心ではなくまず体
2020年01月22日
知識や経験が増えてくると自分と意見が異なる人間を見たときに、その人を、
「こいつは馬鹿だ!」
と思うようです。
昨年、ニュースを見ていて韓国という国と人の考えがどうしても理解できませんでした。
私はどうしてそのような発想がでてくるのか気になりましたので、生まれてはじめて政治がらみの情報を積極的にとっていました。それで気が付いた事なのですけど、政治ネタ界隈にいる人たちは、わりと平気で他人を馬鹿する発言をしています。
さて、ある日、退屈しのぎにYouTubeの動画をみようとしたら、自律神経の学者が元大阪府知事の橋下徹氏に、
「6秒でできる心の落ち着け方。」
なんていうものの説明をして、橋本徹氏が絶賛したみたいな内容の動画を見つけました。
で、それを見かけたときに、
「こいつは馬鹿だな。」
と思いました。
登場しているのは私も知っていた人で、自律神経の専門家として結構な著名人です。
しかし、本が結構売れちゃったせいか、おかしな事をやりだしました。商業主義に走ったというか、自律神経にまつわる商品を提供しはじめたのですが、どう考えても役に立つとは思えない物ばかりです。
それで、愕然としました。
「それがいいとか、正しいと信じている物や事があるときに人は他人を馬鹿にするようになるのか・・・。」
と気が付いたわけです。
整体にこられた時に、
「人間は心臓さえ動いていれば幸せになれますか?」
と、よく質問します。
たいていの方は違うと思うと答えられます。
このテーマをちょっと掘りさげるには、
「寝たきりの年寄りは日々幸せを感じて生きているだろうか?」
と考えてみればよいのです。
お年寄りによっては自分の意思など持っているとは思えないような方もおられます。昨年だったか、介護施設の職員が老人を虐待しているということで、その映像がニュースで流れているのをみました。その老人は、会話ができず、自分の力ではトレイができず、着替えもできず、食事もとることができない方でした。
私は、
「そのような存在に人として接するのは難しいのかもしれない。」
なんていう感想を持ちました。
介護職員が行った行為は、人として許容できる行為は明らかに逸脱しているとは思います。でも、自分の心に暗い部分、影みたいな物があった時に、
「介護する相手が自分の意思をまったく表明できない状態の時に、その人を尊重して接する事ができるだろうか?」
と自分に問いかけました。
最初のうちは大丈夫でしょうけど、何年も介護の仕事をつづけて慣れてきたときには、正直いって自信が持てませんでした。
この老人に、
「日々、幸せに生活できていますか?」
と聞いても、その問いを理解して答えるような力はすでに失われてしまっているとの事でした。
そんな人に対して、
「心臓はちゃんと動いていて生きていますから、後はあなたの心の問題です。」
と言ってしまうのは明らかに何かを間違えていると思われます。
「心のありようさえしっかりしていれば、人間は幸せに生きる事ができる。」
今の日本の社会は、そのように考えているじゃないでしょうか。
しかし、人間の体を日々、観察していると、幸せを感じる事ができる状態というのがちゃんとあると確信しています。
体がしんどくて、毎日が辛い生活をおくらなくてはいけない人に毎日のように何人も接していています。
医者に治らないと見放され、
「気にせず前向きに暮らせば幸せになれます。」
みたいな事を言われた人の気持ちはどういうものでしょうか。
一生この苦しみが続くのかという絶望を抱えて生きている人の気持ちがどういうものか私は十分に理解しているつもりです。
体が辛いときには、胸に大きな穴があいて、その中に暗闇がひろがって、光なんかなんも見えなくて、このまま死んでしまってこの世からいなくなりたいって、人間ってそういう風に思ってしまう生き物じゃないでしょうか。
そんな状態の人に、
「気にしなければ幸せになれる。」
とか言ったって気休めにもなりません。
だから、心ではなくまず体なのです。
体さえしっかりすれば、元気になりさえすればこんな事を考えなくて済むのです。そして、私はこの事をこれまでの勉強してきた事と経験を踏まえて絶対に、この考えは間違いないし達成できるものだと確信しています。
いつの間にやら私にもそんな信念みたいなものが芽生えていたようです。
すると、
「6秒でできる心の落ち着け方。」
みたいな気休めを言って、専門家でございますなんて名乗っている人をみると、殴りつけて、全身の骨をバラバラになるまで踏みつけて、ぐちゃぐちゃのねちょねちょにしてやりたいとか思ってしまみたいですね。まぁ、よほど面とむかって神経を逆なでするような事でもされなければ本当にやってしまう事はないだろうと思いますけど。
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