人間っていうのは進歩しない
2020年06月16日
最近、死、生命、寿命という事について考えています。 それでいくつかの書籍を見ていて、 「この著者、本当に人間を不老不死にする方法について考えてる。」 という事に気がついてげんなりしています。 人間なんて不老不死になってしまったら、ロクな生き方をしないだろうと、私は思いますけどね。 ハリー・ポッターの第1巻には不死鳥がでてきていました。 ダンブルドアの自室に呼ばれたハリーはちょうど不死鳥が死ぬ場面に出くわします。不死鳥は、死ぬとき全身が燃え上がって灰になるのですけど、灰から蘇り元の元気な姿に戻ります。 魔法の国のお伽話に感じるかもしれませんが、細胞レベルで見た場合、本当にこういう具合に再生してしまう事があるそうです。ゾウリムシがどうもそうらしいですね。 人間の場合、細胞分裂をするたびにDNAが少しづつすり減っていくそうです。 そのせいで、いずれDNAが正確にコピーされなくなります。それが寿命というものになるわけですが、ゾウリムシは劣化したDNAを修復する能力を持っているそうで、理論上は永遠に生きる事ができるようです。それで、人間もゾウリムシに習ってDNAを修復することができれば寿命が延びるであろうとと、そう考えている学者はかなり多いみたいですね。 まぁ、人間の場合は、それだけで不老不死になるわけではありません。 ただ、おかしくなったDNAを修復できれば病気も減るし、老化による体力だったり、脳の働きの低下なんかも結構かわってくるでしょうから、そこそこ寿命が延びるのではないかというわけです。
そういう記述をみて、
「人間っていう生き物は進歩しないんだな。」
というように思いました。 ずいぶん前に、不老長寿について、その時には秦の始皇帝とか藤原鎌足とかを例にあげて書きました。
マスクに感じる違和感
始皇帝は、死ななくなる薬として水銀とかヒ素とか飲んだっていう説があります。そして、藤原鎌足に関してはお墓が発掘されて遺体からヒ素が検出されています。どうも人間のやっている事は2000年以上前と全然変わっていませんね。
当時から、金と権力持っていた人は不老不死を夢見ていた訳ですが、どうも今でもそれは変わっていないようです。秦の始皇帝は徐福という人物に、仙人に薬をもらってきますとかいって騙された訳ですが、今の世の中でもこういう詐欺師がいるのだなぁと。
私なんかは、
「長生きしたからといって、長い分幸せになるわけではないし、若さを保つという事は老いるというかけがいのない経験を失う事になる。」
という具合に私は思いますけどね。
この事、
「人間という生き物に寿命があるのは偶然か?」
と考えてもらうとわかりやすいのじゃないでしょうか。 それで、科学の発達によっていつか人間が不老不死になることができると考える人は、人間に寿命があるのは偶然だと考えているようです。
でも、人間がいつか死ぬのは必然です。 根拠なんてありませんけど、この世の中ってそういう風にできていると私は確信を持てます。 寿命があって、いつか必ず死がやってくるという事が必然であれば、それはいったいなぜか?
「世代交代を繰り返しながら環境に適応する、適者生存のため。」
生物学をかじった人だとこんな事をいいそうな気がします。 でも、私は寿命があるのは、
「充実した人生を送るため。」
だと思いますね。 そうでなければ、死ぬ事に意味がありません。いつか死ぬから1日1日を大切にすごそうと思えるのですし、家族、友達、繋がりを持った人たちの関わりを大切にしようと思えるのです。これは他の動物も同じでしょう。人間は理性でそれを自覚していますが、動物たちは野性の本能でそれを感じているだけの事です。
学問っていうのは、幸せになるとか、人生を充実させるためやるものじゃないでしょうかね?
2000年かけて身につけた知恵が、「ヒ素は毒だから飲んではいけない。」という程度だと思うと、ちょっと情けない話です。
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