ブログ「日々整体」

元気な人を病気にして喜ぶ風潮

「子供が学校の健康状態のチェックにひっかかったので見て欲しい。」


なんて言われたことがります。
母親からしたら、息子になにか大きな問題があるかもしれないから心配になったのでしょう。何を言われたのかと聞いてみれば発育不良だと言われたとのことでした。小学生の子供でしたが定期的に体をみているので、いったい何をもってそんな事をいわれたのかとそんな事を考えました。で、聞いてみれば、


「片足で立つことができない。」


というだけのことでした。


「アホか。」


と、私の口からはこの言葉以外ではでてきませんでしたね。

私のところにやってきたので、片足立ちをやってみるようにいいました。
すると確かにうまく立てないようでした。ただ、様子を見ていたらなんでできないかが、すぐにわかりましたので、やり方をちょっとだけレクチャーしてもう1度やってみました。


すると、あっさりと片足立ちができました。
たぶん20~30秒ぐらいは立ってたんじゃないでしょうかね。整体した後、母親がやってきたので私が、


「やってみ。」



と一言いったら、やはりしっかりと片足で立っていました。



レクチャーしてから実際に立つまで10秒ぐらいでしょうかね。
10秒で解決するような問題をわざわざ、


「おたくの息子さんの健康状態には問題があるから改善するように。」


なんていう通達を書面で送りつけてくる組織や団体があるわけです。
やっている当人たちはまじめにやっているのでしょうけど、私からみたら滑稽としかいいようのない事です。


そういや、私は小学6年生ぐらいまで鉄棒で逆上がりができませんでした。
小6で身長が170センチぐらいあったのですが、今から振り返ると運動能力が体の成長に追いついていなかったようです。ちなみに、走るのも遅かったのですけど中学にはいった頃には短距離走で学年で3番目のタイムを出していましたね。運動とか学力なんかの成長は個人差が大きいなんていうのは頭ではわかっているのでしょうけど、その知恵なり知識が教育現場ではほとんど活かされていないのかもしれませんね。今できない事を問題にしてしまう教育者がほとんどのように感じます。


「いつかできるようになるから楽しみにしておきない。」


と声をかけておいてあげれば、片足立ちだろうが、逆上がりだろうが、勉強だろうが、そのうちにできるようになるなんてのは間違いなく当たり前のことなんですけどね。


私の場合、小6になって体が動くようになったらあっさりと逆上がりもできたわけですけど、出来たときに思った事は、



「嘘を教えられていた。」



ということだったりします。
できないときには、こうするのだよとか先生にアドバイスをもらうのですけど、それらが全部まとはずれだったということがよくわかりましたね。運動についてきちんとレクチャーできる教育者なんてのは絶滅危惧を通り越してすでに絶滅してしまっていると思った方がいいのじゃないでしょうかね。



実際、彼は私がいなかったらずっと発育不良として扱われていたわけです。
母親も、本人もなんの問題もないのにそうだと思いこんでしまっていたかもしれないわわけで、そんな事を考えると、


「あほか!」



と言いたくなる私も気持ちもちょっとはわかってもらえるのじゃないでしょうか。


今回紹介したような発育についての確認ですが、それをする側にはそれを実施する力量、見識、経験の全てがないのは明白です。似たような奴に、メンタル状態のチェックなんてのもありますね。判別方法は簡単です。


「今まで何の問題もなかった事を、急に問題として指摘されて病人扱いされた。」



ということがあったら、逆上がりのやり方を指導できないのにアドバイスをする人かもしれないとまずは疑ってかかることですね。そんなくだらない事に振り回されたりしないようにすることです。





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日本くよくよ協会の発足を提唱します

「くよくよ考えるのはダメなことだ。」


誰が言い出したか知りませんが、とんでもない勘違いです。
くよくよ考えてしまうのであれば、そうして考えて迷っておけばいいのです。ところが、プラス思考でなければ人間としては認めないみたいな世の中になってきてしまっているせいでしょうかね。くよくよと考えこんでいると人格を否定するような事をいってくる人がかなり増えてきてしまっています。まぁ、確かに周囲にそういう人がいて、心配してもしょうがないような話を延々とされるのは私だって煩わしいですけどね。

ただ、この煩わしいというがポイントです。
煩わしいから聞いてられないだけなのです。で、


「プラス思考で前向きにならなければダメだ。」


なんて言って口封じをしてしまうわけです。


ただ、これは共感できない人に話かけるからそうなるだけだといえます。
ですから、共感してもらえる人にくよくよと話かければすべて解決するはずです。ですから、くよくよと考えこんでしまう人たちが週に1回ぐらい集まって、日々の心配事についてお互いに話あえばみんなが幸せになれるはずなんですけどね。


くよくよするという事はどういうことでしょうか?
辞書を紐解くと、『いつまでも気にかけて思い悩む様子』なんて書いてありました。このいつまでもっていうのはどれぐらいの期間を意味するのでしょうかね?それで思うわけです。


「人間というのはどれぐらいくよくよし続けていられるものでしょうか?」


いつもくよくよしてしまうという人はどれぐらいの時間くよくよできるか試してみるといいのです。
おそらくですが、かなり頑張って1~2日ぐらいじゃないでしょうかね?くよくよするというのは結構エネルギーを消費するもので、そんなに膨大なエネルギーを抱えている人はあまりくよくよはしませんから、すぐにくよくよする力を不足させてしまって、気持ちが切り替わってしまうはずです。つまり、半端にくよくよするから延々とくよくよしてしまっているわけですね。


このエネルギーってのはどういうものかはうまく説明するのがなかなか難しいのです。
整体においてだと気の集まりとか、気の流れとかそういう表現になってしまうのですけどね。ちょっと誤解をさせてしまうでしょうけど、平易な言葉で解説すると、胃に力が集まっているとか、頭に力が集まりすぎているとか、そういう状態のときに人間っていう生き物はくよくよしはじめます。ただ、今の世の中ってこういうものをストレスとかいう言葉で説明しようとするから、耳鳴りとか、めまいとか、不安症とか、そういう体の問題が原因不明みたいな事になってしまうのです。つまり、ストレスなんかとはまったく別物なんです。


単純に、手を握りしめて拳を作ってください。
ぎゅっと握りしめれば手に力が集まっている事はどんな人でも自覚ができることでしょう。また、隣にいる知人、友人に、


「手を強く握ってください。」


と頼んで、その拳の様子を観察してみてください。
ある程度の観察力のある人だったら、手の様子をみているだけで拳に力が集まっていることがわかるでしょう。そして見てわからない人でも、手で拳にふれてみてください。すると、手にどれぐらいの力が集まってどれぐらい固くなっているかを確認することができるはずです。


ところが、これをレントゲンとかMRIで確認しようとしたらどうなりますかね?
私が言う、気の流れとか、気の集まりとか、体のどこにどう力が集まっているかなんてことはわからないんじゃないでしょうか。ちゃんと観察できているようなら私のところへやってきてトンチンカンな事をいう人はもっと少ないはずです。

おそらくある程度経験を積んだ人が見ればわかるはずですけどね。
ただ、撮影する人も、それを確認する人もそういう視点をもっては見てないのであろうと思われます。だから映っているけどそれを認識できていないというのが正確な表現になるのじゃないでしょうか。まぁ、ひと目見てわかるようなことを、わざわざ何億円もするような機械を使って確認しようなんて事をやってりゃ見えるものも見えなくなってしまうのでしょう。



さて、くよくよするというのは頭だったり胃だったりに力が集まったときにするものです。
何のためかと言うと、集まった力を発散するためのものです。だから、ちゃんとくよくよしていれば、発散されてくよくよしなくなるし、たいした量の力が集まるわけではありませんから、そんなに長い間くよくよしていられません。半端にくよくよして、気持ちを切り替えようとするから、うまく力が発散されなくて延々とくよくよしてしまうわけですね。人間、落ちるところまで落ちればあとは這い上がるしかないなんていうのはこういう体の変化を表現している言葉だと思いますけどね。


ついでにいうと、こういうのは頭とか胃に力が集まりやすい体質みたいなものです。
ですからくよくよしないようになりたいなんていうのであれば、1回死んで生まれ変わるしか方法がありません。来世があるとして、生まれ変わっても人間として生まれてくるかなんてのは怪しいし、ミジンコあたりに生まれ変わったら目もあてられませんから諦めてくよくよしておくことですね。


ただ、そうでない体質の人に向けてそういうエネルギーを発散するのはあまり面白くありません。
そこで、私は日本くよくよ協会というものの発足を提唱しています。くよくよしてしまうという、似たもの同士で集まって一緒にくよくよしておけばよいのです。定期的に近所のファミレスあたりに集まって、お互いにくよくよ自慢をしましょう。そして、もっともくよくよしている人を表彰して称えましょう。そうすれば、きっとみんなが幸せになれるのは間違いありません。





君の膵臓をたべたいについて教えて欲しい

「もっと詳しくわかるように体や自律神経のことについて教えてくれ。」


そんな事を言われることがあるのですが、世の中には知らない方がいいことの方が多いと考えています。実際、知らないほうがうまくやれる事の方がおおいのです。その最たるものは、


「健康に元気に生きるにはどうすればいいか?」


なんて事でしょうか。
生兵法は大怪我のもとなんていいますが、はっきりいって、体のことについて詳しい人ほど生きるのが下手くそです。この事は周囲にいる人を何人か眺めていればすぐにわかるんじゃないでしょうかね。トクトクとうんちくを語る人はほぼ間違いなく体を壊しているはずです。それに対して元気な人は、なんとなくフィーリングで元気に暮らしていて、たいていの場合ちょっとかわった秘訣なんかを持っていたりします。週に1回カラオケいって歌うとか、夜な夜な自動販売機の釣り銭をこっそりあさっているとかね。




さて、最近は、顔形とか体型をみてわかることが増えてきています。
それで、先日とあるDVDレンタルのお店で今度の休みになんかみてみようかなぁと物色していると、


「君の膵臓をたべたい」


というタイトルが目にとまりました。
仕事がらこういう具合に体にちなんだタイトルがついている奴は見ておくと話をするネタが増えます。ついでにいうと、ちょっと前に、


「あなたは膵臓の働きが弱いのだと思うから映画なり漫画なりみてみると面白いかもね。」


なんていう会話をしたことがあって気にはしていたのです。
で、パッケージをみてストーリをさらっと見てみると、膵臓の病気で長く生きられないというヒロインが主人公ということでがっかりしてしまいます。さらにヒロインの顔や体型をみると、膵臓が悪いとは思えなくてさらにがっかりで、


「健全な人間が病人のふりをしてんじゃねーよ。」


と思ってしまいます。
まぁ、見ていませんから、このがっかりは見てしまうと変化するかもしれませんけど、私の場合はこの手の話は見ていると腹がたってきて見ていられなくなってしまいます。



なんでかというと、病気というのをテーマに盛り込んだ場合、必ず出てくる言葉が闘病というものだからです。



「なんで戦う必要があるんやっ!」



私はこう考えるからですけどね。



身内だったり自分が重い病気にかかったことのある人ならわかるんじゃないでしょうかね。
そういう時、戦いをけしかける人が周囲にどんどん湧いてきます。そういう人は心配という足かせをはめて、勝ち目のない、あるいは勝ってもなにも得るものがない戦場へ送り出すことを平気でやるのです。それは心配からじゃなくて身近に病人がいるのが耐えられないという気持ちが根底にあることがほとんどじゃないでしょうかね。それで自分の視界に入らないところへ行ってしまえという気持ちを隠して、正論っぽいセリフで戦いをけしかけてくるのです。


例えば、アナウンサーの小林麻央さんが亡くなられる時、医療に頼ることを辞めた彼女の判断や行動を批判する人が結構いたそうですね。


「医師のいうとりにすればもっと生きられた。」


なんていう批判が、あまり報道やネットを見ない私のような人間の耳にも届いてくるぐらいですから。
自分の病気や死に対してどう向き合っていくかなんてのは、自分に決めさせてあげればいいだろうと私なんかは思うのですけどね。


ついでに、選択肢を削って削って削りきってから、


「どうしますか?」


なんて、しゃーしゃーと聞いてくる人がでかい顔をしていたりとかもありますかね。これをやられると、本人、その家族みなが戦場に駆り出されて誰も幸せになれなくなります。やられたがある人ならすぐに思い当たる事があんじゃないででしょうかね



話がそれたので戻します。



実は、病気というのは味方です。
だから、どんな病気でも戦う必要などこれっぽっちもありません。生き物は病気を味方にできたときに健全な体の状態になるといってしまっていいでしょう。それなのに、闘病なんていう言葉を作って、それを美化して賛美するような内容は、見ていて腹がたってくるので話が頭に入ってこなくなります。


最近見たやつだと、宮崎駿の風立ちぬでしょうかね。
主人公の奥さんは結核だったのですけど、その対処があまりにも的外れで、もしかしたらもっと生きていられたのじゃないだろうかと、この映画の感想は私にとってそんなものになって内容があまり頭に残っていません。こういう具合にあれこれ知ってしまっている私では見ることができない映画なんかが結構多かったりします。で、このあたりの事を踏まえて考えると、「君の膵臓をたべたい」は私は怒り狂ってしまってまともに楽しめない可能性が非常に高いわけです。



体や自律神経の事など詳しく知らないでいても、元気に生活することなどいくらでもできるし、そういう風に生きていれば「君の膵臓をたべたい」だって楽しめます。その方がお得なんじゃないかと、私はそんな風に考えますけどね。ただ、ちょっと見てみたいという気持ちがあるのも確かなので、この映画なり漫画をみた人は、セリフの中に『闘病』とかそれに類するワードがでてこないか教えてくださると嬉しいのですが・・・。









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5月 品川と日暮里の整体募集を開始しました

ずっと鳴り続けるのは頭鳴りで、時々なるのを耳鳴りというそうです。
先日、品川にやってきた方が私に説明してくれました。

で、私は、


「どなたがそういう事をそういう事をいっていたんですか?」



と聞いたら、



「俺だ。」



と答えられました。
どうもインターネットで熱心に勉強した成果のようです。


このやり取りがおかしいという事がわかる方でしたら耳鳴りだろうか、めまいだろうが、その他たいていの事は見込みがあると思われます。頭鳴りと耳鳴りをわけて考えていると、止められるようになるのは100年先か、200年先か、そんなことになるんじゃないでしょうか。医学の発展を待つもの悪くないですが、私は気が短いのでそんなに悠長に待てる気はまったくしませんけどね。


東京への出張ももうすぐ1年になります。
遠征なんてすると想像以上に難しい人がやってくるもので、苦労を続けさせてしまっている人もいたりしますが、そんな方たちの様子もかなり変わってきていて手応えを感じ始めています。近い内に、事例として紹介できるかもしれません。ただ、そういった方たちのおかげで私の技術や知識が飛躍的に進歩した1年になったように思えます。


さて、5月の品川と日暮里の募集を開始しました。
今週末、21日(日)17:45~ の枠にも1つ空きがありますので体の事で困っているようでしたらご相談いただければと思います。電話にて申し込みください。
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ヌードがわかれば整体がわかる

読んだことのない本を紹介してみようと思います。
こんな変なことをやってみようと思ったのは、とある書評でこの本を紹介していたからです。で、その本は、


「ヌードがわかれば美術がわかる」


というタイトルで、ヌードがわかるには解剖学の知識が必要だということが書いてあると紹介されていました。


「あれ、結局わかるのは美術じゃなくて解剖学なのか?」


なんてことを思うわけですが、私にとってはあまり突っ込まなくてもいいところです。
なんでかというと、私は外見だけで人の体の状態を考えていることがあるからです。スタバで甘ったるいコーヒー飲みながらあの男性は病気を抱えているなとか、あの女性はすぐにヒステリー起こすからいい結婚はできないだろうなぁとか、そういうことを考えているわけです。まぁ、私にすればトレーニングみたいなものですから、他人にはあまりこういう話をしたりはしませんけどね。

わかりやすい部分であげるなら、鼻筋、顎の形、胸の厚みなんかで心臓とか肺の様子をみるのはとてもわかりやすいですかね。

ストレートな表現をするなら、心臓と肺の動きがしっかりしている男性は体が逆三角形の形になりますし、女性は胸に厚みがでてきて大きくなります。目も大きく開くようになるし、鼻筋もとおるし、顎もシャープになってきます。女性なんかはかなりわかりやすくて、ウエストがくびれてきますし、おしりの形もまるくなってくるわけで、いってみれば美人といわれるような人は内臓がしっかりしているわけです。人は内面が大切だなんていうのは、心の中がどういう状態かではなく、内臓がしっかりしているかという事が本当の意味といえますね。


ボディビルをやっている女性で胸がなくなっている方をたまにみかけますけど、これは筋肉が盛り上がって目立たなくなっているからではなく、望ましくない筋肉のをつけ方をしたせいで肺の動きが小さくなっているからだと思いますね。機会があれば、そういう視点で鍛えている女性を眺めてみるといいかもしれません。繰り返しになりますが女性の体は比較的わかりやすいですから、筋肉美をつきつめた女性が女性としてどう見えるか?なんてのを考えてみてもいいかもしれません。



で、そんなことを考えていたら、


「ミロのヴィーナスってどうなんだ?」


という疑問が湧いてきたのでインターネットで写真をみてみると、思っていたより腹筋が割れていてしっかりした体つきをしていました。ただ、ちょっと首が太く顎が丸いかなぁかなぁとそんなことを感じました。



もしよかったからここから先は、ミロのヴィーナスの写真をみて、それがどういう女性かということを想像してから読んでみてください。









で、これを内蔵で考えてみると心臓がしっかりしている割に肺が小さいということになりますかね。
喉がいがらっぽくなったり、風邪を引きやすい傾向があるかもしれませんし、子供の頃には肺炎を経験しているかもしれません。


ここらあたりからミロのヴィーナスがどんな女性かと想像していましょう。気が強い反面、コツコツと何かをやり続けるなんていうことが苦手、割と短気な人じゃないかなぁと。



で、答え合わせをしてみました。
モデルはアフロディーテなんて言われてるそうです。そのプロフィールを見てみると、ヘラやアテナと争って戦争していたりしていた女神だそうですね。確か、他の男性とベッドで裸で抱き合っているところを旦那のヘパイストスに縛り上げられられてそのまま晒しものにされたなんていうエピソードもあったような気がします。ヘパイストスは、自身がブサメンだったことを相当コンプレックスに感じていたようで、そんな頼りない旦那では満足できなくて不倫していたんでしょうか。主人を立てようなんていうタイプの人じゃなく、気分屋な女性だったのでしょう。



アフロディーテの性格を調べて答え合わせをしてみるときに、


「俺って結構すごいんじゃね?」


なんて思ってしまうあたりが私の器の小さいところでしょうかね。


ミロのヴィーナスが評価される理由は造形美ということなのでしょうけど、造形美というのはその人の人となりと内臓の状態がちゃんと表現されているという事で、


「ヌードがわかれば美術だけでなく整体もわかる。」


ということでがいえるわけです。



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