ブログ「日々整体」

めまいや耳鳴りの原因について

手の感覚でわかることは多くの人が思っている以上に多いようです。 
ただ問題があっては、私がわかることをちゃんと理解できるように伝える事は難しいという事だったりします。一応、骨を押さえて、 

「この骨がおかしいでしょ?それが原因でめまいや耳鳴りを起こしているのですよ。」 

なんていう説明はできますけどね。 
その骨に問題があるからといってどうしてめまいを起こすかというのはやはり漠然としか説明ができていません。 

めまいだと、ほとんどの方がこんなふうに揺れるとか回転するとかいうのを訴えてくるわけです。 
その話を 聞いて、だいたいどういう事が起こっているかは想像はできます。でも、その私の認識とご本人の認識がまったく同じかというとたぶんかなりずれがあるだろうと思われます。 

耳鳴りでも同様です。 
じぃーという低い音が鳴るとか、キーンという高い音とか言われても想像はできますけどそれをご本人が感じている音と私の認識を一致させるということは不可能でしょう。 

音の場合は、私が絶対音感を身につけてドの音が鳴り続けていますとか言われたら認識の一致はできるのかもしれませんけどね。でも、めまいだどとうでしょう。タンスの角の小指をぶつけて打ち身があるだけでも揺れ方は変化をする事でしょう。つまり、めまいの揺れ方とか耳鳴りの音から体についてどういう考えようというのはちょっと間違えているという訳です。 

私はそれを手の感覚で確認します。 
めまいや耳鳴りだと、頸椎2番と5番にたいてい問題があります。ただ、骨というのはそれぞれ単独で考えるとうまく説明できない事が多いです。だから、わかりやすくするために頸椎というのはポイントになる骨が3つあると考えるといいでしょう。 

どういうことかというと、頸椎は2,5,6番の3つが三角形を描くように頭を支えている 
だからどこかの骨がバランスをくずすと他の2つの骨も同様にバランスを崩してしまうと考えるといいでしょう。 

一応、補足をしておくと、頸椎2と3番は一括りで考えた方がいいケースをちらほらみかけます。 
2番か3番が片方狂うと、もう一方もやはり狂ってくるわけです。ただ、ここまで考え始めると多くの方はチンプンカンプンになってしまうかもしれません。だから、意味不明に感じるようだと頸椎2、5,6番の3つの骨で体のバランスをすべて保っていると考えるといいですね。 

それでこういう具合にあれこれと説明はできるのですけどやはり最初に話が戻ります。 
骨に問題があるということについて自覚することが難しい訳です。何しろ、骨の機能の問題をめまいや耳鳴りとして感じているわけです。 

まぁ、平たくいうとめまいや耳鳴りというのは骨の働きに問題があるときに起こるわけです。

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殺人と尊厳死と


『ドクターデスの遺産』という映画をみました。 
たまたま映画館に立ち寄った時にちょうどはじまりそうだったのがこれでした。偶然見る事になった映画ですが、世の中うまくできているもので、ずいぶん私好みの内容でしたね。 

これから書く内容は映画の内容、一部ネタバレを含みます。 
だから、もしこの映画に興味をもっている人は読まない方がいいでしょう。ちなみに、レビューをみたら評価はいまいちでした。尊厳死、安楽死というテーマを扱うせいで妙なシナリオの何カ所かに妙な修正がはいったと思われる部分があったのでいわゆる純粋な映画ファンからは、あれこれと突っ込みどころが多いのかもしれません。 

ちなみに、安楽死、最近は尊厳死というのでしょうか。表現などどっちでもいっしょだろうと思いますけど、言葉の響きが変われば違った印象がでてくることもあるのでしょう。 

もう助かる見込みがない人たちを安楽死させる犯罪者を追う刑事が主人公のドラマでした。 
処置を行う際の本人の映像がいくつか残っており、この映画のキモはこのシーンなのだろうなぁと私には思われました。 

主役は刑事です。
でも、今まで見た事もない名前も知らない役者がカメラに向かって、小さな声で 

「幸せでした。」 

と語るシーンが私にはもっとも印象に残っています。

亡くなっていく人たちは、看護をしてくれる家族の事を思って死を選んでいました。 
この事に、私はかなりのリアリズムを感じました。身内に治る見込みのない病人がいて病状がよくなる兆しがない、そんな時には、 

「どうして自分のところに事が起こるのだ。」 

そして、辛さに耐えかねて、 

「自分が消え去ってしまいたい。」 

などというように思ってしまうものです。
たぶん本人より看護する人のほうが辛いのがいまの医療のあり方じゃないでしょうか。だから、 治る見込みがない患者本人が、そういう辛い思いをしている家族を見てしまった、知ってしまった時には安楽死を選択するのかもしれません。 

このような事が起こってしまうのは、医療のあり方に問題があるからだと私は思います。 
簡単にいうなら、 

『医者は死ぬことを許さない』 

という事です。 

人間って、いつか必ず死んでしまう生き物です。 
それなのに、医療は死を許さないから必死に活かすための努力をしつづけています。それで体が弱り切って心が折れたときに、 

「もう十分です。ありがとうございました」 

といっても、それじゃあお疲れ様でしたって事にはなりません。
生きるための努力を惜しむつもりは本人もないのでしょう。でも、限界は誰にでもありますから、そのために他に様々なものを失っていると私は感じています。

まぁ、現実は医者にもいろいろあって、ちょっと前には安楽死を行った医師が逮捕をされていました。 
だから現場での彼らには様々な思いはあるのだろうと思います。でも、現実は、 

『医者は死ぬことを許さない』 

という事です。 

そのように法が整備されていることもあるのでしょう。 
安楽死を行う医師が、患者との話し合いで処置をしたとしてもたぶん逮捕されて訴えられてしまうのでしょう。 

私は幸せな死に方というものがあると考えています。
現在、ほぼすべてといっていい人が医療に関わりながら亡くなっているわけです。医師たちは向かい会った患者を幸せにおくってあげようという方針で治療に当たる方がどれぐらいおられるのでしょうか。たぶんたったの1人もいないじょなないでしょうかね。 

治療したふりだけして、 

「あとはあなたの心の問題だ。」 

という事にしてしまって、患者とちゃんと向き合えていない医師の方ばかりでしょう。 

私は自分が死ぬときに何か言葉を残していくのがいい死に方なのではないかと私は思います。 

「ありがとう。」 
「幸せでした。」 
「あとはお前らで勝手にやってくれ。」 

ぱっぱっと、今、思い当たるのはこんな言葉です。 
前にもちょっと書きましたが、 

「死にたくない。」 

だったらいい感じで格好悪くていいかもしれないなぁとそんな気もしたりします。 

人生のゴールは死であろうと思います。
どういう形でゴールするかを考える事は豊かな人生を送るためにはとても重要な事でしょう。たまにこういうテーマ触れて、

「自分はどう死んでいくのが幸せだだろうか?」

そんな事を考えるのは結構良いことのように思えました。
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世の中は腹立つ事をばかりか?

世の中は面白くない事ばかりです。

テレビのニュースなんてみていると腹がたってくるのでほぼ見ることはありません。ただ、出張の時の食事やお風呂なんかにいくとテレビが備え付けられていたりするのでどうしても目と耳に飛び込んできます。それで、今朝もそんな感じの食事だったのですけど、腹の立つニュースがいくつも流れていました。


まず1つめは第3波という報道です。

感染者数が増えてきてるそうですね。PCR検査の陽性を感染者として扱うのは問題があるなんて数ヶ月前には言われてたのですけどそういう話はもう聞こえなくなってきました。アンケートでは不安を感じると答えた人が84%になったそうです。昨日、上野駅前のホテルに宿泊したのですが、繁華街の様子をみていると嘘だろうと思えますね。


次は、オリンピックの会長のなんたらとかいう人が日本にやってきたというニュースです。

チャーター機でやってきたのだとか。開催するかどうかなんてのは開催国じゃなくて他の国に参加できるかと聞いてまわればしまいのはずですけど、何の目的でやってきたのやら・・・。まぁ、日本と中国の2カ国で開催しますっていうのであれば構わないのですけどね。結局、泥をどこになすりつけるかというババ抜きをやるためのチャーター機でしょうか。もしかしたら、端なる接待で呼びつけて呼ばれただけかもしれません。


その次は、全集中です。

宇宙飛行士の野口聡一氏が宇宙に飛び立つそうです。それにあたって、


『全集中で頑張りたい』


と述べたのだとか。

で、それを聞いた私は、


「お前ってそういうキャラだったか?」


と感じて嫌いになってしまいました。

全集中の呼吸っていうのは鬼滅の刃にでてくる奥義みないたものです。これを習得するためには、ひょうたんに息を吹き込んで割るぐらいの肺活量が必要になります。この宇宙飛行士はたまに見かける印象だと誠実な人って印象でしたからマスコミ受けを狙ってのコメントなのでしょう。でも、私はこれを聞いて腹が立ちました。


鬼滅の刃の登場人物の大半って家族だったりを鬼に惨殺されているわけですよ。

たぶんですけど、鬼に対する怒りとか悲しみとかどうにもならない感情をコントロールすることでしか全集中の呼吸っていうものを身につける事ができない訳なんです。まぁ、野口聡一氏の人となりをしりませんから、完全ないいがかりですけど、


「エリート様がキレイ事をいっている。」


という印象をもってしまったのでしょう。


そしてなんか腹が立つなぁとホテルをでて駅に向かいました。

駅へ向かって階段を降りていると、登ってくる人がどう考えても私にぶつかるコース取りをして登ってきました。その人は、前を登る人を追い越そうとして反対側に飛び出してきたのです。


「こいつはいったいどうするつもりなのだろか?」


と思いましたが、体をかわさずにまっすぐに階段を降り続けると、やはりガツンと私の肩にぶつかっていきました。


おそらくですけど、相手の人は私にぶつかりたかったのでしょう。

そして私もぶつかりたかったのでしょう。お互いになんかむしゃくしゃして、怒りを抱えていたのだと思われます。だから、とにかく入ってくる情報がすべて面白くなくて腹を立てていたのでしょうね。


ちなみに相手の人は何も私に言わずに去って行きました。


私は、


「なるほどなぁ。」


と、肩をぶつけて発散できた私はそういう怒りの感情と向き合う事ができたのでしょう。


これはどういう事が起こっていたかを分析しておきましょう。

もうちょっと遡ると前の日から、寝付きがよくありませんでしt。まぁ、疲れていたのですぐには眠れましたけど寝付くのにちょっと時間がかかっていました。朝起きたのは6時半ぐらいと私にすればちょっと遅めの時間帯で寝起きもよくありません。そして、コーヒーを飲みながらテレビをみていたらイライラしてきて落ち着かなくなってきていました。どうもいつもとちょっと違う疲れ方だったようです。


その疲労が体にねじれを起こしていたのでしょう。

だから何を聞いても腹がたってきていたのだと思われます。それで駅でたまたま通りかかった似たような人とお互いに肩をぶつけてすっきりできた訳です。


まぁ、もしかしたら相手の方は、


「こいつ、なんで避けないんだ。くそっ!」


って感じで、さらにフラストレーションを溜めていった可能性もありますけどね。

こういう体と心の動きというのは、ストレス解消みたいな簡単なワードで説明されちゃうことが多いですけどね。ストレスとはいったい何を意味しているのか?それがわかっていないと解消だってちゃんとできんという話です。


あと、一つだけ注意ですが、肩をぶつけてすっきりしたいときはちゃんと相手の様子をみて大丈夫そうな人を選んでください。やばい人にやったらおかしな事になりますからね。

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インドア派とアウトドア派

「自分の事はインドア派だと思い込んでいた。」 

ある方から、そんな話を伺いました。 
世間で言われているような言葉のイメージだと確かにそんな印象のある人かもしれません。 

たぶん、このセリフをいった方は、 

「自分はインドア派だから、家の中で発散要求を満たせる。」 

と思い込んでいた事になります。 
それで、緊急事態宣言の前からほとんど誰にも会わずに引き籠もっていたらしいです。でも、そろそろ溜め込みすぎたエネルギーを発散したくなってきたので整体にこられたのはではないか、そんな風に私は感じた訳です。 

それで整体を受けた後に、足を伸ばして美術を鑑賞にいかれたそうです。すると、ずいぶんエキサイティングな体験ができたのだとか。 

インドア派っていうのはどういうタイプの人間でしょうか? 
1人でできること、屋内でやる事、なんていうのがインドア派のイメージでしょうか。芸術に触れて発散させるみたいな事はインドア派でしょうか。私みたいに、考えている事を文にまとめるなんていうのはインドア派の行為でしょう。 

でも、考えてみたら、インドアとアウトドア派の違いって、発散欲求をどこで発散させるかというだけの違いでしかありません。貯まったエネルギーを家の中で発散させるか、家の外で発散させるかの違いでしかない訳です。こう考えてみると、インドア派とアウトドア派の違いはずいぶんと雑な派閥だと言えますね。 

例えば、私なんかは読書やら文を書くのが好きな訳です。 
インプットした情報をアウトプットすることに興味を持つわけです。おそらくそこにアイデンティティみたいなものがあるのでしょう。いわゆるインドア派な訳ですが、私は考えるより先に行動を起こすことの方が多いのです。だから、あれこれとはじめてみてから考える方がうまくいく訳で、アウトドア派みたいな行動を好む傾向がある訳です。 

まぁ、最初の、 

「自分の事はインドア派だと思い込んでいた。」 

という発言をした人は別にこんな事を考えていたのではないと思いますけどね。 

インドア派、アウトドア派というカテゴライズを捨ててみるといいのかもしれません。 
例えば、 

「どんな行動、活動をしたときに気持ちが晴れやかになったのか?」 

と考えてみるといいでしょうか。 
アートに触れて気持ちが晴れたのだとしても、そこにはいろいろあると思う訳です。アートそのものに心が動かされたのか、そのアートの制作者とのコミュニケーションで心が動かされたのではやはり全然意味がかわってきますよね。まぁ、相手が芸術であれば、そんなに簡単に色分けできるものじゃないでしょうけどね。 

さっきもいった通り、そこまで考えてたらインドア派なんて言葉はでてこなかったでしょうけどね。 

「インドア派ってずいぶん古い言葉かもしれない。」

なんていう具合に、私が勝手に拡げてみただけの話です。
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