ではないと思われるだろうと補足していましたけど、大半は軽躁状態に陥っているとそんな事を述べていまいた。

軽躁状態というのは、簡単にいうとテンションがちょっと上がっているという事です。
物事を深く考えず安易な選択を行動する状態だと解説されていました。お調子者が、調子にのって馬鹿な事をやるのは軽躁状態だというわけで、この精神科医に言わせればお調子者は軽躁状態という事のようです。

もうちょっと砕いていきましょう。
YouTuberといえば、ヒカキンさんなんかはほとんどの方が知っていることでしょう。彼は普段は地味な生活をしているそうですが、動画では高めのテンションで明るく楽しそうに振る舞っています。そうなるのは、高めのテンションが求められるからで、それはYouYuberだけではなく、当然テレビでもそうですし、あらゆるシチュエーションで、


「高めのテンションが求められる。つまり軽躁状態である事が求めらている。」


と感じたそうす。
それで、自分もそのように振る舞わなくてはいけないのかと思うと、怖くなって引き籠もってしまいたくなったと、そういう考えに至ったそうです。


それで、これを読んだ私の感想は、

「お前のような精神科医は引き籠もってしまった方が世のため人のためだ。」

というものです。


精神科医がどのような立ち位置で仕事をしているかしりませんけどね。
今は、全ての科のあらゆる医師が、


「気持ちを前向きに病気とうまく付き合いましょう。」
「死ぬわけではないから、気にしない事が大切だ。」


なんて事を言っているのじゃないでしょうか?
私のところへ相談にこられる方は、ほぼ全員言われていますから多分間違いないと思います。これって、軽躁状態になりなさいということを、ちょっと遠回しにいっているだけですけど、どうしてそれに気が付かないのでしょうかね?


これらのセリフがどれだけの人間を引き籠もらせているのか?
それが自分自身に向けられて、実際に引き籠もりたくなったと感じているにも関わらず、自分らをはじめとする医療従事者がそれをかなり大々的ににやっている事に気がつかないわけですから、


「あなたは一体何を勉強してきたんですか?勉強してきたことを全く活用できていないのじゃないですか?」


とそんな質問を投げてやりたくなります。


この人はいったい何を勉強して、何のために精神科医になったのでしょうか?
人前にでるときに普段より少し高めのテンションになるのは当たり前の事です。YouYubeになるとインターネットという技術を使って接する人間が圧倒的に増えるわけですから、それに対する立ち居振る舞いというものが必要になってくるのは当然の事です。

これは私のようにぶっきらぼうで乱暴な言葉を平気で使う人間でも同様です。
私の場合だと、それなりに影響を受けてもらってなんらかの変化を起こしてもらう事も想定して発言する事も多いわけです。ですから、その発言のやり方や、表現にはやはりそれなりに気を使わかなければいけません。

ところが、この精神科医は、それを


「軽躁だ。」


と病気扱いするわけです。

まぁ、最近は病気という言葉もずいぶん細分化されてきて、病気やそれに類する言葉なんかが定義されてきているようですから、

「病気ではない。○○といいます。」


なんていう、かなりどうでもいい理屈をもってきて反論する人もいそうな気もしますけどね。

話を戻します。
ヒカキンをみて軽躁だというこの精神科医がやっている事は、自分にはできない立ち居振る舞いや発言をする人間を病人扱いすることによって、


「自分は正常である。」


という事を主張しているだけですね。
おそらく十年、もしかしたら何十年とかけて培ってきた知識や経験を使って、健全な人間を病人にして、他人とうまく接することのできない、良好な人間関係を作ることのできない自分が健全であるという事を証明しようとしているのです。


この程度の人間が、


「精神科医でございます。」


なんて、白衣着てでかい顔をして仕事してても、元気になる患者なんぞいないと私は思いますけどね。


人間同士の関わり合い方には様々な方法や形があります。
テレビやYouTubeなんかで活躍している人たちの方法は確かに多くの人に受け入れられやすいものでしょう。でも、それができない人などいくらでもいますし、そんな風になる必要など全くないのは当然の事です。

書いていて、ある変わった夫婦を思い出しました。
ホームページを作るときに必要になるサーバを提供するサービスがあります。そのサーバは夫婦2人で経営をはじめたそうです。2人とも面と向かって人と話すのが苦手なので、全てがインターネット上で完結するので誰にも会わなくていいという事でこの仕事を始めたそうです。

この二人の面白いところは夫婦間であっても面と向かっては話をしないというところです。
自宅でずっと仕事をしているわけですが、それぞれ二人の部屋にはパソコンが設置してあって、そのパソコンを使ってチャット(ネットの上のライみたいなもの)で会話をするそうです。その方が、いろいろ話をしやすいのだとか。

実は、安価ということで私も利用している会社です。
何年か前に記事で読んだので今でも仲良くしているかはわかりません。ただ、少なくとも記事になったときにこの夫婦は良好な関係を築いていたわけですし、今の社会では別にそれを永遠不変のものにする必要もないでしょう。女性が主役になれる、活躍できるっていうのは、婚姻関係に頼らずとも男性も女性も自立できる社会の事でしょう。そう考えれば、この夫婦は時代の最先端を突っ走っているという言い方もできます。

そんな具合に、夫婦や仕事だって様々な形をしています。でも、この夫婦の事をこの精神科医に話したら、きっとありがたい病名をつけてくれるんじゃないでしょうかね。あ、病気じゃなくてなんとか症候群とかそんなんかもしれませんけどね。

ちなみに、私も多くの人と良好な関係を築くのはあまり得意ではありません。
だから、カメラに向かって明るく明朗にしゃべるなんてのは、まぁ、やろうと思えばできるようになるとは思いますが、やりたいと思える事ではありません。で、どうやっているかというと、日々、こうやって思った事を文章にして発信しているわけです。読んで反発する人も多いようですけど、東京へ行っても、名古屋へ行っても面白いと評価してくれる人もいます。


「ブログなんてオワコンだ。」


なんて言われて久しいですけど、別にテレビやYouTubeみたいに何万、何十万に発信する必要などありませんからこれで十分だったりします。


そして、私たちが生活していくのに何か発信をしなくてはいけないという訳でもありません。
母として、父として、主婦として、会社員として、フリーターとして、経営者として、友人として、恋愛対象として、自分がどのようにありたいかは、自分で決めることで、精神科医が決めるようなものではありません。

例えば、私が友人としてどうあろうかという事を紹介すると、


「何も言わずに300万円貸してくれ。」


と言われて、黙って出してあげることができる友人を3人作れば、結構いい人生になるんじゃないだろうか?
なんて事を20代の後半あたりに考えていたように思います。この考えについても、この精神科医が賛同してくれることはないのじゃないでしょうか。

きっと、


「帰ってくるはずのない金を出したらあかん。」

と言われて、私は、


「そういう問題じゃない。」


と答えることでしょう。
まぁ、そういう風に思える友人が、そんな事を言ってくる事はありえないという事に気が付いたのはずいぶん経ってからで、ずいぶんアホな事を考えていたと今振り返ると思いますけどね。


さて、とりとめがなくなってきたのでまとめましょう。
この記事、ヒカキンと、軽躁というワードを使っていることもあって目にとまるようで、それなりに注目を集めているようです。社会に溶け込めない人にとって、ヒカキンが異常で、自分が正常だと思いたい人にとっては非常に受け入れやすい内容なのでしょう。

しかし、人間って何らかの形で社会と関わっていないと生きていけない生き物じゃないでしょうか。
関わり方は、明るく楽しそうに振る舞ったり、誰とも会わずにパソコンに向かうだったり、人によって様々な形があります。どうしても無理だというなら、山奥にひっそりと自給自足で暮らすという選択もありでしょう。しかし、それだって先に紹介した夫婦のように、関わり合い方の一つでしかありません。

そういう事を踏まえてやっちゃいけないのは、


「自己肯定のための他者否定。」


なんじゃないでしょうか。書いている人間は、このことを一番理解していなければいけない立場のはずなんですけどね。


厄介なのは、白衣を着た人間は、まったく役に立たない事を最もらしく説得力を持たせて有害にしゃべるのが巧みだということでしょう。他人の人生に口を出す、度量も器量もないようなしょうもない人間に振り回される事がないように注意することです。
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アカスリ通い

「あなた骨が堅いね。サウナばっかり入っているでしょ?」

と、言われたのは昨年12月末の事です。
趣味の釣りの帰りの時の事でした。その日は、深夜出発で昼過ぎまで釣りをして、睡眠不足な状態だったので帰りの運転が危ないと感じたので、銭湯に寄って一休みしてから帰る事にしました。普段ならマッサージ、リラクゼーションを選ぶのですが、いろいろ体験してみようということで昨年の中頃からいろいろ体験するようにしています。

アカスリの事はかなり前から知ってはいました。
銭湯が好きであちこちいってましたし、大きめのところへいけばかならずありますからね。ただ、素っ裸でごりごりと体をこすられるというのは正直いって抵抗を感じていました。でも、年をとって羞恥心がなくなってきたのでしょうか。試してみたら、案外というか予想以上に体がすっきりしたので、以後、時々利用するようになっています。

それで、5~6回目の時だったでしょうか。


「サウナで安易に汗をかいてばかりいると骨が硬くなる。」


という事を指摘されたのです。
言われてみれば全くその通りだと思いました。言われてみるまで気がつけなかった自分の迂闊さを恥じ入るばかりです。


アカスリをしてくれる方はどこへいっても片言の日本語です。
韓国出身または在日の方だと思うのですが、この時の方は老婆といってもいいぐらいの年齢の方でした。その分、年期がはいっているのでしょう。


「あなたぐらい体が大きいと時間が足りないから10分延長ね。」


と言われて、考えるスキも余地もないぐらいすぐさま『ハイ!』と返事していましたね。


その方が言うには、私はかなり垢がでにくいとの事でした。
一応、何回か経験がありますから、アカスリ前には30~60分ぐらいお風呂に入ってしっかり温まってから受けるという事は知っていました。それで、ちゃんと段取りを踏んでいたのですがそれでも、かなり垢が出にくいとのことでした。

以前から垢がでにくいという事はほぼ毎回指摘されてはいました。
温まり方が足りないからだと思っていましたが、どうもそうではなく骨が硬いのが理由だとはじめて指摘されたわけです。そして、骨を柔らかくするには、ぬるめのお湯に10分以上使って、水風呂でしめて、またぬるめに入ってということを3回以上は繰り返せと教わりました。

私は、お風呂は熱めを好み、熱いサウナでがっつりと汗をかくことを好んでいました。
どうもそれは体の反応が鈍い、つまり骨が硬いので汗がでにくくなっていたという事を意味していたわけです。そして、汗がでにくいという事は、当然アカもでにくいわけです。


ただ、でにくいとはいっても自分でみたらびっくりするぐらいのアカはでてはいます。
だから、


「これでアカがでていないと言われたら本格的にアカがでるようになったらどうなるのだ。」


と思っていました。


私が腑に落ちたというか素直に聞く気になったのは骨が硬いという表現だったからでしょう。違う言い方だったら、きっと素直に受け取ることができなかったかもしれません。


それで、


「それじゃあ、骨を柔らかくしてやろうじゃないか!」


と思った訳です。


この日を境に、熱いお風呂に入るのを一切辞めました。
サウナも厳禁です。サウナは短時間に大量の汗がでて爽快感があるのは確かです。しかし、そういう汗のかきかたを繰り返していると、強い刺激でなければ汗がでにくくなるという傾向がでてくるのは当然の事です。先ほども述べましたが、こんな当たり前の事にどうしていままで気が付かなかったのだろうかと思います。

自宅での風呂はぬるめにゆっくりつかり、週1~2回大きめの銭湯へ行ってぬるいお風呂に何回もゆっくりとつかるようにしてみました。


「骨が柔らかくなるまでにどれぐらいかかるだろうか?」


と思っていたのですが、3週間後、家の近所の銭湯にいきました。
アカスリも2~3度利用した事があるところです。で、アカスリをやってくれる方は私の事をちゃんと覚えていてくれて、


「今日はしっかり温まったんだね。しっかりアカでてるよ。」


と言われました。
自分で確認してみると、いままで2~2.5倍ぐらいの量の真っ黒なアカがでていました。


アカがでるようになっているという事は、多少は骨が柔らかくなっているのでしょう。
その結果、仕事での疲れ方がずいぶん楽になり、疲れが抜けるのもずいぶん早くなったように感じています。


「骨が変わるのはこんなにも早いのか。」


半年から1年かけてじっくり取り組むつもりでしたから、拍子抜けしています。まぁ、まだまだ上積みはあると思いますけどね。


入浴法として半身浴とかぬるいお湯に長くつかるなんていうのがあります。
それは今回私が体験したように骨が柔らかくするためのコツなのでしょう。とにかく汗をかけばいいんだろうみたいにあまり掘りさげて考えていなかったのはかなり具合が悪かったといえます。ただ、この入浴方法でも骨は柔らかくなってこない人もいますので、それはどういう訳なのかと掘りさげて考えるといろいろわかってくることもありそうです。


ちなみに、私の骨が硬い事をしてくれたのは和歌山県御坊市にある銭湯です。


「体がちゃんとするから週に1回来なさい。」


と言われましたが、高速道路を駆使して2時間ほどかかる場所なので通うのは厳しい距離感です。煙樹ヶ浜キャンプ場なんかが近くにありますね。遊泳は禁止ですが非常に気持ちのいい浜ですので、アウトドアがお好きな方でしたらキャンプがてら立ち寄られてみてもいいかもしれません。

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