ブログ「日々整体」

口の形とその使い方

機会があったら試してみたいなぁというものにマウスピースがあります。
もともとボクシングで歯を折らないための保護具だといういう認識です。ただ、かみ合わせが良くなると運動能力があがるなんていわれて、ほかのスポーツでも見かけることがあります。

衛星放送がはじまったころにみていてたフットボールや、バスケットボールでは、マウスピースを使っている選手が珍しくありませんでした。激しくぶつかるスポーツなので保護具という意味合いもあるのかもしれませんが、フットボールなんかはヘルメットをかぶってさらにマウスピースという具合でしたらから、保護より能力の向上を狙っていたのではないかと思います。

噛み合わせがよくなると運動能力があがるというのはおそらく本当だろうと思います。
日本でもマラソンの選手に歯の矯正をしてオリンピックを目指している人がいました。それで実際に走るスピードがあがったかまではしりませんけどね。歯並びというのは呼吸器の影響を強く受けていると考えています。逆にいうと、歯並びが悪くなるというのは呼吸器の働きに何かあると考えてよいとうことでもあります。まぁ、歯並びが悪いからといって肺の動きに問題があるというほど単純ではなく癖があるという程度の人が大半でしょうけどね。

マラソン選手なんかだと肺の働きはスピードに直接影響するでしょう。
だから、歯の矯正をすることで運動能力があがるという考えはまっとうなものだと思います。ただ、癖のある肺の働きで優勝していた人が、歯の矯正をしたらさらに早くなるかというとそれほど単純でもないでしょう。もともと癖のある肺の動きで優勝していたのですから、癖がなくなったら走り方も変えないといけないわけですよ。癖のある肺で優勝するぐらいですから、2時間以上フォームが崩れることなく走り続ける事ができるように鍛錬を重ねてきたわけです。それを癖のなくなった肺の動きに合わせて変えるということは容易であるはずがありません。場合によっては、逆に遅くなったりするこもあるかもしれません。単純にまとめるなら、歯並びを矯正することで潜在能力は高まるけどそれを発揮できるようになるかというのはまた別問題だということですね。

まぁ、癖がある肺でも日本一ぐらいにであればなれるということでもありますが、世界一を目指すのであれば癖をなくして最高パフォーマンスを出せるようになるのいいのかななんて私は考えています。

さて、マウスピースの話です。
私が気になっているのは、


「マウスピースを利用して体を動かす時に、マウスピースをしっかり噛み締めているか?」


ということだったりします。
理屈から考えるとマウスピースを強く噛んでいると体はうまく動かないと思えるのです。どうやっているかというと、歯に力をかけないでなおかつマウスピースを落とさないような口の形で運動するといいのじゃないか。イメージとしては、ゆで卵を口の中にほりこんで運動するつもりでやるといいのかなぁと。最近になって、こんな疑問が湧いたのですが、マウスピースを入手する機会も必要もなかったりするし、こんな疑問を解決するためにまにマウスピースを作るつもりにもなれないしということで思考が止まっていまっています。

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年末年始について

断捨離という言葉をよく耳にする用になりました。
仏教の用語かと思っていたら、ヨガの行法というらしいのだけど、ヨガからきているものだそうですね。

ネットに転がっている話を真に受けるなら、ヨガの目的というのは輪廻転生からの解脱なんだそうです。そう思えば、健康法としてのヨガなど片腹痛いというか、見当違いもいいところだと思ったりもしますけどね。ただ、健康法として始めた人でも熱心に取り組んだ人の中には、尊敬の念をいただかずにはいられないような人もいたりするので、きっかけなんてなんでもいいといえばいいのでしょう。

今、普及しているのは西洋人がヨガを勉強してスタイリッシュにしましたよというようなものであるという印象です。その行き着く先は、どうしたってジェダイの騎士みたいなところになってしまうようにしか思えません。己を高めて正義をなすというと、聞こえはいいように思いますが、ダースベイダーみたいな存在を生むことになって争いごとの火種になるだけなんですよね。

アバターという映画では、常に自然との調和が大切であるということをテーマとして感じていてアメリカ人らしくないいい映画だなぁと感じていました。ところが、エンディングに向けては悪の組織と闘って勝利して平和を勝ち取ったみたいな話になってしまってがっかりしたものです。

まぁ、映画というようなものがそういう展開にする事で盛り上がってヒットするという一面があるから仕方がないのかもしれませんけどね。ただ、ヨガの目的が輪廻転生からの解脱であるというのであれば、そこからはずいぶん離れてしまっているというように思えるわけです。


で、ここで断捨離というものについて考えるわけです。
ちょっと掘り下げて考えると調和をするための妨げとなるものを処分するというか、土に返すとうか、そういうことなんじゃないかなぁと。まぁ、具体的にやるなら単純に不要なものを処分するというぐらいの感覚でいいのだろうと思うのですけどね。

ただ、それだとただの大掃除でいいと思うのですよね。断捨離なんていう言葉を使うのであれば、もうちょい考えてやってみたらどうなんだと。

さて、なんでこんな事を言い出したかというと、上手に断捨離ができると体がとても変わるからです。断捨離しないから病気になるといってしまってもいいかもしれません。

今年ももうすぐ終わります。
いったい何を捨てればよいのだろうか?そんな事を考えるにはちょうどいいタイミングですしね。

年末年始ですが、

年内は29日まで、年始は1月5日から整体を行っています。
ただ、年内はほぼ埋まってしまっていますので駆け込みで申し込まれてもまず受け付けられそうにありません。

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ツバつけとけば全部うまくいく!

「私はこんなことを知ってるんだぞ!ドヤッ!」


みたいな事は書きたくないなぁといつも思っています。
ただ、見直すとたまにそんなことになっているかもしれません。何を書いたのかなんてのは書いた尻から忘れているのですが、本当は見直すのがちょっと怖いのだろうなぁと、そんなことを思っています。実際、勘違いを書いているとか、考えが浅かったので今は全然違う捉え方をしているとか、そういう事が山のようにでてきたりするんです。


そういうのをいちいち見直して修正するなんていうのは無駄だと考えています。正確で間違いのない情報だけを発信しようなんていう気はサラサラありませんし、


「矛盾があるから駄目だ!」


みたいな事をいうような人とは話をしたくもありませんから整合性なんぞ不要ですしね。


整体なんていい加減なものなのですよ。
これまたちょっと変に感じるのですが、いい加減にやるなんていうのは本当は適切な言葉なのでしょうけどね。


「料理の塩具合がいい加減である。」
「お風呂の熱さがいい加減である。」


なんていうような使い方をするとなんの違和感もないのですが、


「整体をいい加減にやる。」


というと、中途半端な事をやっているような印象がでてしまいますね。
で、ふと思いついたのですが、電話で、


「どのようなことをするのですか?」


と聞いてくる人が月に何人かいるわけです。
そういう人には、


「いい加減にやります。」


とでも答えておけば、私にみてもらおうなどと言うことを考えないでちょうどいいいかもしれませんね。整体なんて顔を見て体を見てからどうするかをフィーリングで決めるわけですから案外適切な返事という気もしますしね。


まぁ、実際私がやっている整体なぞとても半端なものなんですよ。
体のことなど私はまったくわかっていないと本気で思っていますからね。そんなわけのわからんまんま、あーでもないこーでもないと悶え苦しみながら日々整体しているわけです。それでも、なんとかなってしまう事が多いのは私が優秀なのではなく、人間の体というのが本当によくできているというか、素晴らしいとういか、奇跡みたいなものなのだからだと本気で思います。


で、今年も終わりに近づいて初めて思えたことは、


「整体って案外いい仕事かもしれないなぁ。」


ということでしょうか。
この仕事をしていると、体が起こす奇跡みたなものに日常的に接することができるわけです。そのおかけで体というか、生きる力というものを他のみなさんより信頼できるようになったからです。


「ツバでもつけとけ!」


と私はよく言いますが、冗談ではなく本気でいっているわけですからね。来年の豊富はなにもしないで元気になる、どうしてもっていうならつばを付けるという感じでいきましょうかね。
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体の使い方という問題

実は、私の体の使い方はまったくなっていません。
なっていないもんでちょっとでもマシにしようと思って工夫はしているのですが、なかなか変わってきてくれません。

体の使い方なんていうと


「1日15分の体操で完璧な体が手に入る!」


みたいなものに流されがちです。
しかし、こういうものに心惹かれているうちは駄目ですね。こういうのは言葉をちょっと置き換えてみるといいのです。


「1日15分の練習でイチローのようにメジャーでヒットが打てる!」


と聞かされたらどう思うでしょうか。
ちょっとした体操ならできそうな気がするかもしれませんけどね。野球を上達させようと思ったときと、体操で体を変えようと思ったときの難易度というのは、あまり差がありません。もっというなら運動をすることによって体を変えるというのはかなり難しいのです。プロスポーツ選手に迫る程度のセンスが必要といえるでしょう。そんなものが1日15分の体操で身につくと思うのはどうかしているのです。


走るという運動にしたって、同じように走っても早い人もいれば遅い人もいます。
その差は、生まれついてのセンスだとか、筋力の差だとか思っている人は、体を変えるための運動は辞めておいた方がいいでしょうね。そんな事を考えている人は運動すればするほど体を痛めてしまいます。世の中を見渡すと運動すると寿命が縮むなんていう論調もありますが、あながち嘘ではありません。運動についての理解が浅いまま必死になって運動すると体は痛むばかりで健康とは程遠い状態になってゆきますから。

まぁ、この説明だけではほとんどの人につたわらないでしょうかね。
単純に考えて


「足の早い人と遅い人が同じ時間同じように走ったとして得られる成果は同じか?」


と考えてみてくだい。
同じはずがありませんし、やればやるほど元気に早く走れるようになっていく人もいれば、いくらやっても怪我ばかりして体を痛めてしまう人だっているわけです。こういう運動をすれば、万人が等しく同じ成果と効果が得られるみたいな事をうたっているような運動は駄目だと理解しておいた方がいいでしょう。

まぁ、やっかいなのは本や映像として世の中に出てくる時に、歪められてそれを提唱している人の真意はまったく伝わってこないことの方が多い事ですかね。中にはいいものもあるんですが、メデイアは何かを売りこもうとすると、


「1日15分の練習であなたも野茂のようにメジャーに行ける!」


なんていう、あからさまなウリ文句を平気で使ってくるので注意が必要です。


さて、かくいう私ですが、毎日のようにあーでもないこーでもないと整体という技を使う時には体をどのように動かせばいいのかと考えているわけですよ。受けた人は、そんな難しい事をしているとは思えないかもしれませんけどね。10年ぐらいずっと考え続けてもまだまだ駄目だなぁと思うぐらいには難しいと私は思いますね。
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ハイキングに適切な靴を考える

アウトドア用の靴としてトレッキングシューズを買ったのだけど非常に具合がいいのです。
私はもともと足首が覆われている靴が好きだったりします。別に、何がいいというわけでもなくなんかかっこいい気がするというだけですけどね。


ところで、靴のウリ文句で長時間歩いても疲れないというのをよくみかけます。
ただ、私に言わせれば長時間歩いたら疲れた方がいいのじゃないでしょうか。1時間歩いたら1時間分、2時間歩いたら2時間分疲れるのが適切な疲れ方です。2時間歩いたのに、1時間分しか疲れませんというのは具合の悪い場合もあるのではないかと思ったのです。

仕事で使う靴であればそれでいいのです。
ところが、山歩きに使う靴で疲れにくいとういのでは面白くないのではないでしょうか。軽い登山というか、ハイキングなんかブームだそうですけど、登山の目的がなにかというと、一言でいってしまえば、


「疲れる事。」


だったりするわけです。
空気がいいとか、景色がいいとかそういうのが目的だと思うかもしれませんが、そういう要素があると、


「心地よい疲れ。」


というものが得られるわけです。
この心地よい疲れというのは、内臓というか体のリフレッシュという変化を生むきっかけになるわけですね。で、これを踏まえていると、


「空気がおいしくて、景色がよかった!でも、まったく疲れなかった!」


というのでは、ハイキングの気持ちよさなどまったく得られないわけです。


まぁ、とりあえず今回買った靴はこういう点を踏まえて作っているように思えますけどね。
靴を買う時にみかけた疲れない靴というウリ文句を見かけて、それにケチをつけてみたくなったわけです。
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