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読書の感想『減速して自由に生きる』

減速して自由に生きる ダウンシフターズ
  高坂 勝著 ちくま文庫

スローライフについて書かれた本です。
スローライフというを記事や文を耳にすることはよくあります。しかし、読んでみるとたいていは気に入りません。私からするとスローに生きるという解釈がちょっとまちがっていると感じるのですよね。

その最たるものが、スローライフの反対側にあるものとして


「環境破壊」
「戦争と平和」
「競争社会」
「大量消費」


なんていうキーワードをあげるのです。
この著者も例にもれず、こういうワードを否定して、だからスローライフしましょうという内容です。私はたいていそういう考え方が気に入らないから、かなり読みにくかったですね。

著者は一人で小さな飲食店を経営しています。
週休2日とか3日で、お米や野菜を自分で作っているので売上に固執せずに家族で生活するぐらいには十分に稼げるそうです。小さくやるから材料にこだわって、手間ひまかけて心温まるお店づくりができるわけです。

まぁ、これはわかるわけですよ。
私自身も一人でやっているわけですから、胸糞の悪い人は追い返して、駄目なものは駄目だと言いたいことは遠慮なく口にして、周囲の人間の顔色を伺うことなしで仕事をしています。

ただ、だからといって違う考え方や生き方をしている人間を否定する必要はないんですよ。
料理店で考えるなら、


「何百人もの人たちに美味しいものを食べてもらってみんなを笑顔にするんだ!」
「結婚する2人と2人を祝うために集まった人たちの思い出に残る料理を作りたいんだ。」


こういう具合に、100人とか1000人単位の人たちの胃袋を満たすことにやり甲斐を感じる料理人だっているはずなんですよね。こういう事を考えたら大きいお店が必要だったり、一人じゃ無理だからチームを作って料理を作ったりするわけです。


ところが、スローライフを掲げる人たちはそういう人たちに、


「大量消費は環境破壊に繋がって地球を駄目にする。」


みたいな理屈でダメ出しをしているように感じられるので気に食わないわけです。


料理が作りたい人、環境について考えたい人、平和について考えたい人、競争したい人、小さくやりたい人は小さくやって、大きくやりたい人は大きくやって、そういう風に、すべての人が自分が生涯をかけて取り組みたいと思える事をやっていれば、世の中はすべてうまく周りはじめると考えています。そういう考えを持っていると、


「小料理屋の店主が環境についてえらそーに説教するな。」


なんて思ってしまうわけです。
自然環境が気になるなら、自然について生涯かけて考えている人がいるのだから、彼を信頼して任せろよ。私はそれでいいと思うんですけどね。

そういや、ちょっと前にプラスティックを分解するバクテリアかなんかが見つかったとかなんとかニュースでやっていましたけどね。こういう事を踏まえても人という生き物をもっと信頼しろよと文句をいいたくなります。


あと著者は、自らのスローライフをダウンシフト生活と命名しています。
その生活の素晴らしい点として、


・嫌な事をしなくていい
・家族との時間が増える
・ストレスのない生活


なんて事をあげています。
ただ、こんなもんなら別に田舎にいってダウンシフトしなくても、いくらでも手に入りますね。現実に私はそういう生活をしていますから。


で、さんざんコケおろしましたが非常にいい本だと思います。
体を痛めている人は、ほぼ間違いなく思考が硬直して視野が狭くなっていますからダウンシフトという生き方に触れてみるのはとてもよい機会になるのじゃないでしょうかね。ひねくれた私が読むといろいろケチをつけたくなりますが、大半の人にはすんり読める内容だと思います。


「休む必要がある時は休まんかいっ!」


と、何年か前に怒鳴りつけたことがあるのですが、それに対する返事は、


「主婦は休むわけにはいかない。」


というものでした。
こういう馬鹿なセリフをいってしまっている人にはとくにおすすめだと思います。

減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫)
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女性を見た目で判断していいかという問題

「女性の美しさの表現は女性の権利を侵害している。」


学生の頃だったと思うのですが、そんな主張をしている女性が数人テレビにでていました。
そして、白雪姫の美しさを表現するのに、肌が白いとか瞳が大きいとかいう表現を使っているのは女性軽視だなんて主張をしていました。

じゃあ、女性の美しさはどう表現すればいいのだという質問に対して、


「性格がよいと表現すべきだ。」


と、答えていました。


その他の例として、着衣が乱れた女性の写真を広告に使っているものなんかも紹介していました。


「半裸女性の写真を広告に使うのは女性軽視だ。男性ならこのような使われ方はしない。」


というわけです。


まぁ、論としては一理あるとは思います。
ただ、白雪姫について云々している方は、VTRでの出演でしたが、やたらと化粧の濃い太った中年の女性でした。平易な言葉で表現するなら、オバタリアンがやたらとケバケバしく着飾っているという印象です。その印象が膨らんだだけかもしれませんが、光り物なんかも身に着けていた記憶があります。

この時は3人ぐらい女性が出演していたように思いますが、皆さんの外見はあまりぱっとしてないので説得力に欠けていたんでしょうかね。


FAXで送られた意見も2つあったのを覚えているのですが、


「そんな事を言うのは、あなたたちが女性としても魅力に欠けるからだ。」


というものでした。
ひとつはモデル、もう1つは風俗で働いている女性からのもでした。意見を送ってきた女性にしたら、自分の女性らしさ、特徴や生まれ持った優秀なところを活かして生きているわけで、そういう生き方を否定されたと感じたのだろうなぁと、今になって思うわけです。当時の私は、こういうことについて考えたことも興味もありませんでしたから、


「白雪姫についての意見は暴論だなぁ。」


というぐらいにしか思っていなかったように思います。

まぁ、とりあえず思うのは、女性の美しさを言葉で表現するようになったのはいつの時代からかはしりませんが、おそらく源氏物語の頃にはすでに定着していたんじゃないですかね。最初はなんにもないところから、時間をかけて言葉ってのは生み出されたきたはずなんですよ。生み出された言葉は変化しながら今に至っているわけで、それなりの歴史の重みがあるわけです。そういうものを全部置き去りにして、


「女性の権利を守るために、美しさについての表現を改めろ!」


なんて言われても、困るだろうし説得力がないんじゃないですかね。

だいたい白雪姫の話で、『昔々あるところにたいそう性格のよい女の子がいました』と書き出されたって読み手はなんの感情移入もできないと思いますけどね。自分の書いたものを他人に読んでもらうという経験がない人が、表現について云々いうのは駄目でしょうね。


さて、前置きが非常に長くなってしまいました。


私は体についてずっと考えている人なわけです。
こういう問題を体の状態という観点から考えてみるわけです。


まずは、真っ黒で大きく見開いた瞳という表現で考えましょう。
このような目を持つという事は、呼吸器がしっかりと働いているという事が言えます。逆に言えば、肺の動きの小さい人は目が小さく見える傾向がでるという事です。


このような瞳でまっすぐ見つめられたら男性はどう感じるでしょうか?
おそらくドキドキしはじめるはずです。この時に重要なのはまっすぐにみつめるということですね。まっすぐに見つめるためには肝機能がしっかりと働いていなくてはなりません。酒の飲み過ぎで肝臓が疲れている人は視線がすぐに泳ぎはじめます。肝機能が壊れている人などは、左右の瞳が違う方向を向いていたりしますね。


肌のキメが細かいというのも重要です。
胃腸が食べたものをきちんと消化吸収できる状態でなくては、肌のキメは細かくなりません。肌は呼吸器の働きも影響するので、呼吸器の働きが悪いと肌が荒れやすく、荒れてしまうとなかなかキレイになりません。シミなんかがなかなかとれなかったりするのは消化器と呼吸器の働きを疑うべきですね。


心臓についても語っておきましょう。
心臓がしっかりと収縮して血液を体に送り込んでいない人は笑顔になることができません。どんなに目鼻だちが整っていても、笑顔のない女性に魅力は感じないというのは説明する必要はないのじゃないですかね。


書いていけばキリがないですが、鼻筋、あごの形、女性のバストやヒップの形、腰、手首、足首のくびれなどもやはり女性自身の内臓、健康状態を反映して形がかわってきます。


目が大きく黒目がちで、肌が白くキメが細かく、バストが大きく、ヒップの形がよくて、手首、足首がキュとしまって、笑顔が魅力的な女性という言葉は、その女性がとても健康であるという事を表現しているわけです。男性というのは健康な女性を魅力的に感じるというだけの事でこういう感覚は理性ではなく本能的なものだろうといえます。


昔の文人たちはこういう事をしりませんが、自分自身の心、本能が感じたそういう生き物としての感覚を言葉にしようとした時に、目が大きいとか、肌が白いとか表現したわけで、それが人間という生き物の共通の感覚だから千何百年もずっと残っているのだと私は考えますけどね。


だから、女性を見た目で判断していいかということであればしていいですね。
今回は性格についてまでは広げられませんでしたが、性格の歪みもまた体の状態がストレートに反映していると私は感じています。元気になった人って性格が変わるんですよね。そういうのを何人もみていますから。



さて、今でもこんな事をいっている人がいるのか知りませんが、女性の権利を守るために女性の美しさ表現について苦情を言いたいのであれば、


「女性を美しいと表現する時は、心臓、肺、肝臓、腎臓、胃腸がしっかり働いていると表現しなくてはいけない!」


というべきでしょう。
これがより的確で正確な表現です。今すぐは無理でも、千年ぐらい先にはしっかりと根づいているかもしれません。本当に言葉の表現を変えることで、女性の権利を守りたいと思うのであれば、それぐらい見通しで取り組まないといけないと私は思いますね。
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テレビ番組はつまらないという話

先日、東大生を集めてやっているクイズ番組をみかけました。
番組の内容は難しい漢字の読み方です。呼んでくる学生が文学部なんですとかいうならまだ多少はわからんではないのですけどね。で、東大生が読めない漢字を、チープな酒場で仕事している派手なホステスみたいな印象の芸能人が正解して、


「漢検うけてますのでわかります。」


みたいな事をいっていました。
結局、東大生なんていってもたいしたことないよねとコケおろして、学のない人を安心させるための番組なんですかね。単純にクイズを楽しむという面もあるかもしれませんが、知識が多いというのと優秀であるというのは全く意味が違うわけですよ。

私が子供に頃に好きだった番組でウルトラクイズというのがありましたが、確か東大生は1回も優勝してなかったんじゃないですかね。ウルトラクイズ内では東大生はちょっと格下にみる風潮があったようにも思います。優勝の常連だったのは早稲田や慶応だったでしょうか、今でもあるか知りませんが慶応のクイズ研究会みたいなサークルの学生呼んでくれば、芸能人なんかとは勝負にならないんじゃないですかね。


現実に私があった学生を紹介してみましょう。
彼は、


「宇宙に登るためのエレベータを作りたい。」


といっていました。
ガンダムシリーズで、宇宙にあがるためのエレベータが紛争の原因になっているものがあるんですが、まさしくそれを作りたいのだと。理論的には十分可能なのだけど、実現するための素材がまだないのだといっていました。地上から人工衛星までロープを伸ばすわけですが、ロープが長すぎて自身の重さでロープが切れてしまうわけです。

聞いていた私は、面白い学生だと思ったわけです。
で、その話を聞きながら、発電するのに宇宙でやれば大気の影響を受けないので発電の効率がかなりよくなるんじゃないかと。宇宙で発電して、地上まで送電線を伸ばせばエネルギー問題など簡単に解決するんじゃないかなぁと素人ながら思ったわけです。送電が無理ならバッテーリーに蓄電してエレベータで地上まで運ぶなんていう方法もとれるわけですし。



せっかく優秀な学生を呼ぶのであれば、優秀な学生にしゃべらせて、その学生に受け答えできる大人も呼んで、彼らにコミュニケーションをとらせてあげればもうちょっとましな内容の番組ができるのじゃないですかね。こんな内容のクイズ番組では、出演した東大生には何も残らず、見た私には不愉快さが残り、一部のタチの悪い人に優越感が残るだけではないかと。


こういうくだらない番組を作って喜んでいる人たちが、数字があがったさがっという価値観で番組を作っている人たちが、健康に関する番組を作るとどうなるかというと、やはり見るに耐えないものになる傾向があります。めったに見ないけど、たまに見かけたらその内容はひどいものです。
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