ブログ「日々整体」

何を考えいるかは結構重要だという話

「こんなに痛いのはもう嫌です。」


先日、整体にこられた人がこんなことを言い出しました。
人間の体というのはよくできたもので、そんなことを考えていると本当にそういう風に体は変わってゆきます。

痛みというのは、怪我だったり病気だったりを解消する、つまり治るという働きがでているときに感じるものです。
だから、痛いのが嫌だとかいっていると治らなかったり、治りが悪くなります。怪我をしたときに傷跡が残ったりするのは、そういう考えがあったり、痛みをなんらかの方法で和らげているときですね。

たとえば、大半の腰痛なんてのは1~2週間も我慢していればそれで終わるんです。
ところが、痛いのが嫌だからちょっとでも早く痛みがなくなって欲しいと湿布なんて貼っていると、死ぬまで痛みが消えないなんてことになるわけです。


不必要に痛みを感じ続ける必要はありませんが痛みというのは必要なものです。
さて、痛いのは嫌だと本気で考えていると、体が元気になろうという働きが止まってしまいます。プロボクサーが意思の力で出血を止めているのをマンガなんかでみかけたりしますが、これは本当にできることだったりします。人間の意思とか思考というものにはそれぐらいの力が実際にあるわけです。
ただ、痛みを消すというのは痛みを感じないように体を変化させるということです。
この点についてはよく考えてみる必要があるんじゃないですかね。少しの期間、過ごし方を工夫すれば、それでおしまいなものを死ぬまでの何十年も抱えることになったりするわけですから。



ついでにいうと、


「熱がでるのは嫌だ。」


なんていうのも同じですね。
熱、くしゃみ、せきがでるのは、主に肺や腎臓の動きをリフレッシュしようとしたときですね。リフレシュッシュがおこらない体で何年も生活していればおかしくなるのはあたりまえで、そういう人がいきつく先は、最近はメニエール、めまい、耳鳴りだっりしますね。


本当は、たまに38~9度ぐらいの熱をだして何日か寝込むぐらいでちょうどいいんですよ。


「風邪ぐらいで死ぬなら諦めて死んだ方が幸せですよ。」


なんて話を最近ではほぼ全員にしているんじゃないですかね。
耳鳴りやめまいが辛くて死んでしまいたいとか考える人が実際にいるわけで、笑えない冗談といいきれなくなってきています。




さらに似た話で、


「こんなに辛いのは嫌だ。」


とか考えていると、辛いという気持ちが本当に起こらないような体に変わってゆきます。
辛いというのは心の中のものだと考えている人が多いのですが、感情というのは内臓の状態が反映しておこるものですね。

胸がぎゅっと苦しくなるのは本当に胸にそういう変化がおこっているわけですから



ちょっと乱暴な説明ですが、辛いという気持ちを感じないようになろうと思うなら、心臓の動きを弱めればいいですかね。脈の動きが弱くなれば喜怒哀楽が薄くなってゆきます。で、実際そんな事になっている人は珍しくなかったりします。だから、


「こんなに辛いのは嫌だ。」


なんてずっと思っているのは結構具合が悪いわけです。
私が見ている印象だと、家族に虐待とかそれに近い接し方をされている人がそんな事になっていますかね。

ただ、こういうのも何人かみてくると、


「仕事のストレスが辛くてそれで体がおかしいのです。」


なんていっている人が本当にそうなのかもある程度わかるわけですよ。


「嘘をつけ、まじめに仕事をするのが嫌ならとっとと辞めてしまえ。」


仕事を理由にあげる人はたいてい、こんなことをいいたくなりますね。
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今月のちょっと腹のたった話

最近3回ほど腹の立つことがありました。

まずは1つ目です。
先日、ある方の整体を終えたあとちょっと話しこんだときに漏れた言葉は、

「子供に絵本を読んであげたい。」
「子供と一緒に遊びたい。」
「家族でディズニーランドに行きたい。」


という物でした。
もうちょっと掘り下げたところを聞いてみると、小学生のころからずっとめまいを感じていたそうです。

もう何十年もそんな状態が続いているわけです。
ですから、元気になった自分を想像できなくなってしまっているわけですね。ちょっと時間がかかっている傾向は感じていましたが、私が観はじめてからまだ3ヶ月程度でした。めまいがするのが当たり前というのが、数十年もそんな状態が続いていたわけで、子供と楽しく遊べるようになるにはまだまだ時間がかかるに違いないと思いこんでいたようです。

こういう話を聞くのはは日常茶飯ではありますけどね。
世の中の専門家を自称する人、先生なんて言われている人たちは、この方に自分の子供に本を読んであげるという事すらできない生き方をさせてきたわけで、


「お前らはいったい何をやっているんだ。」


と腹がたってくるわけですよ。


で、次は2つ目です。
ある日、うちに返ってみるとある本が届いていました。
整体に関わっている人たちを紹介していました。紹介されている人たちは、間違いなく私より技術も知識も上の人達でしょう。書いてあったことはとても大切なことなんですけどね。でも、ここに書いてあることが、


「めまいが辛くて子供と遊べない。」


そういう具合に辛いというか、そういう当たり前のこともできなくなっている人に役に立つかというと全く役に立たない話しか書いてないわけです。

みんなが整体というものに興味をもって切磋琢磨するわけではありません。
ほとんどの人は、仕事して、家族でご飯たべて、子供とディズニーランドで遊んで、それだけでいいと思うんですけどね。雲の上から、ふんぞり返って様子を眺めながら、


「自然の流れに身を任せなさい。」


みたいなことをいっているように感じたのです。
まぁ、はっきりいってただの言いがかりですが、地面に足がついてない人が御高説を賜ってくださっているような印象がして、無性に腹がたったわけです。


そして、最後の3つ目ですが、さっき、


「自律神経が悪いと言われたのできたんですが。」


という人がやってきました。
で、それは誰に言われたんですかと聞いてみたら、


「お医者さんに。」


といいます。
そのほか、2~3言葉を交わすと、あかん人だとすぐにわかりましたので、邪険に応対していたら、暴言を吐いて帰ってゆきました。自分の人を見る目も多少はマシになってきたなぁと思いましたが、ちょっとだけ腹が立ちましたね。



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頭がぐわんぐわんするときの対処法

1年ぐらい前、70歳ぐらいの方から、



「あたまがぐわんぐわんする。」



という相談を受けていました。

ただ、最初こられたときはそういうような問題ではなくて、1週間後にがとまっていても不思議ではないなぁと思えました。だから、正直いって、



「もしかしたら駄目かもしれないなぁ。」



なんて内心考えていましたね

ただ、そんな状態でも検査では異常なしみたいなことになってるんですよ。それで、年齢のせいだとか、気持ちの問題だとか、そういうことを言われちゃっているようでした。歳のせいで頭がぐわんぐわんいうのであれば、加齢によって何が起こっているから頭がぐわんぐわんいっているのか考えるのが専門家の役割のはずなんですけどね



検査結果に問題がなければ永遠に生きられるわけではないんです。

肝心なのは、検査結果をどうみるかという、経験とか知識を踏まえた判断なはずなのですけどね。本人が苦しい思いをしているのに、数字に問題がないから問題がありませんっていうのはちょっとおかしいです。



「ほっとけば心臓とまるかもしれないなぁと



これぐらいは検査などせんでもわかるようになっていないと具合が悪いはずなんですけどね。



さて、最初こられてから1年ぐらいすぎました。

で、結果を書いてしまうと、今の時点では結構元気にしておられます。わたしからすると、生きるか死ぬかの瀬戸際にずっといたのに、延々と、



「あたまがぐわんぐわんするんです。」



といってくるので、私はずっと、



「つばでもつけとけ。」



と指導していました。

これならひとまず大丈夫じゃないかなぁと思えたのが半年後で、その頃にもまだぐわんぐわんするといっていましたね。今、振り返ってみると、もうちょっとやりようがあったかなぁと思わんでもないですが、最近になってほぼぐわんぐわんいわなくなったそうです。これを書いている3日前にやってきてそういっていました。



ところが、今度は膝がいたいとかいっていましたので、



「つばをつけとけ。」



とアドバイスしておきました。




さて、このぐわんぐわんがいったい何かなんですが、ほぼ間違いなくめまいだったのだろうと思われます。めまいをどう感じるかは、本人の感覚のものですし、その表現もまた本人の感覚からくるものですから、発言と体の状態を照らし合わせて体に何が起こっているのかをよく考えないといけないというよい例ですかね。



あと、このぐわんぐわんが抜けるときには3週間ぐらい高熱が続いたそうです。

体の不調が抜ける時、とくにめまいはその傾向がありますが、高熱がでることがよくあります。この高熱を無理矢理抑え込んでしまうとめまいはうまく解消されないとう事は知っておく方がいいでしょうね。




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耳鳴りと難聴とメニエールと

「耳鳴りと難聴とメニエールっていうのは一括りにしてもいいかもなぁ。」


そんなことを考え始めています。
もちろんケースバイケースではあるのです。特にメニエールなんかは、原理がわからないまま本人が訴える症状だけで判断しているのが実情のようです。ですから、


「メニエールなんです。」


なんて本人がいっていても、起こっていることが人によって全然違うということになりがちです。

まぁ、私からみた場合、メニエールだろうが、そうでなかろうが、回転性だろうが、平行性だろうが、というのは実はかなりどうでもいいことだったりはするのですけどね。

ただ、どうやら世間でメニエールと言われているものは、体に何が起こっているのを表しているのかが、たぶんだいぶわかってきました。で、整体の知識や経験があれば、ある程度はわかるのでしょうけど、そういうのがないお医者さんなんかではまったくわからんだろうなぁというのもわかるわけです。

そうであればめまいがしていればメニエールだとか、回転性だからメニエールじゃないとかそうだとか、相談しにいった先にどんな人がいるかでメニエールに対する解釈が全然違うというのも仕方のない事かなぁと思ったりもします。

ついでにいうと、前にもちょっと書いたことがあったと思いますが、メニエールについては詳しい人になればなるほど、はっきりと、


「よくわかっていないんです。」


と、教えてくれ、浅い理解しかない人ほど熱心にあれこれ説明してくれるという傾向があるので注意が必要ですね。これは私のところに相談にこられた人に話を聞いていると強く感じることですので知っておくといいかもしれません。


で、話の本題はここからです。
メニエールというものがどういうものかという理解がすすむと、メニエール、耳鳴り、突発性難聴は分けて考える必要がないケースが案外多いですね。起こっていることが全然違うのに分けて考える必要がないというとピンとこないかもしれませんけどね。

なかなかうまく例えるのが難しいのですが、地震が起こったとします。
その地震の影響がどのように及ぶかと考えてみましょう。山手の高いところだと土砂崩れが起こり、海の近くに住んでいる人だと津波にがやってきて、都会に住んでいる人だと水道がとまって脱水症状を起こしたりという具合に、住んでいる周辺の環境によって起こる問題が違ったりするわけです。その場の対処であればショベルカーひっぱってきて土をどけたり、水浸しになった家具を片付けたり、トラックで飲料水を運んでくればいいわけですが地震がまたおこれば同じことをまたやらなくてはいけません。

で、メニエールというとなにかというとずっと地震がおさまらないみたいな状態だと考えると案外わかりやすいなぁと。体質とか生活習慣の影響で起こる問題がちょっと違うというような事ですね。


もちろんすべてがそうだというわけではないんですけどね。
なんでもかんでもそれっぽいのは全部メニエールにしちゃっている傾向があるのでなかなか説明に苦労するわけです。


つまり、一部の耳鳴りや難聴、特に突発性難聴なんていわれるやつはその傾向が強いのですが、メニエールとほぼ同じで地震が起こっているだけだということがあったりします。


ただ、やっかいなことが1つあります。
それはなにかというと、地震というのがなにかということに私がうまく説明ができないでいるんですよね。私自身は感覚的にこういうもんだというイメージは固まってはきているんですけどね。そのまま言葉に置き換えると一般の人には理解ができないのですから、まぁ、ちょっと厄介なわけです。こんな感じで、こうすりゃ地震はとまるんだよっていうことは概ね大丈夫そうなんですけどね。

まぁ、そうはいってもさしあたってめまい、耳鳴りなんかで困っている人が、こういう理屈を理解する必要はなかったりしますんで困っているのでしたら相談してもらえるといいのじゃないかと。

なお、7月には品川までいきます。
あと3名まで枠はあいていますので、困っているということでしたら早めに申し込んでください。


日時:7月8日(日) 11:00~17:00
場所:東京都 品川区 小山4-13-11 向後ビル 1F
   Tempslie(タンリエ)

必要な用意:ハンドタオル、靴下
      ※平易、ラフな服装でいらしてください。
時間:45分程度
費用:1万円

受付可能な人数は7名までです。(あと3名)
申し込みは電話にて予約してください
  TEL 075-954-0036
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話を聞いても時間の無駄だろうという話

よくする説明ですが転んで膝を擦りむいて血がでてきたとします。
この時、その傷からは痛みを感じるが正常で痛みを感じていないというのはおかしいのです。

耳なりだったり、難聴だったりと、めまいだったりと、やっかいなことが起こっている人はほぼ間違いなくこういうことが起こっています。血がでているのに痛くないというようなことになってるわけです。何が起こっているかというと、体の感覚が鈍くなったり、なくなってしまったりしているわけです。


余談ですけど、電話であれこれ訴えてくる人がいるのですけどそういう具合に身体感覚がまともじゃないで、そんな人の話をいくら丁寧に聞いても時間の無駄なんですよね。


そういうことが起こる理由は簡単です。
痛みがなくなることが治るということだと考えてしまうことですね。
体になんらかの問題があって痛みなり不快感なりを感じていたのに、それを感じないようにして元気になった気でいるわけです。


こういう人は決まっていうわけです。


「耳なりさえ止まればいい。」
「めまいさえなくなれば元気に暮らせる。」
「耳が聞こえない辛い状態から抜け出したい。」


実は、耳なりがなっているのも、めまいがするのも、耳がきこえないのも、ケガをして血がでてれば痛いのと同じで正常な状態なんですよ。ちゃんと理由があってそうなっているのですけどね。ふと思いましたが、この考えに到達できないでいると、そのうち、脳とか神経に針でも刺してどうにかしようとしはじめるかもしれませんね。

ついでにいうと、そういうもの関心が向いてしまうような人には何をいっても、何をしても無駄だろうなぁと思いますね。


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