肉体改造なんかくそくらえという話
2018年06月19日
来月から東京へいくにあたって真っ先に考えたことは、
『体力不足』
ということだったりします。
まぁ、単純に仕事で疲れ切って動けなくなってしまうことがたびたびあるのと、疲れ切った時に回復に何日もかかってしまうのです。これじゃあ、いかんということで今まで倍ぐらいの仕事をこなせるようになろうと考えました。
で、ジョギングなんてのをはじめてみたのです。
私は学生の頃はバスケットボールをやっていたもので衰えたとはいえそれなりに体力をはあるつもりだったのです。が、実際にはしってみて気がついたの、思っていた10分の1ぐらいまで体力が落ちていましたね。こんな状態で偉そうなこといいながら仕事していたかと思うと、穴にはいってそのまま埋まってしまいたいぐらいの気分です。
さて、走りながら今の自分はいったい何をしていると表現したらいいのかと考えていたら、
「肉体改造」
という単語が頭に浮かんで愕然としてました。
今の日本には、体作りをするということにたいして適切な表現がないのかもしれません。
私は単純に今の仕事の倍ぐらいの量をこなせるようになろうと考えました。
そのために私がまず取り組んだのは、朝起きてからグランドを10周ぐらい走るようにしようということでした。はじめたときは3周で限界だったり、はじめてから2週間ほど経過したら足に痛みがでるようになってしまって1ヶ月ほど走れなくなって達成したのは2ヶ月ぐらいたってからでしたけどね。でも、この2ヶ月取り組んだことが肉体改造かというと、違うなぁと考えたわけです。
私が改造という言葉から思い出すのは仮面ライダーだったりします。
仮面ライダーは、なんの努力もなしで超人的な力を手に入れます。まぁ、こんな言い方をしていると仮面ライダーファンにいろいろ面倒なツッコミをいれられそうですけどね。
ただ、改造されていきなり強くなるというのは非常に不自然なことだなぁと。
私の場合で2ヶ月かかったことが数時間とか翌日とかでできるようになってしまうわけです。そう考えれば、肉体改造というワードを強調していたプロ野球選手がいましたが、改造がすすむにつれて成績が落ちて、道を踏み外していたのは案外自然なことなのだろうなぁと。
私は、他人に努力を強いるのを好みません。
でも、努力を強いる人の元で、なにかに打ち込むという環境に身をおかなければ努力をできない人を何人もみています。スパルタなやり方を批判する人は多いですが、スパルタでなければ成果があがらないなんていう人間はいくらでもいるわけです。
人間なんて自分の都合しか考えられないもので、厳しく指導されたことで実力がついたのだけどその時にはそのことに気がつかず後になって、今の自分があるのはあの先生のおかげなんです。なんてしゃーしゃーと発言している人をみかけることは珍しいことではありません。
で、そういう努力を惜しむ人が改造という言葉を好むのじゃないかなぁと。
肉体改造というのは自分は何の変化も努力もしていないのに体だけを変えましょうみたいな考え方があるからでてくる言葉なのじゃないでしょうかね。
私は、いままでの倍の仕事量をこなそうと思った時に何を変えたかというと、習慣を変えたのだと表現したいですね。
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