ブログ「日々整体」

丹田の四方山話とその見極め方

「呼吸をする時にはおへその下の丹田を意識しましょう。」

そんな言葉は誰でも聞いた事があるでしょう。
実は、丹田というのは1つだけではなく体にいくつかあります。有名なのはおへその下の臍下丹田で、丹田というそれを意味すると考えている人も多いのじゃないでしょうか。

そういや、チャクラなんて言い方をすることもありますかね。
チャクラについて勉強したことはないので、もしかしたらチャクラと丹田は違うという人がいるかもしれませんが、ほとんどの人にとっては、まぁ同じようなもんだろうと大雑把に思っておいていいのじゃないでしょうかね。

さて、外科手術で腹部を切り開いても丹田という器官は見つける事ができません。
すると丹田は空想とか想像の存在という事でしょうか。科学者なんかはそんな事をいうかもしれませんが、多くの人は呼吸をしたり体を動かしたりしたときにその存在を感じる事ができるはずです。感覚的にはあるけど、目で見たり、写真に撮影することができないものについて、研究者たちはどういう見解をとっているのでしょうか?

宇宙の研究をしている人なんかだと事情が違ってきたりします。
相対性理論から導き出される推論として、ブラックホールというものがあってその中心には特異点があるなんて事をアインシュタインは言っていたそうです。

「ただ、それは実際には見つからないだろう。」

と補足していたのだとか。
ところが、きっとあるはずだと長い間観測が続けられた結果として宇宙には無数のブラックホールの存在を確認する事ができました。そして、そのブラックホールの観察を続けた結果、ブラックホールが地球をはじめとする様々な星を誕生させるきっかけを作っている事までわかってきました。ブラックホールがなければ私たち人間は存在することはできなかった可能性が高いのだとか。

丹田というのは人間の体の中にあるブラックホールみたいなものじゃないかと考えています。
人間というのは、手に触れる事ができる存在だと、すべてが見えていると思ってしまうようです。だから、人間の体の中に何か特別というか重力みたいな力を発揮するようなものがあるとはあまり考えないみたいですね。体が発揮する力は全部筋肉だなんていう説明でわかった気になっているからいろんなものが見えてこなくなるといえるでしょう。

ブラックホールは自身の重力であらゆるものを吸い寄せます。
吸い寄せる物の大半はチリとかガスとかそういうものらしいですが、吸い寄せる過程でチリやガスを加速させます。その加速によって得られたエネルギーで吸い寄せたガスやチリを頻繁に放出しているのだとか。あらゆるものを吸い込んで離さないなんて考えられていましたが、実際は吸い寄せてから放出してまき散らすという運動をずっと続けているそうです。

この運動っていわゆる丹田呼吸と同じものじゃないかと私なんかは思うわけです。
力の集中と解放、体の場合だと緊張と弛緩といった方がわかりやすいですかね。人間が生きていく上で一番大切な運動です。収縮して血液を送りその後弛緩してまた収縮する心臓や、空気を吸い込んだり吐き出したりしている肺の動きをイメージするとわかりやすいのじゃないでしょうか。

丹田というものは人が生きている間にだけ存在するものです。
だから、死んだ人間の体を細かく切って分解していっても丹田は見つけることができません。しかし、生きて活動している人間を観察していると丹田の存在を感じる事はそれほど難しくありません。存在感の大きな人というのは重力をもっているようなものです。なんとなく気になる人、なぜかずっと注目してしまう人なんかは丹田の力が大きいと考えてみるとよいのじゃないでしょうか。

私が思いついたのは、芸能人のスカウトの話です。。
たくさんの人がいてもその人だけ光って見えるとか、存在感が違うなんていう生まれきってのスターだなんていう話はきいた事がないでしょうか。確か松田聖子にそんな話がありましたよね。この光って見えるというのは、丹田の存在を感じ取っているからだ思えます。

最近、半沢直樹というドラマをちょびっとだけ見たんですが、堺雅人や香川直之といった役者の存在感は非常に大きいですよね。これは丹田にしっかりと力が集まっているからでしょう。

「演技力=丹田の力」

という事をいってしまっていいと思います。。
歌舞伎役者は子供ころから舞台に上がって丹田に力を集める練習しています。だから表現力や演技力が他の役者より1枚も2枚も上手であることが多いのでしょう。宝塚なんかでも若いうちから演技や表現力を高める練習をしていますし、楽器の演奏なんかも物心つく前からはじめるのが当たり前にになっていますよね。だから、子育てっていうのは丹田の力を高めてあげるという事だと考えてみるといろいろ気が付くことがあるかもしれません。

書いていて思いましたが、麻酔で眠って手術している人なんかだと丹田の存在はかなり希薄なはずです。
腹に穴があいているときに丹田が存在感をだしてしまったら痛すぎて普通の人は我慢なんかできないはずです。ですから、麻酔というのは丹田の存在を消してしまうものだという事がいえますね。

寝たきりのお年寄りには丹田がない、またはその存在が希薄になっているという事がいえるでしょう。そうであれば、丹田の存在をもっと重要視していれば寝たきりになってしまうような人はかなり減ってくるはずです。

振り返ってみれば、丹田をなくしている人は老人だけではありません。
10代までの子供で丹田がなければ起立性調節障害なんて言われています。ちょうど今、出産後の女性で体を動かせなくなっている人がいるのですが、その人は産後鬱なんていわれたようです。この女性もやはり丹田がない状態であるといえます。

丹田について思いつくままに言葉を並べてみようと思って書いてきたのですが、今の世の中は丹田をなくしている人が増えてきていますね。

丹田が力を失っているのに、丹田の存在なんて見えないから知りませんという立場をとっている人たちは、

「その原因はストレスです。」

なんて事をいっています。


丹田の存在を認識するのは私にとっては日常茶飯事ですが、ストレスの存在を感じる事は私にとってはかなり珍しかったりします。ストレスだって目に見えていないから、丹田やブラックホールと同じような扱いにして考えていかないといけないのじゃないかと私には思えますけどね。


丹田の存在を無視する、考慮しないという事は、


「目に見えていないものは存在しない、あるいは考慮しなくてよい。」


という事につながるわけで、それだったらストレスの事だって存在しないとか、考慮しなくていいという具合に思考を進めなくては辻褄が合わなくなってきます。丹田だと存在する場所はほぼ確定していますから、ストレスだって同じく存在するのであれば体のどこか決まった場所に力が集まっているはずなのですが、今のところ、


「ここがストレスの集まる場所だ!」


なんて話は聞いた事がありません。


あと、丹田に似た存在に魂なんてものがあります。
魂というものの定義がはっきりとしているか知りませんが、おそらく生きている間だけ存在して、死んでしまうと体から離れていってしまうものだと思われます。これは似ているというより、同じものと考える方がいろいろすっきりしそうな気はしますね。


さて、こんな事を考えてしまった私は困りました。
より多くの人の幸せを達成するために思いついた事は、


『丹田と魂の存在についてもっと考えて!』


そんなメッセージを書いたプラカードや横断幕を用意して駅だったり、病院の前に立つことです。
しかし、そんな事をしても誰も相手にしてくれないとでしょう。奇人、変人扱いならまだましで、新手のカルト教団扱いか、気がふれてしまった凶人というような目で見られそうな気がします。いくら私が浮世離れしてしまっているとはいえそれぐらいの事はわかりますね。


あと、


「自分の丹田はどれぐらいしっかりしているか?」


という事を確認するいい方法を思いつきました。


「倍返しだ!」

とか、

「土下座しろっ!」

なんて具合に、半沢直樹のモノマネをしてみるといいのです。
似る必要はないのですが、半沢に比べてどらぐらい迫力があるか?というのを比べてみると自分の丹田の力がどらぐらいかというのを測る事はできるはずです。
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人を呪わば穴二つ

新幹線にのって自分の席に到着すると親子が座っていました。
反対側の席をみると祖母と思われる人が頭を小さくさげていました。夏休みということで、家族旅行でディズニーにでもいくのでしょう。母親は私が来たことを察して、すぐに移動を開始しました。

祖母、母、娘二人の家族4人ですが子供が小さいということで席を3つしか確保していなかったようです。
それで空いているシートに座っていたわけです。そこまではいいのですが、移動の時に親子が私に恨めしそうな視線を向けてきます。

「なんで私が楽しい家族旅行を邪魔したみたいな図になっているのだ。」

と感じました。
気分悪いなぁと思いましたが、ふと、常日頃から、気持ちを前向きにいろんな事に挑戦してみようと考えていた事を思い出しました。そこで、これはよい機会だと、この親子を呪ってみることにしました。

しかし、頭に浮かんできた言葉は、

「この忌まわしき血脈を受け継ぐ家系に災いあれ。」

なんていう工夫もセンスも感じることのできないチープなセリフでした。

どうも私は三流の悪者にしかなれないようです。
きっと悪い事とかしようと思っても、万引きとか、オレオレ詐欺とかくだらない悪事を働いた末に、薬物中毒患者に刺されて、

「なんじゃこりゃー!」

とか言いながら死ぬみたいな結末しか待っていないのでしょう。
こんな使い古されたセリフとシチュエーションで死んでしまうのはかなり嫌です。まっとうに働いて普通の人として生活していくのが自分には向いているのであろうと再確認できました。普段やらないことをやってみると今まで気がついてなかったことに気づける事があるのだなぁと、前向きに生きる事の大切さを再確認することができましたね。


さて、この親子に呪いの視線を向けたときにある事に気がつきました。
それは、眉間の奥、頚椎4番、頚椎6番に異様な力みが生じていたことです。この場所は体にとって非常に重要な場所です。あらゆる不調はこの場所をの力を抜いてあげることで解消してしまうといってもいいぐらい、私が今行っている整体のキモなる場所といってもいいでしょう。

逆の事は当然のように起こります。
つまり、他人を呪う、妬むという気持ちをずっと抱えているとどんな病気になってしまっても不思議はないといううことでもあります。

「人を呪わば穴二つ」

という言葉があります。
言葉をストレートに解釈するなら、他人を呪うような人間は呪い殺した相手と同じように死んでしまうので墓穴が二つ必要になるというような意味でしょう。でも、私には他人を呪いで殺してしまうような力はありませんから実際に穴が必要になるのは1つだけという事になりますね。

ここまで考えたときに、車内販売がやってきたのでモーニングセットを頼む事にしました。

気持ちを切り替えようと考えたわけです。
サンドイッチを食べ終えて、コーヒーを飲みながら隣の列に座っている4人の家族を見たときに、思った事は

「ミッキーに蹴られて泣かされてきやがれ。」

ということでした。
頚椎4番の力は抜けており、コーヒーを飲み終える頃には晴れやかな気分でした。
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感受性の話

「感受性を高めていく事が元気になるということですよ。」

私がいつも言っているセリフです。
今回はこの感受性というものを掘り下げて考えてみようと思います。

基本的には、感受性というのは暑い時に暑い、寒い時に寒いと感じる事ができるという事です。
私は長袖のシャツを着ているのに周囲の人は半袖半パンで過ごしている。春から夏にかけて私がよく見かける光景です。暑さの感じ方は、個人差があるものですがいくらなんでもちょっと早いだろうと思うタイミングで薄着になる人がいます。そういう方は、夏真っ盛りになるとエアコンの設定温度を馬鹿みたいに下げてしまうのではないかと思われます。女性から職場のエアコンがきつい、買い物にいったスーパーが寒くて困っているという意見を聞かされる事が多いですね。

近年は熱中症という大義名分がありますからやりたい放題です。
私がそれを強く感じるのは新幹線でしょうか。5~6月あたりだと1枚余計に着込んでおかないと寒くて仕方がありません。エアコンでは凍死するほどは冷えないのに対して、暑さだと30度を超えたぐらいで呼吸が止まってしまう人がいるわけですからなかなか苦情をいいにくいのです。

夏、日差しの強い日だと、暑さで人が倒れましと救急車が増えるそうです。
それで救急医療に関わっている人が、30度を超える日はエアコンで室温の調整をして涼しく過ごさなくては駄目だと、強く訴えている文を読んだ事があります。でも、日常的にエアコンで過ごしていると暑さに弱い体質に変化していきますから、結果として熱中症で倒れる人が増えていく事になります。

これまたよく言うことですが、体は自分で作っていくものです。
ですから、30度を超えたら呼吸が止まってしまうような体づくりをして、日差しを恐れて生活するというのでいいか?1回ぐらいは考えてみてもいいのではないでしょうか。


暑さ寒さに関しての感受性は個人差があるのは間違いありません。
人間社会だと個人差だからと割り切ってもいいのですけど、野生の生物に置き換えた時にもそういう個体差がどのように影響するか考えてみます。

草食動物は食べものとなる草が生い茂る地域に移動しながら生活しています。
ドキュメンタリー映像で、ヌーやガゼルなどの草食動物が群れで移動しているのを見たことがあるのじゃないでしょうか。サバンナ地域など日本のように四季があるわけではなく、雨季と乾季という具合に気候の変動が極端に分かれます。基本的には、雨季に雨が降って、その水分で植物が増えて、乾季になったらカラカラに乾いてしまうので食べものがなくなります。

移動をするタイミングは雨が降って植物が青々としてくるタイミングである必要があります。
早すぎると十分な草が生えていませんし、雨季で降った雨が濁流となって移動を妨げる事があります。足止めをされてしまうと周囲には餌となる植物がありませんからそれで餓死してしまう事すら起こります。また、遅すぎれば、他の群れに食い荒らされたあとで十分な草が残っていません。

この移動のタイミングを見極めるのは感受性といえます。
鹿、象といった種はリーダーが群れを率いているのですが、そのリーダーが移動のタイミングを見極めます。リーダーの感受性が鈍いと群れを全滅させてしまう事があるわけです。私が見たドキュメンタリー番組では、鹿の3つの群れを追跡できるようにしてその移動のタイミングと経過を観察していました。

観察では群れによって移動するタイミングが異なっていました。
Aという群れが最初に移動を開始、Bが遅れて出発、Cがかなり遅れて出発するという流れでした。興味深いと感じたのは2番目に出発したBの群れが一端引き返した事です。タイミングが早すぎたと感じたBのリーダーは引き返して出発をやり直すという判断をしたのです。

最初に移動を開始してまっさきに目的地に到着したAの群れはどうなったか?
その群れは数を半数に減らしていました。そして生き残った鹿には負傷をしてるものがいました。移動が早すぎたので飢えてしまい、そのタイミングで肉食動物に襲われてしまったのです。一方で、BとCの群れは十分に草の生えているタイミングで無事に移動することができました。

たぶんなのですけど、鹿は気温、風向き、湿度といった状況をなんとなく感じ取って、それに経験を加味して判断をしているのであろうと思われます。観測して論理的に判断するのではなく感受性で感じとって、適切な判断をしているというわけです。

ほかでは、象の群れを追いかけた番組を見たことがあります。
若く経験が浅い象がリーダーの群れだったのですが、群れにいた子供の象が、川を渡る際に流されてしまっていました。このときは、移動するタイミングは悪くなかったのかもしれませんが、自分が率いる群れがどの程度の流れまで渡ることができるか、判断を誤ったわけです。

記憶があいまいですが、ヌーの群れなんかだとリーダーがいなくて集合知というか、群れ全体の感覚でなんとなく移動していたように思います。感受性は個だけのものではなくて、群れ全体としてのものもあるといえるわけです。そう考えると、人間の場合は、専制政治も民主政治もどちらも経験しているわけで、リーダーをおいてそれに従うという生き方と、話し合いをしてこうしましょうみたいな、どっちのやり方にも対応できるのかもしれません。

書いていて思いましたが、ヌーなんかは何万頭というような大きな群れを作ります。
人間だって昔はリーダーがいる専制でやっていたのが、今はほとんど民主的にやっています。数が増えてくるとそれを一人でまとめるのが困難になってきて、民主的にやるほうが効率がよくなってくるのかもしれません。空気を読めなんていう言葉は、群れ全体の感受性に従えという事なわけですね。ただ、これは今はあまり関係のない話なのでおいておきましょう。

野生の場合だと、感受性がにぶいということがそのまま死に繋がる事があるわけです。
群れを作る生き物だとリーダーの感受性が群れ全体の生死に関わります。日本に住んでいるだけだと、暑さを見誤って亡くなるぐらいでしょうか。そういや昨年だったかは、実力が不十分な登山家が無茶な挑戦をして凍死したなんてニュースがありましたが、感受性が不十分だと自然とは向き合えないということでしょう。

もっと手近で考えれば農業がわかりやすいですかね。
種をまくタイミング、水を引くタイミング、雑草を抜くタイミング、こういったタイミングを適切に判断するのは感受性で、感受性が豊かな人がおいしいお米だったり野菜だったりを作る事ができるわけです。基準を決めて機械的にやっていれば品質は安定するでしょうけど、高品質なものを作ろうと思うと感受性が豊かである必要があるのじゃないでしょうか。

さしあたっては、私たちの日々の生活に置き換えるなら、体を休めなければいけないタイミングなんてのは意識して感じてみるといいのじゃないでしょうかね。サラリーマンは休めない、主婦は休めないなんて言っている人がいますけど、健康と引き換えにしてまで働く必要があるかについて、たまには自分の感受性に問いかけてみてもいいのじゃないでしょうかね。



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客観的に自分をみた話

ある日、


「耳鼻科にいって、ほっておくと耳が聴こえなくなるから、薬をちゃんと飲むように。」


なんていわれたそうですが、


「医者がいまいち信用できないし、薬も嫌だから飲んでない。」


なんていう人がやってきました。
いわゆる突発性難聴というやつで、耳鳴りもかなりきつめに鳴っているようです。


平たく言うと非常に私の考えに近い方といえるのです。
しかし、実際にそういう人が目の前に現れた時に、私は、


ドン引き


しました。
それで、


「私に接した人は私にこういう印象を持つわけか・・・。」


と、いうことに気が付かされたわけです。

似たもの同士は反発するといいますからそのせいかもしれません。
ただ、ちょっと掘り下げて話を聞いてみたら、それなりに筋の通った考えをもっておられる方でした。だから、むやみに医療に対して不信感をもっているというわけではありませんでした。

医療に対する考え方は人それぞれでいいのじゃないでしょうか?
ところが、今は、医療に対して120%信頼して自分と自分の家族の体を全て託さなければならないみたいな風潮があったりします。

例えば、


「子供が熱をだしたときにどうするか?」


というケースです。
病院に連れて行かないのは虐待だとか言われるケースが増えてきているように感じています。病院は全知でも万能でもないのですし、ついさっきこられた方なんかは、


「風邪なんか長くても2日寝ていれば治る。」


と言っていました。
薬で強引に症状を抑え込むのをよしとせず、本人の体の治癒力で治すのがいいなんて考える親がいたって別にいいと思うのです。ところが、それを許さない人がかなりいたりします。

起立性調節障害なんかは医療のやり方が原因で起こっているケースがあります。
ほかでは、ニュースになっていましたが、ネプチューンの名倉潤さんはお医者さんの言うとおりにしたら仕事ができなくなりました。これ、私は同様の事例をいくつもみていますのでどういうことが起こっているかは四面楚歌の方に書いておきました。さっき述べたとおり医療が全知でも万能でもないという例はいくらでも転がっているわけです。


それで、ドン引きしてしまった理由ですが、盲目的に医者に身も心もすべてを投げ出さなくてはいけないというのと逆に、


「医療はまったく信ずるに足りない。」


と言ってるように最初は感じてしまったのだろうと思えます。


「極端な物言いは相手をドン引きさせるのだなぁ。」


と、ちょっとだけ我が身を振り返って反省してみようと思いました。
関連カテゴリー< ブログ突発性難聴耳鳴り(耳なり)

やっとスタートラインに立てたかも

今日、整体にこられた人の体を見ていて、


「やっとスタートラインにたてたかも?」


という感触がありました。
なんだかんだで15年ぐらいこの仕事に関わっているわけですが、15年も経ってもまだはじめの一歩も踏んでいないと思ってしまったわけです。


最近、やたらと頭に浮かぶのは、


「一は全、全は一。」


という言葉です。
なんか奥の深そうな言葉ですし、釈迦とかブッダとか偉い人がいった言葉かなぁと思っていたのですが、鋼の錬金術師という漫画のセリフだったようです。漫画で使われていたので知った言葉ですが、どこかからの引用だろうと思っていました。


それで、スタートラインにたてた感触に浸っていたのですが、足首の調整をしていたら、ボキボキと音がなるし、やたらい痛いということで、


「足首が悪いのですか?」
「足首はいろんなところへつながっているのですね。」


なんて言うので、それは違うと、


「体というのはすべて揃って一つのものです。」
「少なくとも繋がっているという表現をしているうちは体のことがわかってないよ。」


なんて答えました。
聞かされた方は、煙にまかれたことに気がついていなかったとは思いますけどね。


私が人間の体をどのように捉えているかを、言葉で説明するのはなかなか難しかったりします。
人間っていうのは1つの銀河というように捉えるのが正解に近いと思うのです。ただ、宇宙規模で物事を考えるというのはなかなか難しい作業なので、


「地球というのは1つの生き物。」


だと考えるのがいいのではないかと考えています。

地球が生き物だとして、大陸のヨコチョにある小さな島の端っこに桜島という山があります。
その山が噴火するのは、地球にとっては異常でしょうか?地表近くで火山活動が起こって、灰がでてきたり、圧力が高まった時には噴火したりするわけです。それで、


「灰が洗濯物とか車に付着して汚れるから。」


というような理由で、火口を塞いでしまおうなんていう考えをもつ人がいるでしょうか?
大量のコンクリートでも流し込んで火口を塞いでしまうなんてこともできそうな気もしますけどね。でも、そんな事をすると圧力が上がりすぎて大爆発だったり、地震なんかがおこるのじゃないでしょうか?別に、地層とか断層とかそういうことに詳しいわけじゃありませんが、塞いだらたぶん具合が悪いだろうとことは間違いないと思えるわけです。


これを、人間の体にもどして考えれば、手の隅っこに小さな吹き出物がでたぐらいのことではないかと思います。不思議なもので、人の体だと表面にクリームやら薬を塗って塞いでしまうことに違和感がでてこないのです。そういう事をしたときに体の内部で何が起こるのか?噴火を止めるのは具合が悪いけど、吹き出物なら止めてもいいと思ってしまうのですから困ったものです。


赤道に近い南の方で海の温度が高まれば台風が発生します。
その台風が発生しないように海水温を調整したらどうなるか?おそらく地球上のほとんどの生き物が生きていけないようになると思いますけどね。

人間の場合、肺や腎臓に疲れがでると風邪をひきます。
風邪というのは地球にとっての台風みたいなものです。風邪をひかないように体の機能をいじくり倒すっていうのは海の温度を調整しようとする行為なわけです。台風は通過したあとに大気圧が安定しますからカラリと晴れて夏がやってくるのですけどね。人間の体だったら台風を強引にとめたらどうなるか?いろいろ具合の悪いことがおこっているのですけどね。


「台風が起こらないようにする」


というのは割と簡単で環境を破壊すればいいのです。
地球に優しくすることに熱心な人は多いのですけど、自分の体には厳しい人が多いのはどういうことかと、スタートラインでそんな事を思うわけです。
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