ブログ「日々整体」

円安と健康の話

円安の問題と健康問題は似ているなとふと思いました。
なお、これを書いている時点で1ドルあたり148円程度の値段になっています。円安の大きな要因は2つあって、1つは日米の金利差が大きい事です。日本がゼロ金利で、米国が4%程度まであがる見込みなので日本で借りて米国に預けているだけで結構な利益が生じます。わずか3~4%程度の差と思う人もいるかもしれませんが、その数%の金利差が大きな違いを生みます。わかりやすいのは、金利をとってはいけないと考えるイスラム教の国のトルコでしょう。トルコはゼロ金利政策をつづけたせいで10年でその価値が10分の1にまで低下しました。

もう一つは単純に日本経済に勢いがないからです。
生産拠点をすべて海外に移して日本で物を作っていないのですから当然です。結果、日本は海外から物を買うばかりで売る物がほとんどありません。そんな状況では日本円の価値が低下するのは当然です。以前調べていたのですが、米の種子なんかも海外から買うみたいな流れになっているみたいですね。農家が自家生産した種子で米を作るのを禁止する法案なんてのを見かけました。いまはどうなっているのか知りませんが、ここだけ聞くと馬鹿な事をしているなぁと思えますね。

それでこれを書いている1週間ぐらい前に政府は為替に介入したようです。
介入というのは平たくいうと手持ちのドルを売って円を勝った訳です。1ドル150円に達した時点での介入で現状は148円に落ちついていますね。1ドル80円の時に買ったドルだから儲かったみたいにいう人も見かけましたけどね。

ただ、よく考えてみてください。
介入したと言っても円安の大きな要因である、日米金利差も、日本の経済力の弱さもなんにもかわっていません。だから、大きな流れとして円安が変わる事はないだろうと私には思えます。

もちろん、経済の事ですから何が起こるかわかりません。
ただ、世界で何かが起こった時に価値があがるのは普通は米ドルですから、何かが起こったら円安が進むのは間違いないでしょう。円が上がるとしたら、ワシントンとニューヨークに核爆弾が落ちたりしたなんていうケースでしょうか。でも、それでも円があがるかどうかはわからないと思いますけどね。ロシアのルーブルが現在はその価値を高めているという事をふまえて考えるとよいでしょう。

この日米関係を人間に置き換えて考えてみてください。
日本を表現する人を日人としましょう。日人はどんどん痩せ衰えてなんとか生きているという状態です。それで今回の為替介入は、ちょっと体調がすぐれなくて頭が痛いから頭痛薬を飲んだみたいな話です。それで一時的には楽になったと感じるかもしれませんが、日人が健康になる訳ではありません。

そんな状態で、さらに増税しています。
多くの人は先月から、手取りがちょっと減っているはずです。社会保険料が最近あがったのはご存じでしょうか?その上さらに消費税を19%まで値上げするみたいな話がでてきていますが、これは何を意味するかというとさらに働けという話です。もう痩せ細って体に元気も力も残っていないのに、死ぬまで働けと。

「どうんすの?この状態?」

というのが率直な私の意見です。
日本人は過労死するまで働く事を強要する民族だというのがよくわかりますね。

一方の米人はどうかというと、ガツガツ食いまくって太っています。
ただ、最近は食い過ぎて太りすぎの傾向が顕著になってきました。GAFAMと呼ばれる、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフトといった米国を牽引してきた企業の決算でアップルを除いた企業の業績が低下していました。ウクライナ紛争を発端とするインフレが加速しているのが大きな要因でしょう。

その結果、米国が不景気入りするだろうという見通しが一般的になっています。
ただ、これは太りすぎたのでダイエットが必要だと判断されたと考えるとよいでしょう。うまくシェイプアップできればまた復活すると考えられます。

一応、その時に日本との金利差が小さくなって円安は解消されるはずと考えている人もいるみたいですね。でも、これもよく考えてください。米人が健康になったからといって、それに釣られて日人が健康になる訳ではありません。日本経済は弱いままですからね。

ちなみに、

「日本人は努力に逃げる傾向がとても強いです。」

これは私がいつも考えている事ですが、努力して健康になろうとする人がほとんどです。
よく聞かされるのが、

「もっと運動をしなくてはいけない。」
「姿勢を正して仕事をしなくてはいけない。」

なんていう話でしょうか、そういうのはほぼ総ての人にとって不可能な事で、

「竹槍で戦闘機を落とせ。」

みたいな事を言われていると早く気がつくべきでしょう。

ここまでの前提をふまえて、

「健康になるためにどうすればよいのか?」

という事を考えてみてください。
答えは、

薬でその場しのぎのごまかしをしないという事、そしてストレスみたいな外的な要因で大きな影響を受けて病気になるような軟弱な状態を脱するという事です。

さしあたって、もっとシンプルに考えるなら、

「薬を使って問題の先送りする事を辞める。」

という事になると思いますね。
薬で症状を和らげるなんていうのは為替介入と同じなのです。

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センシティブな話

『100日後に死ぬワニ』はご存じでしょうか?
ツイッターで公開されたマンガで、話題になったのでご存じの方も多いことでしょう。私もネットで読みましたが、もうすぐ死んでしまうワニがのほほんと送る生活を眺めて切ない気持ちにさせられました。SNS上で大いに盛り上がったのですが、映画化されたアニメは評価されなかったそうです。

タイトルが、

「100日間生きたワニ。」

ですから当然といえるかもしれません。
おそらく100日後に死ぬワニではセンシティブだという判断がされたのでしょう。正直に言って、

「アホだ。」

と思います。
私はこういう人たちの事を、

「テストではいい点をとれるけど目の前に起こる問題を一切解決できない賢い人たち。」

と表現しています。

あと、これは聞いた話なのですけど、日本沈没という小説がちょっと前にドラマ化したそうですね。
私はこの小説は読んだ事はなかったのですが概要は聞いた事があります。その概要とは、

「日本列島が沈没した後に生き残った日本人たちは、自分たちが日本人であるというアイデンティティを保つことができるか?」

というものです。
正直にいって自分がそういう状況におかれたらアイデンティティを保つ事は難しいと思います。現状すでに日本人を辞めた方がいいだろうとまで考えているから当然です。

最近のドラマでは日本列島は沈没すらしないそうです。
主役とヒロインが沈没を食い止めてしまうのだとか。危機一髪で食い止めて皆が幸せに暮らしましたみたいな、予定調和のストーリーを作者の小松右京は一切考えていないと思うのですけどね。

とても頭のよい人たちは、日本が沈没するなんてセンシティブだから、危機一髪で皆が救われた方が見ている人は喜ぶだろうなんて思うのかもしれません。

一応、言っておきますが私は学歴の高い人を馬鹿にしている訳ではありません。
本当は優秀な人たちの方が圧倒的に多いと思うのです。でも、100日生きたワニとか、日本沈没しませんとか、そういうのは世間一般では賢いと言われている人たちが考えたとしか思えないんですよね。創作に関わるような人たち、創造性、想像力、インスピレーションの高い人たちがこういう愚かな改変するはずがありませんから。

賢い人たちはとにかく人の死を厭うようです。
でも、人間っていつか必ず死ぬんですよね。死というのをどう捉えるかは人それぞれでしょうけど、生があるから死があるわけで、死というのは人生のゴールです。100日生きたワニ、沈没しない日本沈没、これらはあきらかにゴールから目を背けていると言わざるを得ません。

さて、このことをふまえて考えてみてください。

「医学が進歩しているので人生100年の時代がやってくる。」

と言われはじめています。
私はこの言葉には違和感を感じますね。
例えば、

「100歳まで生きたとして人はその分その人生で享受する幸福の量が増えているのか?」

なんて具合に考えてみてください。
現状の医学の様子から察するに、80歳までそこそこ生きて残りの20年は寝たきりになるだけだろうとしか私には思えませんけどね。賢い人たちはここらあたりについて、どのように考えているのでしょうかね?

「100歳まで生きたヒト」

なんていうおかしな人生の改変をされなければいいなと思います。

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義肢とガンダムの話

手や足を切断した人に割とよくある話と聞いた事があります。
無くした手や足の感覚を感じることがあるそうです。どういう事かというと、ないはずの右手の人差し指が痒いとか、なくした左足の裏がむずむずする事があるそうです。初めてこの話を聞いた時は、

「確かにそういう事はありそうな気がする。」

と思ったものです。

なくした手足の感覚があるというのは、実際にはかなり辛いものだそうです。
その結果、精神状態の安定を保てなくなる事も少なくないようです。体の感覚として感じているものが、物理的には存在していない訳ですから、おそらく幽霊に取り憑かれているというような感覚に近いのじゃないでしょうか。

ただ、実際に手や足をなくした人は私の周囲にはいません。
だから、実際にはどうなのかの話を直接に聞いた事はありません。また、意識的にも、無意識的にもそういう人を避けていたいるのだろうという自覚はあります。多分、私は、体の一部を無くしてしまっている事を受容することができないのだろうと思います。だからこそ、そういう事にならないように体の感性を高めて生きていきましょうという整体を日々、行っているのかもしれません。

それで、先日、機動戦士ガンダムの最新作が公開されました。
サブタイトルが「水星の魔女」です。このタイトルがどういう事を意味しているのかはまだかわっていません。ただ、どうも手や足など、体に欠損を抱えた人たちがガンダムのパイロットになっているという背景があるようです。

物語をみていくと、手や足をロボットに置き換える事で、宇宙空間で様々な作業を行えるようになった人たちが登場していました。10m以上もあるロボットをレバーやボタンといった操作で操縦するのではなく、自分の意志のまま、自分の手足のように動かせる訳です。

「手足を無くした人にとっては、夢のような話だな。」

と考えながらみていました。
ところが、このガンダムには大きな問題がありました。どうも操縦者たちの精神がおかしくなってしまうようでした。映像ではそれは精神だけでなく、身体にまで及んでいるように思われました。自分の手で10tはあろうかという岩を持ち上げたりしていた訳です。自分の身体感覚と現実に起こっている現象のずれに苦しむようになってしまうのかと私には思われました。

また、一方でそのようなガンダムを操縦できる能力を脅威と捉える勢力がいました。
ガンダムは作業用としてだけでなく軍事目的でも開発がすすんでいたようですから当然の成り行きなのでしょう。その勢力は、ガンダムの研究とそれに関わる研究者たちの抹殺を実施しました。

「健常者と障害者の紛争がはじまった。」

という事になります。
現代社会になぞって説明するならこういう表現になる訳で、かなりぶっ飛んだ話に聞こえるかもしれませんね。まぁ、まだ1話を見ただけなのでこの解釈には間違えているところはあるかもしれません。

見て思ったのは、これまで不要、無用、大切にされていなかった人たちに活躍をする場を作ることができれば社会を変革する事ができるのかもしれないなぁとそんな事でした。(こういう表現をすると怒る人もでてくるのでしょうけど。)映像では一瞬でしたが、仕事ができるようになって、必要とされるようになった人たちが心の底から喜んでいるように思えました。今まで私の中には一切なかった視点が1つ、新しく生まれたように思います。

そんな訳で、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』はかなりおすすめかもしれません。AmazonやAbemaなんかでも見れるらしいので一度ご覧になってはいかがですか?
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辛い料理が面白い

最近、辛いものにときめきを感じています。
アカスリが韓国発祥ということで、辛い韓国料理も今の日本に合うのじゃないかと試してみました。するとどうやら当たりだったようで辛いものを食べて汗をかくと体がすっきり楽になります。私は疲れがでてくると便秘になる傾向があるのですが、辛いものを食べたあと便通がかなりよくなるのが特に嬉しいところです。アカスリの時に肌を過保護にしてはいけないと述べましたが、どうやら肌だけでなく胃をはじめとする消化器も刺激してあげた方がよいようです。

実は、辛みというのは呼吸器に属する味覚です。
五行には五味という考えがあって、味覚が体にどのように影響するかが説明されています。だから、辛いものを食べると肺を中心とした呼吸器の働きが活性化して息が深く入るようになります。その結果、代謝があがって汗をかいたり排泄が促されたりという事が起こるわけです。私は、いつも

「腸は肺の子分なんですよ。」

と説明していますけど、便秘ぎみの方は食物繊維が足りないのではなく、辛みが足りないのだと考えた方が体調の維持をしやすいでしょう。ついでにいっておくと、腸内環境がどうのこうのという話はほぼ検討違いなので無視する方がいいと思います。

なお肺の働きが小さい人が辛いものを食べるとトイレからでれなくなる事があります。
こういう人は、普段から肺に空気がはいっていなくて、肺がしぼんでいると考えるのが正解です。辛みの刺激を体に与えると、呼吸器全体が刺激を受けて腸の働きも活性化する訳です。繰り返しますけど腸は呼吸器の一部なのです。つきつめると、肺に空気がはいっていないからそのような事が起こる訳で、下痢をすると困るという事で薬なんかで強引に止めておくと肺の働きは弱くなってゆきます。過敏性腸症候群と言われたり、線の細い病弱な印象のする人の体にはこういう事が起こっています。

結果として、やたらと眠い、ものぐさになる、意欲や向上心が失われしまいます。
心当たりのある人は体質改善を考えた方がよいでしょうね。とりあえずは唐辛子がたっぷり入った物でも食べて1週間ぐらいトイレにこもるところからはじめてもよいかもしれません。お尻がかなり痛くなるのは間違いないでしょうし、血便がでてびっくりするかもしれません。でも、それはガッツポーズをして喜んでいい変化です。

今のところ、唐辛子、コチュジャン、豆板醤といったこれぞ韓国料理という調味料が日本人の体に合うように思います。今後はスパイスを使ったインド料理なんかも試してみようと考えていますが、いまのところちょっと違うのじゃないかなと思っています。

この話のポイントは、私たちはエアコンを利用する事によって涼しさを保っている状態であるという点です。
韓国は湿度が低めの低い国だそうで、その環境で健康を保つために辛みを重視するようになったのだろうと考えています。それで、そういう環境にもっとも適した料理がキムチなのだろうと思いますね。スーパーに行くと、ぬかの漬物が廃れている傾向があるのに対して、キムチはたいてい1コーナーあります。

「おいしいと感じるものは、それを食べた時に自分が元気になるものだ。」

という事です。
ほとんどの人はキムチが体調をよくしているとまでは意識してないでしょう。でも、キムチがおいしいという事に気がついている人はそれなりにいる訳です。体にいいものを食べる前に、何がおいしいと感じるかをちょっと気にしながら食事をした方がいいでしょう。
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幸福な人生にストレスは必要

英語の勉強をはじめて1ヶ月程度が過ぎました。
いまだ、勉強した事が身についている実感がありません。さらに、

「勉強しなくてはいけない!」

という妙な切迫感が日々ついてまわっています。
そのせいで鳩尾に妙な力が入る時があって苦しいとまではいきませんが、プレッシャーのようなものを感じる時がよくあります。

機動戦士ガンダムに登場するシャア・アズナブルという人物に、

「この私がプレッシャーを感じているだと・・・。」

という有名なセリフがあるのですが、シャアが感じていたのはこれだなぁと実感しています。
まぁ、私は学生の頃にはこの何倍ものプレッシャーを感じながら勉強していたはずですから、いまのプレッシャーなど大した事はないとは思いますけどね。

最近の風潮だと、こういうプレッシャーをストレスと言って切って捨てる傾向があります。
そのせいだと思うのですが、

「楽しまなければいけない。」

と思い込んでいる人が、新しい事をはじめる時の緊張感をストレスだというのです。それでその挑戦を辞めてしまうのを何回か見たことがあります。それは非常にもったいない事だと思うのですが、楽しむという事は我々人類に定められた義務なのできっと仕方ないのかもしれません。

しかし、私からするとこの緊張感は自分を後押ししてくれるものです。
だから、頻繁に新しい事に挑戦して緊張を楽しんでいます。今年はすでに趣味みたいな資格を2つとりましたし、そこからさらに英語をはじめたわけです。

私は、英語のオンラインレッスンを受けるなんて嫌で嫌で仕方がないのです。
英語をはじめるにあたっていろいろ調べたのですけど、英語を身につける人ってたいていは元からコミュニケーション能力が高い傾向があると感じました。それで、そういう人はいろんな人と話すのが楽しくて仕方がないという人の方が多いようです。だから、英語でしゃべる事ができるというのは、話せる相手が増える、つまり楽しみの幅を拡げるという事になるようです。

そういう人たちと私では根本的な部分が違います。
私なんてまる1日誰とも話をしないでも平気です。むしろ黙っている方が気が楽で話をしたいと思う事の方が少ないぐらいですからね。でも、英語で書いたり話したり出来るようになった時にちょっと世界の景色の見え方がちょっと変わるんじゃないかと、その景色を眺めてみたいからと思っているのでなんとかやれている訳です。

実はストレスっていうのは私にとっては背中を押してくれるものです。
これは越えなきゃいけないハードルだと教えてくれているのです。他のケースだと、こっちの進路は違うよ、この人は違うよ、私と同じように英語を勉強している人でも、その勉強方法あなたには向いていないからやり方を変えた方がいいよみたいな、そういう事を体が教えてくれているサインだったりすることもあるでしょう。

体は言葉を使えないから様々な方法で教えてくれる訳です。
それをどのように読み解いていくか?というのが上手に生きるコツだと考えています。でも、そういうのを読み解くのを面倒くさいと考えてしまう人がよく言っているセリフが、

「楽しまなければいけない。」

ではないでしょうか。

サインを一切感じないで生活していたらどうなるでしょうか?
スキルや技能が何にも身につかないとか、友達に裏切られるとか、詐欺に騙されるとか、そうなってしまうように思えます。一体いつからストレスは体を壊す害悪だなんて言われるようになってしまったのでしょうかね?

ストレスっていうのは感情の1つです。
嬉しい、楽しい、怒り、悲しいなどの感情がブレンドされて生まれる感情の一つです。だから、ストレスのない生活なんて小綺麗な表現がありますけど、それって嬉しいとか楽しいを感じない生活というのうと同じ意味になるような気がします。泣いて、笑って、怒って、喜んで、そういう感情は人間が幸せに暮らしていくためには絶対に必要なものだと私は思いますけどね。
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