マスクに感じる違和感
2019年02月05日
当時としては、まっとうな事でも後になってみると馬鹿な事をやっていたなぁと思われる事があります。
不老不死というワードで私が連想するのは秦の始皇帝です。
秦の始皇帝は暴君として扱われる事の多い人物です。しかし、中国の歴史上で誰もなしえなかった中華統一を初めて達成した人物です。当然ですが、その部下にも優秀な人たちがたくさんいます。実は、私にもっとも強い影響を与えている歴史上の人物は始皇帝の宰相を務めた李斯という人だったりします。
李斯は、始皇帝に、
「大事業をなすものは、広い心を持ち、他人の意見をよく取り入れなければなりません。泰山が大きいのは土を選り好みしたりしないからで、長江が豊かな水量を蓄えているのは流れてくる水をすべて受けて入れているからだ。」
なんていう意見をした人です。
始皇帝はこの意見を受け入れて外国人である李斯やほかの優秀な人たちに重要な仕事を任せて中華統一を達成しました。愚かな暴君と宰相として描かれている事が多い始皇帝と李斯ですが、この一事だけみても非凡な人たちだっというのがわかるんじゃないでしょうかね。
で、始皇帝ですが中華統一後、詐欺師に騙されています。
海の向こうにある仙人の国にいって不老不死の薬を取ってくるといわれて、船、金、女、ほか様々な貢ぎ物を差し出してしまったのです。何年たっても返ってこない、詐欺師に始皇帝は何を思ったでしょうね。
ちなみに、この詐欺師ですが日本にやってきて奈良あたりに国を作ったなんて言われています。実際に、それらしい遺跡も残っているらしいです。その子孫が藤原鎌足だったりしたら笑えないジョークなんですけどね。
不老不死を追い求める気持ちというのは当時であれば不自然な事ではなかったのでしょう。藤原鎌足や始皇帝といった優秀で偉業を成し遂げた人たちですらそこに違和感は感じていなかったのではないかと思われます。
聖徳太子が仏教を取り入れるのは大化の改新より前ですけどね。
小学校じゃ、仏教をとりれた理由なんていうのは一切説明されませんでした。おそらく権力をもった人たちの規範となる考え方というのか必要だったんじゃないかなぁと。でも、藤原鎌足の死因なんかをみてみると諸行無常が定着するのはまだまだもうちょっと先の事になるということなのでしょうかね。
さて、今の時代に生きる私たちからみると不老不死を求めた始皇帝や藤原鎌足は馬鹿な事を考えていたと言えます。しかし、彼らは非常に優秀な人たちでした。毛生え薬しかり、振り返って考えると愚かな事であっても、その当時の感覚だと常識だったり当然の考えだったりする事があるわけです。
で、今現在の社会で行われている事で馬鹿な事をやっているなぁと思うことがいくつもありますが、その際たるものが、
「マスクによる感染予防」
です。
私の感覚からすると、マスクによる風邪の予防は非常におかしな考えと行動です。
このことを説明するのに、
「家の中を無菌にして生活していれば健康で元気に暮らせる体になるのですか?」
と、いつもこのような質問をします。
たいていの方はこの質問をすると気がつくようです。そんな暮らしをしていればどうなるか、答えは簡単で、
「外出した瞬間に病気になるようになる。」
という事です。
健康であるということはどういう事かを考えてみてください。
健康であるということは丈夫であるという事です。家の中を無菌状態にして生活していれば、菌に対抗することができない体になります。家の中に引きこもって外出できない体になって、
「でも、私は病気はしていないから健康だ。」
こんな事をいっている人がいたらどう思いますかね?
子育てで考えてもわかりやすいですかね。
子供を過保護にしすぎれば貧弱、虚弱な人間として育つだけです。世の中には楽しい事や嬉しい事はいくらでもあります。でも、それ以上に辛いこと、悲しいこともたくさんあります。自分の子供には辛い思いを一切させたくない、楽しい思いだけ感じて育ってほしいなんていう子育てをやっていれば人の気持ちがわからない人間になるだけのことです。他人との関わり合い方や距離感なんてのは、生活してゆく中で喜怒哀楽を感じながら身につけてゆくものではないでしょうか。だから、子育てに必要なのは守ってあげる事ではなく支えてあげることなんじゃないでしょうかね。
そういえば昨年どうしても耳鳴りが止まらないという人がいました。
ずっとおかしいなぁと考えていたのですが、原因に気がつくのに1年近くかかってしまいました。しかし、唐突に思いついて、
「あほみたいにうがいをしていませんか?」
と質問してみました。
すると、正解だったようです。うがいだってやらずにすむ体が丈夫だという事です。のどだって過保護にしてしまうと弱ります。喉は弱いけど体はばっちりですなんていうのも当然ありえませんかあら、耳鳴りだって止まらなくなってしまいます。
マスクをして生活していれば、マスクなしでは生きていけない体になります。
そんな体で、
「私はマスクをしていれば健康でいられる。」
なんて考えているのです。
私には不老不死を追い求めた藤原鎌足や始皇帝の姿が浮かんできますね。きっと頭がいいからこんな勘違いをしてしまうということなのでしょう。
まぁ、この考えが妥当なものかは、後世の歴史家たちに委ねる事にしましょう。
始皇帝、李斯、そして藤原鎌足は自分の生き方を恥じるような事はなかったと思います。後生の人たちに何をいわれようが、私は私の生き方を全うするだけですかね。マスクを利用したければすればいいでしょう。しかし、マスクをするということの意味をちょっとは考えてみてもいいんじゃないでしょうかね。
医療で言えば、戦後ある特定の病気の特効として開発された薬が、年数が経過すると毛がはえる薬としてしか利用されなくなったなんて話を聞いたことがあります。
ただ、医療の話は今回はおいておいて、歴史にちょっと触れてみたいと思います。
蘇我入鹿を暗殺して大化の改新の立役者になった藤原鎌足を知らない人はいない事でしょう。暗殺の時には、中臣性を名乗っていましたが、後に藤原に性を変え、その後、日本の歴史ではどんな時代でもでてくる藤原家を起こした人でもあるようです。遣唐使として儒学を学んだ人に師事して、秀才とうたわれる非常に優秀な人だったそうですね。
藤原鎌足の墓は大阪の高槻市にあります。
私は高槻の生まれでしたので小学生の頃から山の上に遺跡があるのは知っていました。ただ、発見だけされて発掘はまだという状態の遺跡でした。発掘が始まったときはたしか高校生で、この墓はどうやら藤原鎌足の墓らしいとかなり大きな報道になっていましたのが記憶に残っています。
藤原鎌足ですが、遺体を調査したところ髪の毛からヒ素が検出されたそうです。
ヒ素はいわゆる毒です。で、どうも藤原鎌足の死因はヒ素を飲んだ事による衰弱死らしいと、当時そういう風に報道されていました。その後、違った情報は聞いたことがありませんから、今でもその見解は変わっていないのでしょう。ヒ素を摂取した理由ですが、不老長寿の薬として飲んだものに含まれていたのだろうということです。当時は、不老不死の薬なんてものを権力者に売って金銭を得るような輩がいたわけですね。
蘇我入鹿を暗殺して大化の改新の立役者になった藤原鎌足を知らな
藤原鎌足の墓は大阪の高槻市にあります。
私は高槻の生まれでしたので小学生の頃から山の上に遺跡があるのは知ってい
藤原鎌足ですが、遺体を調査したところ髪の毛からヒ素が検出され
ヒ素はいわゆる毒です。で、どうも藤原鎌足の死因はヒ素を飲んだ
不老不死というワードで私が連想するのは秦の始皇帝です。
秦の始皇帝は暴君として扱われる事の多い人物です。しかし、中国
李斯は、始皇帝に、
「大事業をなすものは、広い心を持ち、他人の意見をよく取り入れ
なんていう意見をした人です。
始皇帝はこの意見を受け入れて外国人である李斯やほかの優秀な人
で、始皇帝ですが中華統一後、詐欺師に騙されています。
海の向こうにある仙人の国にいって不老不死の薬を取ってくるとい
ちなみに、この詐欺師ですが日本にやってきて奈良あたりに国を作
不老不死を追い求める気持ちというのは当時であれば不自然な事で
聖徳太子が仏教を取り入れるのは大化の改新より前ですけどね。
小学校じゃ、仏教をとりれた理由なんていうのは一切説明されませ
さて、今の時代に生きる私たちからみると不老不死を求めた始皇帝
で、今現在の社会で行われている事で馬鹿な事をやっているなぁと
「マスクによる感染予防」
です。
私の感覚からすると、マスクによる風邪の予防は非常におかしな考
このことを説明するのに、
「家の中を無菌にして生活していれば健康で元気に暮らせる体にな
と、いつもこのような質問をします。
たいていの方はこの質問をすると気がつくようです。そんな暮らし
「外出した瞬間に病気になるようになる。」
という事です。
健康であるということはどういう事かを考えてみてください。
健康であるということは丈夫であるという事です。家の中を無菌状
「でも、私は病気はしていないから健康だ。」
こんな事をいっている人がいたらどう思いますかね?
子育てで考えてもわかりやすいですかね。
子供を過保護にしすぎれば貧弱、虚弱な人間として育つだけです。
そういえば昨年どうしても耳鳴りが止まらないという人がいました
ずっとおかしいなぁと考えていたのですが、原因に気がつくのに1
「あほみたいにうがいをしていませんか?」
と質問してみました。
すると、正解だったようです。うがいだってやらずにすむ体が丈夫
マスクをして生活していれば、マスクなしでは生きていけない体に
そんな体で、
「私はマスクをしていれば健康でいられる。」
なんて考えているのです。
私には不老不死を追い求めた藤原鎌足や始皇帝の姿が浮かんできますね。きっと頭がいいからこんな勘違いをしてしまうということなのでしょう。
まぁ、この考えが妥当なものかは、後世の歴史家たちに委ねる事に
始皇帝、李斯、そして藤原鎌足は自分の生き方を恥じるような事は