ブログ「日々整体」

自分らしい生き方

「本来の自分らしい生き方。」


前回、私の考えを紹介しましたが、この言葉にはもう少し補足説明が必要であると考えました。

自分らしさというのは、自身の好奇心が発揮されいてる状態を意味しています。
最近は、好きという言葉で表現されることが多いので、妙に勘違いしてしまっている人が多いと感じています。料理、運動、読書、勉強などなど、料理だったら和食、洋食、菓子づくり、運動だったらサッカーや野球、読書だったらミステリー、小説、哲学など、自身の好奇心がどのような事に向けられるかはある程度自覚があると思います。

だから同じ料理でも、肉を焼くのがいいんだという人もいれば、魚をさばくのが楽しいのだなんて具合に自分の好奇心の向いている事に取り組む事が自分らしさです。

肉を焼くのだとヌスレット・ギョクチョというトルコ人が有名です。
ムキムキの体、セクシーな仕草で肉を焼いて塩を振っている人というと思い出す人もいることでしょう。彼の生まれた家は貧乏で学校に通えなかったようですが、彼の好奇心は肉を焼くという事に向いていたようです。言い方が悪いですけど、学のないステーキハウスの親父が今では世界中に知られるようになっているのです。有名になりたいと思ってそうしているのではなくて、自分らしく肉を焼いて、自分らしく塩を振っているのです。彼を見ていると、自分らしく生きるという事がどれほど大切かよくわかるのではないでしょう。

自分らしく生きる事ができれば有名になるというほど単純な話ではありません。
目立ちたくない、ひっそりと暮らしてゆきたいという気持ちも自分らしさの1つです。コツコツ仕事をして、休みの日は家族とゆったりとして、趣味に没頭する時間を過ごすのがいい、そういうのだって自分らしさの1つです。目立つことに憧れは感じない訳ではないけれど、自分はそれで十分に幸せだなんていう思いも立派な自分らしさです。

一歩間違えると危ないと感じるような例も1つ紹介しておきましょう。
その人は男性ですが、女の子がとても好きなのだそうです。それで就いた職業が小学校の教師でした。ここだけ聞くと危険な香りが漂ってきそうですけど、現実は正反対です。子供が好きだから一生懸命に授業ができるし、相談も熱心にのってあげるそうです。その結果、子供たちからは好かれるし、子供の親からは教育熱心でよい先生だと評判がよいのだとか。結果、本人は充実した日々を送っていますし、この幸福な日々を絶対に失いたくないからと子供に手を出すような事は絶対にしないといっていました。結局、この人も自分らしく生きているだけなんですよね。

好奇心というのは自分の人生を好転させるもっとも重要な要素です。
それで好奇心をうまく発揮させるために必要な事が健康であるという事です。蛇足ながら付け加えておきますが、ここで私がいう健康とは、健康診断で問題がないというのとはまったく意味が全く違います。

好奇心がちゃんと発揮されるには健康でなければいけません。
自分が何に興味をもてるのか、何をしている時に、何を感じた時に幸せだと感じることができるのかを自分でわからなくてはいけません。そして、幸福を感じているのであれば自然とそれに取り組んでいるはずです。

たまに、

「好きなものが見つからない。」

なんて言っている人を見かけますが、不健康な状態であれば当たり前です。
好きを感じる力がない、つまり好奇心がうまく発揮されていない状態で好きなものがみつかるはずがありませんからね。

好奇心というのはどこから生まれる物か考えてみてください。
脳だと考える人が多いかも知れませんが間違いです。充実感、幸福を感じる時、あなたはそれをどこで感じているかふり返ってみてください。たぶん、心で感じているはずです。頭の中で幸せを感じているなんて言われたらきっと違和感を感じることでしょう。もちろん記憶や経験といった要素は大切ですが、それは好奇心を補足する物でしかありません。好奇心というのは体で感じるものなのです。

「体が変わったら人生薔薇色になりますよ。」

と私がいつも言うのは嘘ではありません。
健康になれば好奇心が高まってくるので自分らしい生き方ができるようになります。その結果、幸福な人生をおくれるようになるのです。
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幸せな人生が最優先ではないですか?

世の中がおかしくなっているというのをひしひしを感じています。
でも、多くの人にとってはこれが当たり前の事のようです。歴史をふり返っていると妙な紛争やら事件が起こるのだろうかといつも不思議に思っていたのです。ほとんどの人は、ただただ目の前に起こる問題を解決しようとしているだけだという事がわかったような気がします。大半の人たちは実際に目の前に起こっていることを客観的に見ることができないようです。

そういえば昨年末に、テレビでニュースを見ていて、

「これっておかしくない?」

と思ったと言っていた人がいました。

「私がその事に気がついたのは2年前ですよ。」

と返事をすると、気がつくのが早すぎなのだそうです。

多くの人が気がついたときにはもう手後れの状態になっているでしょう。
だからもう既に手遅れだと判断しています。そんなものに私を巻き込むなと言いたいのですけど認識できていない問題を提起したって無視されるだけです。このままのこの調子で状況が推移するととんでもない事になるのはわかっていますから次善の策を考えなければいけません。

さて、大層な事をいう前に目先の問題を解決した方がよいと思います。

健康保険と医療に関してはそう遠からず崩壊するのではないでしょうか。
年金もそうですけど、私にいわせればもうすでにダムが決壊するのを待っている状態です。少子化、経済力の衰退で医療にかかる費用を支える力は日本経済にはありませんし、今から対応をしても完全に手後れです。どうするのかなと思うのですけど、多くの人はなんの根拠もなしになんとかなると思っているようです

賢い若者はすでに海外への脱出していたりその準備をしています。高齢の人たちは若者が支えてくれるなんていう幻想を抱いているのを早々に辞めた方がいいでしょう。

会社が倒産する時には、

「優秀な人間から順に辞めていく。」

という話を聞いた事はありませんか?
優秀な若者たちは、もう日本を完全に見切っていると思います。本当にどうするつもりなのでしょうね?

そんな状況で最も大切な事は健康は自分で保つという事です
医者に行って薬をだしてもらえっていればそれでオーケーみたいな方法はそもそも誤魔化しでしかありませんでしたけどね。

健康で幸福な人生を送るための第一歩をアドバイスしたいと思います。

まず最初に知らなければいけない事は、死なないようにするという事と、生きるという事はまったく違うということです。死なない事を最優先にすると、寝たきりの要介護状態が理想的な状態になります。不思議に思うかもしれませんが、絶対安静の状態で心臓を動かし続けるためのあらゆる努力が行われますからね。だから、1年でも、1ヶ月でも長生きしたい、1分でも1秒で心臓を動かし続けたいと思うのであれば寝たきりになればよいのです。これが死なないようにするという生き方です。

おそらくですけど、そんな晩年を望む人は一人もいないと思います。
だから、生きるということを最優先にして生活していください。あなたにとって生きるというのはどういう事ですか?ほとんどの人は、漠然と日々を送っているから、なんとなく、とりあえず死なないようにして大切な事を考えるのを先送りにしてしまっています。これは生きているとはいいません、死なないようにしているだけです。これは今の日本の状況と全く同じです。

だから、今、考えてください。

「あなたにとって生きるということはどういうことですか?」

毎年健康診断にいって医師がすすめる薬を飲むことはあなたにって生きるという事かをよく考えてみることです。そして、医師はどのような考えにのっとって薬を処方しているか考えてみてください。間違いなく、

「死なないようにする。」

という事が最優先になっていませんか?

ほとんどの人にとって、医師の治療方針とあなたの本当の望む生き方は両立が不可能だという事がわかると思います。

「医師は、あたなの人生に対して何の責任もとってくれないのに、どうして言いなりになる必要があるのか?」

なんて1回ぐらいは考えてみてもいいと思います。
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2023年の書き始め

「しんねん」とタイピングして変換したら信念となりました。
信念なんていう言葉を使った記憶がないのですが、真っ先に変換されたのですからどこかで使ったのでしょう。どうも私の頭というか心の中は怒りの気持ちが渦巻いているようです。そうでなければ、信念なんていう言葉を使う事はないと思います。

新年になりました。
年末から正月にかけては体の状態は悪くなったと感じるはずです。そういう事が起こるぐらい大きな変化が体に起こります。は虫類が脱皮しているのを想像してもらって、それぐらいの変化が我々の体に起こっていると考えると良いでしょう。カニなんかがそうだったと思いますけど、生物によっては脱皮がうまくできなくてそのまま死んでしまう事もあるぐらいの大きなイベントです。多少、しんどくなるのは当たり前なのです。

この先、節分の頃にさらに大きな変化が起こります。
1年でももっとも体調が悪いと感じるのはたいていこのあたりです。気分も当然落ち込みますから、豆まきをして無理矢理と元気になるようにしましょう。豆まきというのがどれぐらい昔からあるのかは知りませんが、古くからあるイベントだと思われます。豆まきなんていうのは元気をだすために行われるようになった行事で、それなりに長く続く風習には何かしら体の変化に応じたものであると考える良いでしょう。

今年もこれまで通り淡々とと整体に取り組んで行くつもりです。
ただ、世間の変化がかなり大きいもののですから、私自身も穏やかでいる訳にはいきそうにありません。船の上でのんびり釣り糸を垂らしていたら、大きな波がやってくるようなものです。ぼけーっとしていたら船が転覆してしまいますから、それなりの対応はしていかなくてはなりません。正直にいってめんどうくさいとおもわないではないのですが、社会とか秩序みたいなものの崩壊を感じさせる兆候をひしひしと感じていますからそれなりの対応はしなくてはいけなさそうです。こういう難しい時代に生まれてしまった事は不幸なのか思ってしまうのですが、難しいからこそそれを乗り越えるだけの力量を身につける機会を得るわけで、それはそれで悪くないという気持ちも浮かんできます。

最初にも述べました、心の中に怒りが潜んでいるとその怒りの発散のために無茶苦茶な理屈を正当化してしまうのが人間という生き物です。平和に、そして穏やかにお互いが幸福になるための道を模索することができるといいと思うのですけどね。

さて、お知らせが1つあります。
四面楚歌のブログを今年で終了にします。もちろんまだまだ書き続けますが、以降は廃止して新しいサイトを作ろうとしています。基本的には私は書くことしか継続できないようなので何かを書くためのサイトになります。まぁ、何かを書くといっても体の事についてしか書きませんけどね。
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年末に思うこと

「毎年こんな感じで過ごしていつか死んでしまって、そんな事を思う事がなく歳が 暮れてゆくのだろうなぁ。」

ふと、そんな事を思って寂しいような、悲しいような気分に浸りました。
他人には、

「とっとと元気になって早く死んでしまえ。」

とか言っているのに、自分が死ぬのはどうも嫌なようです。
おそらくまだこの人生においてやらなきゃいけないことが残っているのでしょう。そんな事に気がつくと、疑問がわいてきます。

「自分は何を成し遂げたら満足して死んでいけるのだろうか?」

たぶん一昨年前までは、今の医療の問題点をいろいろ書き残して、死んだ後にも医療に関わる連中をあざ笑い続けてやれば満足できると思っていました。でも、どうやらそれだけではダメになってきたのかもしれません。

おそらくこの2年で欲が増大してたのでしょう。
もっと強烈な嫌がらせをしてやりたいという気持ちが大きくなってきたのです。このまま生き続ければ、その欲は益々膨れ上がっていくかもしれません。これは、私は絶対に人生に満足して死ぬというのが無理だという事を意味しているような気がします。私はろくな死に方をしない事が確定してしたかもしれません。ほんと、穏やかに死にたいし、変な死に方をするのは嫌なんですけどね。

これは関西に住んでいる人にか伝わらないかもしれませんが・・・

円広志をご存じでしょうか?
円広志は、「飛んで飛んで飛んで飛んで・・・、回って回ってまわーるー。」っていう歌を歌っていた人です。今ではちょっと良い感じのじいさんという印象で関西のローカル番組に出演しています。それで、私は以前から円広志って、口から血を吐きながら苦しいとか言いながら死にそうな気がすると言っていました。伝え聞く彼の人生から、その死に様を想像すると、そんな死に方こそ円広志だっていう印象をもってしまう訳のです。

それで、きっと私も円広志と似たような死に方をするような気がしてきました。
人の事を悪し様にいっていると必ずその報いは受けるというのを実感したように思います。私は残りの人生で自身の死に怯えながら暮らしてゆかねばいけないのかと思うと、とっとと死んでしまった方が楽な気がしてきます。

話が大きくそれたので戻します。
最初に述べていた、

「自分は何を成し遂げたら満足して死んでいけるのだろうか?」

についてです。
苦しむような死に方をするのは仕方ないとして、でも自分の人生に対して納得なり満足なりはしたい訳です。

そんな事を考えていると来年の方針なんてのが浮かびあがってきます。
ポイントは、私が何をすれば連中がもっとも嫌がるか?という事です。この答えは簡単で、医療ではどうにもならかった人を私がどうにかすればよいだけです。この考えにたどり着くと、未来がちょっと明るくなったような気がしますね。まぁ、未来なんていう言葉をあてはめると、胡散臭い事をいっているような気になりますけど。

ただ、この思考にはちょっとまずい点があるような気がました。
それは、私が嫌いな連中に嫌がらせをするために、関係のない人をダシにしているという点です。でも、よく考えれば体の調子が整えば、その人は充実した人生を送って満足して死んでいけるはずなので、そこは目をつむってもらえないでしょうか。

私は嫌いな人間に嫌がらせをするために幸福な人生を送れる人を増やす活動をする訳です。ちょっとひねくれすぎているような気もしますけど、私としてはかなりしっくりくる落とし所という気もします。まぁ、人生をこじらせてしまうとこんな風になるという事で、これはある意味自分らしいかもしれません。なんか格好いい気もしますしね。

そんな訳で、今年1年も無事過ごせました。
私は今年も大きく飛躍できたという手応えを感じていますから、来年も思う存分に嫌がらせをすることができそうです。
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物事を前向きに考える方法

「物事を前向きに考えなくてはいけない。」

どこででも聞くアドバイスです。
私も20代のころにこの考えに取り憑かれた事がありましたが、30代になったらダメだと考えるようになりました。なぜかというと、臭い物にふたをするためにこの言葉を使っている人が多いという事に気がついたからです。

さて、英語の勉強をはじめて4ヶ月ほど経っています。
それなりの英語力にはまだまだ時間がかかりそうですが、勉強していて気がついた事があります。それは自分の思考が使う言語によって大きく影響を受けるという事です。これは受験のために英語を勉強していたときにはまったく気がつきませんでしたね。でも、会話をするための勉強をしていると、そういう事がなんとなく肌で感じられます。例えば、英語でなにかを表現するときは日本語の時より1.5割増しぐらいで誇張して表現しないとうまく相手に伝わらないように思います。

それで、最初の

「物事を前向きに考えなくてはいけない。」

というのもおそらく英語話者の発想だという事もなんとなくわかってきます。
太宰治が書いた手紙を読んだ事があるのですけど、現代に生きる私が読むと稚拙な内容になっていると感じました。その手紙には、

「私はその賞が欲しい、賞がもらえれば私は元気になります、活気がでます、・・・。」

なんていう言葉が書き連ねてありました。
これは芥川賞だったかなにかの賞の審査員に宛てた手紙です。どうも彼が生きていた頃には物事を前向きに考えるという言葉や思考がなかったようだというのがわかります。

「物事を前向きに考えなくてはいけない。」

を英語で表現すると、

Look at the bright side.(明るい面を見てみて、探してみて)

といった具合になります。より直接的に表現するなら、

Think positively. (ポジティブに考えてみよう。)

です。
これが、日本語に置き換わった時に、

You have to tihink positively.(物事を前向きに考えなくてはいけない。)

に変わってしまったのです。

Look at the bright side.
Think positively.

という表現がすでに、日本語の感覚からすると1.5割増しに誇張されたと考えてちょうどよいのです。おそらく英語ネイティブからすると、ちょっとだけでも良い面を探してみよう、どうす ればいいかヒントを見つけようというぐらいのニュアンスな訳ですね。have to は

『遅刻をしてはいけない。』
『約束は守らなくてはいけない』
『人を殺してはいけない』

といった強いルールや規則を表現するフレーズなのだというと、言いたいことは伝わるでしょうか。

このように変化してしまうのは、我々が日本語を使っているからだと思うわけです。
平たくいうと、日本語で考えていると、あらゆる事が「ねばならない。」というルールに変化しまうという事です。日本語の表現はあいまいでわかりにくいと外国人によく指摘されていますけど、日本語が数多くのルールや前提があるから成立する言語なのではないかと思うのです。そして、それらのルールを理解していなければ何を言っているのかわからなくなってしまうという事でもあります。

このことは、体と健康についても同様です。
日本人は皆、

「死んではいけない。」

という思考、思想に偏ってしまっているように思います。
いつか必ず死はやってくるのですから、死んではいけないというはとんでもない矛盾なのです。これもなるべく長生きしたいよねぐらいのニュアンスだったのが、日本語の特性のせいでいつの間にか変化してきたのではないでしょうか。その結果、寝たきりになったり、認知症になったりしている訳ですけど、そんな生き方を本当に望んでいるのかをよく考え直してみた方がよいと思うのです。

さて、物事をポジティブに考える方法です。
これはとても簡単で、英語で考えばよいだけです。日本語で考えると、それは必ずねばならないに繋がってしまって、自分を縛りつける鎖を増やしてしまう事になります。

ただ、英語は習得に時間がかかりますから、はじめの一歩としては、前向きに考えるではなくて、太宰治のように、

「どうすれば自分は元気になるのか?」

と、考えるのがいいのじゃないかと思います。

外来的な思考や思想が混じっていない日本語で考えてみるのは今の我々には不可能だと思えます。
いずれ翻訳機も普及するだろうと思いますが、細かなニュアンスを理解するのはまだまだ何十年とかかかるでしょう。それよりは英語のコミュニケーションを身につけて、掘り下げてちゃんと考えた方がよいなと今は思います。
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