ブログ「日々整体」

不確実な未来を生き抜くための視点: インフラ、経済、教育の未来予想

私はたいていの会話に対応できる程度の広い知識を持っていると自負しています。

ただ知識が広いだけで、全体的に深みがあるわけではありません。しかし、ジャンルを問わず、たいていのことは自身で経験したり、本や映像で学んでいます。最近だと、投資家目線では社会がどのように見えるのかや、事故や災害のその経緯と被害について調べていたりします。おおよそ整体師として仕事をしていれば関わらないことも興味を持って知っていたりするのではないかと思います。それで、整体を受けに来られた人から様々な質問を受けるのですが、その半数は体と健康には全く関連がないと思われる分野のものだという印象があります。


それで、最近、多いのは子育てについての相談だったりします。


「子育てとは、子供を丈夫に育てることです。だから、過保護にはしない方が良いですよ。」


なんていう説明は以前からよくしていました。

しかし、進路だったり、子供の成長に合わせてどう接してゆけばよいかわからないというものが増えているという気がします。


これが私の頃の時代であれば、おそらく30歳までぷらぷらしていて、そこから何かをはじめてもなんとかなったのでしょう。だから、基本はほおっておくのでよかったように思います。実際、私も整体に関わる分野の仕事をはじめたのは30歳になってからで、それまでは普通にサラリーマンをやっていましたからね。


ところが、今、10代の子供の親の立場にすれば、悠長に構えていてはいけないと感じるのではないでしょうか。

陳腐な表現になるのですけど、社会が大きく変わるタイミングにきていると思えます。しかし、その一方で、これから社会がどのように変化していくかを正確に予測するのは困難だといえるでしょう。だから、どうしたらよいのだろうかとあれこれと悩むのでしょう。


私の予測では、それなりの大学をでても安定した就職先があるとは思えません。

運良く就職できたとしても、長期にわたり同じ会社に在籍し続けるのは難しいと思います。10年以上、同じ会社に勤務というのがなくなるような可能性も高い思います。あるとしても大手商社ぐらいではないでしょうか、しかし、そんな会社に勤めて社内の出世抗争にあけくれるような仕事をしたいという人はかなり少数だと思います。


こうなると多くの人は公務員がいいとか言い出すでしょう。

しかし、現在世間で注目されているAIが普及すると、最も不要とされる職種は政治家や公務員になるのではないでしょうか。例えば、私は一昨年に二輪の免許を取得しましたが、免許の発行にはありえないぐらいの非効率的な仕事をしているということを強く感じました。


余談ですが、最近のニュースでマイナンバーの登録作業が役人の手作業、つまり人海戦術で行われていたという報道がありました。今をときめくデジタル庁でこの様子で間抜けな話だみたいに言われていましたが、彼らは自分たちの立場と仕事を守るために個人情報の手入力していたのだと捉えるとちょっと違うニュースに聞こえるのではないでしょうか。こういう具合に、多くの人たちは、これからやってくる流れに徹底的に逆らうだろうと思いますが、行き着く先はその大半は社会から不必要な存在として扱われてしまう可能性が高いと私には思えます。早ければ10年後にはもうそんな社会が訪れているかもしれません。


そうなるとブルーカラー、いわゆる肉体労働が重視されるようになるかもしれません。

その中で、もっと大切なのはおそらく農業になってくるのではないかと思います。しかし、日本の政策は農業を重視しない傾向が強いため、その未来については予測がつきません。確か、種苗法という法律が施行され、農家が販売する作物の種を自家生産することが難しくなるはずです。これは下手をすると、農業が成立しなくなる可能性が高いように思えます。目端の利く農家は農業で自給自足しつつ他の方法で現金を稼ぐという方法をとることになるかもしれません。


こうなった時にもっとも恐ろしいのは食べ物のインフレが起こるかもしれません。

私が以前情報を集めたところ、ロシアではほぼ全ての家庭が自給自足の生活を送れると言われていました。日本でも同様の事態になるかもしれません。だから、ロシアは世界をに回してもウクライナに侵攻できたのでしょう。この状況をそのまま日本におきかえると、都会に住んでいると飢えるかもしれません。戦争中と同じ状況を想像するとよいでしょうか。


また、確かなことは、ほぼすべての水道管が十数年以内に使用不能になるということです。

上水道は使用できない地域が増える可能性が高いです。大阪や京都は特にそうで、実際、100年物の水道管の交換工事に必要な予算が捻出できず、困っている状況です。そこから考えると設置したタンクに水を溜めてそれを生活水として利用している地域があるのですが、都会よりそういう山手の地域の方が住み心地がよいかもしれません。


余談ですが、このような世の中の変化に対応できない人が生活を維持するために必要だと考えられるのがベーシックインカムです。世の中の変化についていけない人はお金あげてご飯だけ保証するからあとは何もしなくていいですよという代物です。すると、もしかしたら学校にいかないでぷらぷらしている人間が勝ち組になる可能性だってでてきます。


また、現在、所得の約50%が税金、健康保険、そして年金として徴収されていますが、この比率が60%に上るのもそれほど遠い未来の話ではないかもしれません。そうなると中流家庭と思っていた人でも生活が成立しない人たちがでてくるかもしれません。大学の学費を払った結果、生活が破綻するという事態になるため、進学をあきらめる人が増えるでしょう。既に、奨学金が返済できずに破産してしまう人が増えているというデータが出てきているようです。


私が把握しているこれらの悲観的な情報をざっくりとまとめてみましたが、これらを考慮に入れて、現在の中学生や高校生、つまり10代の若者たちに対してどのような人生のアドバイスをすべきか、考えてみてください。


私が息子に伝えているのは、


「アメリカでも、オーストラリアでも、ニュージーランドでも、フランスでも、イギリスでも、インドでも、マレーシアでも、世界中何処へ行っても生活できるような人間になりなさい。」


ということだけだったりします。世の中がどう変わるかなんて全く予測がつかないというのが私の判断だからです。


また、私だけの意見かもしれませんが、現状で"手に職をつける"といった発想には違和感を感じています。

何しろ、AIがうまく活用されるようになれば技術や知識の進歩が桁外れに早まる可能性があります。具体的に言えば、チェスの世界チャンピオンに勝利したAIを打ち負かした新型のAIがあるのですが、その新型AIは稼働を始めてからわずか15分後に既存のAIを打ち負かしたとのことです。


そんなわけで、整体師として提供できるアドバイスは、体を常に活力に満ちた元気な状態に保つこと、これが唯一となりつつあるという印象があります。


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美しい姿勢とは?自然で無理のない姿勢の魅力と保ち方について

「猫背だから体の調子が悪いのです。」

とても多くの人が自分の体の不調を猫背のせいにしてしまいます。
しかし、不思議な事に猫背について理解を深めてみようと考える人はほぼいないようです。様々な表現や言い訳はありますが、理由は2つあって、

「猫背になるのは自分の注意や努力が足りないからだ。」
「パソコンやスマホの画面を見過ぎるので猫背になるのだ。」

という事に集約されるでしょう。
そういえば、最近、YouTubeで動画を眺めていたら、

「猫背になるのは足の置き方が悪いのだ。」

なんていう動画があって100万再生ぐらいされていたように思いますが、これだってちょっと言い換えてみれば自身の努力不足にいきあたります。

確かに、この理屈に一理はあります。
日々、姿勢を正して生活をしてゆけばいずれ猫背は解消して健全になれる可能性はゼロではありません。しかし、それを実際に実践できる人というのはいったいどれぐらいいるでしょうか?

私の感覚で答えるのであれば、プロ野球選手を目指すあるいはプロサッカー選手を目指す少年が本当にプロになれる割合と同じぐらいです。インターネットで調べてみたところ、2020年に調査されたデータによると大学生の時点でプロになる事を志望して、実際にプロ野球選手になれるのは0.16%、プロサッカー選手だと確率があがって1.3%程度のようです。そして、その中で10年活躍できるとなればそのうちの4%程度のようです。

つまり、姿勢を正す事を意識して背筋が伸びるようになる人は全体の0.1~1%程度でしかないだろうというのが私の考えです。もちろん、背筋を伸ばす事に関連した研究はありませんから、私の推測でしかありません。しかし、想像するなり実際に試してみてください、1日背筋をピンと伸ばして生活するというのを延々と続けるという事を。ほとんどの人は15分もすれば仕事や用事に集中してしまって姿勢の事などすぐさま意識からなくなってしまう事でしょう。姿勢を正すというのは現実にはかなり難しいということをわかっていただけるはずです。

ですから、姿勢についてはまず根本部分についての考え方を改めることをおすすめします。
具体的に表現すると、

「人は無意識に最も楽な姿勢をする。」

という事です。
つまり、猫背になるのは猫背がもっとも楽だから猫背になるのです。違う表現をするのであれば、よい姿勢を保ちたければ背筋が伸びた姿勢がもっとも楽に過ごせる体になればよいという事です。よい姿勢というのは努力して保つようなものではないのです。

筋力を使って無理矢理体を起こしている様子を見て、それをきれいな姿勢だと感じることはありません。綺麗な姿勢というのは体に無理がない、無用な力がはいっていない状態を意味します。

ことわざを例にあげてみましょう。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。」

というものがあります。
美しい女性を表現した言葉ですが、この言葉の響きからよい姿勢をとういのを想像するとよいのではないでしょうか。

芍薬はすらりと伸びた茎の先に花を咲かせ、牡丹は別れた横向きの枝に花を咲かせ、百合はしなやかな茎の先に花を咲かせます。それがそれぞれ、立つ、座る、歩く様子を表しているのですが、これらの花が無理をしてその姿勢を保っている訳ではなく、自然な姿だから我々は美しいと感じるのです。努力して無理をしている様子をみて綺麗だとは感じないのです。

綺麗な姿勢というのは、そういう自然な様子なのだという事をまず理解する事が大切です。そして、努力して保つようなものでもないという事も合わせて知っておくとよいでしょう。

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整体における医学的な根拠

私は、医学的根拠がないと指摘される事がありますが、そんなのは当たり前の事です。なぜなら、私は医学者でも医師でもなく整体師だからです。

整体と医学の最も違う点は、

「整体では情動や感情をもっとも重視して、医学は検査結果をもっとも重視する。」

という事でしょうか。
他だと、

「整体では整体師の主観を最も重視して、医学は客観を重視する。」

と、言い換える事もできます。

医学に対して整体師としての主観的な意見を言わせて頂くと、

「医学的な根拠というのは、医学者と医師にとって都合のよい解釈。」
「ちょっとわかった事が増えてきたぐらいで自分が神様になったと勘違いしている連中。」

と言い換える事もできます。
まぁ、ここまでは言い過ぎだとしても、近年の医学者たちは、ホモサピエンスをホモサピエンス以外のものに進化させる事が近いうちにできるようになると主張しています。イカロスやバベルなど神様に近づく事ができたと考えた人たちにどういう事が起こったかを考えれば、また同じような事が起こるのじゃないかと、私などは思ってしまいます。

医学と医学者がこうなってしまうのは、私が整体師としてもっとも重視している情動を完全に無視しているからではないでしょうか。
情動を理解するには牛、豚、鶏などの家畜の生き方を考えてみるとわかりやすいでしょう。牛は牛乳を大量に採取するために乳が大きく改良されている品種が誕生している訳ですが、その大きな乳房のせいでまともに歩けなくなっていたりします。乳首に搾乳機をつなげられてずっと搾乳をされ続けている訳ですけど、牛はこのような生き方に幸せを感じているでしょうか?

豚や鶏も同様です。
豚も鶏も大量に肉がとれるような品種に改良されています。そして、狭いオリの中に閉じ込められてただただ太るためだけに餌を食べて活かされています。それで、ある程度の重さになったら殺されて肉として出荷される訳です。このような豚や鶏の一生は幸せだといえるでしょうか。

牛、豚、鶏には幸福を感じる能力がないと考える人もいるかもしれません。
しかし、家畜となるような哺乳類は人間と同じような喜怒哀楽があるというのは他の学問によって明らかになっています。もちろん我々は人間だから、牛、豚、鶏に世界がどのように見えて、どのように感じられるかというのは決して理解できるものではありません。しかし、間違いなくそのような感情を持っていると考えられています。

海外ではエビやカニの捌き方が法律で決められているというニュースを見たことがあります。
割と大きな話題になっていたので見たことのある人もいるのじゃないでしょうか。エビやカニだって、苦しみを感じる能力をちゃんともっているので、食べる時には苦しませないように締めなければいけないという訳です。日本では、活け作りなんていう刺身の食べ方もありますが、こういう知識をもっている人にいわせれば、

「日本人はなんという残酷な魚の食べ方をするのだ。」

となるのでしょう。

それで、1匹の鶏からとれる肉の量を3~4倍に大きくした品種を開発した人がいます。
その研究者は、

「動物の尊厳を無視しているのではないか?」

と指摘された時に、

「そのおかげであらゆる人が鶏肉を安価で食べることができるようになった。だから私は社会に大きく貢献した。」

と自身の開発を誇ったとかなんとか。

さて、家畜だからこんな妙な話になるのだと思うかも知れませんが、最近は、

「人生100年の時代。」

なんて言われている訳です。
おそらくこれは平均寿命が100歳になるという事であろうと思われます。

令和元年の寿命に関するデータをみると、

平均寿命 男性 81.41歳
       女性 87.45歳
健康寿命 男性 72.68歳
       女性 75.38歳

というものでした。
人生の長さの10%が何かしらの疾患を抱えており、その大半は介護を必要としている状態なのではないでしょうか。

さて、この平均寿命が100歳になった時に健康寿命がどのような数字になっているかについては何ら説明がないのが現状です。都合の悪い事について何も言わないのは客観的な意見を述べる人たちの典型的な傾向だと私は感じています。

そのあたりに配慮をしてか、

「老いは病気だから100歳まで老いる事がないようにできる。」

なんていう事を主張している医学者も存在しています。
もし、仮にこれが実現した時に、我々の情動にはどのような影響を与えているでしょうか?もしかしたら、100歳という健康寿命を達成するために、檻の中だったり、タンクのようなベッドに押し込められて一切の活動を禁止されているかもしれません。さすがにそれだとまずいと思う人が多いでしょうから、脳に直接情報を送ってずっと幸福に暮らしている夢をみさせられているかもしれません。

イメージできないのでしたら、マトリックスという映画のネオを思い出してみるとよいでしょう。
コンピュータ技術者としてそれなりに幸福な人生を送っていましたが、それが夢だと気がつくというのがマトリックスという映画のはじまりです。

そのような状態で生き続ける事が幸せだとは思わないのが、情動を最も重要だと考える整体師としての私の立場と考え方です。

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整体師としての葛藤

父親が死亡して遺産の整理をしていて思った事は、

「もしかして自分には税理士としての才能があるのかもしれない?」

という事だったりします。
金銭の勘定は多くの人が面倒くさいと感じるようなのですが私にはそれが興味深いと感じるのです。どういう具合に税金が掛かっているのかを確認していくと、

「うまく考えてとりはぐれがないように。」

としっかり考えてあるなと感じてしまいます。

この感覚はサラリーマンにはわからないかもしれません。
私のような自営業者とサラリーマンの大きな違いは税金の収め方です。サラリーマンは税金をひかれたあとに口座にお金が振り込まれるのに対して、自営業者は一回手元にお金が入ってきてから税金を支払う訳です。

この違いは、おこづかいに税金がかかると考えるとわかりやすいかもしれません。

「あなたは毎月3万円のおこづかいがあるとします。しかし、そのうちの10%は年度末に税金として収めなくてはいけません。」

あなたのおこずかいの制度がこのようなシステムだったら年度末に税金分のお金をちゃんと残しておける人が果たしてどれぐらいいるでしょうか?おそらく全体の10%程度になるのじゃないでしょうか。ついでにいうと、このしくみのえげつなさが理解できたら、消費税がいかに厳しい税なのかということも合わせて理解できるかもしれません。確実に年度末に3万6千円ちゃんと用意ができているように段取りをしていても人生には何が起こるかわかりません。友人が立て続けに2人結婚してその祝儀、さらに身内が一人亡くなって香典が、と出費がつづくだけで脱税しないまでも追徴課税を請求される可能性があるのです。たったそれだけの出費で破綻することだってあるかもしれません。

話がそれたので戻します。

それで、こういう税に絡んだ事を調べていくと、

「案外、整体師より税理士に向いているかもしれない。」

と感じてしまう事がたまにあるのです。
税理士の資格をとるための試験なんていうと、無味乾燥な勉強をつづけなくてはいけないと考えていましたが、案外、面白がって勉強したかもしれないなんて思ってしまいます。好きな事を仕事にすると、あらゆることがうまくいくなんていう人生論を聞くことがありますので、もしかしたらそれで幸福な人生をおくれた可能性もありますね。

それに対して整体師はどうかというと、興味がない訳ではありませんがちょっと違う方向を向いているような気がします。私は何かに興味をもったときのその興味にたいしての打ち込み方というのは尋常ではありません。ずーっとそのことばかり考えて、本、雑誌、インターネットなどなどあらゆる情報チャンネルからその事の情報を取得しようとします。

ただ、人間の体についてはそういう事はありませんでした。
いっときは毎日本を数冊読んでいたような時期もありましたが、淡々、粛々と勉強をして情報を集めてという態度で健康という事に接するようになってきました。

「もっと熱心に取り組めばもっと上を目指せたのではないか?」

と、思うこともあったのですが、どうも違うような気がしています。
なぜかというと、現状の社会で熱心に健康と人間の体について勉強をしてしまうと、多分、おかしな事になってしまうと思うのです。それゆえに深い興味をもてなかったのではないかと。

例えば、人生が100年になるとかいうのがそうでしょう。他だと、人間は2050年までに人間は不死になれるというような思想です。

これはもう結論だけを述べてしまいますが、前者については、

「100歳まで生きるとして最後の10年寝たきりで100年生きたと喜べるのですか?」

という質問の答えを考えるとわかりやすいでしょう。
寿命が延びたとしてそれに応じて健康寿命が伸びるとは、私には決して思えません。もし、ピンとこないようであれば、お医者さんにいって、健康について相談したらすぐにわかるのじゃないでしょうか?たいていの問題は、

「歳のせい。」

で片付けられるはずです。
後者は、もっと簡単で不死になったらそれはもうホモサピエンス、つまり人間ではありません。ジョジョの奇妙な冒険の悪役で不死になったディオ・ブランドーの有名なセリフに、

「俺は人間を辞めるぞー!」

というものがあります。
ジョジョを見た事がない人でも、セリフぐらいは聞いた事があるかもしれません。私は人間を辞めてまで生に執着しないほうが幸せだと思います。

簡単に説明しておくと、多細胞生物である哺乳類はオスとメスという性を獲得すると、寿命を制限する必要が生じました。なぜかというと、近親で子供ができてしまうと遺伝子に異常が生じて奇形の子供の生まれる可能性が高まってしまうからです。例えば、中世のハクスブルグ家は、近親婚を繰り返すことでヨーロッパの支配を確立した訳ですけど、その結果、生まれてくる子供が健全であることはほとんどなかったそうです。

我々、哺乳類は性をもつことで環境の変化に対応する能力を飛躍的に高めたのです。
その代償として寿命も持つことになりました。なお、私は厳密にいうと代償ではないと思うのですけど長くなるのでここでの説明は省きます。人間という生物が繁栄するために、我々は適度な期間生きて、次の世代が誕生したら死ぬ必要があります。近親交配が起こらないようにする必要があるのです。この事は生物学をかじってみると割と初歩のところででてくる話なんですが、医学はこういう事を無視して進歩しようとするから困った事になるだろうと思いますね。

ちなみに、ちょっと長生きしたぐらいでそんなにかわらないだろうと思うかもしれませんが、野性の生き物では強いオスが3世代ぐらい生きていると周囲のメスがすべて近親になるとかいうモデルケースを見たことがあります。人間の場合、寿命がなくなったときにどのように価値観が変化するかわかりませんから、どういう事になるか想像がつきません。だから、不死という概念はもうちょっと慎重にすすめないといけないのです。

現在はこのことに加えて遺伝子で能力が決まるという考え方になってきていますから、寿命がなくなった時には優秀な男性と女性の子供しか望まれないなんて事になっても全く不思議はありません。知能や運動能力の高い人間の子供以外は必要とされない社会など、やはりどのような事になるのか想像もつきません。

また、こんな事になってしまうのは、人権を大切にしようという考えが根元にあるからです。
死は、人権侵害なので死んではいけないとかいう事が国連の憲章だかに書いてあるそうです。もっと、シンプルにいうなら個人を大切にするという発想が根本にあると、人権を守るためには人間は死んではいけないという結論になるのです。しかし、種の繁栄のために死ななくてはいけないというのは、性をもつ哺乳類であるため必要な事です。ところが、種の繁栄と個人のどちらを大切にするのかというと、現在は後者の個人がもっとも大切で価値があると考えられているのです。

ピンとこない場合は、映画やYouTubeなどの映像を例にするとわかりやすいでしょう。
「100日後に死ぬワニ」というマンガが映画化された時に、「100日間生きたワニ」とタイトルを変えられたのは多くの人がご存じでしょう。そして、YouTubeでは、死という単語を使った動画は削除されてしまいます。人権を重視した結果、死を許さないという考え方が拡がっているという事です。

それで、

「こんな事を考えている私は、整体師に向いていないのではないだろうか?」

なんて思ってしまう訳です。
限りある期間、幸福に生きるために健康になるという考えはほとんどの人には受け入れられないでしょう。整体師だからこそ、このように考える訳ですが・・・。

ところが、医学と健康について真剣に興味をもってしまうと、

「人は死んではいけない、人権がもっとも崇高で大切なものだ。」

と、考えるようになってしまうだろうなぁと、こうなると医者になるしか選択肢がなくなってしまうような気がします。でも、そんなのは絶対に嫌な訳です。

仕事を繁盛させようと思えばやることは簡単です。

「人は死をも乗り越えることができる!」

という論説に乗っかればよいのですが、この考えには嫌悪を感じてしまいます。

こんな事を考えていたら、税理士になっておけば、役人が考えるルールブックの中で数字をこねくり回しているだけでご機嫌でいられたのだろうなぁと、そんな事を思うのでした。
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整体師、筋トレをはじめる

最近、筋トレをはじめました。
仕事で疲れきってしまうので、読書ができないのと英語の勉強をしていて集中力が続かないのです。そこで、ある程度の持久力をつけようと思ったのですが、厳密にいうなら、衰えたスタミナと持久力をちょっと元にもどそうという事でしょうか。

ただ、以前から説明はしていますが、筋肉の量を増やすための筋トレはを弱めてしまうだけです。
筋肉の量が増えれば見栄えはよくなったように感じるかもしれませんが、マシンを使って増やした筋肉に実用性はありません。筋肉の量を増やす事だけが目的でトレーニングでは、結果として病気や怪我のリスクが増えるだけですから、それなりに考えて取り組まなくてはいけない訳です。

ちなみに、マシンをつかっている人たちの様子を見ていてもそのことを再確認したりします。
筋肉に負荷をかけているのですけど、その時に顔があさっての方向を向いていたり、目をつむっていたり、体をネジっていたりします。

これらの何がダメかという事を、野球を例に説明してみます。
野球でボールを打つには、ボールを見ながら体を動かさないといけませんし、体が安定した状態でバットを振るなければいけません。ところが、そのような姿勢での筋肉の量を増やしてもバットをボールにあてることはできません。もうちょっと簡単にいうなら、あさっての方向に顔を向けて発揮される、つまりボールをみないで使われる筋力を身につけても野球をする上ではまったく役には立たないという事です。

まぁ、筋トレをしている人はたいてい筋肉美を身につけたいと考えている訳で、スポーツなどでのパフォーマンスを上げようとか考えていないからそれで問題はないのですけどね。なかやまきんにくんが何を考えて筋トレしているか、ダルビッシュがどのように考えて体作りをしているかを比べて考えてみるとわかりやすいかもしれません。

私の筋トレの目的は、読書と勉強をするための体作りです。
デスクワークのために運動量を増やそうなんていうのは、ほとんどの人には理解してもらえないかもしれません。さらに、目的が他の人たちとはちょっと違うので、私がやろうとしている事は筋トレとはいえないかもしれませんね。

私が筋トレをしようと考えるのは私が5種体癖の要素を多めにもっているからだと思います。
5種体癖は運動を好む傾向があり体を動かす事で、モチベーションがあがる傾向があります。この5種傾向は大なり小なりたいていの人が持っているので、運動をするがあらゆる面で生活の向上に繋がる傾向があります。休みの日に山登りしたりする人は5種傾向が強めだと考えるとわかりやすい事でしょうか。山に登って疲れる事で生活が向上する訳ですね。

最近、集中力を高める方法なんていう本を2冊読んだのですけど、どちらも運動することをすすめていました。

「整体の知恵にやっと科学が追いついてきたかもしれない。」

なんて具合に、ちょっとほくそ笑んでいたりします、

こういう考えをふまえてトレーニングをしようと考えるとポイントになるのは大きな負荷をかけないという事になります。筋肉美を身につけたいと思っている人とは根本的にやり方がちがってくるはずです。

これは私のイメージで実際にそうなっているかはまた別問題です。

とにかく筋肉の量を増やしたいという方は、筋肉の組織をひたすら破壊する事を目的に筋トレしているはずです。破壊した筋肉が修復される時に以前より筋肉の量が増えるのですから理にかなったやり方だろうと思います。しかし、この鍛え方だとおそらくかなりの筋肉痛がでるでしょうし、かなりの休息が必要になるのではないでしょうか。眠っているときに、筋肉の組織が修復される訳ですから、はげしく筋トレする人ほど睡眠時間が長くなる傾向がでてくるのではないかと思います。ついでにいうと、この修復の時にタンパク質を多めに接種して回復を早めようなんてことをやっているのだろうと思います。

それに対して私の目的は、読書だったり勉強ですから、それでは困る訳です。
体を動かした後は、覚醒して意欲や向上心の塊になっていなくてはいけません。そう考えると、筋肉の組織を破壊するのは都合が悪い訳です。また、集中力が持続するようになって欲しい訳ですから、心肺機能を高めなくてはいけません。ですから、胸回りの骨の動き、主に肋骨付近の動きがよくなるようにという事を意識して体を動かさなくてはいけません。体を動かした後は、いい汗をかいたという爽快感を感じるぐらいの運動量がよいのではないかと思います。まとめてみると、やはり私がやろうとしているのは筋トレではありませんね。

たまに、

「ものごとを最後までやりきれない。」

という相談を受ける事があるのです。
そういう方には、今回まとめた考え方が参考になるのではないかと思います。意欲がでない、途中で辞めてしまうそういう時には、体を動かしてみるのです。

「適度に汗をかいて、爽快感とともに運動を終わる。」

ぐらい負荷で体を動かす訳です。できれば、日常的に動かしておくといいでしょうけどね。

運動するということの意味もちょっと掘りさげて考えてみるとちょっと違ったアプローチができるかと思います。ウォーキングなんかが世間で薦められているのはこういう事が理由だと思うとわかりやすいのではないかと思います。キモは、ウォーキングが体にいいのではなくて、適度に汗をかくのがいいのですから、トキメキを感じるものを探して取り組んでみてるとよいかと思います。
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