ブログ「日々整体」

それは前世の因縁が原因です

どの本だったか忘れましたが、整体という技術の創始者である野口晴哉氏の著書に息子さんが大腿骨を折ってしまった時の逸話があります。ぶらんこに乗って遊んでいたら転落してその際にへし折れてしまったそうです。

いわゆる完全骨折という奴だったと思われます。
大腿骨は人間の骨で一番堅いと言われている骨でそれが完全にへし折れてしまうなんてのは他で聞いたことがありません。しいてあげるならいうならゴミ収集車のプレスに挟まれたとか、そういう事故の話を聞いたことはありますがそれぐらいの出来事がなければ起こることはまずない怪我といえるでしょう。

私の感覚からすると大腿骨が折れてしまうと、生きる力を失ってそのまま亡くなってしまう事もありそうな気がします。そして、もし安静な体勢を保って骨が繋がっても、元通りに歩けるようになることもほぼないのじゃないでしょうか。骨は折れてもまた繋がってさえいればいいというほど単純ではありません。

そういえば以前に、スキーで足の骨を折った後、食品アレルギーで頻繁に寝込むようになったなんていう人が整体にこられていました。
骨の故障が元になってアレルギーを起こすなんてのは理解できない人の方がおおいのじゃないでしょうかね。よく勉強して頭のいい人ほど、関係なんかあるはずがないというかもしれません。でも、骨というのが体を支えるためのものではなく、もっと他の役割の方が大きいはずなんですけどね。そういうことがわかっていれば、生まれついてのアレルギーなんてのは発育にちょっと問題があるだけというケースがほとんどだと思われます。


さらに余談が続きます。
当時だとこのあたりの関連についての理解が浅かったです。しかし、この方のアレルギーの事も今ならわかるかもしれないと、ここのところずっと考えていました。実は、この記事のテーマもそうなのですが、わからなかった事がわかるようになるというのは、たいていある日突然です。皆目見当がつかない、手の施しようのなかったものが、ある日突然にどうにかできるようになったりします。日頃の行いのよい人なんかだとそういうタイミングで私のところへやってきて、ささっと解決して、ささっといなくなったりしますね。


話を戻します。

野口晴哉氏の骨折の手当は独特でした。
骨がおれた場合、曲がってくっつくといけないからギブスで固定するというのが常識的な感覚でしょう。しかし、野口氏はガチガチに固定せず太ももに新聞紙を巻いたそうです。当然ですが、新聞紙には固定する力はありませんから、ぷらんぷらんの足の状態です。

「人間の体には、骨をまっすぐにつなげようとする力がある。」

という考えだそうです。
骨自身、骨の周囲の筋肉やその他の細胞などすべてが足をまっすぐに伸ばそうという働きをするからギブスがあるとそれを邪魔してしまうということのようです。他の部位の骨でしたら多少は曲がってくっついても誤魔化しはきくのでしょうけど、大腿骨ですとそういう訳にはいきません。大腿骨がうまく機能しなければ走るどころか、歩くことすらままなりません。もし、多少は歩けてもすぐに足が痛くなって動けなくなるというような状態では、骨がきっちりくっついて治ったとは言えません。

そういえばちょうど私がいま見ている人に、腕の骨折が原因でパニックを起こしている人と、同じく腕の骨折が原因で耳なりで困っている人がいますね。一人は10年以上前、もうひとりは30年以上前の怪我です。こういうのは骨の状態がきちんとみれる人でなければどうしたらいいのか検討もつかないでしょう。

さらに付け加えて、


「どうしても辛くてどうしたらいいのかわからなくて前世を見てもらったことがあります。」


なんて人が最近来られました。
別に、そういう事を吹聴しているわけでなく、あまりに辛かったからでしょう。かなりがっついて原因を教えてくれといってくるので、


「前世でなんか悪いことしたみたいですね。」


と冗談で言ったら、冗談になっていなかったという話です。
まぁ、この方はまた全然違うことが原因だったみたいで、まだはっきりとは言えないけど多分体のここにこういう問題があるからですよと伝えたところちょっと安心したようです。


話を戻します。


他の本で見たと思うのですが、雪山で遭難して骨折したけど、その骨折した足で自力で山を下りてきたなんていう人の体の状態を観察した事があるようです。

「折れていても歩けるじゃないか。」

と、そういうことが事実として起こったわけです。
私自身でもそんな話は2~3聞いたことがありますから、雪山を歩いておりるぐらいであれば骨は折れていても大丈夫らしいというのは間違いないわけです。そこから端を発して骨、骨折というものについて考えを深めていくと、こういう結論というか発想にたどり着くのではないでしょうかね。

もちろん、折れた足を新聞紙でくるんでおわりではありません。


「もし、うまく繋がらなかったらは僕は整体を辞めるよ。」


そういって目に手当てをしはじめたそうです。
先ほど述べた骨をまっすぐにくっつけようという働きを高めるために、目に意識と力を集めたわけです。


「どうして目なんだ?」


この記述をみたのは5年前だったか、10年前だったか忘れました。ただ、目に意識と力を集めることで折れた大腿骨がまっすぐにくっつくなんていう理屈が私の想像や理解の完全な外にあります。それで、


「いつかわかる時が来るのだろうか・・・?」


死ぬまでたぶん無理だろうなぁなんて思っていたのですけどね。


それがつい先週のことですけど、


「なるほど、そういうことか・・・。」


と突然、気がつくことができました。
確かに、目がしっかりしていると太ももの力というか働きがたかまりますね。それは逆もいえて太ももが力を失っていると目がうまく見えなくなってくるはずです。

なんで気がついたかというと、大腿骨の力が抜けている人の体を見ていたからなんですけどね。で、その人が訴えているのは、


「膝が痛くてまともに歩けない。」


という事だったりします。
おそらく読んでいる人は、私がいったい何を伝えようとしているのか全くわからないと思いますけどね。こんなものは現時点での私にはうまく説明なんてできませんから、詳しい説明をするなんて事はもう諦めてしまおうと思います。そのうち、気が向いたらというか、言葉になりそうになってきたらこっそり開始している闇ブログの方へまとめてみようと思います。

それまでは、こういう事は、


「前世の因縁が原因です。」


ということにしておこうと思います。


いい忘れていましたが折れた大腿骨はちゃんとくっついて、数年たった時には、


「どっちの骨を折ったんだっけ?」


と本人でもわかららないぐらいなんの後遺症もなくきれいに繋がったそうです。

体とは恋愛するつもりで付き合う

ほとんどの人が、私のところへやってきてまず最初に、


「元気になるにはどうしたらいいのですか?」


と聞いてきます。
でも、私に言わせれば、


「こんなことを真顔で聞いてくるからダメなのだ。」


という事になります。


体の調子を整えるというのはどういうことかというと、


「どうしたら元気になれるか自分でわかるようになる事。」


だからです。

私はいつも体と恋愛は同じもんだと説明しています。
あなたが、友人に、


「あの子の事が好きになったので、彼女に好かれるためにはどうしたらいい?」


と聞かれたどう答えますかね?
プレゼントしてデートに誘えとか、気持ちを手紙に書いて伝えろとかアドバイスしたとしましょう。まぁ、最近はそういうストレートな事はやらないみたいですけど。別に的はずれなアドバイスではないと思いますが、プレゼントしてデートに誘えば必ず気持ちが伝わるとか、好きだという気持ちを丁寧に手紙に書いて伝えれば絶対に相思相愛の仲になれるといってしまえば嘘になります。

プレゼントしたり、手紙を書いたりするのはきっかけを作るためのものといえます。
たいてい自分のことを理解して好意を持ってもらうためには時間をかけて少しづつ自分を伝えていかなくてはなりません。まぁ、何かしらのアクシデントや出来事で急に伝わったり、わかってもらえたりとかいうこともあったりするかもしれませんけどね。


ラブコメといわれる映画やマンガなんかは、お互いを気にし合う男女の距離が近づいたり離れたりする様子を見ながらやきもきするから面白いのでしょう。夜景のきれいなホテルに連れていっておいし食事と高級なお酒を差し出せば100年の恋が始まるみたいな展開を見たらあなたはどう思うでしょうか?ところが、女性によってはそういうシチュエーションだったり、そういう具合に丁重に接してもらうことで大切にされていると感じることもあるかもしれません。

私だったら、相手の様子を見ながらどんなことを考えて、どんなことを望んでいるのか、そういう事を理解できるようになる事が恋愛において大切だと思いますが、


「俺についてこい!」


みたいな男性を望む女性だっているわけで、


「こうすれば必ず恋は実る!」


なんていう100%間違いないやり方なんてないわけです。


さて、恋愛している相手に、


「あたなのこういうところがダメだ。」
「あなたのこういうところが気に食わない。」
「もっとこういう風であってほしい。」


なんて、毎日毎日、小言を言っていたら考えるまでもなく、すぐにさよならすることになるはずです。体でも同じことが言えるわけで、


「体のここが痛みを出すからダメだ。」
「体のここに違和感があるから気に食わない。」
「体のせいで私は元気に、幸せになれない。」


なんて事を毎日のように言っていれば体はうんざりして何もきいてくれなくなります。

体の調子が悪いというのであれば、まず、


「体はいったいどんな事を望んでいるのか?」


という事について考えてみるといいのじゃないでしょうかね。
サプリメントや薬を使って、


「私の言うとりにしていろ!」


なんてやっていたら、体はすぐにそっぽを向いてしまうはずです。
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燃える案件

最近、10代の若者が、


「学校にいけないでいる。」


ということで整体にやってきています。
高校には入学したのですけど、頭痛がひどくて通えなかったそうです。そういえば突っ込んで聞いていませんでしが、何年もそういう状態だそうですから、高校は自主退学してしまっているのかもしれません。

お医者さんなんかにいくと、起立性調節障害なんていわれるヤツです。
起立性調節障害といわれるヤツは診断があいまいで、これまで何人もそういう若者をみてきましたが、誰一人として同じ状態だという事はありませんでした。それなのに、起こっている現象が似ていて、原因がみつけられないということで『起立性調節障害』という名称で一括りにされてしまっています。

空から何かが降ってくるる現象を「アマテラスの落とし物」とでも命名してみましょうか。
水が降ってきても、氷の粒や結晶が降ってきても、カエルが降ってきても、人工衛星が降ってきても全部、「アマテラスの落とし物」で一括りにして説明してしまうのはちょっと乱暴じゃないでしょうかね。

整体であれば、それでもなんとかなっちゃう事がありますからまだいいのです。でも、原因を見つけてちゃんと対処しようという西洋医学じゃかなりまずいはずです。

丁寧に観察していけば、雨だとか、雪だとか、大陸からやってくる黄砂だとか、桜島から飛んできた灰だとか、地球にはない物質だとか、そういう事はいろいろわかってくるはずなのですけどね。


話がそれたので戻します。


それで、彼の場合、私が最初に気がついたのは顔が変だということです。
別にブサイクだとかそういう意味ではありません。ひと目見て鼻筋に妙な違和感があり、鼻に何らかの負荷がかかっているだろうと思えました。この事からだけでも、頚椎になにか問題があるのは推測できます。

それで最初に、


「中学の頃に、転落事故があったのですがそれが関係してないでしょうか?」


と、私に聞いてこられました。


「あぁ、やっぱりね。」


と、表情を見ていて体を強くぶつけた事があるだろうなぁと私は直感的に思ったわけです。そして、本人も親も、そのあたりからおかしくなったという事がわかっているわけです。おそらくあちこちに同じような相談をしたのだろうと思いますが、取り合ってくれたのはどうも私がはじめてだったようです。

その次に気がついた事は、


「目の動きがおかしい。」


ということでした。
本人にはその自覚はまったくありませんでしたけどね。ついでにいうと家族もそんなもんだと思っていたようで、それが変だとは思っていなかったようです。


で、さらに気がついた事は、


「ペンの持ち方、字の書き方おかしい。」


という事でした。
左手でペンを持って手首をひねらないと字がかけないのです。


「筆では字をかけないだろ?」


と聞いてみましたが、筆は持った事がなかったようです。
聞くと、ごくごく小さい頃からそういうペンの持ち方だったそうで、これまた親は疑問にも思っていなかったようです。


これらだけでもいろいろわかるというか、全ての情報が1つのことを示しています。
それは、


「心臓の動きと力が弱い。」


言い変えれば


「止まらない程度にしか動いていない。」


という感じでしょうかね。


年寄りが寝たきりになっているのと似たような状態です。
若さがありますから動けないところまでいきませんが、この心臓の弱さが頭痛に化けているであろうという事はほぼ間違いないと思われます。もちろん、顔とペンの持ち方だけでなく体の状態を観察したことからわかることも加味して判断していますけどね。


ペンの持ち方から察するに、子供の頃から、おそらく生まれたときにはすでに心臓に力強さはなかったであろうと思われます。だから、赤ん坊の頃から、元気とか活気が感じられるような状態ではなかったはずですが、、特に問題はないということでそのまま成長してきたのでしょう。ところが、その問題が、転落事故をきっかけに生活もままならないような状態にまで悪くなってしまったわけです。


おそらく彼に起こっている事はこういうことであろうと思われます。
ただ、体の様子を観察していっても、どうも辻褄があいません。こう推測するのであれば、


「この部分はこうなっているはずだ。」


というのがあるわけですが、なにか違う感触がするのです。
どうも、彼の場合はかなりユニークな事が起こっているようで、整体しながら体の経過を観察しながら考えなければいけないようです。

実は、何回か見ても未だに彼ほど見通しがつかないというのは私にとっては非常に珍しいのです。もちろんうまくいかない人はいくらでもいるのですけど、そういう人の場合は、


「こっちにいけばいいのはわかるのだけどうまくそっちへ行けない。」


というような感覚なのが、彼の場合は、


「どっちに向かえばいいのかまだによくわからない。たぶん、こっちであっていると思うのだけど」


という具合なわけです。


少なくともなるべく早めに方向だけでも指し示してあげないと、本人が諦めてしまうかもしれませんから、脳みそを灰色に染めてフル稼働させているのですけどね。


ただ、こういう具合にまだ見通しがたっていなくても私はなんとかなりそうな気はしています。これまでだってたいていのことはなんとかなりましたからね。


そして、彼が元気になってくれれば、


「自称専門家たちに、またあれこれと嫌味をいうネタが増えるな!」


と、こういう不純な思惑でやる気がでてきている今日このごろだったりします。


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品川、日暮里7月の募集をはじめました

疲れ果ててちゃんと整体できなくなるので今までは受け付ける人数を制限していました。
これではいかんということで、何年か前からあれこれ鍛錬はしてきていたのです。それで、そろそろ大丈夫かもしれないということで受付ける人数を増やす事にしました。また、7月は品川での整体を1日増やしましたので、かなり申し込みしやすくなっています。希望される方は、下のリンクから空いている時間を確認して電話にて申し込みしてください。






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6月23日 品川 空きあります。

1日に受け付ける人数を制限していましたが、それを辞めました。
それに連れて23に空き枠があります。ご希望される方は電話にて申し込んでください。

23日(日 )品川
11:15~ 15:15~ 15:45~

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