整体師としての心構え
2018年10月05日
「整体を終えた方が階段を降りて、角を曲がった先で誰かにぶつかってコケて頭を強く打って亡くなりました。」
もし、そんな話をきいてもふーんそうですかと。
「それがいったいどうしたんですか?」
と、言えるぐらいでちょうどいいのだろうなぁと考えています。
ところが、ちょっと言葉を交わしてしまうと、そういう具合にはいきません。関わってしまった以上は、それなりに元気に生活していって欲しいと思ってしまいます。
こういうのって思い入れとか、親近感とか、そういうものなんですかね?
そういう感情が湧いてしまうから、
「真剣に家族のことを思うなら、あなたはとっとと死んでしまった方がいいかもね。」
なんて、つい発奮するようなことを言ってしまいます。
実は、技術面についてだけ考えるのであれば、健康であって欲しいとか、元気になってほしいという気持ちを持ちながら整体するというのは褒められたものではありません。整体という技術を最も効果的に行使しようと思うと、自分の心はフラットというかニュートラルの状態であるのが理想だからです。単純に、思い入れみたいなものがあると体に与えることのできる変化が小さくなってしまいますし、場合によっては抵抗されちゃってなんにも起こっていませんみたいなことになることもあるでしょう。まぁ、そのあたりをどうにかするのが技術だったり経験だったりなのでしょうけど。
このあたり女性になったつもりで考えてみるとわかりやすいかもしれません。
好意をもっているわけでもない男性に、
「俺色に染めてやるぜ。」
なんて真剣にいわれたらドン引きするはずです。
整体っていうのは、色を染め替えるのではなくその人本来の色がでるようにしてあげるってことでもありますかね、
また、体になんらかの影響や変化を与えようと考えた場合にもいろいろやり方があるわけです。
整体というのは、自らの意思で体をかえるように案内しなくてはいけないものです。いい方を変えると、私が体の状態を変化させてはいけないということです。多少、手は貸しますが自らの意思と体の力で、体を変化させていかなくてはなりません。なぜなら、私が変えてしまうと、私がいなくては元気になれなくなってしまうからです。だから、本当は、私に何かをしてもらったなんていう印象を残してはいけないのだろうなぁとは思うんですけどね。
このことを説明するのに頭に浮かぶ人物が細木数子ですかね。
彼女は、優秀な占い師ですが、彼女の言いなりになって決断してしまうと、重要な判断が必要になったときにまた彼女に相談しなくてはいけないようになっているんじゃないでしょうか。彼女に相談することできっかけを掴んでその後うまくいっている人というのもたくさんいるようですけどね。テレビで見ていた限りでは、大半の人にとっては、占う相手を自分に依存させてしまっているように感じます。
「自分の面倒は自分でみなさい。」
整体するということはそういうことでなければいけないわけです。
「毎月、10万円支払えばあなたに健康で幸せな生活が保証されます。」
と、依存させてしまった方が仕事としては楽ちんなんでしょうけどね。
ところがこんな謳い文句に寄ってくるような人間とは口も聞きたくないなんていう性分ですし、仕事なんていうのはちょっと難しいぐらいの方がやっていてやりがいがあるってものですからね。
さて、今回なんでこんな私の心構えなんかを紹介したかというと、
「整体する側の姿勢を知ってもらえば、受ける側の姿勢も想像できるだろう。」
ということでしょうかね。
多くの人は、私の書いたものなんかをみてそういう雰囲気を感じとってくれるのですが、たまーにちょっと困った人がやってきます。だから、たまーにこういうことも書いておかないといけないわけです。
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