有料の記事をはじめます。
2019年02月09日
学生の頃、印象に残った言葉でなにかあるかなぁと振り返ってみると、思い出したのは、
「この味がいいねといったから6月7日はサラダ記念日。」
という俵万智の俳句です。
日付は、違うかもしれませんが6とか7とか17とかそんな数字がはいっていたんじゃないでしょうか?調べればすぐにでてくるのでしょうけど、ここはあえて曖昧なままにしておきましょう。全然違う、間違えてやがるとバカにしてもらって全然構いません。俳句の韻はなんとなく踏んでいるけど、五七五の俳句のルールは完全に破ってしまっていますよね。でも、私はこれは新しい表現だなぁとそんな風に感じたわけです。
言葉というのは、どう伝わるかが大切で、内容が正確である必要はないと考えています。
仕事だったり、状況だったりで正確さが重視されるケースというのはありますけどね。正確さを重視する職業だと役人なんかがそうですかね。ただ、お役人ってのは正確さを重視するあまりてにをはをいじって正確に伝わらないようにする技術に長けてしまっているという印象であまりいい感情をもっていません。法律やら憲法の条文なんかわけわからんのが多いですよね。
書いていて気が付きましたが、医療なんかも正確さが要求されますね。
私に会って話をしたことがなくても、私が医療にどういう印象をもっているかというのを感じ取っている人もいるでしょう。たぶん、言葉の正確さを重視する人とは私は根本的に合わないのでしょう。
実は、整体というのは正確さを必要としない、かえって邪魔な仕事だったりします。
私にとっては病院の検査の結果なぞどうでもいいのです。手で体に触れた感触で、その人が元気に生活する力があるかどうかを判断します。ですから、医者にOKもらっていても私がみるとダメダメだったりすることは少なくありません。だから、
「人間はいつか必ず死ぬのだから、それまで精一杯生きるのが元気になるコツだよ。」
ということをいいます。
精一杯というのがどういうものかは、人それぞれなんじゃないでしょうかね。でも、手抜きして元気に生活したいという人、そして手抜きした生き方を推奨する人が口にだすセリフが、
「自律神経の働きが悪い。」
というものだったりします。
私はいつも思うわけです、めまいが、耳なりがつらいのでなんとかなりませんか?とストレートに聞いてくれりゃいいのに、なんで、
「私は自律神経が悪いのです。」
みたいな小賢しい物言いをしたがるのでしょかね?
で、ここからが本題です。
有料で読める記事を作ろうと思います。
実は、昨年末ぐらいから、このままじゃ駄目だなぁと、そんな事を考えて準備をしていました。ずいぶん前からこのブログが書きにくくなっていたのです。使ってはいけない言葉が増えてきていたり、医学的な根拠がないものについてどうこういうのは駄目だみたいな世の中になってしまっています。医療が万能ですべての人の助けになっているのであればそれでいいのですけどね。
ところが、私が関わる場合はお医者さんではどうにもならないものをどうにかしましょうみたいな事が大半なのです。ですから、あまりストレートな書き方をしたものを誰にでも見れるようにしておくというのは具合が悪いのです。サイトを作るときには、あれこれ細かいことに注意していないとどこから苦情がくるかわからないわけですよ。そこで、突っ込んだとか、わりとストレートに書いてあるような内容は、印刷して配布してはいたのですけどね。
ちなみに、最近つづいたオカルトチックな記事は、元々は印刷するために書いた記事で、もとの原稿からちょっと表現を柔らかめにしたものだったりしますね。
最近の相談として多いのは、やはり耳鳴り、めまいです。
「死ぬわけではないから、気にせずに前向きに生きてください。」
なんて言われてもそんなことができる人はほとんどいないのですよ。
できると思う人間は頭がおかしいのじゃないかと思いますね。そこで、そういう人たちに、こういう考え方でこのようなやり方で取り組めばなんとかなりますよという情報を、私はちゃんとその人が手を伸ばせば届くところにおいておきたいのです。
なんでそんなことを考えるのかというと、私にはどうしても治せるようになりたい病気があります。
先人、先輩たちの話を聞いたり、文献を紐解いたりすると、どうもその病気の治し方というのは何十年か前には確立されていたようです。ところが、その情報が今現在にはどこにも残っていないのです。もしかしたら、知っているのに黙っている人がいるということなのかもしれません。それが私には許せないのです。最近になって、やっとこれならば・・・、と思えるところまでたどりついたのですけど、ここまで来るのに3年もかかってしまいました。
でも、この3年間、ずっと
「なんで残してないっ!なんで苦しんでいる人がいるのにその情報がその人のもとに届かないのだ!」
そういう怒り、もしかしたら憎悪みたいなものが私の中にはずっとありました。
はっきり言って逆恨みですが、私は愚かでくだらない人間ですから、気に入らないものはどうしたって気に入らないし、腹がたつものは腹が立ちます。だから、私はそういう嫌いで嫌なやつにはなりたくないと、そんなことを思うわけです。
で、どういう形にするかは別としていずれやりたい事として頭の中にあったのです。
ただ、一番の問題としてあげられるのが、私の技術と知識の不足だったりするので二の足を踏んでいました。ただ、そろそろ書いていけるかもしれないとちょっと思えるようになってきたのでしょう。
問い合わせで意外に多いのが北海道だったりします。
だから、北海道の人で私に会いに来ることができない人でも読んでもらえれば体を変えるきっかけになるようなものでなければならない。そういう内容のものにするつもりです。
今月末ぐらいには、サイトの改修が終わってぼちぼちスタートできる予定です。
費用ですが、横着した生き方をしようという人にはバカ高いですが、体のことで困っている、悩んでいるという人にとっては問題ない程度に設定するつもりです。
まぁ、こんなモノを作ってしまうと、私が書きたいことを書きたいように書くためだけのモノ、単なる誰かさんたちの悪口になってしまう可能性が高いですから、そこらあたりは十分注意して書いていこうと考えています。
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