ブログ「日々整体」

本当に運動は健康に良いのか?整体師が科学的視点で解説


「運動は健康に良い」という言葉はよく聞かれますが、果たして本当でしょうか?ジョギングや他の運動をすることで寿命が延びるのか、それとも短くなるのか、ネットやメディアで様々な意見が飛び交っていますが、真実は一体どこにあるのでしょうか?

今回は「運動をすると寿命が伸びるのか」というテーマで、科学的な視点と整体師としての視点、両方から運動がどのように寿命に影響するのかを考えてみます。


まずジョギングをしたら寿命が減るという論があるのはご存じでしょうか。
その論は「Does of jogging and  long-term mortality:the Copenhagen City Heart Study」という論文を根拠にしたものではないかと思われます。この論文の内容は、ジョギングの量と長期的な死亡率に注目したものです。英語の論文ですが、参照できますのでURLを掲載しておきます。


一時期、YouTubeで「運動をするな。」という見出しをよく見かけていました。
有名人のものだと、メンタリストのDaiGo氏もジョギングをしても意味がないというような内容の動画がありました。内容から察するに、おそらくこの論文の内容を根拠にして語っているのではないかと思われます。

公開されている内容を簡単に結論をまとめると、

「週2~3回程度、適度な負荷で運動をすると死亡率が下がる。」

という解釈でよいかと思います。
この論文で、注目すべき点は、ハードなジョギングを長時間行うと死亡率が約2倍にまであがるという点です。

判断が難しいのは、「適度な負荷」がどの程度なのかということです。
私が運動について話すときに困るのは、運動が苦手な人に適度な負荷がどの程度なのかをどのように判断するかということです。たいてい、運動の経験が少ない、あるいは運動が嫌いだという人ほど、過度な負荷の運動をしようとするので、運動を継続できないのです。

運動が不向きな人は他の方法を探すの無難だといえます。何も運動ににこだわることはないのです。

寿命についての研究には生物学にも興味深いデータがあります。
それは、

「生涯で消費するエネルギーの総量はどの動物もほぼ同じ。」
ヒトはどうして老いるのかー老化・寿命の科学 田沼靖一著 より

というものです。

この書籍で紹介されているデータを簡単に説明すると、体重200gの寿命2年程度のねずみも、6000kgで寿命60年程度の象も生涯に消費するエネルギーはほぼ同じであるということです。寿命に大きく差があるのに生涯に消費するエネルギーは同じになるというのは不思議に思うかもしれません。しかし、小さい動物は体温を維持するためにエネルギー消費が激しいのに対して、大型動物はエネルギー消費を小さくすることができるのです。

同じことが人間の寿命にもいえるでしょう。

つまり100歳まで生きた人と、50歳で亡くなった人の生涯のエネルギー消費量は同じだということです。もちろん、死因が事故などといったケースはこれに当てはまりません。

このことがわかっていると、

「心肺機能を上昇させることによってエネルギー消費の少ない体作りをする。」

ということをジョギングの目標にすると、寿命を伸ばすことができることになります。おそらくですが、先に紹介した論文のように週に1〜2回の適度な負荷のジョギングがこのような体作りに適しているということがいえるのでしょう。

以上のことから、もし寿命を延ばしたいと思うのであれば考えなければいけないことは、

1.過度な運動は死亡リスクを高めて寿命を短くする。

2.適度な運動とは、低燃費で生活のできる体づくりをすること。

ということになります。

このことを踏まえて、「運動は寿命の伸ばすか?」というと、関連がまったくない訳ではないですが、運動の成果がストレートに寿命に影響するというのは少しオーバーな表現かもしれません。


「運動は健康に良い」という単純明快な答えを多くの人が求めていることはわかっているつもりです。しかし、どのような目標をもって、何を実践するのか、よく考えてから行動しないと望むような成果は得られることはないと理解するほうがよいと私は思います。

なお、このような動画はほかにもいくつも投稿しています。もし、よろしければ他の動画もご覧になってみてください。きっと健康的な生活を送るための助けになるはずです。


体は神秘の宝箱、自律神経整体院でした。


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五行と整体:古代の知恵が解く現代の問題


医療においては、人間の体は様々な機能をもった部品の寄せ集めだと考えます。
ですから、心臓の専門家、脳の専門家、耳や鼻の専門家というように体を構成する部品ごとに専門分野がわかれています。その専門の細分化はかなり細かく分かれているようで、長年指の痛みについて悩んでいた人が、ある医師にそのことを質問すると、

「私は手首の専門家なので指のことはわかりません。」

という答えが返ってきたそうです。
鋼の錬金術師というマンガでは、人間を構成する成分を、水35リットル、炭素20kg、アンモニア4リットルというように、日本円で数千円もあればすべて揃うと説明していましたが、医師の専門化がさらに進むと、「私は水分の専門家です。」あるいは「私はアンモニアの専門家です。」と名乗る医師が出現してくるのかもしれません。

整体においては、生きている人間を物理や化学的な要素で構成されているとは考えていません。ですから、指に痛みがあると相談をされたときに、考えることは頚椎、胸椎、そして内臓の状態があたまに浮かびます。これは、五行の考えにもとづいて考えています。五行というのは、漢方の基礎に存在する考えで、世の中の要素を「木、火、土、金、水」で分類して考える思想です。

この5つの要素を内臓に置き換えると、五臓になります。
五臓というのは、肝臓、心臓、脾臓、肺、腎臓のことをさしています。「整体でも分類しているじゃないか。」と思うかもしれませんが、医学のようにはっきりとした線引きがされている訳ではありません。そして、このような発想は、長年の観察と試行錯誤から生まれた考えなのです。

少し具体的に説明してみましょう。
例えば腸は肺、つまり呼吸器系に属する臓器です。ですから、頻繁に下痢になるという人は肺の働きが小さい傾向があります。肺に空気を吸い込もうとすると腸が緊張して下痢をしてしまうのです。このような方は肺が小さくしぼんでいるので胸板が薄く肩幅が狭くなる傾向があります。さらに、肺の働きが弱いと脾臓がその影響を受けて消化吸収が弱くなりますから、華奢な体型になります。こういう方はたいてい周囲から、

「もっと食って太れ。」

などと言われます。
しかし、肺が小さい方はいくら食べても吸収して蓄える能力がかなり低いのです。生まれもった特徴といってもいいでしょう。ですから、「太って元気に丈夫にならなければいけない。」などというのは、実は個性を無視した発言だということになります。

このように臓器の関連性を考えながら、その人本来の性質や特徴を考えることができるのが五行のつまり、整体の思想だということが言えます。

また、五行の思想の特徴だと思うのですが、五行は脳を重視しません。
この点は、構成するパーツごとに専門家が存在する医学とは大きく異なるといえるでしょう。そのため五行思想を重視する整体では、思考をあまり重視せず、体の感覚をもっとも重視します。食べ物で具体的に説明してみるとわかりやすいでしょう。

医学においては、常に体に良い物を栄養のバランスを考慮して食べるようにしなさいと指導されます。
これに対して、整体では、

「体が求める物を食べなさい、おいしいと感じるものが体が欲している物です。」

とすすめています。
汗をかいたあとにスポーツドリンクを飲んでそれがおいしい、甘いと感じたことはないでしょうか。そのように感じるのは汗をかいたせいで体の中の塩分が不足しているからです。つまり、不足している栄養素を食べたときに人間はそれをおいしいと感じるのです。

このことがわかっていると、世界でもっともおいしい食べ物は、一流のシェフが最高の食材を使って料理したものではないことがわかるでしょう。暑い日に山登りしたその頂上で食べる塩のかかった白いおにぎりでも食べてみるとそのことを簡単に実感できるはずです。

なお、これでは実際に食べてみないと必要な栄養がわからないと思うかもしれません。
しかし、人間には目で見るだけで自分が必要な栄養がわかるという能力を持っています。近くのスーパーにでかけてぐるっと一間周りしてみればよいのです。ぱっと目にとまったものがそれである可能性が高いといえるでしょう。実際に買ってためしてみると、かなりおいしいと感じるはずです。もしおいしくなかったら、それはあなたの体の感覚が鈍いのです。きっと頭で考えて体によいものを選んだのでしょう。それだけではなく、体が欲しているものを選ぶようにするのがコツです。

このようなことを前提に踏まえて、人間にとって健康とはどういうものかを説明すると、

「暑いときには暑い、寒いときには寒い、風邪をひいたら体は辛いし、嬉しいことがあったら喜ぶし、辛いことがあったら悲しむことができる。それが健康であること。」

ということがいえるのです。

今回の説明で五行思想について少し理解が深まったでしょうか?
医学の思想に染まっている人にとっては、五行は中国の古くさい思想であてになるようなものではないと考えているかもしれません。しかし、実際はかなり的確で実践的なものだと感じてもらえたのではないでしょうか。

なお、このような動画は他にいくつも投稿しています。もしよろしければもう1本ご覧になってみてください。

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不安症とパニック症:医学とは異なる整体の見方



パニック症、不安症というと、不安や動悸を起こしたりするものというのが一般的な解釈です。しかし、症状の実際は人によってかなり差があります。電車やバスに乗れないというようなケースにはじまり、自動車は乗れるけど高速道路に乗れない、電車に乗れるけど各駅停車でないと駄目、学校の教室に入れないなど、様々なケースがあります。ストレスや過去の経験から不安や恐怖が思い出されてその影響で起こると言われることが多いようです。


しかし、整体師である私は不安症、パニック症はそういうものとは、まったく違うものだと考えています。その最大の理由の1つは、私自身が実際にその症状を体験したことがあるからです。家族が入院してしまいこの先どうなるかわからないという状況で、仕事を休むこともできず、家、職場、病院をを延々と周り続ける生活をしていたときのことでした。


ある夜、突然の動悸とともに不安な気持ちになり寝つくことが全くできなくなりました。

実は、私自身は、そのような状態であっても案外冷静さを保っていて、


「これが噂に聞くパニック症という奴か。」


と喜んでいた記憶があります。

なお、翌日すぐに整体の師匠に体を見てもらい、すぐにこの不安症は解消することができました。すぐに整体したので深刻にならずに済んだのでしょう。


このような経験をしているので、


「これはストレスや過去の記憶は全く関係がない。」


と、はっきりと理解できました。


当時は不安に押しつぶされそうになりながら、極限の疲労状態でした。ですから、ストレスとは無縁とは言い難い状態です。しかし、整体の知識と技術を身につけている私には、自身の体に何が起こっているかをきちんと理解することができました。


パニック症のメカニズムを簡単に説明すると、


「心臓を上手に動かせなくなっている状態。」


ということがいえます。

背骨の状態を読み取ることができると、このことを理解するのはそれほど難しくありません。パニック症の根本的な原因は、胸椎1番、4番、腰椎1番、3番にあり、骨を観察をすると硬く弾力をなくしています。これらの背骨は脾臓と心臓の動きに関わる神経が通っていて、2つの内蔵の働きに深く関わっています。そのため、背骨に問題が生じると脾臓と心臓がスムーズに働かなくなるのです。


ただ、1つ注意することがあります。

それは脾臓や心臓そのものに問題があるわけではないということです。自動車に例えるとわかりやすいでしょう。アクセルを踏み込んでもエンジンの回転数があがらない状態なのです。つまり、エンジンそのものには問題がないにも関わらず、エンジンに送られるガソリンや空気が不足したり、回転数をあげるための信号がうまく伝わらないということです。このことが、医療において不安症、パニック症の原因をつきとめることを難しくしているのではないかと考えています。


多くの人にとって理解が難しいのは、背骨に異常が生じるということがどういうことかわからないという点ではないでしょうか。

最先端のレントゲンやMRIでは背骨の異常は判断ができません。また、近年の医療は、触診をあまり重視していないために、背骨に触れてその状態を判断する技術がありません。医療においては、検査数値のような客観的なものを重視する一方で、手の感覚という主観的な判断材料には頼らない発展を遂げてきている弊害なのだろうと考えています。


その点、整体師は手の感覚が主な判断材料です。

手の感覚に特化しているといってしまってもよいでしょう。ですから、容易に異常のある背骨を見分けることができます。


パニック症に対して、整体が医療と大きく違う点は、整体では根本的な異常を発見できるという点です。感情は体があってこそはじめて生じるものです。ですから、体になんらかの問題があれば、その人の感情に異常が生じることは不思議なことではないのです。


不安や心配の気持ちが高まるのは、脾臓や心臓が不安や興奮という感情と強く結びついているからです。簡単に説明するのであれば、脾臓に力が集まりすぎるとみぞおちに力が集まり不安が強くなり、心臓に力が集まりすぎると興奮して落ち着かなくなります。これは、脾臓や心臓の働きを制御する神経が緊張していると言い換えるとわかりやすいでしょう。


整体的な説明を加えると、内臓は必要に応じてその能力を高めたり静めたりします。しかし、それがうまくいかないときにその臓器に気が集まりすぎる、つまり力みが生じてしまうということです。そして、その内臓の働きに不調が生じると感情が影響を受けてしまうことになります。


もちろん、ストレスや過去の記憶によって内臓の働きが影響を与えることはあります。

しかし、大半の人は体の不調が感情に影響しているのです。実は、私自身はストレスや過去の記憶が原因でパニック症を起こしている人を見たことがありません。ですから、まずは体の不調を整えた上で、それでもパニック症の症状が落ち着かないかを確認するほうが確実で間違いのない対処法だと考えています。


もしお困っておられるという方はご相談いただければ、医療とは違った視点、技術、知識からアドバイスができるはずです。連絡先はホームページで確認ください。


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医療が見逃すもの、整体が見つけるもの





私は整体師として20年ほどの経験があります。これまで多くの患者さんから、

「検査で異常が見つからないと言われ、『心の問題です』と片付けられて困っている。」

という相談を多く受けてきました。

多くの方が同じようなことを言われているように感じます。このような状況を見るにつれ、多くの医師が検査結果に依存しがちであると考えるようになりました。なぜなら、

「検査で異常が見つからないから心の問題です。」

という発言は、医療で行われる検査が神様のような精度で体に起こっているあらゆる問題を見通すことができるという前提がなければ成立しないからです。検査の限界を認める医師も多いですが、一部の医師は検査の数値に注目しすぎて患者に対して十分な関心を持ていないのではないでしょうか。

「現在の検査技術ではあなたの体に起こっている問題を見つけることはできませんでした。そのため、医療として対応できるのは精神科のみになります。」

というのが、より正確に状況を表現しているのではないでしょうか。それにも関わらず、「心の問題です。」と専門家が発言してしまうことで、

「私は考え方が悪いから体が悪いのだ。」

と勘違いしてしまう人がたくさんいるように思います。少なくとも、私の所にはそういった人々がたくさん相談に来られています。

また、こういった問題は医療だけでなく家族にも原因がある場合があります。

実際の例をあげると、奥さんがパニック症の症状に悩んでいるのに、ご主人が「考え方を見直して不安を解消しよう」という意見を押し通すのです。このような状況はかなり頻繁に起こっており、今年に入ってからも2件ほどこのようなケースがありました。

このような場合、本人には非常に深刻な状況です。周囲が本人の望まない方向に強引に誘導してしまうからです。本人からすれば、

「誰も自分の事を理解できないし、理解しようともしない。」

という気持ちになってしまいます。それで、もし本当に良くなるのであれば、それに越したことはありませんが、症状が改善しない時には、

「なぜ物事をポジティブに考えることができないのだっ!」

と責められるのです。

ひどい場合には、医師からもそれ以上に非難されるケースも実際にありました。離婚してしまうなど、家族の縁は簡単に切れるものではありませんから、当人は精神的に参ってしまうのです。

身体の不調を改善するためには、家族や周囲の人々との相互理解を深めていくことが大切なのです。

このような状況においても整体師であれば別の解決方法を示すことが可能な場合があります。なぜなら、医療の検査だけでは問題が見つからないことがあるということであって、整体という技術を通じて体を観察することで悪い部分を見つけることができるからです。医療で行われている検査が万能ではないということがわかっていれば、違った側面からご自身の体の状態と向き合い改善してゆくことができるはずです。実際、医師と信頼関係を築くことができなかったということで相談にこられる方は少なくありません。

体は神秘の宝箱、自律神経整体院でした。

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年相応という言葉の意味


YouTubeで動画を公開しました。
今回は「年相応」という言葉について考えてみました。よく聞くこの言葉、実は多くの誤解を生んでいるかもしれません。年齢を理由に健康を諦める必要はありません。元気に年を重ねるためのアドバイスを動画でお届けします。





健康に関する言葉の中で、特に誤解されやすいのが「年相応」という言葉です。今回はこの言葉に焦点を当ててみようと思います。
私がこの年相応という言葉を聞くのは、たいてい整体にはじめてこられた方からです。具体的には、このような使われ方をします。

「あなたの腰が痛むのは年相応だ。」
 「あなたの膝が痛いのは年相応だ。」 
「体のどこかが悪くなるのは年相応だ。」

実は、これらの台詞は相談にこられた本人が言っているのではなく、医師がこのような発言をしています。専門家であるはずの医師が、誤ったことを言うはずがないと考えてしまうかもしれません。しかし、医師たちは、あなたの体の不調は加齢によるもので、もう治らないことを説明するための表現としてこのような表現を用いています。私はこの考え方に異を唱えたいのです。なぜなら、実際は老いても元気な人はいくらでもいるからです。年をとれば必ず体は悪くなるという考えが多くの人に根付いてしまっている現状を見直すきっかけになればと考えています。

医学的な判断に整体師である私が口を挟むことに違和感を感じる人もいるかもしれません。
しかし、年をとっているから体が悪くなるのだという考えには賛同できません。すべての人間が年をとったら必ず腰あるいは膝が痛くなるというのであれば、私の考えが間違いであることになります。しかし、現実には腰や膝に痛みが出る人と出ない人、高齢でも健康で元気に生活を送っている人もいます。ならば体に問題が出る人と出ない人には明確な違いがあると考える方が自然ではないでしょうか。

では、整体的に年相応という言葉の意味を説明します。
人は年齢を重ねるにつれて代謝が低下していきます。ダイエットの経験がある人であればご存知かもしれませんが、人間が1日に消費するエネルギーのことを基礎代謝といいます。この基礎代謝が年齢とともに低下していくのです。

年齢とともに代謝は変化し、これが体に様々な影響を及ぼします。代謝が落ち込むタイミングの1つが40代前半で、この変化を更年期といいます。なお、この変化については厚労省がデータを公開しているので、興味があれば参照するとよいでしょう。リンクは下記に貼り付けておきます。

この時期の体の変化は、味覚や運動能力で考えるとわかりやすいでしょう。例えば、年を取ると揚げ物などの油ものの料理よりも、刺身や煮物などのあっさりした料理を好むようになります。また、若い頃はサッカーやバスケットボールのような瞬発力を求められるスポーツが得意でも、年を重ねるとジョギングやウォーキングなどの持久力を活かしたゆったりした運動が好まれるようになります。

さらに、趣味や娯楽の好みも変化します。
例えば、若い頃はジェットコースターやアクション映画が好きだった人が、中高年になると読書やガーデニング、温泉旅行など、ゆったりとした楽しみを好むようになることがあります。このように年齢による違いは、代謝の状態に合わせた嗜好が異なるということです。

なお、この時期の代謝の変化に内臓がうまく対応できないと腰や膝に痛みが出ることがあります。心臓に問題があれば腰に、腎臓に問題があれば膝に痛みが出ると考えてください。これは更年期の変化に体がうまく対応できていないために起こる問題であって、年をとれば必ず起こるものではありません。
それでは、年相応という言葉についてです。このように考えると、年相応という言葉が「年をとったときに体のどこかが悪くなる」という意味で使われているのはおかしいと思えるのではないでしょうか。つまり、「年相応」という言葉は年齢に伴う身体の変化をシンプルに表現しているだけなのです。
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