ブログ「日々整体」

女性を見た目で判断していいかという問題

「女性の美しさの表現は女性の権利を侵害している。」


学生の頃だったと思うのですが、そんな主張をしている女性が数人テレビにでていました。
そして、白雪姫の美しさを表現するのに、肌が白いとか瞳が大きいとかいう表現を使っているのは女性軽視だなんて主張をしていました。

じゃあ、女性の美しさはどう表現すればいいのだという質問に対して、


「性格がよいと表現すべきだ。」


と、答えていました。


その他の例として、着衣が乱れた女性の写真を広告に使っているものなんかも紹介していました。


「半裸女性の写真を広告に使うのは女性軽視だ。男性ならこのような使われ方はしない。」


というわけです。


まぁ、論としては一理あるとは思います。
ただ、白雪姫について云々している方は、VTRでの出演でしたが、やたらと化粧の濃い太った中年の女性でした。平易な言葉で表現するなら、オバタリアンがやたらとケバケバしく着飾っているという印象です。その印象が膨らんだだけかもしれませんが、光り物なんかも身に着けていた記憶があります。

この時は3人ぐらい女性が出演していたように思いますが、皆さんの外見はあまりぱっとしてないので説得力に欠けていたんでしょうかね。


FAXで送られた意見も2つあったのを覚えているのですが、


「そんな事を言うのは、あなたたちが女性としても魅力に欠けるからだ。」


というものでした。
ひとつはモデル、もう1つは風俗で働いている女性からのもでした。意見を送ってきた女性にしたら、自分の女性らしさ、特徴や生まれ持った優秀なところを活かして生きているわけで、そういう生き方を否定されたと感じたのだろうなぁと、今になって思うわけです。当時の私は、こういうことについて考えたことも興味もありませんでしたから、


「白雪姫についての意見は暴論だなぁ。」


というぐらいにしか思っていなかったように思います。

まぁ、とりあえず思うのは、女性の美しさを言葉で表現するようになったのはいつの時代からかはしりませんが、おそらく源氏物語の頃にはすでに定着していたんじゃないですかね。最初はなんにもないところから、時間をかけて言葉ってのは生み出されたきたはずなんですよ。生み出された言葉は変化しながら今に至っているわけで、それなりの歴史の重みがあるわけです。そういうものを全部置き去りにして、


「女性の権利を守るために、美しさについての表現を改めろ!」


なんて言われても、困るだろうし説得力がないんじゃないですかね。

だいたい白雪姫の話で、『昔々あるところにたいそう性格のよい女の子がいました』と書き出されたって読み手はなんの感情移入もできないと思いますけどね。自分の書いたものを他人に読んでもらうという経験がない人が、表現について云々いうのは駄目でしょうね。


さて、前置きが非常に長くなってしまいました。


私は体についてずっと考えている人なわけです。
こういう問題を体の状態という観点から考えてみるわけです。


まずは、真っ黒で大きく見開いた瞳という表現で考えましょう。
このような目を持つという事は、呼吸器がしっかりと働いているという事が言えます。逆に言えば、肺の動きの小さい人は目が小さく見える傾向がでるという事です。


このような瞳でまっすぐ見つめられたら男性はどう感じるでしょうか?
おそらくドキドキしはじめるはずです。この時に重要なのはまっすぐにみつめるということですね。まっすぐに見つめるためには肝機能がしっかりと働いていなくてはなりません。酒の飲み過ぎで肝臓が疲れている人は視線がすぐに泳ぎはじめます。肝機能が壊れている人などは、左右の瞳が違う方向を向いていたりしますね。


肌のキメが細かいというのも重要です。
胃腸が食べたものをきちんと消化吸収できる状態でなくては、肌のキメは細かくなりません。肌は呼吸器の働きも影響するので、呼吸器の働きが悪いと肌が荒れやすく、荒れてしまうとなかなかキレイになりません。シミなんかがなかなかとれなかったりするのは消化器と呼吸器の働きを疑うべきですね。


心臓についても語っておきましょう。
心臓がしっかりと収縮して血液を体に送り込んでいない人は笑顔になることができません。どんなに目鼻だちが整っていても、笑顔のない女性に魅力は感じないというのは説明する必要はないのじゃないですかね。


書いていけばキリがないですが、鼻筋、あごの形、女性のバストやヒップの形、腰、手首、足首のくびれなどもやはり女性自身の内臓、健康状態を反映して形がかわってきます。


目が大きく黒目がちで、肌が白くキメが細かく、バストが大きく、ヒップの形がよくて、手首、足首がキュとしまって、笑顔が魅力的な女性という言葉は、その女性がとても健康であるという事を表現しているわけです。男性というのは健康な女性を魅力的に感じるというだけの事でこういう感覚は理性ではなく本能的なものだろうといえます。


昔の文人たちはこういう事をしりませんが、自分自身の心、本能が感じたそういう生き物としての感覚を言葉にしようとした時に、目が大きいとか、肌が白いとか表現したわけで、それが人間という生き物の共通の感覚だから千何百年もずっと残っているのだと私は考えますけどね。


だから、女性を見た目で判断していいかということであればしていいですね。
今回は性格についてまでは広げられませんでしたが、性格の歪みもまた体の状態がストレートに反映していると私は感じています。元気になった人って性格が変わるんですよね。そういうのを何人もみていますから。



さて、今でもこんな事をいっている人がいるのか知りませんが、女性の権利を守るために女性の美しさ表現について苦情を言いたいのであれば、


「女性を美しいと表現する時は、心臓、肺、肝臓、腎臓、胃腸がしっかり働いていると表現しなくてはいけない!」


というべきでしょう。
これがより的確で正確な表現です。今すぐは無理でも、千年ぐらい先にはしっかりと根づいているかもしれません。本当に言葉の表現を変えることで、女性の権利を守りたいと思うのであれば、それぐらい見通しで取り組まないといけないと私は思いますね。
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