ゴーストの囁きに耳を傾けてみては?
2019年01月12日
攻殻機動隊というアニメがとても面白いのです。
技術の進歩によって体を義体化、つまりサイボーグ化してしまう事が一般的になった世の中のSFアニメです。舞台が日本の2030年あたりだたったりするのがちょっと笑えますかね。私が10代の頃に原作が書店に並んでいたように思いますから、当時からすると今の世の中がそんな風になっているということが想像できるぐらいの未来だったわけですが、実際にその時代に近づいてみると車が空を飛ぶ気配すらありません。人間の想像力のスピードは、科学技術の進歩のスピードを遙かに凌駕しているということなのでしょう。
ちなみに、義体化といっても見た目がロボットになるわけではありません。
あえてそういう義体を選んでいるという人もいたりするんですけどね。見た目は完全に人の姿で表情もかなり自然なものに近づきつつあるという状況でしょうか。首筋には通信ケーブルを差し込むコネクタがありますからそれで義体だという事がわかったりします。見た目はただの人間なのですけど、視力、運動能力、記憶力なんかは元の人間をはるかに超えていますし、通信によってあらゆるコンピュータ、ほかの義体なんかにもアクセス可能で、他人の義体をハッキングして記憶や行動を操作するなんていう犯罪も起こるわけです。
この物語の主人公は草薙素子という女性です。
生まれたときは人間の女の子だったようですが、事故で体を失ってしまったために全身を義体化しています。だから、見た目は女性ですが女性といってしまっていいかはかなり曖昧です。物語の中じゃ、体の義体化率なんていう言葉がでてくるわけですが義体化率が100%なのです。
さて、ここで
「義体化率100%ということは人間としての要素は残っているのか?」
という疑問がでてきます。
体を構成する要素として生物である部分が一切ないのですから生きている人間として考えてよいのかわからなくなるわけです。物語の中でも、あまり詳しい解説はないのですが、人工知能が進歩してAIが人間として振る舞っている世界でもありますから、人間とロボットの境目が非常に曖昧なのです。
草薙素子本人も自分が自分である確かなものを一切もっていません。
そして、
「今の自分はただのAIなのではないのか?」
自分のアイデンティティが非常に曖昧であることを自覚しています。
この物語では人格というものは脳の中にある情報として考えられているようです。
ですから、体を義体化するときに、脳の情報を電脳というコンピュータに移し替えています。しかし、それが正確に移っているのか、電脳の自分が本当に自分なのかを確認する方法がありません。
ちなみに、私の考えでは、人格というのは内臓、筋肉、骨など体の状態を反映して形作られるもので、脳というのはそれを補助する役割をしているだけのものです。ですから、脳の情報を電脳に移すことで人格をアンドロイドに移動させるなんていうことは成立させることは不可能です。まぁ、そんな事を言い出すと話が進みませんからこの話はまた別の機会に考えてみたいと思います。
彼女は、公安9課の現場のリーダー、警察では扱えないような犯罪を取り締まるという仕事をしています。脳が電脳、つまりコンピュータなわけですから論理的思考する際の演算能力というのは通常の人間が及ぶようなものではありません。しかし、得られた情報から論理的に導き出された結論では捜査が行き詰まってしまう事があるわけで、そんな時には彼女の第六感が犯罪の真相にたどり着くヒントになることがしばしばあります。そんな時に彼女が口にするセリフが、
「私のゴースト囁くの。」
というものです。
この物語では自分というものをゴーストと呼んでいるのです。
さて、これだけ長々とこのお話の説明をしてきたのは、この物語では動いているというのと、生きているということの境界線が非常に曖昧になっているということを紹介したかったからです。全身を義体化した人間と、AIを搭載したロボットの違いはいったいどこにあるのかというとゴーストのあるなしでしか判断できません。ところがゴーストの存在なんて確かめようがなく、あるようでないような幻のようなものでしかありません。しかも、AIが進化してゴーストを持つようになったと思えるような状況もしばしばあるわけで、草薙素子の状態を人間として認めるなら、進化したAIもまた人間として認めなければいけなくなります。そういうおぼろげではっきりしないものが人間の核の部分であり、それをゴーストと呼ぶなんてのはうまくネーミングしたものです。
さて、生についての概念が曖昧じゃ駄目だろうと思うかもしれませんが、今の世の中は、
「心臓が動いている状態が生きているということ。」
というはっきりした線引きをしてしまっているために、死んでしまっている状態なのに、生きていると判断されてしまっている人たちがたくさんいます。私は生きているということは、
「目的をもって溌剌と生活すること。」
だと考えています。
そして、それができるのはどういう体の状態であるかというのが私なりに答えがあったりします。ただ、その考えに従って人々の体をみていくとほとんどの人が生きているといえない、つまりゾンビのような状態なのです。私には大勢のゾンビが社会を形成して、仕事して、主婦して、学校にいっていたりするわけです。ストレス社会なんて言葉がありますが、今の世の中はゾンビ社会であるというのが本当の状態なんじゃないでしょうかね。
生きているということはどういうことでしょうか?
義体化してサイボーグなった人間がいる世界を垣間見ることで、生きているということの境界線がいったいどこにあるのか考え直す事ができるような気がします。
草薙素子は全身を義体化していますが日々、人間であろうとしています。
その部下には、やはり全身を義体化していますが、その草薙素子の思いを理解して彼女を支えようとするサイボーグがいます。義体化率の低い人間はサイボーグ化した彼らの思いはなかなか理解が及ばないのですが、サイボーグ化した人間たちはそんな人間の考えや思いをちゃんと理解できているので人間らしいチームワークが成立してしまいます。人間離れしていて、人間として、生物して扱っていいのか怪しい人たちの活動をみることで人間らしさがいったいどういうものか感じ取ることができたように思えます。
まぁ、そんなわけで、
「自分らしく生きるということはどういう事か?」
「朝起きて、仕事して、家に帰ったらご飯を食べて寝るのであればロボットにだってできるんじゃないのか?じゃあ、ロボットは生きているといえるのか?」
「毎日、快便することが生きているということなのか?」
こんな命題を考えるときに非常にいい肴になるアニメでしょう。
こういう人間として大切な部分を曖昧にしたまま健康になろうとか横着をするからみみんなうまくいかないのじゃないでしょうかね。繰り返しますけど、溌剌として内から元気がわいてくる状態を生きるということだと私は考えています。
ハリウッドで映画化もされているようですが、米国人にこういう微妙な心の動きを表現できるとは思えませんのでおそらくアニメで見る方が無難でしょう。まぁ、正直かなりとっつきにくいSFではあるのでほとんどの人は意味不明に感じるかもしれませんけどね。宮崎駿みたいにわかりやすいものばかりじゃなくて、たまには脳みそをフル回転して眠っているゴーストをたたき起こしてみてはいかがでしょうか。
技術の進歩によって体を義体化、
ちなみに、
あえてそういう義体を選んでいるという人もいたりするんですけど
この物語の主人公は草薙素子という女性です。
生まれたときは人間の女の子だったようですが、
さて、ここで
「義体化率100%
という疑問がでてきます。
体を構成する要素として生物である部分が一切ないのですから生き
草薙素子本人も自分が自分である確かなものを一切もっていません
そして、
「今の自分はただのAIなのではないのか?」
自分のアイデンティティが非常に曖昧であることを自覚しています。
この物語では人格というものは脳の中にある情報として考えられて
ですから、体を義体化するときに、
ちなみに、私の考えでは、人格というのは内臓、筋肉、
彼女は、公安9課の現場のリーダー、
「私のゴースト囁くの。」
というものです。
この物語では自分というものをゴーストと呼んでいるのです。
さて、これだけ長々とこのお話の説明をしてきたのは、
さて、
「心臓が動いている状態が生きているということ。」
というはっきりした線引きをしてしまっているために、
「目的をもって溌剌と生活すること。」
だと考えています。
そして、
生きているということはどういうことでしょうか?
義体化してサイボーグなった人間がいる世界を垣間見ることで、
草薙素子は全身を義体化していますが日々、
その部下には、やはり全身を義体化していますが、
まぁ、そんなわけで、
「自分らしく生きるということはどういう事か?」
「朝起きて、仕事して、
「毎日、快便することが生きているということなのか?」
こんな命題を考えるときに非常にいい肴になるアニメでしょう。
こういう人間として大切な部分を曖昧にしたまま健康になろうとか
ハリウッドで映画化もされているようですが、
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