選挙と老後の生活と整体と
2019年01月17日
先日、出勤中、整体院のすぐ近くの踏切でのことです。
緊急出動中の救急車が通せんぼにあっていました。最寄りの阪急長岡天神駅の踏切です。知っている人もいるでしょうが、この踏切はあかないときは本当に10分ぐらい開きません。サイレンを鳴らして出動しているんですから、緊急性が高いわけで10分も遅れたら助かった命が助からなかったという事も起こるでしょうね。
で、そんな事を考えて到着してみると政治チラシが入っていました。
ちょうど市長選挙のタイミングだったようで、駅前の開発に反対しますという事が公約に掲げてありました。私は長岡京市の市民ではありませんから投票にいくわけではありませんけど、まぁ、間の悪い事です。
反対する理由は、20年もの長期の開発事業で莫大な費用がかかるという事でした。
どう考えるかは人それぞれでしょうけど、救急車だけでなく、消防車やパトカーだって足止めをくらうのじゃないでしょうか?長岡京市の発展に安全という要素は非常に重要で、それを考えれば駅周辺の開発というのは必須だと私は思いますけどね。
まぁ、こんなことは私にはどうでもいいことではあるのです。
思ったのはこの政治家は体とか健康に対しても同じような考え方をするだろうなぁということです。本当に大事な事は後回しにして、とっつきやすいわかりやすい問題だけをピックアップしてそれに対応する人でしょう。それで何かをした気分に浸って結果として大きな問題は先送りになるということが、目の前で起きた出来事とチラシの主張から読み取れるわけです。なんでそうなるというと、駅周辺の開発を辞めて浮いたお金でやることが老人の福祉というわけですよ。
別に福祉をやるのがダメというわけではありません。
年齢を重ねた老人が寝たきりだとかいう具合に介護が必要になることが前提の考えなわけですよ。そりゃ、そうなってしまう人は一定数いるわけですから、ある程度は必要でしょう。ただ、もっとも優先して考えなきゃいけないのは年齢を重ねた人たちが活気ある生活をおくれる街を作るという事でしょう。そんな街を作ることで、要介護の人たちを減らしていくという発想が必要だと私なら考えます。
その場合に考えなきゃいけないことは、福祉にかける予算を減らすという事です。
書いてて思い出しましたけど、四国の山奥に実際にそういう村がありましたね。
料亭の料理に添える葉っぱを村ぐるみで採取して販売している農村の話は聞いたことがありませんか?人口2000人もいない山奥の農村で年商2億だとかあって、年収2000万を超えるおばぁちゃんがいるのです。それを踏まえて考えれば、長岡京市ぐらいの規模があればいくらでもやりようはあるはずで、そういう年寄りがゴロゴロいる街を目指すべきだと思うのですけどね。
学生の頃、生徒会なんてちょっとやってましたからその経験を生かして表現してみましょう。
寝たきりの年寄りにお金をかけるんじゃなくて、元気な年寄りにお金を使って街に活力を生み出すのです。活気のある街になれば、寝たきりの年寄りもむくりと起きて元気に活動をしはじめるはずです。
よく考えてください。
福祉の予算を増やすということは、安心して寝たきりになれる状況をつくるという事なんです。つまり、予算を増やせば増やすほど寝たきりの年寄りが増えることになります。2000万稼ぐ才能のあった年寄りも寝たきりで穀潰し生活をするわけです。しかも、救急車や消防車が必要な状況になっても踏切は開くことはありませんから、急な手当が必要になったら死ぬしかありませし、火事が起こったら焼け死ぬ事でしょう。とんでもない選挙の公約だと私なんかには思えますけどね。
まぁ、この考え方は整体に対しての考え方をそのまま市政に置き換えただけのものです。
逆にいうと、この考え方をベースに整体をしていると考えてもらうとよいでしょう。まぁ、今回のはチラシを見た時に、ちょいちょいと考えた程度の内容ですけどね。ただ、これを読んで、
「いや、やっぱり福祉は必要だ。」
と考える人は、整体というものについて理解することは無理かもしれません。
さて、自分でも珍しく政治について書いてみました。
ただ、私はこんな事を公約に掲げても選挙で当選できるとは思ってはいません。それに、私が政治に関わる事は絶対もないでしょう。政治家を目指すぐらいなら死んだ方がましだと思っていますからね。
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