ブログ「日々整体」

コロナウイルスの話

私のような人間でもこの新型ウイルス騒ぎに思考をほぼ全部引っ張られてしまって穏やかでいるのがなかなか難しくなってきています。そこで、ここら辺りで1回、頭の中の物を全部吐き出して捨ててしまおうと思います。

年が明けてからずっと、

「こうなって欲しくない。」

という事がいろいろ的中して、しかもそれが予想を上回っています。

「思った事が実現する。」

なんていう自己啓発とか自己実現とかでよく聞かされる言葉を、いままでずっと馬鹿にしていましたがどうやら本当の事だったのかもしれません。

これを機会に、

「政府というものがどういう役割と必要性によって作られたのか?

というのを考えてみました。
政府の役割は、いくつかありますが、

「非常時において適切な対応をするため。」

というものがもっともしっくりきました。
例えば、戦争が起こったり、地震や台風で大きな被害がでたときに、個人の力では適切な対応をとることが非常に難しいのです。政府というのは、そのための必要性を感じて作られたというわけです。

今回のウイルス騒ぎは個人では対応が難しい非常の出来事といっていいでしょう。
それなのに政府はなんの対応もしませんでした。武漢が閉鎖されたのは、1月22日ですが、安倍首相は1月23日に、春節(中国の正月休み)に入った中国人たちに向けて、

「春節では、ぜひ日本にお越しください。」

というメッセージを動画を付けて公開しました。そしてこのメッセージは1月30日まで、1週間ずっと掲載されていたそうです。政府は武漢が閉鎖されるという状況を非常事態だとは考えなかったようです。

対称的に、アメリカはすぐさま中国人の受け入れ拒否を実施しました。
アメリカの政府は健全に機能しているのでしょう。日本が中国人の受け入れを正式に停止したのは、トランプ大統領が日本人も渡航禁止にするかもしれないと発言した後でした。トランプに尻を蹴られてそれに反応しただけで、やはり政府は何もしていないと言っていいでしょう。

この時期、私も東京に何回か出張していました。日本人には、不要不急の外出を控えるように指導しながら、外国人たちは好き勝手に町中を歩き回ってましたね。

中国人の受け入れを停止した場合、

「経済に深刻なダメージがでる。」

そういう政治判断が影響したのだったらまだよかったのです。しかし、すぐにそんな事は考えていない事が明らかになります。

大規模イベントの中止と学校の休校の要請がなされました。
パフュームの数万人の講演当日だったそうでが遠方からやってきて会場で中止を知った人が多くいたそうです。給食を作っている業者は何千万円もの損失になるそうですけど、その損失についての保証の話はいまだに聞こえてきません。これらの経済損失がいったいどれぐらいのものになるのか試算すらしてないのじゃないですかね?外国人のふところからお金を引き出すことばかり考えて、日本人のふところが痛むのは平気であるという事が理解できません

3000人規模のコンサートを企画していたバンドグループの訴えが悲痛でした。
3000万円程度の費用をかけて1年前から準備していた初舞台を中止せざるをえなくなったそうです。その後の返金などの手続きを考えると損失はさらに大きくなることでしょう。今の政府の様子だと、要請を受けて勝手に自粛しただけですから保証などなされることはなさそうです。

また、整体にこられている人で、オーケストラで仕事をしている人がいるのですが、完全な失業状態だと言っていました。要請一つでどれぐらいの数の人間を失業させたかのはまったくわかっていないのじゃないでしょうかね?

宝塚歌劇団の話は私は一番ひどいと思いました。
考えられる最善の対応をして開演したら世論によって公演停止に追い込まれました。歌劇団の資金繰りが苦しいとは思わないですが、公演を再開しようとしたのは、公演しなくてはならない事情があったのだろうと思われます。例えば、収益の大半が舞台や衣装に費やされているとか、役者の育成に使われているとかで運転資金がそれほど潤沢ではなかったのだろうとか、

貸し付けをしもらってもなんの問題解決にもならないし逆に厳しくなる。」

という状況はちょっと考えればいくらでも推察のしようがあります
しかし、首相は自粛を要請するという方法で、自粛する事が善であるという世論を作りました。それで起こった事は、宝塚歌劇団のファンからの、

「中止するべきだ!」

という批判でした。
歌劇団の人たちは、ファンからのこの声を聞いた時にどういう気持ちになったでしょうね。政府の指示ではなくて、世論を操作する事によって講演を中止に追い込みました。宝塚歌劇団の経営が破綻しても安倍首相と政府は、

「要請しただけだし、命令したわけじゃない、政府の責任じゃありませんから知りません。」

なんて具合の事を、非常に残念そうに言うんじゃないでしょうか。

さらに、書いている途中にK1の試合が開催されたというニュースを聞きました。
こちらも大いに批判されているようです。

「知事が再三の中止要請にも関わらず強硬」

なんて具合の見出しに記事にでています。
世間の状況をみれば、中止するのが得策であるのはわかっている事でしょう。でも、中止にできない状況であったであろう事は簡単に察する事ができます。ネット上での意見をさらりと目を通したら、案の定、

「なぜ中止にしなかったのか。」
これをきっかけに感染が大きく広まってしまったらどうするのだ。

というものばかりでした。
もし、中止してK1を主催する団体が破綻したら、政府や知事はきっと

「彼らは日本国民たちのために犠牲になってくれたのだ。」

と言って涙を流すのでしょう。

ここではた気が付きます。

「終戦間際の特攻は、こういう空気でおこなわれたのか。」

自分だけが助かりたいという人たちの意見がまかり通ってしまうのです。たまたま、ちょっと前に、特攻隊に配属された人のコメントをみかけたのですけど、

「まともじゃない。」

といってました。

「社会のため、世の中のための犠牲になれ。」

そういうまともじゃない意見が正論になっているのです。
私たちは歴史からなにも学んでいなかったのでしょう。学校教育が薄っぺらで半端なものだということに大きな不満を感じていましたが、それはこういう時にでるのですね。

「中止して破綻して、それでも死ぬわけではない。」

とかいう人がいるのかもしれませんが、犠牲になるのが自分でなければきっとそう思えるのでしょう。

終戦の時に小学生だった人の話を思い出します。
当時の小学校には、国たのめに命を捧げる事を賛美する授業があったそうです。それで、戦争が終わってその授業をやっていた先生が授業で何を言うのか注目していたそうです。すると、

「平和と命が大切だ。」

と突然いいだしたそうです。
そして、その意見の切り替えについては何の説明もなかったそうです。新型コロナウイルスの存在を知らなかった時には、どういう事を考えていたのか振り返ってみるといいのでしょう。でも、こういう人たちはきっと過去のことは振り返らないのじゃないでしょうかね。

日本は今年オリンピックを開催する予定でした。
仕事を失っている人、民間団体に起こっている事が、政府にとって我が身の事として起こっています。

「安全と生命の事を優先してとっとと中止すればいい。」

というほど簡単な問題ではないことがわかっているはずなんですけどね。
政府の懐が痛むのは嫌だけど民間のだったらいいと考えているのかオリンピックのような国際大会は民間でやるようなちんけなものではないと馬鹿にしているのか、日本国民の多くをを失業させて無一文にしてもオリンピックを開催すればすべて帳消しになると考えているのか、いったい何を考えているのかよくわかりません。
この状況でまともな開催ができるはずがないのはすべての人がわかっているでしょう。
しかし、オリンピック中止の決定ができないのは、おそらく、

「保証がない。」

という状況で、ババのなすりつけ合いをしているだけじゃないのですかね?

安倍晋三という人が政治家として無能であればよかったのです。
彼が無能だというだけであれば交代してもらえば事態が好転するはずです。しかし、そんな無能な人ではこんなに長く政権を維持なんてできるはずもありません。この状況は意図してそうなっているとして考えるのが正解でしょう。世論を操作して、国民の意見を割って、国民の意見として反対する勢力の人たちを叩く、そういう政治をやってきていたのじゃないでしょうかね。

今回に限って違うやり方なんてできるはずもありません。
結局、国民を使って、宝塚やK1を自粛させ、場合によっては潰してしまうというのが安倍晋三という政治家のやり方だという事なのでしょう。腐っていると国会で評する人がいまいしたが、案外、真実を言い表した言葉で、それを指摘されたせいでキレてしまったのかもしれません。

私はこの卑劣なやり方を容認することはできません。
一部の人に負担を押しつけてそれを良しとするのは政治とは言いません。問題が起こったら、みんなで一緒に背負って負担を軽くしましょう。ただ、どうしたって偏りがでるからそこにはちゃんとサポートしましょう。政治っていうのは、そういう当たり前のことをするだけのものです。それが難しいとかいうのだったら、政治家なんてやるべきじゃないし、辞めてしまえばいいですね。

なるべく多くの人がなるべく同じ方向を向いて、できればすべての人が起こった結果にある程度納得できるという落としどころを探る事が求められる状況です。それなのに、意見を割るような事をやって、反論を押しつぶして、その事に気がつけないでいると感じます。

政府の役割、存在意義が、

「非常時に適切な対応をする。」

という事であり、歌劇団やK1のような舞台イベントを中止させる必要があるという判断をするのであれば、中止できるようにしてあげるのが政府の果たすべき役割でしょう。

「新型コロナウイルスは危険ですので、職を失おうが、借金を背負おうが、落ち着くまで家の中に引き籠もっておとなしくしていてください。

こんなことしか言えないのだったら、政府は機能してないと私には感じられます。


マスクを1万円で売る人に、我が身可愛さに他人の気持ちを推し量れない人たち、どこを向いて何を考えているのかわからない政府と役人、日本って昔からこんな国だったんですかね?

そんな事を考えていたら、小学5年生の時の事を思い出しました。
身内に病人がでて、両親が病院にかけつけて弟と二人で家に取り残された事があります。遊びに行ってて帰ってきたら家には誰もいなくて、近所の人に親が病院にいっているという事を知らされました。ただ、それ以外の状況がわからず、携帯電話なんかもありませんでしたから連絡のとりようもありません。確か私はその時、

「弟にまずちゃんと飯を食わせよう。」

そう思ってインスタントラーメンでも用意しようと考えていたように思います。

でも、準備をしていると、近所の人がやってきてくれて、

「あとでスパゲッティ持ってきてあげるからそれを食べなさい。」

と言ってくれました。

その後も、

「うちに食べに来たら良い。」

とやってきて言ってくれる方が二人も来てくれました。
今の世の中って、そういう風な事ができる人ってほとんどいないのじゃないでしょうか。昔は当たり前のように、自然にそんな事ができる社会だったんじゃないでしょうかね。明るいうちは、子供たちが遊んでいる声がずっと聞こえているような、私が子供のころはそういう世の中だったような気がします。

それで、そういう世の中であれば、今のこの状況って全然違う様子になっていたんじゃないかと、この発想の繋がりはうまく説明できませんけど、そんな事を思います。

私と、私たちは、なにかいろいろ考え違いをしてしまって、世の中をこんな風に殺伐としたものにしちゃったんじゃないでしょうかね?

目先の問題はあるにしろ、私たちはどうあるのが幸せなのか、日本という国がどういう国であるのが理想なのか?それを踏まえて、今、私たちはどうするべきなのかというのをもう1回考え直してみる必要があるのじゃないでしょうか。ババを引いた人だけが辛い思いをするような、そういう事をやっているから、おかしな事になってるんじゃないでしょうかね?

そんな訳で、なんにもまとまっていませんが、頭の中にあるモヤモヤをひとまず全部吐き出しました。
また、貯まったらやるかもしれませんがたぶんもうやりません。こういう事について、あれこれと発信するのは私のやることではないと思うからです。今回は、私自身が平常運転に戻るために必要だと感じたからやりました。これでかなりスッキリすると思うので、これから私が果たすべき役割というのをもう1度考え直してみて、できることをやっていこうと思います。
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打倒!安倍政権!?

春の季節変動が大きく出ているようです。
今日だけで死にそうな声でかかってきた電話が4件ほどありました。

それでもしかすると、という人の顔が何人か浮かんでいます。人によっては、外出することも困難になっているようで、電話をかけてくる気力もないという状態になっているかもしれません。

ここ1ヶ月ほどですが、私は骨盤の引き締めをメインに整体をしていました。
今日、その結果がではじめた人が来てたのですが、その方はかなり調子が辛くなっていました。骨盤を引き締める事で、体の問題点がはっきりとみえるようになります。そうするとかえって体の不調がはっきりとでるようになります。それで、

「吐き気が辛くて・・・。」

という事をいっておられました。
こういう事は、事前に言っておかないと不安になってしまいますから、まだまだ私は技量と経験が足りないなぁと、かなりしくじったと反省しています。

今年の、骨盤の引き締め方は例年と違うやり方をやっていて、それがうまくいっているという事を意味します。ですから、これから春になるにつれて大きくかわってくる人がもっといるかもしれないと期待しています。

ところで、これだけ社会がコロナウイルスとその経済的な影響に大騒ぎしていると、私もついついそちらの方に関心を引きづられてしまいがちです。
それで、

「今なら安倍政権を倒せるかもしれない。」

と、掲げるべき政策やら理念やら、いったいどういう具合にまとめればいいだろうかと。政治に首を突っ込むつもりなんて全くないのに、そういうくだらない事をずっと考えてしまっているので困っています。

もうちょっと腰を落ち着けて、仕事に、整体に集中できる精神状態を保てるよう工夫をしなくてはいけませんね。
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ショートスリーパーについて

「ショートスリパーについてどう考えますか?」

という質問を頂きました。
それで、あれこれと睡眠について答えたのですが、どうも流行ってきているらしいですね。インターネットでちょいと調べたら、

『睡眠時間が5時間以内目安』

という事のようです。
この手の話は、いろんな人が好き勝手にうんちくをしゃべっているでしょうから目安とか定義はいろいろあるかと思います。また、ショートスリーパは独特の遺伝子を持つなんていう研究結果もあるそうですね。

ただ、おそらくですけどショートスリーパーという事に興味を持つ人の大半は、

「早起きすれば自由に使える時間が増えて有意義な生活ができるのではないか?」

たぶん、そんな風に考えているのではないかと思います。
それじゃあ、そうなるためにはどういう考えで取り組めばいいか、私なりにちょいとまとめてみる事にしました。

さて、5時間の睡眠で生活しているのがショートスリパーというなら私もショートスリーパーです。よほど疲れている時以外は、朝5時ぐらいに目を覚まして活動しています。ここ1週間ぐらいはかなり疲れがでてきていて6時過ぎに目が覚めることがおおいでしょうか。仕事には7~8時ぐらいにでかけて家に帰るのは平均すると21時ぐらいです。

仕事に取り組む考え方は、

「他の連中の2倍ぐらい働いて1.5倍ぐらい稼げればいいか。」
「働き方改革なんて糞食らえ。」

というのが私の基本的な考え方です。
私は一人で仕事しているから問題ありませんが、働きたいと考えている人から働く時間を奪うのは問題外でしょう。安月給でこき使うのをダメにしたいのであればもうちょっと知恵をひねらなければうまくいくはずがないですし、ほとんどの人に起こるのは給料が減るという事じゃないでしょうかね。


仕事というのは、自分の人生を費やして取り組む物です。そして、仕事を通じて得られるものは、


1.報酬
2.満足


の2つだと考えています。
こういう考えで生活していると、自然と睡眠時間は短くなってきました。多くの人が気になる肝心の部分、これで健康上に問題がでるかということについては後で述べます。

多くの人が自分が人間であるということをおろそかにしすぎです。
だから、人間がどういう習性の生き物なのかという事を考えなさすぎです。ほぼすべての人がショートスリーパーになることが目的ではないはずです。どのような生き方、人生を送りたいのか、なりたい自分はどんな生活をしているか?ということが一番大事なポイントになります。その上で、ショートスリーパーになる必要があれば自然になります。それが人間という生き物です。

逆のパターンを、例にあげてみるとわかりやすいでしょうか。
ある若い女性がいたとしましょう。この女性が、

「寝坊して、急いで走っている時に曲がり角で男性とぶつかって、そのことがきっかけで恋がはじまるかもしれない。」

そういう事を考えていたらショートスリーパーになるのはまず無理であろうと思われます。ショートスリーパーになる必要性がないだけでなく、ショートスリーパーになることで将来やってくるかもしれない幸せな恋愛を失うかもしれないと思っているわけですからね。

繰り返しますけど、ショートスリーパーになることは手段であって目的ではないという事を忘れないようにすることです。

ただ、こんなことを言い出すとほとんどの人がとっかかりをなくしてしまうかもしれません。
ショートスリーパーに興味を持つと言うことは、なんらかのきっかけになるかもしれないと、魅力を感じたというところでしょうか。


睡眠にとってもっとも重要なものは深さです。
深く眠れる人は、睡眠時間が短くなります。逆にいうと長く眠る傾向のある人は、睡眠が浅い傾向があるという事です。休みの日は1日寝ていますという人は、かなり浅いと思った方がいいでしょう、

医学なのか学術なのかは知りませんが、研究の発表なんかを見ていると、


『必要な睡眠は週50時間』


なんて言われているのをよくみかけますが、これはどう考えても嘘です。
週50時間以上も寝ていて、活力ある元気な体の状態を保っている人は見たことがありません。睡眠の定義をおそらく間違えているのであろうと思います。


例えば、睡眠導入剤を利用して眠っているつもりになっている人が多くいますが、薬を使っての睡眠は睡眠とはいいませんね。

どのような睡眠がとれていているかは頭骨の状態を観察する事でわかります。
良い眠りができている人は、頭骨が引き締まって適度な弾力を保っています。睡眠導入剤を利用している人の頭骨は堅く硬直しています。これが意味する事は、薬では適切な睡眠がとれていない、意識を失っているだけという事です。

頭骨に問題がでている状態の人の睡眠を良しとする人たちに、

「50時間眠らなくてはいけません。」

なんて言われても私はなんの説得力も感じません。


あと、これはよく睡眠について説明するときに例にあげる話で、多分、何年か前に書いたことがあると思います。
ヨーロッパアマツバメというツバメは巣立ってから3年間空を飛び続けるツバメだそうです。鳥類ですので、睡眠は必要なはずで、このツバメは空を飛びながら眠っていると考えられます。そんな見たことのない鳥の事を考えなくても、日本にやってくる渡り鳥も海を飛んで渡ってくるわけですから、空を飛びながら寝ている時間があるはずだと思われます。キリンは歩きながら右脳、左脳を交互に休める睡眠をとっているという話も聞いたことがあります。マグロなんかも泳ぎながら寝ているそうですね。実際、人間でも立ったまま眠るという事は可能みたいで、私はできませんが、できる人の話は聞いたことがあります。

つまり睡眠というのは、体を動かしながらでもできるものだと言うことです。
人間のように布団にはいって無防備に眠るなんていうのは自然界で考えればかなり特殊な眠り方だと言えます。50時間眠る必要性について説く人は、そのかなり特殊な人間の眠りだけ研究して睡眠についてわかったつもりになってしゃべっています。ですから、そんな話を聞いたら、動物の眠りは人間とは全く違う様子ですけど、どういうことですかと聞いてみるといいでしょう。

また、先にも述べたとおり私のような人間であれば、頭骨の状態を観察すれば、眠りの状態はおおよそわかるわけで、その事をを踏まえれば睡眠時間についての様々なうんちくはたいていが見当外れであるという事が言えます。

だから、まずは寝具がどうとか睡眠時間がどうとかいう固定観念を捨ててしまうことです。寝具については説明しませんでしたが歩きながらでも眠れるのですから不要なのはわかってもらえますかね。

その上で、睡眠がどういうものか?と考える必要があります。
睡眠というのは運動の1種です。走る、歩くといった運動と眠るという動作にはなんの違いもありません。そして、眠るのが上手な人ほど睡眠時間は短くなると考えるとよいでしょう。

だから、ショートスリーパになりたければ眠る練習をすればいいのです。

「30分、昼寝したらずいぶんすっきりした。」

という経験はありませんかね?
こういう眠りがいつでもできるようになればいいわけです。その具体的な練習方法は、本なりネットなんかをみていろいろ試してみると良いでしょう。私は、明確な目的意識をもって生活していたらこうなったという感じで、他にいい方法があるとは思えなかったりします。

あと、知っておくといいのは肺の働きが睡眠に大きく関わるという事です。
だから肺の働き、呼吸器の弱い人は眠りが浅くなる傾向があります。そういう方がショートスリーパになろうと思うと独特の工夫や練習が必要になるかもしれません。

最後に注意点です。
睡眠時間が不足した時には脾臓の働きが悪くなります。その場合、頭骨、頸椎4,胸椎7、腰椎2、仙椎2あたりが硬直します。体中の様々な部分に影響するので、どうなるかなんてのは個性の問題で予測がつきません、極端な場合は、

「寝不足で歯が痛くなる。」

なんて事だって起こることもあるでしょう。
脾臓の働きは、免疫なんて言われていますが、意欲や向上心に関わっていると思うといいでしょう。寝不足の時には、頭がぼっーとしてやる気がでないのは誰にでも経験があるでしょう。別に難しく考えるような性質のものじゃありません。

ノウハウはいろいろ出回っているようですから、このあたりを踏まえて取り組んでみるといいのじゃないでしょうかね。
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早期発見早期治療が全否定されている

コロナウイルスについて不安にさせるもっとも大きな要素は、


「早期発見早期治療を全否定している。」


という事ではないでしょうか。
今まで、医療は全力で『早期発見早期治療』という事をを謳ってきたのに、コロナウイルスについては全力でこの言葉を否定しています。この事に気が付いていなくても、今までのお医者さんたちとは全く反対の対応をされることにほとんどの人が大いに戸惑っているのではないでしょうか。

確かに、新種のウイルスということで検査するための技術や設備が整っていないという事もあるでしょう。
しかし、それにしたって違和感を多くの人が感じているでしょう。これを書いているのは休みの日だったのですが、昼飯を食いながらテレビをつけていたら、アレルギー症状に関するドキュメンタリー番組をやっていました。
それで、


「体に異常を感じたらすぐさま病院へいって相談、診察を受けてください。」


と訴えていまいた。


ところが、コロナが流行するかもしれない状況になってくると、


「しばらく家で様子をみて病院に来てはいけない。」


なんて事を、いろんな理屈をつけて言っているわけです。
この状況、医療に関する絶大な信頼をもっている人たちにとっては、


「どうしていいかわからない。」


という状況といえるのじゃないでしょうか?
何しろ、いままでずっと何も考えずに医者にいけばすべて解決してくれると、そういう謳い文句を心の底から信じてきた人たちなわけです。そういう人たちに、


「落ち着いて冷静に対処しましょう。病院にこられても迷惑なだけだから来ないでください。」


なんて言ったら、大いに不安に、人によってはパニックを起こしてしまうことでしょう。


これは、言っている本人たちも自覚しているのじゃないでしょうかね?今回のコロナについての説明が全般的に不十分というか、つぎはぎの多い苦しい言い訳が非常に多いのです。


ついでに、ある大学教授がYouTubeでコメントを出していましたね。


「病院によっては、『コロナの患者が来ると通常の患者がよりつかなくなる。』そういう発言をしているようです。」


病院だって、患者を診ることでお金をもらって経営しているわけですから、コロナのせいで経営が圧迫されるのは具合が悪いでしょう。ただ、病院の社会的な役割というものを考えるとその発想だけで経営されてはかなわないというのは説明する必要もないことでしょう。

ただ、こういう具合に考える医者がいるという事であれば、


「厚労省と医療がずっとそろばん勘定をやっていた。」


とすれば、納得できる部分がいろいろあったりします。
そろばん勘定が済んでいるようなものについては、テレビCMをだして、テレビ番組を作るのにお金をだして、


「病院はあなたの体の問題と悩みをすべて解決します。」


みたいな事をうたいますが、そうでないものについては知らんぷりを決め込むわけです。


日本におけるインフルエンザの感染は年間で1000万人だそうです。
つまり、日本の医療においては感染者1000万人に対応できる能力があるわけです。


「この1000万の対応能力の10分の1をコロナに当てましょう。」


とすると、100万人の患者に対応できる事になります。
残ったインフル対応の人たちには苦労をかけますが、緊急事態だという事で通常の1.1倍働いてもらう事にします。もちろん、新種のウイルスですからインフルエンザと同程度の対応力を求める事は難しいであろうと思われます。ですから、現実はその3分の1ぐらいしか対応できないとしましょう。でも、それでも30万人の患者に対応できる事になります。


「1年の数字だから、そんな単純な計算でははかれない。」


という人がいるでしょう。
すべての人が同時にインフルエンザになるわけじゃありませんから、さらに対応力を12ヶ月に分けたとして、12分の1にしましょう。それでも対応できる患者数は2.5万人、その半分でも1.25万人です。これを書いている2月26日現在で感染者数は139人ですから、余裕がありすぎて閑古鳥が鳴くような状態になると思われます。(今はもうちょっと増えてますね。)

電卓を叩くまでもなく導き出されるような数字です。
この数字から導き出す私の考えは、


「やろうと思えばできたけど、医療はコロナに関わろうとしなかった、手をだしたくなかった。」


という事ではないかという気がしますね。


これまたネット上で拾った話です。
飛行機で旅行へいったという夫婦の話です。行き先は中国ではありませんでしたが、隣に座った外国人男性がひたすら咳をして苦しそうにしていたそうです。あまりに苦しそうにしているので声をかけてみると中国に行ってきたという事でした。心配でしたが、どうすることもできませんからハンカチを渡して口にあてるようにいったそうです。

そして、日本に返ってきたらご主人が38度の熱をだしたそうです。
数日して熱が下がったそうですが、奥さんの方にも感染しているかもしれないと不安になるのは当然です。そして、この夫婦がもっとも心配したのは、自分たちが感染を広めてしまうかもしれないという事態です。それにも関わらず、病院では一切、相談に応じてもらえなかったそうです。


「1.2万人の枠があれば、できる事があったのではないか?」


と思わずにはいられません。


「新種のウイルスという事で適切な検査ができないし適切な処置ができない。」


また、


「また、日本は防疫についての専門家が少ない。」


というのは、確かにそうかもしれませんが、ほとんどの人には言い訳にしか聞こえていないのじゃないでしょうか?


「それでも何か医師が、専門家が取り組むべきことがあったのではないか?」


と、多くの人がそう感じたのじゃないでしょうかね?


ニュースをみていたらコロナの検査が30分で可能な装置が近々導入されるそうです。
喜ぶ人もいるでしょうが、そろばん勘定してでてきたのがこれかと私は思いましたね。


そして、多くの人が、


「なんで今まで何もしなかったんですか?」


と、そういう風に思うのじゃないでしょうかね?
多くの人々が求めていたのは、感染に対する適切な診断と処置だったのだと思うのですがそれは一切行われませんでした。そして、1ヶ月以上も放置して(機械の導入はまだ先だから2ヶ月ぐらいですかね?)、


「さぁ、どうぞ!新型機械が導入されたんでいくらでも来てください。」


と言われてもね。
その検査はいったいいくらなんですか?これから何人検査するか知りませんが、この機械の導入で病院にはいったいどれぐらいのお金が流れ込むことになるのですか?その数字が頭の中にあったから、


「病院には来るな。」


と、そう言っていたんじゃないですか?
まぁ、人によっては違うものが浮かんでくる人もいるでしょう。


まだ、渦中なのでもうちょっと後でいいと思いますが落ち着いたときに、


「医療っていうのはいったい何なのだ?」


ということについて考え直してみる必要があるのじゃないでしょうかね。
機械がなければ検査できません、診察ができませんというのでは医師という存在は社会にとって不要だと私なんかには思えますけどね。
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アカスリ通いの話 パート2

アカスリの記事についての感想とか質問をいくつか頂きました。
具体的な事に落とし込んだ話は、実践してみようという具合に行動につなげやすいのでしょうか。一応、私が自身の感じている変化についておさらいしておくと、

・疲れにくく、疲れが抜けるのが早くなった。
・肌が例年より潤いを保っている。
・ぬるいお風呂で十分温まるようになった。

ということでしょうか。
疲れに関しては、技術的な向上が大きいのもあるのですが、2月に入ってから疲れ切って動けなくなるみたいなことがなくなりました。

また、私は寒い時期は肌が乾燥しがちなのですが、今年はそれがなくなりました。
肌は荒れやすいタイプだったので、疲れから代謝が悪くなりがちだったという事でしょう。そういう意味でアカスリというのは私にはずいぶん向いているのかもしれません。

あと、お風呂の入り方が完全に変わりました。
熱い風呂が嫌いになりましたね。ぬるめのお風呂にゆっくりつかる方が体の調子がよいように感じます。東京へ出張する際には、ホテルの近所の銭湯をいつも利用しています。関東の銭湯ということで、とんでもなく熱い風呂があるのですが、それには近づきもしなくなりました。

そんな具合に、アカスリをきっかけに変化がありました。
ただ、以前にアカスリを試したことのあるという二人の女性から、

「韓国に行った時に試したけど痛すぎて気持ちよくなかった。」

なんていう話を聞かされました。
これについてはやる人の技量の差もあるかと思うので、一概には言えない部分が多いでしょうけど力を緩めて優しくやってもらうしかないかもしれません。あるいは、自分には合わないということで違うものを模索するのもいいかもしれませんね。

関東の方に聞いたのですが、首都周辺は銭湯はたくさんあるのですがアカスリのサービスはほぼないようです。どうも江戸の風呂がそのまま残っているみたいですね。私が宿泊先で利用する銭湯でもアカスリなどのマッサージのサービスはありません。それに対して関西の場合は、大きめの銭湯にいけばほぼ間違いなくアカスリスペースが用意されています。もしかしたら、関西の風呂設備に関しては在日の方が大きな影響力を持っているとかあるのかもしれません。

あと国柄みたいなもので考えを巡らしてみると、韓国という国が異常なまでの学歴社会であることはご存じでしょうか?女性を下にみる風潮もいまだに根強いそうです。私には儒教のダメなところが集約してしまっているという印象があります。

役人や大企業にはいって身を立てる以外の処世を一切認めることがないそうです。
そのため、学業が得意ではないので技術を身につけたり、得意な事を活かして生計を立てるという生き方は敗北者として扱われるそうです。親子で何代も続くとか、江戸時代から100年稼業を引き継いでみたいな家系は韓国では一切存在していないのだとか。

そんな社会ですから、抱える不満やストレスは日本で暮らしている私たちよりかなり根強く深いものがあるでしょう。怨念といっていいほどのストレスをそぎ落とす事を求められているはずですので、とんでもなく力を込めてゴリゴリとやられるわけです。

ですから、日本で暮らしていて、

「私はそこそこハッピーに暮らしていますのでお手柔らに。」

というスタンスでのアカスリはハードすぎるのかもしれません。

私がアカスリを気にいったのは、心身ともにそれなりにハードに仕事をしているのと、趣味で釣りに頻繁に行くからでしょうか。日焼け対策など全くなしで日光、潮風、海水にさらされているので皮膚がそれなりに分厚くなっているせいであろうと思われます。まぁ、単純に日本で受けているからかもしれませんが。


ただ、一つ矛盾あって、

「江戸っ子はやたらと熱い風呂を好む。」

という傾向は割とよく聞く話です。
これは整体にこられた方もいっていたのですが、どうも首都圏に済んでいると熱い風呂を好む傾向があるようです。これは大阪よりストレスの多い環境にいるという事でもないと思いますので、熱い風呂の方を重宝する理由が何かあるとは思います。

単純に考えるなら汗をかきにくい、またはかきにくくなる風土があるという事でしょう。
古くからある銭湯が数多く残っているというところから考えてもこの事は間違いがないような気がします。江戸は、徳川家康が湿地を埋め立てて作ったなんて話もありますから土壌が絡んでいるのかもしれません。

その事に加えて、長風呂することがためらわれるような理由がある、あるいは短時間で済ませることを良しとするような価値観があるのじゃないでしょうかね?
風呂を熱くする必要があるわけです。

もしかしたら、湿地にあるお風呂で長風呂すると特定の病気になりやすいみたいなものがあるとか?
もし、そうなら今の住宅事情でしたら、考慮する必要はない気がします。お風呂の習慣を変えてゆこうと思うのでしたら、このあたりの事を1回掘りさげて考えてみるといいかもしれません

とりとめもなくかいていたら思いもしないところへ着地してしまいました。

結果として、アカスリというサービスをきっかけに入浴という習慣について考える事になりました。
ただ、あれこれ考えていると結論がでなくなるので、まとめると、

「目指すのは可能な限り低い温度のお風呂でしっかり汗がでる体。」

と、いう事でよいかと思います。


さて、私がよくすすめる古くからある習慣に、お墓参りとか節分の豆まきとかがあります。
どんな意味があるのかほとんどの人は知らないでしょうけど、お盆に墓参りしたり、節分に豆をまくのは、私に言わせれば健康法です。体操したり、体にいいもの食べるよりよほど効果的ですから縁のなかった人は今年からはじめてみるといいですね。

こういう催しに意味を感じることはあまりないかと思います。
しかし、健康を保つために意味があるから習慣化するのだと考えると非常に大きな意味がらあります。

実は、お盆や節分は、体がもっとも大きく季節の影響をうけるタイミングです。そのタイミングで意味もなく墓参りに行ったり、豆をまいたりするはずがないと思いますね。

この事を踏まえて考えます。
日本人はお風呂好きなんてよく言われます。それは入浴が我々の体を健全に保つ事に大きく関わっているからでしょう。今、大きな話題になっているコロナウイルスだってちゃんと入浴していればそれほど恐れるものでもないかもしれません。

そして、東京と大阪でもお風呂の様子がずいぶん違う事がわかってきます。
ですから、

「アカスリがいい。」

みたいな単純なところで考えをとめてしまわないで、もうちょっと掘りさげてみると自分にとって、自分が生活している地域においてのよい入浴方のヒントが見つかるんじなないでしょうか。
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