ブログ「日々整体」

マルシリ症候群のよもやま話

痛みを感じない人間がいるなんていう話をテレビで見かけました。
あまりテレビをみない私が、たまたま電源をいれたときに興味深い番組をやっているというのは妙な話です。中居正広さんと、笑福亭鶴瓶さんがやっている番組でマルシリ症候群という病気を紹介されていました。

まぁ、厳密にいうと、症候群というのは、原因も治し方もよくわかりませんなんていう意味で使われる言葉で、病気というのは原因と治し方がわかっているものに使う言葉です。ですから、症候群という病気という言い方は間違えているのですけどね。まぁ、最近は曖昧になってきてるから細かいことはどうでもいいのかもしれません。


話を戻します。


マルシリ症候群は遺伝子の異常が原因で起こるそうです。
痛覚をほぼ感じないという体質が遺伝してしまうようです。怪我なんかをした時には、最初だけ違和感を感じるそうですけどすぐに感じなくなるそうです。そのせいで、ある日突然に腕が動かなくなって、おかしいなぁと思って医者にいったら骨が折れていたなんて言うことが日常茶飯事に起こるのだとか。

マルシリ症候群について、私が興味深く感じたのは3点ありますかね。
1つは、暑い、寒いという感覚もなくなってしまうそうで、真冬なのに真夏のような服装で外出するようになるそうです。2つ目は、泌尿器が弱りやすく膀胱炎になどを起こしやすいということ。3つ目は、内臓の感覚ははっきりとしているということです。

テレビで紹介されていたマルシリ症候群の姉妹は、膀胱炎で医者に運びこまれたことがあるそうですが、ふたりとも激痛を感じたそうです。どういうことかというと、内臓の感覚はあるわけで、単純に痛みに対する感覚がないというわけでもないようです。

余談ですが、私の整体を受けて話をしたことがある方がここまで読むと、ピンときてその原因やおおまかなメカニズムまでわかってしまう人もいるかもしれませんね。


さて、マルシリ症候群についてですが、みられる症状から察するに頚椎6番に関わる神経の働きに異常があることは明白であろうと思われます。ただ、遺伝子の異常で起こるということですから、病気というよりは個性という捉え方をする方が適切ではないかと思えます。少なくとも他の多くの人とちょっと違うから病気だとか異常だとか症候群だとかいう具合にカテゴライズしてしまうのは面白くないですね。


突然変異とか、ミュータントとかいうやつですね。
私の好きな漫画にサイコプラスというのがあるのですが、主人公は緑の目と髪を持って生まれてきた日本人の青年です。ちょっと外見が妙な青年のラブコメかと思いきや、彼は重要な役割を持って生まれてきた存在でした。

マイナーで古い漫画なんでネタバレしちゃいます。
実は、彼が生まれたのは地球に隕石が接近していたからです。その危機から人類を救うために超能力をもってうまれたのでした。で、彼と同じくして生まれた緑色の仲間が何人もいたのです。緑色の髪と目をしたミュータントたちは協力して地球を動かすという方法で隕石を回避することに成功します。で、暦が4ヶ月ほどずれてから帰ってきた彼の目と髪は黒色になっていましたというお話です。


話が少しそれます。
細身の方によくあるのが、食べて太らなければいけないというような謎の義務とコンプレックスです。体の肉付きなんてのは、骨格でほぼ決まってしまいますから、食べれば太るというようなものではありません。確かに、体の重さというのはエネルギーの量と言い変えてもいいものですから、重いということはそれだけで強いという事を意味しています。しかし、重くなれない骨格で生まれてきたという人は10~20%ぐらいの割合で存在しています。そういう人が、重くなろうとして一生懸命に食べていると間違いなく体を壊します。

生き物には必ず多様性というものがあります。
DNAなんてのはこの多様性を確保するためにできたものだと私は理解していますけどね。まぁ、ぶっちゃけていうなら細身の骨格であるということは、ちゃんと意味があるということです。細身であるほうが、生存率が高いシチュエーションがあるといい変えてもいいかもしれませんね。

個性が大事なんていうこういうご時世で、肉体は没個性になってとにかく太れなんていうおかしな事をいう人間がいくらでもいるから困ったものです。まぁ、このあたりは書き出すと長くなるからまた別の機会に書く事にしましょう。


マルシリ症候群なんてのは個性と捉えていいのじゃないですかね。
まぁ、いろいろ不都合はあるかもしれませんけど個性の範囲といってしまっていいのじゃないでしょうか。家族全員が痛覚に鈍く、泌尿器弱いわけですが、彼らは幸せそうにテレビに映っていました。そんな彼らは痛覚に鈍いということで、社会とか人類に対してなにか重要な役割があるのかもしれないなぁとそんな事を思いながらテレビを見ていたわけです。
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夏バテの徴候がではじめてますかね

朝夕の気温がそれなりに涼しくなってきました。
こうなるとでてくるのが、


『夏バテ』


というやつですね。
最近の私の口癖になっていますが、夏バテというのも気分だけの言葉になっていると感じています。体に何が起こっているのかわからないのに、


「なんか体がしんどいし8月だから夏バテだ。」


みたいな使われ方をする言葉です。
まぁ、最近はなんでもかんでも熱中症にしてしまうので夏バテなんていう言葉を使うことは減っているかもしれませんけどね。


しかし、私は熱中症がどういうものかを定義してしまっています。
すると、ここ2日ほど整体にこられた人に起こっていることが、熱中症ではなく夏バテだといいたくなってしまいますかね。

簡単に説明するなら、熱中症というものは体温の調整がうまくできなくなって心臓と肺の動きに影響がでている状態です。それに対して、夏バテというのは腎臓と心臓の動きが低下している状態ですね。ただ、夏バテはただ疲労しているという状態で、体になにかしらの問題が起こっているわけではありません。疲れが溜まったから、休む必要があるというだけのことです。まぁ、ややこしいのは熱中症で腎の働きに影響がでることがあるので、見分けることができない人も結構いるかもしれんなぁということでしょうか。私の感覚だと全然別もので間違えるようなものではないんじゃないですかね。


毎年、お盆の頃にこういう具合に夏の疲れとでもいうようなものが吹き出してきて体が重くなるわけです。
ただ、私はこの状態を


「墓参りするのにちょうどいい状態だからいっといで。」


と説明しています。
故人や先祖の事を思い出してしんみりするにはちょうどいい体の状態になっているわけです。ちゃんと参っておけば盆があけたころに疲れが抜けて元気になっているはずです。墓参りには他にも意味はあると思いますが、基本的には人を元気に健康に導くためのものであるはずです。そうでなければ慣習として残るはずがありません。古くかあるものは無意味にあるはずがありませんから、墓参り前後だと体がかなり変わっていると思いますね。


まぁ、言っている本人は、


「渋滞する盆にでかけていくなんて嫌だ。」


という考えの持ち主なので、墓参りの効果を自らの体で検証することはないんですけどね。
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エアコン導入の憂鬱

今年、3年ぶりにエアコンに電源をいれました。
流石にあつすぎて仕事に集中できないので使う事にしたのですが、妙な敗北感に苛まれていたのです。すると、いたたまれなかったのでしょうかエアコンが壊れてしまい部屋が冷えなくなってしまいました。


「また、暑い日がやってきたらどうしよう?」


そう思わないでもないのですが、このままエアコンつけて仕事をすることに慣れてしまうと堕落してしまうような気がするのも確かです。このまま崖をすべり落ちるように人生を堕落させてゆくのは避けたいところです。


まぁ、単純にいまから頼んでも設置がすむのは早くても3週間ぐらい先です。
すでに暑さのピークはもう過ぎたかもしれないと思うと、下手をすると、


「次回、電源を投入するタイミングは3年ぐらい先になるかもしれない。」


そうなる可能性がかなり高い。
日本の環境、季節の変化、そして私のひねくれた性格を加味して検討すると、


「新しいエアコンを買うのは3年後でいいだろう。」


というのが冷静にして適切な判断だと思われます。


さて、クーラ病なんていう言葉がありますが、エアコンつけてたらなんか体の調子が悪くなったなんていうのをなんとなく表現してみましたというだけで、体に何が起こっているのかをちゃんを説明されていません。今の世の中はこういう気分だけの言葉がたくさんありますから、自分がそういうものに関わっているということに気がついた時はちょっと掘り下げて考えてみたらよいのではないかと思います。

クーラ病というのは、エアコンで体を冷やしすぎて汗をかけなくなった状態です。
汗をかけない状態というのは、体温の調整ができない、代謝が起こせないということですかね。ちょっと難しいのは汗らしきものはかいている事があるということでしょうか。

汗には、いい汗というものがあります。
いい汗というのはかいたときに体がすっきりした感じがしますかね。運動した後やサウナからでて水風呂に入った時に爽快感があるならいい汗をかいたといえます。

駄目な汗というのは、脇や頭だけにかくというように局部的に出ることが多いですかね。
爽快感などなく、汗をかいてもひたすら体が重くなってゆくだけです。いい汗をかけない人が運動なんかしても辛いだけで長くは続きませんから、ウォーキングやジョギングが三日坊主に終わる人はいい汗をかけていない可能性が高いといえるでしょう。

私なんかもそうですが、エアコンがあまり好きではないという人は、エアコンの影響をうけやすくていい汗をかけなくなるの傾向の強い人といえるでしょう。

なお、今年ぐらい暑い日が続くと暑さで体温調整がうまくできなくなっていい汗をかけなくなることもあるでしょう。そういう時は、エアコンをつけて体を冷やしている方が調子がよいと感じることもあります。

エアコンは体にいいとか悪いとか安易に判断するようなもんではなく、シチュエーションや体調に応じて上手に使うという姿勢が大切だといえるでしょう。少なくとも熱中症が怖いからと問答無用に部屋を冷やしているというのは駄目でしょうね。
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中身がからっぽの人にはわからない話

暖簾に腕押しという人が結構な割合でいます。
何をどう説明してもまったく違う意味として理解するのです。自分の視野の外には何も存在していないとでも考えるようですが、私がする話っていうのは全部視野の外の話みたいですね。

ところが、こういう人は学校なんかのテストじゃ、そこそこいい点数をとっていたりするから自分はそこそこ賢いと勘違いしていたりします。出題される範囲が決まっている学校の学力テストなんかは、視野の中に入っているのでしょう。

なかなか説明が難しいのですけど、イエスかノー、黒か白、右か左かでしか物事を考えられません。東大卒だけど仕事やらせたら全く役に立たない人なんていえばイメージがちょっと湧くかもしれませんかね。

そんな人に、


「健康になろうと思ったら灰色を目指すのですよ。」


なんて話をすると、


「わかりました。黒と白の中間、つまりバランスが大事なんですね。」


なんて、わかったようなことをいいだす感じですかね。
私にしたら清濁併せ呑む感覚なんてものの話をしているのに、こういう返答が返ってきたりするとげんなりするわけです。


で、ちょっと前のことなのですが、そういう人と接していた時に、


「この人は中身がからっぽだな。」


というように感じました。
まぁ、平たくいうと他人の価値観や考え方で生きているなぁということでしょうか。どんな話をしていても、背後にいる誰かに怯えながら受け答えしていると感じたのです。で、


「両親が厳格で厳しい人だったんですか?」


と、聞いてみたら全くその通りだったようです。
私と変わらない年齢の人でしたが、この場にいない両親を怒らせない、喜ばれるような受け答えをずっとしているわけです。子供の頃から染み付いたとうか、徹底的にそういう風に育てられてしまったということなのでしょう。体の様子をみてなんか変だなぁと、駄目な状態というより、単に弱いだけだなぁとそんな風に感じていたのですけどね。そこで、


「あなた自分がないな、中身がからっぽだ。だから体が弱いんだよ。」


なんて事を伝えたら、泣きながら帰っていきました。

振り返って考えると、口が滑ったというのはこういうことなんだなぁと思います。
ただ、私からすると今でも必要なことを伝えたという感覚しかなかったりします。確か、胃腸の動きが悪くてまともに食事ができない、アトピーがひどくて、ガンが疑われるみたいな状態でしたかね。

まぁ、こういう時に私が物事をオブラートに包んで、


「気持ちを前向きにして少しづつ元気になりましょう。」


みたいなことを言わなきゃいけないようだったら、こんな仕事はとっくに辞めてたでしょうけどね。


人間というのは厄介な生き物です。
何を考えて生活しているかで体の状態は極端に変わります。人生の目標を持っているとか、仕事にやり甲斐を感じているという人の体は、そうではない人とは明らかに違います。だから、


「夢や目標を持つことが大切だ。」


みたいなことをいう人がでてくるのは当然です。
それをもった人間の力、私はこういうのを生きる力と呼んでいますが、それは自律神経の力といっていいでしょう、その力が発揮されれば大きな差が生まれてきます。ただ、こういう力の源の事を、


「気持ちを前向きにすることだ。」


とかいう人間がいたら私は蹴飛ばしてやりたくなりますね。


人間が元気に、そして幸せに生きようと思ったときには、こういうなんとも表現のしようのないよくわからない力が大切なんですよね。ところが、中身のない人にはこれが理解ができないわけで、


「寝る3時間前に食事をして副交感神経を優位にすることが大切だ。」



みたいな事をいっているわけですよ。


ちなみに、泣きながら帰っていった人には、


「なんでもいいから帰りに本を1冊買って次に来るまでに読んできなさい。」


と具体的な解決策の話もしてみました。
すると、いままで1冊も本を読んだことがない、とてもじゃないが活字は読めないといいますので、


「それじゃワンピースもベルばらでもでいいから数冊読んで来なさい。」


と伝えたんですけどね。
その後、やってこられてはいませんから、きっとマンガを読む程度の力もなかったのでしょう。マンガも読んだことがないといっていましたから、ちょっとハードルを上げすぎたかもしれないと反省しています。
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