ブログ「日々整体」

1月26日 品川13時空きでました

1月26日 品川の13時 空きがでました。
希望される方がおられましたら電話にて申し込みください。
関連カテゴリー< >

ちょっと名古屋にいってきました

名古屋へ初めて出張してきました。
何人か、新しくこられた方がいましたが、


「そういう事が原因だとは思わなかった。」


と言っておられました。
私からするとよくあるパターンの体の痛め方でしたから、言っちゃ悪いですが、別に目新しいということはなかったのですけどね。

皆さん、耳なりとめまいの相談でしたが、やはりそれぞれ原因はちょっとづつ違うわけです。


そして、

「もう治らないから、気にしないように生活しなさい。」

なんて言われています。
気になるし、辛いのが気持ちの持ちようでにどうにかなる訳がありません。なにか言うにしてももうちょっと本人の気持ちに寄り添ったアドバイスをしたらと思いますが、専門家という人種は


「私は何も悪くありません。あなたの心の問題です。」


と結論づけて逃げてしまうようです。

のぞみに乗ると京都から30分と随分近いですね。


2月は、 2日(日)、 20日(木)を予定しています。
お困りの方がおられましたらご相談いただければと思います。

IMG_3686.jpeg

関連カテゴリー< >

才能というのは寿命を消費して発揮するもの

「モーツァルトが36歳という年齢で死んでしまったのは、その才能を発揮し尽くしたからだ。」.


才能というのは寿命を消費して発揮するものです。芸術の分野でこの傾向は顕著なんですが、なじみやすい例であげるとマンガなんてわかりやすいかもしれません。

Dr.スランプ、ドラゴンボールの作者鳥山明はドラゴンボール以後マンガを描いていません。
多少は描いたりはしていましたけどあられちゃんやドラゴンボールなどに比べるべくもないものでした。何を描いたのか知らない人の方がおおかもしれません。そうなる理由は、描けなくなったと考えるとわかりやすいでしょう。


少年ジャンプの編集長をやっていた方に鳥島和彦という方がいて、


「ドラゴンボールを長引かせたのは失敗だった。そうすれば鳥山明はもう1本ぐらいマンガを描けたかもしれない。」


なんていう発言をしています。
Dr.スランプに登場するマシリトはこの鳥島さんががモデルなので知っている人もいるかもしれません。彼からみるとドラゴンボールで燃え尽きてしまった鳥山明はもう描けなくなってしまっているというわけです。それを無理矢理にでも書かせればどうなるのか?たぶん死んでしまうんじゃないですかね。


ジャンプには長期休みをはさみながら連載を続けているハンター×ハンターというマンガがあります。
私も1回は読んでみました。長期休みがはじまる直前までの話で想像とか才能を出し尽くしてしまったので、描けなくなっているのでしょう。

作者は冨樫義博という方なのですが、この方はハンター×ハンターの前に幽☆遊☆白書というマンガを書いています。興味深いのは、幽☆遊☆白書はとても中途半端な終わり方をしています。本人は、


「このままだとだらだらと続けらさせられそうになったので無理矢理終わらせた。」


というような発言をしています。
才能を枯渇させてを終わらせるのではなく、余裕がある状態で次につなげればハンター×ハンターという、前作を超えるような人気マンガがまた描けるわけです。


続きを楽しみにしている読者からは、


 「富樫仕事しろ!」


なんてよく言われていますが、無理矢理書いたら、おそらく死んでしまうのでしょう。
直感的にそういう事がわかるから、じっくり休養をとっているわけです。人気マンガの作者なんて、それぐらい命を削ってマンガを書いているということでしょう。


ちなみに、長く続いている漫画で私がぱっと思いつくものにゴルゴ13があります。
調べたら50年ほど続いているようです。本当かどうかはしりませんが、この作者は全部アシスタントに描かせて、自分は目しか描かないなんていう話があります。才能を消費することなく漫画を描くしくみを構築しているから長く続けられるわけです。


さて、こんな事を改めてまとめてみたのはリャナンシーという妖精の存在を知ったからです。
リャナンシーはアイルランドに伝わる女性の姿をした妖精です。厳密にいうと、アイルランドに住んでいたケルト人は文字を持たない民族だったらしいので、ケルト人の話を聞いたローマ人なんかが伝えてきた話らしいですけどね。

リャナンシーは、男性に求愛する妖精だそうです。
その求愛を受けた男性は、自分の精気つまり寿命と引き換えにして芸術の才能を手に入れます。ケルトの才能ある芸術家はみな短命だったらしいですね。そんなところから、芸術家たちはリャナンシーに命を差し出す見返りとして才能を手に入れ、素晴らしい作品を作り出しのだと考えられていたようです。


才能の量というのは生まれもったもので、それをすべて出し尽くした時に人は生きる力を失ってしまうという考えはある方の受け売りでなんですけどね。それがこういう古い伝承に残っているというのは、やはり間違った考え方ではないのでしょう。


こういう事を踏まえて、生きるということについて考え直してみると生き方がのヒントがみつかるのではないでしょうか。シンプルに考えるなら、


「才能を消費しなければ長生きできる。」
「才能を消費すれば寿命が減る。」


ということです


長生きできれば人生に満足できるわけではないと私は思いますね。
何を為すことも、何を残すこともなく、ただ生きて死んでいく人生に満足できるかと、1回ぐらいはきちんと考えてみてもいいんじゃないでしょうか。芸術だけでなく、スポーツの分野でも応用ができますし、才能を発揮するという視点から広げれば、日々の生活だって、仕事のやり方だった大きく変わってくるはずです。
関連カテゴリー< ブログ

2月品川、日暮里、名古屋の整体の受付しています

今週末、名古屋ではじめてやります。
場所は伏見です。多少、空きがありますのでお困りの方は一度相談にいらしてください。体にどういう問題が起こっていてどうすればいいのかを説明させてもらうことができるはずです。おそらく世間や他の専門家に相談してもどうにもならなかったケースでも、違う視点や考え方です。



また、日曜日の品川はだいぶ予約がとりにくくなってしまっていて16日の夕方にしか空きがありません。迷っているようでしたら早めに電話をいただくほうがいいでしょう。



関連カテゴリー< >

自律神経の読み方

年末年始の休みに溜め録りしてあったドラマ「まだ結婚できない男」を見ることにしました。

10月17日の記事で1話だけみて考察してみた記事はこちら

数ヶ月もあけて2話目以降をみてみたわけですが、ひどい内容になっていました。
放送はもう終わっていますが、もし見ておられた方がいたのでしたらこのあたり、具体的には2~6話で見るのを辞めてしまった人もいるのじゃないでしょうか。

単純なコメディドラマとしてだけみるのであれば、それなりに楽しめる内容ではあったかもしれません。でも、このドラマはあの結婚できない男の続編ですから私の期待値はもっと上です。

ダメだったところを上げてみると、

・桑野信介のキャラがぶれてタダの痛い男になっている
・桑野が指揮棒をもって指揮をするシーンがない
・桑野が食事をするシーンがない

一般の人から見ると奇矯だけど、桑野にとっては当たり前だというシーンはこのドラマにおいてもっとも重要なシーンです。ところが、2~6話では、桑野信介が鎌倉でお金を洗うシーンが1つあるというだけで、他にはまったくありませんでした。

また、桑野信介が言うはずがないセリフが延々と並んでいました。
阿部寛は1話できっちり役作りをやっていましたから、このセリフのブレにはかなり困ったのではないかと思われます。

このドラマの女性たちは、主人公に対して


「気持ちや考えはちょっと理解はできるのだけど、この人と結婚するとなるとちょっとね。」


というような微妙な心の動きを、1話では面白おかしく表現していました。

ところが、2~6話は、


「女性の気持ちに対する配慮や気づかいが全くできないダメな男を女性たちがあざ笑う。」


という内容になってしまっていました。
男性が草食化して頼りなくなったせいで結婚相手を見つけられないとぼやいている女性に、媚びを売る内容になり下がってしまったとでもいうところでしょうかね。

このドラマにおいて何がもっとも面白いのかを理解しない人間が雑な干渉をしてきて制作現場をぐちゃぐちゃに荒らしていったのでしょうか。

普通に考えるのであれば1話とそれ以降の体制に変化があったのは明らかであろうと思われます。
セリフとストーリから考えると、脚本を書いている人が変わっている可能性が高いと思えます。ただ、テレビのドラマって監督や脚本家の情報があまり表に出てこないので、何が起こっているのかが今ひとつわかりにくいのですけどね。

あるいは、1~6話まで収録した時点で、

「これではダメだと。」

監督がそんな事を言い出したのかもしれません。
それでてこ入れをしようとしたのだけど、制作スケジュールを考えるといろいろ直すわけにもいかないので、

「それじゃ1話だけでもしっかりやり直そう。」

とそんな事が起こったのかもしれません。

ただ、そう考えると1つ辻褄が合わなくなります。
1話では桑野信介の対極の存在としての立ち位置だった森山桜子という女性の立ち位置です。2話以降、出番が極端に減って、5話あたりからちらほらでてきて7話で桑野信介の仕事のパートナーである村上英治の結婚相手になっていました。村上が彼女と結婚するのは8話です。

桑野の真逆の存在であることを前回の記事で指摘しました。
その真逆の立ち位置は変わっていませんが、西にいたのがいつの間にか東側にいたみたいな変更をしてきましたね。その分、弁護士の吉山まどかがもともと森山がいたポジションにじわじわと寄っていきました。

1話であれだけしっかりキャラ立てをやっていたのに、こんだけキャラの立ち位置をいじってくるというのはかなり珍しいと思います。先ほど述べたとおり、制作陣のなかでかなり喧々諤々の何が起こっていたんじゃないでしょうか?ちなみに、これを書いている1月10日で私は8話まで見ましたので残り2話です。2話以降の崩壊ぶりからいってもうダメだなと思っていたのが、7~8話で建て直してきたでラストはちゃんとまとまっていそうな気配です。

さて、年末年始はずっとこのドラマ「まだ結婚できない男」の事ばかり考えて過ごしていました。
それでふと思ったのですが、私は体の状態をみる、つまり自律神経の状態を読む時も同じような見方をしていますね。セリフがぶれたり、ストーリ展開にスムーズさを欠いているなぁと思った時には、


「どうしてこういう脚本になったのか?」


という見方をします。
その原因は、監督がへぼなのか、脚本家の実力がたりないのか、役者の演技がダメなので妥協してこうなったのか、それともスポンサーが横槍を入れて改変したのか?なんて事を考えるわけです。


「面白くないのは脚本がダメだからだ。」


なんていう考えで、宮藤官九郎や三谷幸喜を起用すれば面白くなるというほどドラマは単純な物ではありません。面白いドラマを作ろうと思えば、監督、脚本、役者、その他様々なスタッフが一丸となって取り組むからいいものができるわけで、この監督がいれば全てがうまくいくなんて事はありません。制作スタッフがそれぞれの役割を自覚しつつ協力するから面白いドラマができあがるのです。


「面白いドラマができないのは、チームワークが悪いからだ!」


そりゃまぁ確かにそうですけどね。
チームワークを高めましょうと大きな声で訴えていれば皆が共感して一致団結するというほど人間は単純じゃありません。


この考えをそのまま体に置き換えて考えてみればいいのです。
めまいがするから、耳鳴りがするから、体が辛いから、それは自律神経の問題だみたいな発想はあまりにも短絡的ではあります。しかし、


「元気がでない、体の調子が悪いのは自律神経の働きが悪いからだ。」


と、ここまではよしとしましょう。
でも、自律神経の働きというのは、チームワークみたいにとらえどころのないものですからね。もうちょっと俯瞰して考えないと適切な対処というのはなかなか難しいわけです。
関連カテゴリー< ブログ
<戻る 5051525354555657585960
出張整体
品川での整体指導予約受付中
名古屋での整体指導予約受付中

RSS

月別

自律神経整体院
075-888-3495