ブログ「日々整体」

ストレスの正体:気持ちよく逃げるか、真面目に発散するか

「ストレスの発散が大事である。」


使い古されたセリフです。
しかし、この言葉はたいていの人は、都合のよい、あるいは便利な使い方でしか使っていない表現といえるでしょう。

具体的な例をあげると、

「1日1杯のビールは健康によい。」

といって毎晩のように晩酌をしている人にとって、飲酒はストレスの発散になっていないといえるのです。

一方で、先日、蒲田の駅前でギターを弾きながら歌を歌っている若者をみました。
私がこの人はストレスを解放しているなと感じました。彼は自分の歌を聞いてもらおうと一生懸命になっているように見えたのです。

毎晩のように晩酌をする人と、駅前で歌を歌っている若者の違いを説明するのは簡単です。
その行動がエネルギーの発散を行っているかを考えてみるのです。すると、酒を飲む人はアルコールを自分の体で分解することにエネルギーを消費しているだけで、真のストレス発散にはなっていないと言えます。体の中に溜め込んだフラストレーションをアルコールと一緒に分解しているのですから、この行動をストレス発散としてしまうのは不適切なのです。それに対して、歌う若者は歌に自分のエネルギーをのせて放出しているのです。そのエネルギーは、学校や社会に対する不満かもしれませんし、将来に対する夢や希望かもしれません。

さて、あることに気がついた人もいるかもしれません。
ストレスというものは、歌う若者にとってはエネルギーと呼んでよいものです。そのように考えると、発散するストレスは本来はエネルギーだということです。

「ストレスを溜め込んではいけない。」

というのはよく聞く言葉です。
しかし、発散することができるストレスは本当はエネルギーなのだからどんどん溜めてゆけばよいのです。このように考えると、ストレスの発散がどのようなものか明らかになります。
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飲酒が好きな人と酔いたいだけの人:あなたはどっち?

飲酒をする人によく見かけるパターンとして、

「毎日の晩酌は体によい。」
「1日1杯はストレス解消のために絶対に必要。」

といって毎日のように飲酒をする人がいます。

しかしながら、最近では「飲酒の量がゼロが理想だ」という研究結果も発表されています。
その研究は多くの人々に信じられており、実証的なエビデンスもあるようです。ですから、きっとお酒は体に悪いのでしょう。すると毎晩のように晩酌をする人は体によいと思いこんで体に悪いことをずっと継続していることになります。

しかし、違う視点から考えてみてください。
好きなものを好きなだけ食べてその結果病気になって若くして亡くなった人がいたとします。この人の人生は不幸だといえるでしょうか。私自身は、本当に好きなのだったら悪くない人生だったのだろうと思います。

1日1杯の缶ビールはストレス解消のために絶対に必要だと考える人は、今を大切に生活しているという意見でしょうか。しかし、病気になって余命幾ばくもないという状態になったら意見を変えそうな気がします。結局、ほとんどの人は飲酒についてそれほど深く考えていないようだというのが私の感想です。

整体的な視点で飲酒について説明してみます。
整体の考案者である野口晴哉は上手にお酒を飲むことができれば体を緩めることができるとその著書で述べています。具体的には、上手にお酒を飲むということは、酔わないように飲むということです。酔わないようにお酒を飲むことができれば睡眠が深くなり、その結果、しっかりと疲労を回復することができます。高齢になるほど、回復が遅くなる傾向があるので効果的で、一方、若い人には十分な回復力があるのでほとんど不要です。これが理想的な飲酒だと考えると、お酒を飲んだ翌朝に、すっきり快活な朝を迎えられるような飲み方をしているかという考えでもよいかもしれません。

本当にお酒が好きな人は酔わないようにお酒を飲んでいます。
なぜかというと酔っ払ってしまうと味覚が鈍くなってお酒の味がわからなくなるからです。舐めるように飲むという言葉がありますが、お酒が好きな人は味覚を鈍らせないようにちょっとずつ口に含んで味わってお酒を楽しんでいます。余談ですが、そういうことを知っていると、ごくごくと喉越しを楽しむような飲み方をするビールを酒好きが好まない理由も理解できることでしょう。酒が本当に好きな人は日本酒やウイスキーといった蒸留酒を好む傾向があるのです。

このことを知っていると「毎日の晩酌は体によい。」といって酔っ払うためにお酒を飲んでいる人は実は酔っ払うのが好きなだけで、お酒が好きなのではないということも理解できることでしょう。ストレスを溜め込む方が病気につながるかもしれませんから、別にそれはそれでよいかもしれません。ですから、言い訳しないで酔っ払うために飲みたいのだと主張するほうが潔いのにとは思ってしまいます。

当然ですが、幸福の捉え方は人によって異なります。
長生きすることこそが人間にとって最大の幸福だと考える人にはお酒の飲み過ぎで短命に終わった人は不幸な人生だったといえることでしょう。一方で、自分の欲望や欲求を満たすことこそが人生において最も重要だと考える人にとっては幸福な人生だという意見になるかもしれません。結局、お酒なんて深く考えないで好きなように飲めばいいのではないかということになってしまいますね。

なお、私自身の考えも添えておきましょう。
私が酒を飲むのは数年に1回程度、なんらかの集まりのあるときに付き合いで少し飲む程度です。日々の生活の充実度をあげるために現時点では飲酒が不要で、こような考えを持っているとお酒を飲みたくなるということが全くありません。生活習慣と考え方で飲酒のスタイルなど大きくかわってくるということでしょう。
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臥薪嘗胆から現代へ少子化日本と勾践の教訓(閑話休題)

紀元前500年頃の中国の越という国の勾践(こうせん)という王が、人口増加のための政策として子供を出産した家庭にお酒と肉をプレゼントしていたという話を聞きました。

いきなり話がそれますが、勾践という人は臥薪嘗胆の語源となった人です。
勾践はある戦争に破れたのですが、その時の悔しさを忘れないようにするために自室の天井に胆を吊るして毎日舐めていたそうです。それは非常に苦いもので、その苦味を味わうことで復讐心が途絶えないように努力をしました。これが嘗胆の由来です。

せっかくなので臥薪も説明しておきましょう。
勾践を戦争で破ったのは隣国の王である夫差(ふさ)です。夫差は勾践に攻められ、王が死亡した後、夫差が王を引き継いだのですが、先王の悔しい気持ちを託されました。その先王の遺言を忘れないようにするために、寝床の下に薪をおいて寝ていたそうです。それが臥薪と言葉の由来となりました。

2つの言葉を合わせて臥薪嘗胆です。
何かに対して悔しい、あるいは恨みに思う気持ちは時間とともに消えていってしまうものです。その屈辱を消し去らないために、自分自身に苦しさを思い出させつづける必要があるというのが語源です。そこから転じて、成功するために苦労に耐えるという意味になったようです。しかし、夫差も勾践も自身の恨みは晴らしましたが、その後、幸福な人生を送ったとは思えまえん。屈辱をバネに何事かを為すというと聞こえはよいですが、あまりよい生き方とは私には思えません。

それで、勾践の多産政策についてです。
男子が生まれれば酒と犬肉を、女子が生まれれば酒と豚肉とプレゼントしていたそうです。犬肉というと驚く人もいるかもしれませんが、中国では犬の肉はお祝いのときに食べるものという習慣があったそうです。三国志や水滸伝などの小説を読んでいると頻繁に肉料理として登場しますので知っている人もいるでしょう。漢王朝を建てた劉邦の義弟のはんかい(漢字が表示できません。)という人は、劉邦が旗揚げする前までは犬の屠殺を生業としていたのではなかったかと思います。なお、犬肉の供給が途切れないように犬の牧場もあったそうです。

犬肉は当時は贅沢な品で、身分の高い人でなければ食べられなかったと考えられます。それが出産して男子が生まれれば食べることができたのです。一般庶民にとっては考えられないぐらいのご馳走だったのではないかと思います。

勾践に男子の出産を祝う気持ちがあったのは間違いないと思います。
屈辱を晴らすためには自国の人口を増やして軍事力を増強しなくてはいけないからという邪な理由ではありましたが。しかし、たとえ女子であったとしても豚肉と酒が支給されるのですから、心の底から力を高めたいと考えていたのでしょう。だから、赤ん坊が誕生したら、それを国をあげて祝っていたということです。

それに引き換え、現在の日本はどうだろうかと考えてしまいました。
調べていたら日本の少子化が目に見える形になって現れるのは2040年ごろのようです。それまでは現状維持はかろうじて可能なようです。これは今年生まれた赤ん坊が成人に達するのは20年後だからという簡単な理由です。日本の少子化はもう絶望的といえますね。
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本当に簡単なのに誰もやらない健康法

とても簡単に骨盤を締めて、綺麗な姿勢になる方法があります。
しかも、この方法はお金がかからないというメリットもあります。でも、とても残念なことですが、このことをお知らせしたら明日から全ての日本人は健康で病気知らずの薔薇色の人生を送れるようになるということは絶対に起こらないでしょう。

理由は簡単で、簡単すぎてお金がかからないからです。
人間という生物はお金を出したり、苦労して手に入れたノウハウや情報しか価値があると考える傾向があります。ダイエット情報のことを考えてもらうと、この意味をよく理解することができるでしょう。

もしあなたがダイエットをしたいと思うのであればやることはたった2つだけです。
1つは、食べる量を減らすこと、もう1つは適度に運動をすることです。そのほかの情報や知識などはほんの付け足しでしかありません。ダイエットに必要なことはこのたった2つだけなのに、何十万円、何百万円もの費用を払う人まで現実に存在しています。

このことは逆説的に表現すると理解が深まるでしょう。
ダイエットに必要な2つのことは、食べる量を減らすことと運動です。しかし、これらを行わないまま何十万から何百万円もの費用をかけてダイエットに取り組むと、成功するのは難しいこともあるでしょう。

さて、私が今回紹介するノウハウはとっても簡単です。
誰にでもできますし、誰にでも取り組むことができます。そして、実践して継続させればその効果は絶大です。ただ1つ欠点があるとすると、必要なのはそのことを常に意識することだけで、費用がまったくかからないし手間もかからないということでしょう。

その方法とは、

「あごを引く。」

ということです。
スポーツをやるときなどは、必ずあごを引けという指導があるのではないでしょうか。そうする理由は簡単で、あごをひくと骨盤が引き締まって、重心となる重要な骨に力が集まるからです。つまり、身体能力をもっとも発揮するためにはあごを引かなければいけないということです。あごをひく姿勢は、背筋がのびますから周りから指摘される背筋の曲がった姿もすぐに矯正されることでしょう。そして、このあごを引くという所作を身につけることができれば、ありとあらゆる病気や不調も解消されることでしょう。

もしあなたがお金を出さなくても健康になることができると考えているのであれば、今からすぐに実践してみてください。
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時間とともに変わる答え: 人生最後の日についての考察

20代後半に自己啓発セミナーに傾倒した時期がありました。。
その時に頻繁に投げかけられた質問に、

「明日、死ぬとしたら今日はどのように行動しますか?」

というものがあります。
自己啓発セミナーに参加しているということは現状に大いに不満を持っているのですから、この質問は私の心を大きく揺さぶります。しかし、熱心に仕事に取り組んでいる時期にこの質問を投げられたとしても、それほど大きな影響は与えないと思います。

この話は、癌といった不治の病に対しての医療の姿勢を思い出させます。
私が子供のころは、癌の本人への告知は行わないというのが当たり前でした。もうすぐ自分が死んでしまうという状況に直面したときに、ほとんどの人は生きる気力を失ってしまうと考えられていたからです。ところが、本人への病気の告知をしないままの病院での治療は家族の負担がかなり大きなものになるそうです。だからこそ、次第に本人へ告知した方がよいという考えが生じてきたようです。

そして、実際に病気の告知をうけた人の大半は、残された人生において自身の仕事に熱心に取り組むようになったそうです。自分の死に対して正面から向き合うことによって、残った時間を有意義なものにしたいと考えるようです。

この話を聞いて面白いと感じましたし、私自身もこうなるだろうと思えました。
だから、明日、死ぬとしたら今日はどのように行動しますかと問われたら、

「別になにも変わりません、いつもどおり仕事をすると思います。」

と答えるような気がします。
また、常にこのように答えられるよう、日々過ごしています。

ちなみに、日本人は、仕事とアイデンティティが密接に関わっているそうです。
その結果、自分の仕事への役割や責任感がとても大切だと考えられているようです。家族を顧みずに仕事に没頭するというと、問題があるような風潮があるようですが、それもまた生き方の1つと言えるのかもしれません。

さて、先日、ある本を読んでいて、

「明日、死ぬとしたら今日はどのように行動しますか?」

という質問がありました。
その時、思ったことは、

「息子にちょっといい肉を買って帰ろうか。」

ということでした。
年をとることで、自分の内面も結構変化しているなと自覚した次第です。
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