ブログ「日々整体」

未来予測と横着思考の話

「崖を渡ろうとするとき、頑丈な橋を渡るのがいいと思っている人が多いけど、ロープ一本張ってあればそれで渡れるようになるのが安定ってものじゃないのか。」

大学を卒業するときにそんな事を考えていました。
私はどんなに状況が悪くても飄々とそれを楽しめるような人間の方がかっこいいだろうと思っていたのです。今の社会情勢は、そういう現実が目の前にやってきていると感じます。

最近の世間を眺めるに、

「まさに自分が求めていた世の中がやってきた!」

と思うのですけど、心が穏やかでいられないというのが本心です。
思っている事が実際に起こるのはやはり恐怖がついてまわります。その恐怖に対しててちゃんと向き合って自分を保っていられるといいのでしょうけど、自分にはそんな甲斐性はなかったのだと思い知らされています。

未来予測をしています。
大まかにこんな具合になるだろうという幅のある予測になりますけど、どう考えても日本という国の未来は絶望しか待っていない気がします。はっきりいってよくなる要素が皆無で、どうしようもなくなったら山に籠もって狩猟生活をしようと考えています。もちろん畑を耕しつつ自給自足の生活です。実は昨年、それが可能な物件、山だったり家を探していました。

最近になって聞いたのですが、木材の値段の上がり方がかなりやばいそうです。
建材金具も大半はロシアが材料を産出しているそうで木材ほどではないですがかなり値上がりしているみたいです。これからしばらく、下手をすると数十年単位で家を建てる事が無理になるかもしれません。当然、修繕にだって建築材料は使われますから、中古の家を買ってもその修繕がちゃんとできるか怪しくなってきました。息子はこれを聞いて、山を買って林業をはじめたら儲かるのじゃないかとか言っていました。でも、私にはそんなバイタリティはなく、

「こりゃ海外に逃げる方がかしこいかもしれない。」

なんて考えてはじめてしまいます。
ところが、円安がどんどん進行している上に、日本の経済状態が上向く要素がまったくないという訳で、海外移住だってハードルがかなりあがりそうです。

で、そんな事を考えながら報道をみると、

「敵中枢への攻撃能力を!」
「奨学金の返済は出世払い。」

なんていう本当の問題点はそこではない、逸れたところの話ばかりが議論されているようです。とりあえず突っ込みをいれておくと、

「敵中枢ってどこの国のどの都市?中国との関係を悪化させてロシアみたいに戦争を起こすつもりですか?」
「年300万の収入がなければ返済不要って、所得を増やさない方が得する制度なんですね。」

というところでしょうか。
経済力のない状態での軍備などただの足かせにしかならないし、経済成長がない前提での政策をやるのであればもうちょっと頭をひねってそれなりの制度を考えろよと思うのです。

それで、こういうのを見ていると人間って本質的な部分を掘り下げて考える事が本当に苦手というか嫌なんだろうなぁと思うのです。

体の問題でも全く同じ事がいえますからわかってはいましたけどね。
最近された質問を紹介すると、

「普段どういう体操をしていればいいですか?」

なんて具合です。
ちゃんとした答えをするとしてみましょう。

まずは体操についてです。
体操というのは実はかなり難しいもので一朝一夕で身につくようなものではありません。イチローにバッティングを教わったらイチローと同じようにメジャーでヒットを打てるようになるのか?と考えればわかると思うのです。体を健全にするために必要な運動というのはラジオ体操のように機械的に行うものでは不可能です。今、体操が体にいいって言われているのは、

「100人の年寄りに毎朝ラジオ体操をやらせたら半分の人の寿命が10年伸びました。だからラジオ体操は体にいいからやるべきです。」

というようなものです。
あなた自身が寿命が延びた50人に入る事ができるのですか?伸びた人、伸びなかった人、そして当然ですけどかえって寿命が縮んだ人だっているのです。考えなしでラジオ体操を毎朝やってみてあなたがどこに属する事になるかはやってみなくちゃわからん訳ですが、そういうのっていい加減な事だと、ちょっと考えればわかると思うのですけどね。

もうちょっと砕いた言い方をすると、

「毎日8時間、野球の練習をすればプロ野球選手になれますか?」

と聞かれたどう答えるでしょうか。
私だったらあなたはアホですかと答えます、相手が子供だったらもうちょっとやんわり教えるでしょうが。多くの人は努力すればきっとプロ野球選手になれるなんて答えるのかもしれません。でも、それって肝心なところをすっとばして、いい加減な発言になっている事がわかるでしょうか。野球について詳しくしらなければまだ違うかもしれませんが、もし野球について詳しい、そしてプロ野球に入るためにはどの程度の実力が必要か知っていたとしたら?この質問に対してどう答えるのが誠実だと思いますか?

これを私に置き換えて、

「普段、どういう体操をしていればいいですか?」

と質問されたらどう答えればいいか考えてみてください。
腰痛なんて毎日5分の運動で事足りるようなくだらない問題だなんて思っているようであればそれはただの横着なんです。

何故か体の話になるとほとんどの人が騙されます。
何回も述べていますが、これをお金とか恋愛に置き換えて考えてみてください。

「どうすればお金持ちになれますか?」
「どうすれば気になる異性に好かれますか?」

これらが努力すれば必ず達成できるような性質のものではないという事はわかると思うのです。健康だって全く同じ事なのです。
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幸福な人生(四面楚歌 無料記事)

幸福な人生について考えてみた事はあるでしょうか?

どういう人生であれば幸福といえるでしょうか?そこでまず、二人の事例を並べてみたいと思います。


高校生の時に両親が亡くなり、親戚などの身よりがなく、残ったのは多額の借金だけだったなんていう人がいます。高校は返済のために中退、付き合っていた彼女は交通事故で下半身不随になってしまうなんていうおまけまでついてきました。現在は30歳を越えているはずですけど今はどうしているかは知りません。彼の話を聞いて、私はこの若者は不幸だと思いました。でも、この若者が成長して老い、最後は家族に囲まれて亡くなったなんて事になれば、この人物の人生が幸福といえるかもしれません。


次に、中内功という人はご存じでしょうか?

ダイエーの創業者です。今だとダイエーを知らない人もいるかもしれませんが、かつてはプロ野球団のオーナーになっていました。全国に大型店舗を何件と展開している、いまでいうイオンの立ち位置でしたね。バブル崩壊で逆風が吹き始め、その後に訪れた震災の影響で経営が一気に悪化、経営から退任してしました。田園調布と芦屋に家を所有していたそうですけど、それらは差し押さえられており、亡くなられたのは83歳、その時には六畳一間で一人暮らしだったとか聞いた事があります。この中内功という人の人生は幸福だったでしょうか?


若者と中内氏が、人生のその時、その時に感じていた幸福の総量を比べたらおそらく中内氏の方がその人生において味わった幸福は多いのではないかと思えます。それで、


「感じた幸福の量が多かったと思われる中内氏は幸福な人生だったといえるか?」


というとちょっと違う気がします。晩年が侘しいと、人生が虚飾にまみれていたという印象がでてきてしまいます。


一方、若者は体が不自由になった彼女と結婚したそうです。


続きは四面楚歌に掲載しています。会員登録で無料で記事を読むことができます。

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神経が緊張するとはどういうことか?

鬼滅の刃というマンガとアニメを知らない人はいないでしょう。 
これを書いているのは2022年3月で、秋葉や日本橋だけでなく、スーパーのレジ横から喫茶、飲食店までありとあらゆるお店で鬼滅ノ刃のコラボ商品を見かけます。 

その主人公の竈炭治郎(かまどたんじろう)という少年は嗅覚がとてもすぐれています。
友人が二人いて、一人は我妻善一(あがつまぜんいつ)、善一は聴覚がとても優れています。もう一人が嘴平伊之助(はしびらいのすけ)というのですが、イノシシのマスクをかぶって上半身が裸の人だというと、鬼滅の刃を知らない人でも見たことはあるのではないでしょうか。 

伊之助なのですが、炭治やと善一と同様に優れた五感の能力をもっています。 
それでその事を何人かの人に話したのですけど、どうもわかっていなかったようなのでちょいと説明してみようと思います。人によっては、伊之助の能力について理解をする事で健康に対する捉え方が変わる人もいるかもしれません。 

伊之助は、五感の中では触覚が非常に優れています。
ですから、その能力を活かして姿を隠した鬼を探し出す活躍をしています。その能力を最大に発揮するのが『獣の呼吸 漆ノ型 空間識覚』ですね。五感を四方八方に伸ばして全ての方向の索敵を行う技です。マンガ原作らしい、荒唐無稽な技だと思うかもしれませんが、これは我々にも実際に備わっている、 

「気配を感じる。」 

という能力で伊之助はこの気配を感じる能力が常人より優れている訳です。 

気配というのは何を感じているかというと空気の流れを感じています。 
空気の流れは肌で感じます。伊之助はその空気の流れをはっきりと感じるためにずっと裸でいるのです。イノシシのマスクをかぶっているのは視覚、聴覚、嗅覚を制限することで触覚に意識を集中するためのものでしょう。伊之助は目で鬼の動きを追うのではなく肌の感覚で鬼を捉えているという訳ですね。アニメの中で数回、伊之助が服を着るのを嫌がるシーンがありますが、それは伊之助にとっては周囲の状況把握ができなくなる、つまり私たちにとっては目隠しされるようなものだからです。 

劇場版を見たことのある人は思い出してみてください。 
十二鬼月、下弦の一の魘夢(えんむ)という鬼は、炭治郎には視線を合わせる事で何度も炭治郎を夢の世界に誘い込んでいました。それなのに伊之助にはその攻撃は一切効果がありませんでした。野性のカンで視線を反らしているなんていっていましたが、数百もある目の総てと目をそらすのは現実的ではないので、伊之助は目を閉じていたのではないかと私は思っています。 

ちなみに、目以外の感覚で行動する動物だと蛇なんかが有名ですかね。 
蛇は視力が弱くほとんど見えていないそうですが味覚と触覚で目以上に状況を把握しているそうです。蛇が舌をチロチロと出しているのは周囲の状況を把握するためな訳です。 

それで、どうしてこういう話になったかというと、 

「寒いのに子供が服を着るのを嫌がって薄着になる。」 
「靴下を嫌がる。」 

という話があったからです。 

こんな事をいう理由は、触覚の神経が緊張して過敏になっているからです。 
肌感覚が過敏な人は厚着をした時に服を着ている感触を不快と感じるようになります。多分、服が重いとか体にまとわりつくとかそういう風に感じているはずです。家にいるときはジャージで過ごしているなんていう人にも似たような傾向があるかもしれません。

こういう神経の状態の人は寒いのに薄着で過ごして、でも暖房はガンガン焚いてみたいな事をやっているかもしれません。裸族なんていわれる人の大半はこういう人たちのはずです。だから、服を着るのを嫌がるのでその傾向を変えたいのであれば、触覚の神経の緊張を緩めてあげないといけません。頸椎でいうなら2,5,6番あたりがポイントになるはずです。 

ちなみに、私だと砕けた服装は体だけでなく気もゆるみだらけてしまいます。 だから、ラフでもジーパンを履いてベルトをしている方が休日を有意義に過ごせるような感じがします。 

ただ、伊之助の触覚神経が過敏かというと、たぶん違うと思います。 
なぜなら、神経が過敏の状態だとアレルギー反応を起こしやすいからです。鼻の神経が過敏だと花粉症を起こすように、肌の神経が過敏だと、裸で山野を走り回る伊之助はすぐにかぶれて体が真っ赤っかに腫れ上がることでしょう。そうならないという事は、触覚神経の末端の根が普通の人より多い、たぶん数倍以上あるというような特殊体質だろうと思われます。

また、伊之助は何十メートルも離れた場所に潜んでいる鬼を知覚するほどの鋭敏な触覚です。
そんな高感度な肌の感覚があるとおそらく気が狂ってしまうだろうという事もいえます。例えば、サメなんかは触覚が敏感で鼻の部分に手で触れるとおかしくなってしまうなんて話を聞いた事はないでしょうか。サメは血一滴の匂いで平常心を失ってしまう事があるぐらい感覚が敏感なのです。伊之助の怒りっぽい無茶苦茶な性格は、彼自身の優れた触覚に由来しているわけです。 

鬼滅の刃が大ヒットした理由は、こういう具合に、身体的な特徴がそのデザインにちゃんと反映して表現されているからといえるでしょうね。 あ、ちなみに私は設定資料なんかを一切見ていないのでもしかしたら原作者は違う事を考えているかもしれませんけどね。ただ、少なくとも私からみて伊之助のキャラクター設定には一切の穴がないと思える訳です。

ちなみに、こういう事がわかってくると、才能をもつという事、その才能は自身を傷つける諸刃の剣であるという事がわかります。普通であるという事がどんなに幸せな事であるかと考え直してみるとよいでしょう。 

とりとめがなくなってきたのでまとめます。 

人間の体は、神経の緊張があると体を壊すというほど単純ばものではありません。 
それが、個性や才能に繋がる可能性があるという事も少なくありません。だから、無闇矢鱈と緩めればいいとかリラックスが大切だなんていう話を間に受けるのは辞めておいた方がいいでしょうね。そういう事を踏まえておいてもらって、 

「裸族は嫌だから普通の人間になりたい。」 

というのであればご相談いただけるとよいでしょう。
先に述べたとおり花粉症だったら目や鼻が、耳鳴りだったら耳が、めまいだったら三半規管が過敏だというだけです。伊之助のように天賦の才をもっている人なんてほぼないと思いますので、たいていの方はなんとかなると思います。
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辛い出来事に耐える方法

どこで読んだのか全く記憶にないのですけど、拷問に耐えるための訓練なんてものがあるそうです。
重大な機密を知っているCIAの諜報員や政治家なんかがその訓練を受けているとかなんとか。訓練を受けていないと拷問で苦しめられた上に極秘事項を暴露させられるなんていう事になります。そのため拷問が無意味にするため、そしてその効果が得られないようにするなんていう発想がでてくるのでしょう。

それで拷問に耐える訓練についてです。
実際に拷問を受けてそれに耐える訓練ではないそうです。本当なのかどうかは確認ができないのですが、自分をある特殊な状態にするという手法なのだとか。どういう事かというと、拷問を受けている間は、

「自分が拷問を受けている。」

という状態ではなく、

「拷問を受けている自分を眺めている。」

という精神状態にするのだそうです。
具体的には、拷問を受けている自分を部屋の天上だったり空中から眺めるという視点をもつのだとか。すると拷問を受けているのが他人事になるのでどんなに辛いとか苦しくても耐えられるそうです。

まぁ、こんな事を知ったからといっても、実際に試す機会などありませんから

「そんなので肉体の痛みを耐えられるようになるのだろうか?」

と思っていたのですが、この事はまったく違う方面からの知識から正解のようだと思われました。
インドだったかチベットあたりだったと思うのですけど、針を体に刺したり、剣山の上に座ったりしながらヨガのポーズをとっているの見たことがあります。それで、

「こういう修行って意味があるのだろうか?」

と、ずっとうっすら考えていたのです。
実際、釈迦はこういう修行をやっても真理には到達できないから意味がないといったそうですしね。それで、お坊さんがやっている修行の意味って何かというと、あらゆる物事に主観を挟まないで客観的に見るためのものだという事がいえます。それで、

「どうも自分を客観的にみる事ができるようになると、肉体のあらゆる苦痛に耐える事ができるようになるらしい。」

という事に気がついたのです。

この繋がりはちょっと唐突に感じるかもしれません。
ただ、書き始めるとかなり長大な文になってしまいます。また、ここらあたりの問題というかテーマは言語化してしまうと悟りの境地からはどんどん離れてしまうだろうと思われます。まぁ、私は悟りなんかには恐ろしくこれ以上は近づきたくないですし、ここを読む人に悟りを目指して修行をしていますなんていう人はいないと思います。だから、多少ぶっ飛んでいると感じられても私はそう考えているという具合に無理矢理に納得してもらう事にして述べてゆきます。

結局、苦行というのは自分を客観的に見るための訓練だという事です。

重要人物は秘密を守るために自分を客観視するためのノウハウを身につけ、修行僧は自身を悟りあるいは真理
に近づけるために体を痛めつけてそれに耐えるために自分を客観視する方法を修行する訳です。自分を客観的に見る視点を持つという点で苦行と拷問に耐えるためのノウハウがリンクした訳です。

ある日、突然に、

「なるほど。」

全く異なるいくつもの情報が私の中で1つに繋がりました。
こういう瞬間ってある種の独特の快感があったりします。もしかしたら、それが楽しみで私は変な知識を吸収しようとするのかもしれません。

さて、近年は、精神で体の反応を制御しなくてはいけないという考えが強いのです。
そのため、

「何事もプラス思考でなくてはいけない。」

みたいな馬鹿な事を考えている人があまりにも多いです。
辛いと思うことを、無理矢理に良いことだと、プラスにねじ曲げる事はとてもいびつな事です。ほとんどの場合において、健全な事ではないと理解した方がよいですね。こんな思考では自分を客観的に見ることなど不可能です。

辛いと感じる事があれば自分を俯瞰して眺めてみる事ですね。
自分を客観的に見る視点をもっていればプラスになるのでなく、プラスもマイナスもない冷静、平常な状態になるはずです。もしそれが可能になるようであれば、国家の安全保障を揺るがすほどの秘密を知ってもそれに心が揺れ動くような事はなくなります。

さぁ、

『辛い出来事に耐える方法』

がどのようなものか理解できたのでしょうか。
本当にそれができるようになろうと思うなら、普通の人間ではなくなる必要がありますね。それだったら、泣いたり叫んだりして苦しんでおく方が楽だし、人間らしいと私は思います。まぁ、どうしてもいうのであれば、体中に針でも刺して訓練してみたらできる人もいるかもしれません。
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ギックリ腰になる間抜け人間

「熱中症で死ぬ人間はただのマヌケだ。」

ひどい事をいうと思うかもしれませんけど、私の本心です。
もしかしたら私も寿命がつきたときがたまたま熱い日で、熱中症で死んだとか診断されるかもしれません。そうなると私は、

「他人の事をマヌケだといったひどい人間がその報いを受けるような死に方をした。」

と貶されるかもしれません。
しかし、

「死んだあとの評判なんぞを気にして生きてられるかっ!」

と思います。
言いたいことを躊躇うなんてのは愚かな人間の生き方だと思うのでそれでよいのです。

熱中症で亡くなるというのはどういう事かというと、


『暑いのに気がつかなくて、気がついたら死んでました。』


という事です。
正常な感覚があれば、暑いと感じれば、日陰に移動する、窓を開ける、エアコンや扇風機のスイッチを入れる、冷たいものを飲む、逆に温かい物を飲むなどなど、様々な行動の中で、その時の体の状態にあわせたもっとも適切な行動をとることができるのが人間という生物です。

ここまでいってまだわからない人には、

「犬や猫が、日差しの強い暑い日にはどうしているか?」

と質問をしてみると、そこで理解できる人が多いですね。

そういう人たちに、

「元気である、健康であるという事はどういう状態か?」

と、続けて質問をぶつけます。
答えは、

『元気であるというのは暑さ寒さを適切に感じ取れる状態』

です。
これが理解できると熱中症でなくなるのはマヌケだといった理由がちょっとはわかるのではないでしょうか。

それで、先日、整体にこられ人に、

「仕事を頑張っているのでぎっくり腰で動け泣くのは困るのだ。」

と言われました。

私は、ぎっくり腰がどういうものか理解している人には会った事がありません。
ぎっくり腰ってのは、ある日、突然に腰が痛くなって動けなくなるものとほとんどの人が考えています。しかし、突然に理由もなく腰が痛くて動けなくなる事などありません。

簡単に説明すると、ぎっくり腰というのは心臓の動きが悪くなった状態です。
逆説的な言い方をすると、心臓を動かすために腰に大きな負担がかかっている状態だという事がいえます。だから、大抵のケースで根本的な問題として、不摂生というのがありますね。

それで、先にでたセリフ、

「仕事を頑張っているのでぎっくり腰で動け泣くのは困るのだ。」

というような事を言う人って、努力しているのだから暴飲暴食していい、努力しているから不眠不休でいい、努力しているから家族をないがしろにしていい、というような思考にはまっている事が多いのです。

私に言わせると、これは

『努力に逃げているだけ。』

という事になります。
努力しているから、頑張っているから、他は何をしても許されるとでもいうつもりでしょうか。それは、ちゃんと見なくてはいけない現実から目をそらしているだけの事にしかなりません。

生活をしていれば必ず直面する面倒くさい事から目をそむけているのがマヌケな状態です。つまり、ぎっくり腰になるなんていうのはただのマヌケなのです。
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