ブログ「日々整体」

ヌードがわかれば整体がわかる

読んだことのない本を紹介してみようと思います。
こんな変なことをやってみようと思ったのは、とある書評でこの本を紹介していたからです。で、その本は、


「ヌードがわかれば美術がわかる」


というタイトルで、ヌードがわかるには解剖学の知識が必要だということが書いてあると紹介されていました。


「あれ、結局わかるのは美術じゃなくて解剖学なのか?」


なんてことを思うわけですが、私にとってはあまり突っ込まなくてもいいところです。
なんでかというと、私は外見だけで人の体の状態を考えていることがあるからです。スタバで甘ったるいコーヒー飲みながらあの男性は病気を抱えているなとか、あの女性はすぐにヒステリー起こすからいい結婚はできないだろうなぁとか、そういうことを考えているわけです。まぁ、私にすればトレーニングみたいなものですから、他人にはあまりこういう話をしたりはしませんけどね。

わかりやすい部分であげるなら、鼻筋、顎の形、胸の厚みなんかで心臓とか肺の様子をみるのはとてもわかりやすいですかね。

ストレートな表現をするなら、心臓と肺の動きがしっかりしている男性は体が逆三角形の形になりますし、女性は胸に厚みがでてきて大きくなります。目も大きく開くようになるし、鼻筋もとおるし、顎もシャープになってきます。女性なんかはかなりわかりやすくて、ウエストがくびれてきますし、おしりの形もまるくなってくるわけで、いってみれば美人といわれるような人は内臓がしっかりしているわけです。人は内面が大切だなんていうのは、心の中がどういう状態かではなく、内臓がしっかりしているかという事が本当の意味といえますね。


ボディビルをやっている女性で胸がなくなっている方をたまにみかけますけど、これは筋肉が盛り上がって目立たなくなっているからではなく、望ましくない筋肉のをつけ方をしたせいで肺の動きが小さくなっているからだと思いますね。機会があれば、そういう視点で鍛えている女性を眺めてみるといいかもしれません。繰り返しになりますが女性の体は比較的わかりやすいですから、筋肉美をつきつめた女性が女性としてどう見えるか?なんてのを考えてみてもいいかもしれません。



で、そんなことを考えていたら、


「ミロのヴィーナスってどうなんだ?」


という疑問が湧いてきたのでインターネットで写真をみてみると、思っていたより腹筋が割れていてしっかりした体つきをしていました。ただ、ちょっと首が太く顎が丸いかなぁかなぁとそんなことを感じました。



もしよかったからここから先は、ミロのヴィーナスの写真をみて、それがどういう女性かということを想像してから読んでみてください。









で、これを内蔵で考えてみると心臓がしっかりしている割に肺が小さいということになりますかね。
喉がいがらっぽくなったり、風邪を引きやすい傾向があるかもしれませんし、子供の頃には肺炎を経験しているかもしれません。


ここらあたりからミロのヴィーナスがどんな女性かと想像していましょう。気が強い反面、コツコツと何かをやり続けるなんていうことが苦手、割と短気な人じゃないかなぁと。



で、答え合わせをしてみました。
モデルはアフロディーテなんて言われてるそうです。そのプロフィールを見てみると、ヘラやアテナと争って戦争していたりしていた女神だそうですね。確か、他の男性とベッドで裸で抱き合っているところを旦那のヘパイストスに縛り上げられられてそのまま晒しものにされたなんていうエピソードもあったような気がします。ヘパイストスは、自身がブサメンだったことを相当コンプレックスに感じていたようで、そんな頼りない旦那では満足できなくて不倫していたんでしょうか。主人を立てようなんていうタイプの人じゃなく、気分屋な女性だったのでしょう。



アフロディーテの性格を調べて答え合わせをしてみるときに、


「俺って結構すごいんじゃね?」


なんて思ってしまうあたりが私の器の小さいところでしょうかね。


ミロのヴィーナスが評価される理由は造形美ということなのでしょうけど、造形美というのはその人の人となりと内臓の状態がちゃんと表現されているという事で、


「ヌードがわかれば美術だけでなく整体もわかる。」


ということでがいえるわけです。



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整体において大事な事

今朝のことですが、私にある悩みが生まれました。
通勤の途中なのですが、『放課後クラブ』という看板を出した事務所があるのです。以前にも見かけて似たようなことを思ったのですが、その時はそれほど重要な事だとは思いませんでした。ところが、今朝、その看板を見かけて、


「アダルトビデオのタイトルみたいだな。」


と思ってしまいました。
こんなことを考えてしまうという事は、もしかしたら私の人間性に大きな問題があるのかもしれません。

最近、仕事をしていてちょっとまずいなと思える出来事が頻繁に起こっています。
起こっている事は想定の範囲内なのですが、起こらないように対策していたのに実際に起こるのです。それはもしかしたら、某事務所の看板をみて、あまり品のよくない想像をしてしまうという私の人間性に由来するものなのかもしれないわけです。

こうなってくると私はある選択を迫られてしまうわけです。
1つは、品行方正、誰にでも優しく丁寧に接する人間に目指すこと。もう1つは、ジャックナイフと呼ばれるような人間になること。前者は、たぶん無理だから後者になるしかないなぁと、そんなことを考え始めています。

私自身は、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いというニュートラルというか、フリーな状態でいることを望んでいるのですが、どうも世間がそれを許してくれないのですから仕方がありません。ただ、ダークな方向にいってしまうと、想定される私のセリフが、


「耳鳴り?止めてほしくば3000万円払え!」


みたいなものになってくるから困ったものです。
手塚治虫の漫画ブラックジャックの主人公は高額な報酬を要求する無免許医ですが、彼がお金を必要としているのではなく、どうも患者を治すためにはそれだけの支払わせる必要があるのだという事がわかったような気がしています。ブラックジャックのジャックは男という意味からとっていますが、ナイフという意味も含めているのかもしれないなぁと。



さて、今の世の中では、


「親切にされるのが当たり前だ。」


と考えているとういか、染み付いてしまっている人の方が多いのかもしれません。ところが、私が一人で仕事をやっている理由は、気に食わない人がやってきたときに、


「あんたは胸糞悪いから帰れ!」


といつでも言えるようにするためです。
これはきちんと整体をするために必要なことだったりします。まぁ、こんな言い方をするとちょっと角がたってしまうのでちょっとまるめた言い方をすると、


「私は、私がうまく整体できるであろう人だけを選んで仕事をやっている。」


ということです。
そういう仕事をするためには、いくつかのポイントがあるのですけど、その最初のポイントになるのがその人は私が好意をもてる人物かというものです。私自身がそんな大層な人間ではありませんから、別に、そんな立派な人間であってもらう必要はありません。


整体というのは体に触れる仕事です。
この触れるというのは、多くの人が思っている以上に体に非常に大きな影響を与えます。でも、ただ触れればいいというわけではありません。

例えば、満員電車の中で私が女性の体に触れたらどうなるか?
女性の体には拒否反応が起こるから嫌な感触と記憶が残るだけで、何らよい影響を与えることはないでしょう。いくら私が、


「私が体に触れれば体の○○な問題が解決するのだ。」


とか主張をしても耳を貸す人はなく、私は逮捕されてしまうはずです。


これは逆でも同じ事が起こります。
当院にやってきた人でも、私が好意を持てない、とてもじゃないけど親身なることができないなんていう人がいるわけです。先日、やってきた私に対して見下した態度と物言いをする人なんかがいい例でしょうかね。


「私の発言など、とるになりたい、くだらない。」


と思えるような別の大先生が身近にいるならその先生にお願いしたらいいはずなのです。
まぁ、大先生は自律神経については専門外なんでわかりません、なんていい加減なことをいうから、本人にその自覚がなかったりする事が多くてタチが悪いのですけどね。


しかし、その人の意図や考えはどこにあるかは別として、


「この人は私を馬鹿にしているな。」
「この人は私の話を理解しようとしていないな。」


と私が感じてしまった瞬間に、私はその人の体にはなんの影響も起こせなくなってしまいます。
痴漢された女性には何も変化が起こらないのと同じ理屈で、私がその人を拒否する気持ちが湧いてしまったら私はなんの変化も起こせなくなってしまうわけです。そうなってしまったときには、時間とお金の無駄でしかないからお帰りいただいているわけで、その時にはお金をもらったりはしませんからどっちかというと良心的な対応だと思うのですけどね。


わからないなら、わからないなりに言われた通りにやってみるというぐらいの考えが持てれば話はかわってくるのですが、体をモノとしてしか見れない人には絶対に伝わらないし理解できない話なのでなかなか厄介なことかもしれません。


で、そんなことを考えていたら


「耳鳴り止めるだけで3000万円なら楽でいいなぁ。」


と、そんなことに気が付きました。
どうやら、私は死んだら地獄に落ちること事は間違いなさそうです。
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私を馬鹿にするためだけにやってきたのだろうか?

ある日のことです。
京都の北部からやってこられた人がいたのですけど、体を見る前におかしなことをいいだしたので帰ってもらうという事がありました。耳鳴りが辛いということで相談にこられたのですけど、話を聞いたらその耳鳴りの原因は体をみるまでもなくすぐにわかりました。こちらのブログで紹介したこともあるような非常に多いパターンでしたから、おそらくそれほど難しいという事はなかったでしょう。


その方は、耳鳴りが起こるのは、


「これこれこういうことですよ。」


と説明したら、


「いや、それは・・・。」


なんて返事です。
それで、何を言い出すかと思えば、お医者さんにどういう診断をされているかということを延々と説明してきます。どうも私が医者と違うことを言うのが気に食わないらしいのです。それでも担当した医師が言うとおりにして、耳鳴りがとまるのであれば、それでもいいのですけど、全然トンチンカンなことをずっとやってきていたようで体がどんどん悪くなっているのが話からわかりました。まぁ、現在の医療のやり方では耳鳴りの原因なんてのはまったく検討がついていないわけですから、そんなことになってしまっているのはやはり珍しくもないわけですよ。


で、最初はそれなりに丁寧に説明をしていたんですけどね。


「いいや、それは違う。」
「それは受け入れられない。」


なんてことを言い出すもんで、


「あなたは私の説明は一切受け入れないのに、私にいったい何をしろというのですか?」


と聞くと、また医者にこれこれこういう診断を受けているなんていう話がはじまります。



「それじゃあ、仕方ないからもうお帰りください。」


という事をいいました。


結局、わざわざ遠方からやってきて、この人がやったことは、


『私の耳鳴りについての説明を全否定した。』


というだけのことだったりします。
それで、


「わざわざ遠くから来たのに無駄になってしまった。」



なんて捨て台詞をはいていくのです。
無駄にしたのは私ではないだろうと思いますけどね。ちょっと理解する事が難しい行動と発言で、いったい何を期待してわざわざやってきたのかと不思議で仕方がありません。少なくとも医療と違う考え方や技術について理解をしようとする気持ちが持てないのであれば私のような人間のところに来るべきではないと思うのですけどね。


ちなみに、こういう感じの人がこの1週間で3人ほど私に絡んできています。
で、私が思ったことは、


「あぁ、春がやってきた。」


ということですかね。
できればもうちょっと潤いのあるもので季節を感じたいものです。

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私の冊子とキャバクラには同じ効果がある!

週末で疲れ切って、体が動かないからもう仕事はできませんなんていってても、


「それじゃちょっとキャバクラいこうか。」


なんて声をかけたらスキップして走り出すような人は周りに一人ぐらいはいませんかね?これに似たタイプにイケメンが現れたら病気が治る女子だっていることでしょう。



こういう人たちは、たいていは本当に体が動かなかったり動けなくなっています。
しかし、興味とか、好奇心とか、もっとストレートに性欲とかを刺激されると元気がわいてくるわけです。

そういう人たちをみて、


「キャバクラに行く元気があるならもっと仕事ができるはずだ!」
「この女は嘘つきだ!」


なんて言い出す人がいたら、関わりを持つのを辞めてしまうほうがいいんじゃないでしょうかね。人間なんていうのはそういう生き物なのです。


世間じゃこういうのを


「心の問題だ!」


なんて言っていたりしますが、興味も性欲もわかないようなものを、将来のためだとか、やっといたら得だとか、責任感をもてとかいって、説得して人を動かそうとかするからおかしなことになっています。ごちゃごちゃくだらない理屈をこねてないでキャバクラにいったら治ってしまう病気もあるわけです。






さて、先日、日暮里で整体にこられている人から聞かされた話です。
身内の方に私が書いた冊子を渡したら元気になって仕事にいきだしたのだそうです。長く仕事をしていたそうですが、いろいろあってふさぎ込むようになってしまい、それをきっかけに入院したあと自宅で療養生活をおくっていたのだとか。


もう10年近く前に書いた内容でかなり陳腐化してしまっていることもあって、そろそろ辞め時かなぁと思っていたのですが、


「私が書いた冊子でもキャバクラぐらいの効果はあるらしい。」


という事がわかって一人でほくそ笑んでいたりします。



こういう話を聞いてしまうともうちょっと配布を続けようかという気になってきますけどね。
ただ、内容がちょいと物足りなくなってきているので、そろそろ辞めなきゃいけないとは感じていました。だから、長く発行しつづけてもあと1年ぐらいになるはずです。とりあえずキャバクラにいってきてもらってそれでも元気がでないようなら試してみてもらってもいいかもしれません。






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馬鹿と天才の違い

アインシュタインの脳には奇妙な偏りがあったそうです。
NHKのドキュメンタリーで見たと思うのですが、アインシュタインの脳を遺族や本人の意思を確認しないまま解剖して研究してしまった人がいました。調査はエスカレートして脳細胞の一部を切り取って世界中の研究者に送るなんてこともやっていたのだとか。その結果として、アインシュタインの脳にはちょっと違うところがあるとわかったわけです。

脳細胞の一部が送られてきた研究者には変だと感じた人もいたのじゃないでしょうか。
でも、そんな違和感よりアインシュタインの脳細胞を調べる事ができるという、とんでもなく興奮するであろう体験を皆が優先してしまったのじゃないでしょうかね。

やりはじめた当人ですが、おそらくですけど、遺族に遺体を研究させてくれと頼んでダメだといわれたら、どうしようもなくなります。だから、いろんな事をうやむやにしたままやりたい放題やってしまったんじゃないでしょうかね。悪気があったとうより、好奇心に突き動かされて自分の行動にブレーキをかけることができなかったんじゃないでしょうか。


この話を知った時、学生の頃に読んだ競馬好きのおっさんのエッセイを思い出しました。
そのおっさんは、友人が所有するテレビやビデオデッキやらを質にいれて、そのお金を競馬で使い込んでしまったのです。


「間違いなく勝てるからそのお金で返せばよい。」


と思ったそうです。
でも、自分で振り返っても当時なぜそんな事をやってしまったのか理解ができないなんて書いてありました。エッセイの内容から考えても、とても気の弱い人で、そんな無茶苦茶をやるような人だとは思えません。夏になると北海道の牧場へ馬の世話の手伝いをしにいくような人で、とても競馬が好きな人だということはエッセイを読んでいれば伝わってきます。ところが、好奇心とか、射幸心とか、何かのエネルギーが高まってしまうと人はとんでもない行動力をしてしまうのでしょう。


やられた方の友人はその時旅行中で、家に帰ってきたらいろいろなくなっている事に気がついて、


「やってくれたな。」


と一言。
それで当人を連れて競馬場へいって、質にいれたものを全部買い戻すだけでなく、その夜の二人分の酒代まで稼いでしまったのだとか。エッセイにはギャンブルに強い奴っていうのはこいう奴だみたいな感想が書いてあったように思います。

余談ですけど、今の世の中って倫理的という観点からでしか善悪を考えられなくなっていると感じています。
だから、人という生き物が、どういう習性をもった生き物か考慮することを辞めてしまっています。おかしな事件が起こったりしたときに、人の行動がすべて理性からくるという視点でしか考えられていません。


「不倫は文化だ!」


なんていうセリフは人としては駄目だろうと思いますけどね。
ただ、この発言をした人は信頼はしちゃいけない人だろうけど、好感を持つことはできるのじゃないかなぁとそんな事を思ったりします。だから、付き合っている女性がいたとして、友人に石田純一みたいな奴がいたら、横取りされても怒らずに


「おまえ、やってくれたな。」


といえるぐらいの人間でありたいなぁと私自身は思ってはいます。
まぁ、そんな友人にガールフレンドを紹介なんぞしないようにするのが一番賢いとは思いますけどね。


で、話を元に戻します。


アインシュタインは、死後に自分の死体を好き放題切り刻まれました。
でも、怒るのではなく、その切り刻んだ当人と奇妙な友情を築いてしまっているというストーリーが鮮明に私の頭に浮かんできました。

アインシュタインの脳を取り出したのはトマス=ハーヴィーという医師で、もうすでに亡くなっています。あの世にいったアインシュタインは後からやってきたトマスに、ローストビーフをすすめながら、


「やってくれたじゃないか。」


と、ワイン片手にそんな事を言っていそうな気がしたわけです。
私はこの二人の人となりはまったく知りませんから、全部想像の話です。だただただ、アインシュタインとトマスという人の事を思い描いて私がニヤニヤしていますというだけの事だったりします。


ところで、アインシュタインはかなり気難しい人だったそうです。
有名な舌を出した写真は、記者が何かの質問をしたのですけど、たまたま機嫌がよかったアインシュタインが質問を勘違いして舌をだしたのだとか。そのときは、この素晴らしい写真をどうやって撮影したんだなんていう具合に話題になっていたそうですね。




さて、この記事ですけど、ここからが本題です。


無許可で脳細胞を調べた結果、アインシュタインの脳には極端な偏りがあることがわかったそうです。
私の記憶では、前頭部の左側の脳細胞が異様に発達していたそうです。アインシュタインの才能はこの脳の異常な発達に由来するものではないかと考えられているのだとか。

ただ、アインシュタインと同じ場所が発達している人はいくらでもいるそうです。
どういう人かというと、バイオリン奏者は脳の同じところが発達しているらしいです。アインシュタイン自身も趣味としてバイオリンを所持していたそうですね。研究や思考が煮詰まったりしたときにはバイオリンを弾いて気分転換をしていたのだとか。まぁ、そうはいっても、


「バイオリンが趣味であることがアインシュタインの才能を開花させた!」


なんていうのはおそらく違うでしょう。
こんな話を聞くと、子供をバイオリン教室に通わせるようになる母親が少なからずいるでしょうけどね。おそらく脳の一部が発達している事がバイオリンを趣味として選ばせたというのが正解でしょう。


アインシュタインの場合は、脳の異常な発達が相対性理論の発見へ繋がりました。
そして、おそらくですがアインシュタインの脳を取り出したトマスにも何かしらの偏りがあったのではないかと考えています。奇矯な行動する人には、それが犯罪に類する行動だったりする場合も含めてですが、何かしらの偏りがあるものです。まぁ、悪い方に寄る場合はたいてい病気とか怪我に由来したり派生することがほとんどだとは思いますけどね。


トマスとアインシュタインの違いは、どこにその偏りがあったかというだけの差でしかないわけです。
その偏りが、学術の才能になるか、ギャンブルの才能になるか、それとも犯罪者になるかなんていうのはその人の運なんじゃないでしょかね。


「馬鹿と天才は紙一重。」


なんていう言葉がありますが、よほど観察力のある人が考え出した言葉なのでしょう。
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