殺人と尊厳死と
2020年11月25日
『ドクターデスの遺産』という映画をみました。
たまたま映画館に立ち寄った時にちょうどはじまりそうだったのがこれでした。偶然見る事になった映画ですが、世の中うまくできているもので、ずいぶん私好みの内容でしたね。
これから書く内容は映画の内容、一部ネタバレを含みます。
だから、もしこの映画に興味をもっている人は読まない方がいいでしょう。ちなみに、レビューをみたら評価はいまいちでした。尊厳死、安楽死というテーマを扱うせいで妙なシナリオの何カ所かに妙な修正がはいったと思われる部分があったのでいわゆる純粋な映画ファンからは、あれこれと突っ込みどころが多いのかもしれません。
ちなみに、安楽死、最近は尊厳死というのでしょうか。表現などどっちでもいっしょだろうと思いますけど、言葉の響きが変われば違った印象がでてくることもあるのでしょう。
もう助かる見込みがない人たちを安楽死させる犯罪者を追う刑事が主人公のドラマでした。
処置を行う際の本人の映像がいくつか残っており、この映画のキモはこのシーンなのだろうなぁと私には思われました。
主役は刑事です。
でも、今まで見た事もない名前も知らない役者がカメラに向かって、小さな声で
「幸せでした。」
と語るシーンが私にはもっとも印象に残っています。
亡くなっていく人たちは、看護をしてくれる家族の事を思って死を選んでいました。
この事に、私はかなりのリアリズムを感じました。身内に治る見込みのない病人がいて病状がよくなる兆しがない、そんな時には、
「どうして自分のところに事が起こるのだ。」
そして、辛さに耐えかねて、
「自分が消え去ってしまいたい。」
などというように思ってしまうものです。
たぶん本人より看護する人のほうが辛いのがいまの医療のあり方じゃないでしょうか。だから、 治る見込みがない患者本人が、そういう辛い思いをしている家族を見てしまった、知ってしまった時には安楽死を選択するのかもしれません。
このような事が起こってしまうのは、医療のあり方に問題があるからだと私は思います。
簡単にいうなら、
『医者は死ぬことを許さない』
という事です。
人間って、いつか必ず死んでしまう生き物です。
それなのに、医療は死を許さないから必死に活かすための努力をしつづけています。それで体が弱り切って心が折れたときに、
「もう十分です。ありがとうございました」
といっても、それじゃあお疲れ様でしたって事にはなりません。
生きるための努力を惜しむつもりは本人もないのでしょう。でも、限界は誰にでもありますから、そのために他に様々なものを失っていると私は感じています。
まぁ、現実は医者にもいろいろあって、ちょっと前には安楽死を行った医師が逮捕をされていました。
だから現場での彼らには様々な思いはあるのだろうと思います。でも、現実は、
『医者は死ぬことを許さない』
という事です。
そのように法が整備されていることもあるのでしょう。
安楽死を行う医師が、患者との話し合いで処置をしたとしてもたぶん逮捕されて訴えられてしまうのでしょう。
私は幸せな死に方というものがあると考えています。
現在、ほぼすべてといっていい人が医療に関わりながら亡くなっているわけです。医師たちは向かい会った患者を幸せにおくってあげようという方針で治療に当たる方がどれぐらいおられるのでしょうか。たぶんたったの1人もいないじょなないでしょうかね。
治療したふりだけして、
「あとはあなたの心の問題だ。」
という事にしてしまって、患者とちゃんと向き合えていない医師の方ばかりでしょう。
私は自分が死ぬときに何か言葉を残していくのがいい死に方なのではないかと私は思います。
「ありがとう。」
「幸せでした。」
「あとはお前らで勝手にやってくれ。」
ぱっぱっと、今、思い当たるのはこんな言葉です。
前にもちょっと書きましたが、
「死にたくない。」
だったらいい感じで格好悪くていいかもしれないなぁとそんな気もしたりします。
人生のゴールは死であろうと思います。
どういう形でゴールするかを考える事は豊かな人生を送るためにはとても重要な事でしょう。たまにこういうテーマ触れて、
「自分はどう死んでいくのが幸せだだろうか?」
そんな事を考えるのは結構良いことのように思えました。
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