ブログ「日々整体」

話題沸騰!驚愕の花見健康法!!

ワンピースというマンガを知らない人はあまりいないでしょう。
その中にヒルルクの桜というエピソードがあって私はとても好きなんです。

主人公ルフィの仲間にはトニー・トニー・チョッパーというトナカイの仲間がいます。
トナカイですけど、ヒトヒトの実という悪魔の実を食べて人に変身できてしゃべったりもできるトナカイです。で、そのチョッパーの恩師にひどいヤブ医者でヒルルクという人がいました。ヒルルクは、病に倒れた医者を救おうとして亡くなってしまうのですが、生前にとても不思議な体験をしています。


彼は、ある時に病気になりました。
医者がいうにはもう治せない、そういう病気だったそうです。そこで彼は旅にでました。病気を治す方法を探すためだったのか、いままで生きてきた意味を振り返るためだったのか、いまひとつおぼえていないんですけどね。好きだったというのに、細かいところを覚えてないのだからいい加減なものですが、まぁ、そこらあたりは私にとってはあまり重要じゃないのでしょう。

ついでに、こういう事が我が身に起こった時、自分はどうするだろうか?
なんて考えてみますが、死にたくないとかいって泣きわめきはじめたら面白いだろうなぁと思ったりもします。でも、たぶんですが、特になにもするでなく、普通に生活して普通に死んでいくことを望むだろうなぁと思ったりしますね。

話がそれたので戻します。

さて、ヒルルクはある旅先で見渡す限りに咲き乱れた桜を眺めることになります。
彼はその光景をみて心を洗われたような心境になったそうです。すると奇跡が起こったのです。そう、もう治らないと言われた病気が治ってしまったのです。

彼はその後、この感動や奇跡を他の人にも伝えたいと考えて医者になりました。
その志は半ばで潰えるのですが、チョッパーがその思いをつないで実現させるというそういうお話です。


さて、


「咲き乱れた桜に感動して、不治の病が治ることがあるか?」


と考えた場合、私はありえると思いますね。
現実的に技術的に考えた場合、それだけでは足りないケースもあるでしょうけどね。先日、ちょっと書いたエナメル上皮腫なんかはそれだけでも治っちゃうでしょうね。


ピンとこないのであれば、逆に考えればいいかもしれません。


「咲き誇る桜をみて、美しい、キレイなどいろいろ感想はあるかもしれませんが、心動かされない人が元気に健康に生活できるか?」


できるはずがないんですよ。


さて、ここ数日の人たちの体の変化をみていると、春への体の変化は落ち着いてきている感触です。多くの人は、今日ぐらいからはテンションがって元気がでてきているんじゃないですかね?桜を眺めて心を揺り動かすには今日から1週間ぐらいがベストなタイミングなのではないかと思います。


体にいいことなんてしょーもないことやってないで、桜みて何かを感じてくればきっといいことがあるんじゃないですかね。
関連カテゴリー< ブログ

いい体と悪い体とかいう話

「私の体は悪くなってないでしょうか?」


なんていう質問をさっきされたのですけど、そういう考え方は駄目ですねと答えました。元気に生活をしてゆく上で考えた場合、大切なのは今どこにいるかという事だからです。


「松岡修造と比較してあなたの体はこういうところが物足りないから駄目です。」


なんて言われたら困るはずです。
松岡修造さんの体は見たことがありませんが、テレビで彼をみている範囲では理想的な体をしていると思えます。だから、彼の体の状態が理想的であるとすると、どんな人にでも好きなようにケチをつけることができてしまいます。皆が彼のようになれたら、まぁ、それはそれでいろいろ困ることになるでしょうけど、なれるわけではないのですから、こういう質問というのはちょっとずれているわけです。


例えば、東京に向かっているとしましょう。
今どこにいるのかがわからなければ、どの方向にいけばいいかわかりません。北海道にいるのか、九州にいるのか、大阪にいるのかまずその事を踏まえていかなくてはなりません。で、大阪にいるとして、どうやって東京へ行くのか、新幹線でいくのか、飛行機でいくのか?乗り物にのっている時間が少ないほうがいいのであれば飛行機だし、弁当食べながら景色を眺めたいのであれば新幹線がいいでしょうし、休憩したり寄り道したりと自由さがほしいのであれば車がいいとか、仕事や家族の都合だったり、考え方だったりで、いろいろな手段があるわけです。


余談ですけど、こんな風に考えると私がどんな風に仕事をしているか例えてみましょう。
私の場合は、京都駅まで引きずっていってから、新幹線に蹴飛ばしてほりこむ感じですかね。で、名古屋あたりをすぎたら、


「もう来んな。」


とか言ったりします。
名古屋を越えると、大半の人は東京まではおとなしく電車旅を楽しめるようになっているからですけどね。ただ、電車は嫌だとか、途中下車したり、引き返したり、北陸の方へそれていく人が結構いたりしますね。まぁ、最近は金沢まで新幹線が伸びてきているみたいですけどね。


さて、目標とするゴールは人によって違います。
整体する時に考えなくちゃいけないことは、この人は本来どういう人なんだろうなぁと言うことです。ですから、ゴール地点はみな東京というわけじゃなくて、北海道だったり、鹿児島だったり、ハワイ、だったり、英国だったりするわけです。

言い換えれば地域によっては厳しい時期があったりするわけです。
調子がいいとか悪いとかの波が大きい人もいれば、年がら年中、松岡修造のようにテンションの高い人はどちらかというと少数なわけで、逆にいえば夏だけ元気で春、秋、冬はいまひとつ元気がないとかいう人もいたりするわけですね。


そんな意味をこめて、最初の質問には、


「まぁ、米原あたりまできたんじゃない?」


なんて答えたんですけどね。
3年寝太郎みたいな人もいるかもしれません。ついでにいうと芸人のヒロシみたいなのもありで、彼は結構いい状態を保っているのじゃないかと思ったりもしますね。
関連カテゴリー< ブログ

首長族をみて思うこと

「首長族が首を長くするのはなぜか?」


ある方を整体しているときにふと気がついたのです。
首長族というのはミャンマーの山間部で生活している人たちで、そこ女性たちは首を長く見せるために幼いころのより首輪をまいているので首長族と呼ばれるようになったようです。知らない人の方がすくないでしょうから詳しい説明は省いておきましょう。


で、ちょいと最近ちょっと気に入っている漫才師たちにならってヤホーで調べてみたわけです。
で、ぱっと目についたのは世界のナベアツにならってかどうかしりませんが、世界の治療家を名乗っている人がいるようですね。彼女たちは肩が凝るのかということを実際にミャンマーにいって確認してきたそうです。で、彼女たちの方を揉んできて喜ばれたんで、


「首長族は肩が凝っている。」


という結論を出していました。


彼女たちが首を長くするのは、彼らの部族なのか集落なのかはわかりませんが、その地域に住んでいる人達には首の長い女性が美人であるという認識があるそうです。で、実際に、長い首の女性はお金持ちのところへ嫁入りできるそうです。


彼女たちの首に何が起こっているのか?
この事を実際に研究した方がいたそうです。で、その研究結果では、


「首が伸びているのではなく肩が下がっている。」


という結論をだしたそうです。

で、こういう事を踏まえてちょっと考えてみたわけです。


首が長いといことから真っ先に思いつくことは、人間の生命力は首に反映するということだったりします。生命力の強い人は首が太くなるし、長生きする人は首が長い傾向があるそうです。そこから考えれば、


「首長族の女性たちが、首を長くするのは、自分が健康で長生きであることのアピールである。」


という答えがすぐにでてきます。
理由については諸説紛々あるようですが、おそらくこれが正解じゃないですかね。このような習慣には必ずこういう理由があるもので、体の事を理解してから考えるとたいていの場合、理解が容易です。


で、こういう事を理解してもらうためにちょっと大きめに話をそらします。

習慣というのは体からくると考えると、こういうのは探していけばいくらでもみつかります。
中世あたりのヨーロッパだと、女性は肩から胸が大きくひらいたドレスを着ていました。女性らしさや美しさのアピールなんだろうと思いますが、心臓や肺のしっかり働いている人でなければ着こなせない服だといえます。心肺の動きが鈍いと胸が薄くなってしまうし、そういう人が肩をだしているとすぐに風邪をひいてしまうからです。

女性からすると、まず胸に興味をもつ男性に嫌悪感を持つのかもしれません。
でも、男性が胸の大きな女性に魅力を感じるのは、その女性の心臓と肺がしっかり働いているとうのを本能的に感じ取るからなんだろうと思われます。ようは健康な女性を魅力的だと感じるわけですね。

これは整体をしているとよくわかりますね。
女性は健康になるにつれて美しいと感じるスタイルに変わっていきますから、


「あぁ、この人の本来の形はこんなだったのか。」


と思うことなど日常茶飯事です。
ついでにいうと、それにつれて表情もかわってきます。女性は愛嬌なんていう言葉がありますが、愛嬌のある女性は健康だということがいえるのだろうなぁとそんな風に思ったりもしますね。


また、体の部位で首と呼ばれる場所は非常に重要です。
手首、足首、首は健康状態がストレートに反映していて、健康な人の手首、足首、首はきゅっと引き締まっています。そして、ここは女性がアクセサリーを付けることが多い部位でもあるわけです。
たまに、


「キュと引き締まった足首に魅力を感じる。」


とかいう男性がたまにいますが、こう考えれば説明ができるわけですよ。


男性でも腕時計をつける事を好む人がいるのは、自分の手首が引き締まって見えるようにしたいからなんでしょうね。高い腕時計を身につける人がいるのも、手首のアピールであると考えると納得できますね。今の日本で生活していて、時間がわからなくて困るなんていうことはまずないのですから。自分を格好良く見せるという事は、自分が健康であるということのアピールでもあるわけです。


こういうのをあげていけばキリがないぐらいにまだまだでてきますが、ここで首狩り族の話に戻しましょう。


彼女たちが首を長く見せるのは、自分が健康で長生きする人間であるということのアピールといっていいと思います。この地域では、そういう女性を家庭に迎えることが幸せな生活に繋がるという気候風土があるのでしょうね。ここまで極端なアピールを必要とするということですから、生活にはかなり厳しい環境、半端に元気なぐらいでは駄目なんじゃないでしょうかね。狩りで生計をたてていた部族らしいので、何日も獲物がとれないなんていうことも珍しくなかったんじゃないかと。


また、首が長くみえるのは肩が下がっているからだということについてです。
肩が下がることにメリットがあります。怒り肩なんていう言葉がありますが、これは怒っているときに肩があがるのですが、これは逆でも同じことがいえて肩が上がっているとすぐに怒ってしまうようになるわけです。つまり、肩が下がっているのですからこれの逆の事が起こるわけです。

肩が下がることで穏やかな気性になるわけですね。
先述したように、過酷な環境で生活している人たちなわけですよ。そういう環境で穏やかな気持で家庭を支える存在である事が女性に求められたわけです。


肩が下がっていると肩がこると思うかもしれませんがそれはないだろうと思います。
そんな無理矢理下げているはずがないんですよね。何しろ、過酷な環境で温かい家庭を作ることを求められるわけですからね。見た目が変わっているから、なんかおかしいはずだという発想は、短絡的すぎるだろうと思えます。

直感的にではありますが、写真をみている感じじゃ肩こりを感じるような人たちは少ないとおもいますけどね。まぁ、個人差がかなりあるでしょうけど。
関連カテゴリー< ブログ

自分のセンスとカンを信じよう

「学校給食にステーキを!」


なんていっている人をテレビで見かけました。
どんな人かというと、どっかの市会議員に立候補している方でした。で、その選挙のポスターに、


「学校給食にステーキを!」


と書いてあったわけです。
バラエティ番組だったので、変な人が選挙にでていますみたいな紹介のされ方でした。ただ、なぜこんなキャッチコピーにしたんですかという質問に対して、


「世の中を変えるにはまず子供から変えないと。で、給食にステーキを出せば子供が元気になって世の中が変わると思うんです。」


なんていっていました。


で、これを聞いた私は案外それはありだなぁと思ったわけです。
一見、突拍子もない事をいっているように感じますが、ちゃんと理にかなった事をいっているわけです。その手段として、給食にステーキを出すというのは一考の必要はあると思いますけどね。ただ、テレビで話している感じからすると、


「この人は、ステーキにこだわるような人ではないだろう。」


と、感じられました。
まぁ、実際に会って話したわけじゃありませんから大きな勘違いかもしれませんけどね。
おそらく彼は、


「子供たちをまず元気にしよう!」


と考えてそれを実行しようとしたのではないだろうかと。
ただ、それを彼流の言葉で説明した場合に、


「給食にステーキを!」


ということになってしまったのではないかと思われます。
こういう人は、頭の中にある考えや思いを通訳してくれる人がサポートにつくととんでもない成果をあげたりすることがあるんですけどね。


スポーツで才能を発揮した著名人なんかにはこういう人が多いですね。
巨人軍の長嶋茂雄さんなんかがいい例でしょうか。長嶋さんぐらいになると言葉の意味はよくわからんのだけど、なぜか真意が伝わってしまうなんていう事があったりしますけどね。あと具志堅用高さんなんかも、何をいっているのかわからないので笑いに変わってしまうことが多いのですが、彼の天才的なセンスを凡人が理解するのが難しいせいでそうなってしまうだけというのが本当のところだろうと思います。


で、こういう人たちってそれほどいないように思うかもしれませんが、そこらへんにゴロゴロしていたりします。ただ、気の毒な点があって、こういう人たちはいつも、


「よく考えてから発言しろ。」


なんていう具合に馬鹿にされたり、注意されたりする事が多いのです。
それぐらいだったらいいのですが、そのせいで自分本来の生き方や考え方ができなくなってしまって体を壊してしまっている人が多いのです。


本当は飛び抜けたカンとセンスの持ち主なんですけどね。
そういう才能は、考えている事を言葉にして相手に伝えるのとはまったく方向が逆の性質だったりします。つまり、センスのいい人ほど小馬鹿にされることが多いといっていいでしょう。


なぜ私がこういう事を偉そうに語っているかというと、こういう性質は骨格にでてくるからです。
だから、


「よく考えてからしゃべろとかよく言われるでしょ?」


なんて私がいうと、


「そーなんですー!」


っていう返事が帰ってくるわけです。

こういう人たちの特徴は、初めて会った人でも第一印象でいい人かどうかがわかります。
ただ、それを


「なんでそう思うのだ。」


と質問されたってうまくは説明できませんしする必要もありません。
先に述べた通りそういう事を言語化する才能をもっている人はまったくこんなカンが働きませんからね。で、そういう人はこの人と知り合いになっていれば損か得かみたいな事で人を判断するから、カンを働かせた人に、


「もっと考えて発言しろ」


とかもっともらしくいうわけです。
で、ついでにいうとそれは体にいいとか悪いとかあれこれ能書きやうんちくを語り始めるわけです。

初めてあった人がどんな人か直感的にわかる人はそのカンを大事にしましょう。
うんちくを語っている人がいかにもっともらしいことをいっていてもそんな内容は聞き流しておいて問題ありません。体の調子が狂ったときもその時働いたカンの通りに行動していればたいていはすぐに元気になるはずです。
関連カテゴリー< ブログ

天海祐希の生き方を表現した言葉

「老いは股関節から来る!」


と、テレビでいっていたのは、天海祐希です。
最近、気難しい学者の妻を演じた映画が公開されたそうです。そのPRのためのインタビューでこんな事をいっていたのです。さすが、飛び抜けた実力を持つ女優は奥行きのある言葉をさらっというなぁと思いました。ちなみに、私が彼女の存在を認識したのは女王の教室というドラマで、よくもまぁ、こんだけ怖い人を演じられるものだと思ったものです。


ただ、残念ながら彼女は老いというものの捉え方を間違えています。
胸椎11番が変化することが老いというものだからです。股関節は老いに無関係ではありませんが、年をとっても股関節の柔らかい人というのはいくらでもいるのです。そういう人でも長く生きていればちゃんと老いてゆきます。


どうしてこうなるかというと、彼女はどうも


「老いと衰えを混同している。」


というわけです。

多くの人にとっては、


「股関節からはいったい何がやってくるのか?」


と言葉をつなぐとわかりやすいでしょうかね。
実は、股関節の動きが悪くなると、体が衰えはじめます。わかりやすくいうと、内臓の働きが全部落ちると思っておくといいでしょう。


演技にとって股関節の可動範囲というのは非常に重要です。
だから、天海祐希という人の場合、演技ができなくなるということが老いと考えているように思われます。そう捉えれば彼女にとっては間違えていないというか、演技ができなくなったときが天海祐希という女優の人生が終わるときだと。そんな彼女の生き方、考え方を表現した発言なんだろうなぁと、そんな風に私には感じられました。
関連カテゴリー< ブログ
<戻る 345678910111213
品川での整体指導予約受付中

RSS
自律神経整体院

京都府長岡京市天神1丁目1-56
ながおかスタジオビル2F
(阪急長岡天神駅から徒歩1分)


075-954-0036