ブログ「日々整体」

歳を実感できず、現実も見えない男の話

ちょっと前に競馬場に息子と2人ででかけました。息子が、ウマ娘というアプリのゲームで競馬に興味をもったから一度、生の競馬を見せてやろうと思ったのです。


自宅は京都競馬場の近くなのですが、現在改修工事中という事で仁川の阪神競馬場です。

出かける時には、三冠馬のディープインパクの2戦目のレースを見に行った時以来だなぁと考えていました。でも、よく考えれば息子が幼稚園のころに、馬を見せてやろうと思ってピクニックがてらでかけた事を思い出しました。だから6~7年ぶりぐらいですね。その時は馬、牛、豚といった家畜がもつウイルスに触れておくと体が丈夫になるなんていう論文だったかの情報をみかけて、直接、馬に触れる機会を作っておこうと考えていたと思います。だから馬をさわりに行ったという感覚で、競馬を楽しむという形で競馬場にいくのはやはり15~20年ぶりぐらいになります。


そんな訳で、私の競馬に関する知識は15年前で止まっています。

その日は天皇賞の日だったのですけど、出走する馬の血統をチェックしようとすると、父親をにはキングカメハメハ、ディープインパクト、ステイゴールドとか私が競馬場で応援していた馬たちの名が並びます。


また、リーディング1位の騎手が武豊じゃないんですよね。

この日は関東で天皇賞がありましたから、他の有力騎手がそろって関東へ出張していたのもあってか武豊は大半のレースに乗っていました。私にしたら武豊が天皇賞に乗鞍がないというだけでも驚きなのです。この日は、それなりのレース数に乗っていても1勝もしていませんでしたからちょっと残念な気持ちになったりします。15年前なら、このレースで武豊は勝つか?なんていう思考が中心になるレースも珍しくなかったですから、ずいぶん大きな変化です。


武豊は私より4つ年上で、大きな落馬事故にもあっています。

だから、いまでもよく乗っていられるなぁというのが本当なんですけどね。15年ぐらい前だと、岡部幸雄といってシンボリルドルフの主戦騎手だった人の引退のころで、確か55歳あたりだったように思います。そういうところから踏まえると私が当時岡部という騎手に感じていた印象を、現在の若い競馬ファンたちは感じているのかもしれないなぁと思うわけです。ちなみに、私の岡部幸雄に対する印象というと年寄りがでかい顔をしてんじゃねぇって感じでしたね。


ちょっと嬉しかったのは幸英明という騎手がリーディングの10位以内に入っていた事でしょうか。

彼は若手の騎手の中でかなり注目している人でした。馬の実力を堅実に発揮させる実力のある騎手だったのですけど、その力量に見合わない成績だなぁと思っていたのです。そういう人が、ちゃんと周囲に認められて力量に見合う成績をあげるようになっているのはちょっと嬉しく感じます。


阪神競馬場の一番大きな変化はコースが大きく変わっていた事です。

阪神競馬場はちょっと変な形のコースで枠順での有利不利があったりしたのですけど、それがほぼなくなっているという印象でした。コースも大きくなっていましかたらかなり大規模な用地買収が行われたのだろうなんて事を考えていました。


ただ、かわっていないところがって、それはフードコートだったりします。

当時は改装がおわった直後という感じのきれいな食べ物のお店が並んでいるという印象でした。ところが、古ぼけた商店街という雰囲気が漂っていました。設備としては大きな問題はないから今でも使われているのだと思いますが、変わらないでいると寂れた印象があるのだなぁというのが印象的でした。


自分は日々歳をとっていくのですけどそれを自覚する事はあまりないのです。

高校生だったころをつい先日のように思ってしまうぐらいです。ところが、競馬場に行くと自分がかなり歳をとってしまっているという事に気がつかされてしまいました。とても当たり前の事なのですけど、そういう当たり前の事に気がつけていないということを確認してしまった時、自分がお伽話の登場人物になったような不思議な気持ちになりました。


たぶん、現実感がまったくないんですよね。


「この歳になっても、まだ自分の存在がぼやけている。」


というのは、ちょっと恥ずかしい事のように感じていました。


さて、朝一番からメインレースまで馬券はかすりもしませんでした。

それで最終レースは荒れて大きな配当がでそうな気配がプンプンしていましたので一発当ててやろうと。そのレースには目を付けた馬がいてその馬から総長しで確か1400円買いました。予想通りその馬は1着でしたが配当は1000円程度で的中したのにマイナスになってしまいました。勝負には勝ったけど、馬券で負けるという競馬によくある奴です。


私は帰りの電車で、


「息子には予想と馬券をあてるところを生で見せる事ができたので父親としての面目はかろうじて守られたはずだ。」


自分にそう言い聞かせるのでした。

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東京(蒲田、日暮里)の整体について

東京と日暮里の整体の日程です。
日暮里は空きが少なめですが、蒲田は余裕ありです。

希望される方は電話で申し込みください。



蒲田
日時11月21日(日)
  9:30~ 10:00~ 10:30~ 11:00~ 11:30~
 13:00~ 13:30~ 14:00~ 14:30~
 15:30~ 16:00~ 16:30~ 
 17:15~ 17:45~

日時12月5日(日)
  9:30~ 10:00~ 10:30~ 11:00~ 11:30~
 13:00~ 13:30~ 14:00~ 14:30~
 15:30~ 16:00~ 16:30~ 
 17:15~ 17:45~

日時12月19日(日)
  9:30~ 10:00~ 10:30~ 11:00~ 11:30~
 13:00~ 13:30~ 14:00~ 14:30~
 15:30~ 16:00~ 16:30~ 
 17:15~ 17:45~

日暮里
日時11月22日(月)
  9:30~ 10:00~ 10:30~ 11:00~ 11:30~
 13:00~ 13:30~ 14:00~ 14:30~ 15:00~
 15:45~ 16:15~

日時12月6日(月)
  9:30~ 10:00~ 10:30~ 11:00~ 11:30~
 13:00~ 13:30~ 14:00~ 14:30~ 15:00~
 15:45~ 16:15~

日時12月6日(月)
  9:30~ 10:00~ 10:30~ 11:00~ 11:30~
 13:00~ 13:30~ 14:00~ 14:30~ 15:00~
 15:45~ 16:15~

日時12月6日(月)
  9:30~ 10:00~ 10:30~ 11:00~ 11:30~
 13:00~ 13:30~ 14:00~ 14:30~ 15:00~
 15:45~ 16:15~ 16:45~
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人体の天賦の自然療能を助長し、以て疾病を癒やすべき

そもゝ医術なるものは、人体の天賦の自然療能を助長し、以て疾病を癒やすべきで、単に疾病を治療するのみで足れりと為すべきではない。(略)

凡そ生物は外界の刺激に対して反応を起し、且つその性質、形態、能力を変化する妙能をもつてゐる。されば同一の刺激を受くること久しければ、暫次之に応じてその構造なり官能なりが変化を起こしてくる。之即ち適応と称して生物の自然に恵まれた妙機に他ならぬ。この妙機を有すればこそ、よく外界の変動に順応して、生活を維持して保有して行く事が出来るのである。


「薬がなければどうやって病気や怪我をなすのか?」

こういう事を正しいと考える医師が少なからずいます。
SNSなどで医師の発言を目にする機会もすくなくありません。どうも大半の医師、もしかしたらすべての医師がそのような事を本気で考えていると思ってしまう事すらあります。彼らはとにかく、

「ツバをつけてほっておけ。」
「安静にして寝ておけ。」

という事を絶対に言いません。
当然ですけど、別に必要な治療や手当ををやるなといっているのではありません。しかし、体が本来持っている自然治癒力を活かして治したら傷はきれいになくなりしますし、病気が治った後の方が頑健な体になります。

怪我や病気だとわかりにくいかもしれないので、暑さ寒さで考えるとわかりやすいでしょう。
北の方に住んでいる人は秋冬になると気温が低下しますから寒さに耐えられる体の性質に変化してゆきます。単なる慣れだと思うかもしれませんが、性質が変化して低い気温でも元気に生きていけるようになるのです。

その逆の暑さも同様です。
北海道に住んでいた人が京都に引っ越してきたら梅雨から夏にかけての蒸し暑さには辟易する事でしょう。でも、1~3年も過ごしていれば体が変化してそれなりに対応できるようになるものです。

このように体の性質を変化に薬やサプリメントで促す必要はありません。
むしろ余計なもののが加わるとその性質の変化を邪魔をしてしまいまます。寒い地域に暮らしていたとしても暖房が完備された暖かい屋敷の中だけで生活していると体は性質を変える必要がないからです。

凡そ生物は外界の刺激に対して反応を起し、且つその性質、形態、能力を変化する妙能をもつてゐる。

すべての生物がそうなのです。
人間という生物が特別でそのような能力を持ち合わせいないと考えていないでしょうか。健康である、元気であるという事は環境や状況の変化に対応可能な状態であるという事を忘れてはいけません。
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野口晴哉の全正論について

全生 ── 生を全うするの道を示すものである。生命力の強い現れである。即ち寒暑に冒さるゝことなく、粗衣粗食を厭うことなく、労して疲るゝことなき積極的な意味を有してゐる。寒暑を避け、飲食に恐れを懐きて、その質を選びその量を量るが如き、着るに暖衣を以てし、労するを憂ひて生を衛が如き消極的の意味を含まぬ。所謂衛生なるものとは、その性質を異にする。 

全生 ── 生を全うするの道は、健体を創造し彊心を保持して、之を活用することである。 
然るに現今行われつゝあるところの体育、衛生、医術などは、果たしてこの意義に副えるや否や。思うに真の目的に逆行して、却って心身を虚弱ならしむる現象を呈してゐるのではないか。之何故なるか、その誤り何処にありや。 
 本誌『全生』は先ずその欠点、欠陥を指摘して一般の誤りを正し、而して諸君の前に全生の大道を開示せんとする。 


所謂(いわゆる) 
彊心(きょうしん) 強い心の意 

これは野口晴哉師が全生論として書き始めた文の書き出しです。 
野口晴哉著作全集 1巻の最初に掲載されているものですが、書いたのは昭和5-6年とあります。それから100年ほど経過している訳ですが、世の中の医という物に対しての考え方はこの頃から全く変わっていないという事がわかります。

当時、全生という雑誌を発行してたようです。 
おそらく今でも整体協会が発行しているのではないでしょうか。整体協会の今の考えは 

「自分の事は自分で面倒をみなさい。」 

という事のようだと感じています。 
しかし、今、目の間にいる人が、 

「辛くて体が起こせません。」 

といっている時に、 

「自分の事は自分で面倒をみなさい。」 

と突き放す事は私にはできませんでした。 
もしかしたら違うのかもしれません。実は、勉強をさせてもらおうと通った事もありましたが歓迎されるという雰囲気はなくで邪険に扱われたという印象しか残っていません。たぶん、参加している人たちがすべて自分の事しか考えなくなってしまっているのでしょう。全生という事を最大の目的とすると、それが正しいあり方だとは思うのですが、他人に気を配る事を辞めおろそかにしてしまうのは違うと感じました。 

それで、私は他で整体を学びました。
整体を学ばせてもらった所では、野口晴哉師の著述についてはあまり語られる事はありませんでした。そこで野口晴哉師は神様のように扱われていたとは思います。しかし、野口師の発言や考えについてはあまり掘り下げて語られるような事はありませんでした。これまた不思議なもので、 

「今、目の前で困っている人を助けよう。」 

と思う整体の技は、野口師の言葉からかけ離れたものになってしまうようです。 
救うことが第一の目的になってしまうと、整体師は医術の発想に近寄っていくことになるようです。


生を全うするの道は、健体を創造し彊心を保持して、之を活用することである。 


『全生、生を全うするとは、健康な体と精神で、人生を創造することである。』 

現代風に表現するならこのようになるでしょうか。 
そして、野口師は、 


医術などは、果たしてこの意義に副えるや否や。思うに真の目的に逆行して、却って心身を虚弱ならしむる現象を呈してゐるのではないか 


と、医術を批判していいます。 
これは私が普段からよく口にする、 


『医学、医療は人を虚弱にしてしまって、幸せから遠ざけている。』 


という事と同じ意味だと考えるとわかりすいでしょう。 

私は基本に帰ろうと思います。 
その基本とは、 


『全生』 


です。 
全生とは、幸せな人生の事だと私は思います。 
長生きしたら幸せなのか、早く死んだら不幸なのか、病気になったら不幸なのか、健康診断で異常がみつからなければ幸せなのか?こんな事柄は、全生、我々の人生の幸福にはまったく関係がない事だとは思いませんか? 

アレを食べてはダメ、これをしちゃいけない、こういう運動がいい、こういうことを積み重ねていても生を全うして幸せになる事はできません。 

では、どうすればいいのか? 


健体を創造し彊心を保持して、之を活用することである 


という事を目標にしなくてはいけません。 
健全な体と精神を創造してそれを活用したときに人は幸せになれるのだと思います。


今後、このような形で野口晴哉師が残したものに注釈をいれてゆきます。
そうすることで整体についてさらに理解を深めてゆくことができると思います。実は、かなり前からこの考えはあったのですが、なかなか手をつけられずにいました。どうも私は、自分の知識や技術に対して自信がなかった、あるいは足りなかったようです。でも、今ならそれなりの内容にできるのではないかと考え始めることができるようになったと感じています。
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どうすれば健康になりますか?

「どうすれば健康になりますか?」 


様々な質問を頂きますけど、つきつめて意図を集約すると大半はこういう質問になるのではないかと思います。 でも、この質問をしている人はダメなパターンが圧倒的に多いのかもしれません。なぜなら、自律神経というのはあなた自身が心の奥底で抱えている本当の目的に反応するからです。 

事例を一つ紹介しましょう。 
今年、こういう人は3年ぶりぐらいだなぁと思えるかなり変な人がやってきました。3年もの間が空いたのは、私がそういう変な人、平たくいうと健康になるつもりがまったくない人が反応しないように努めているからです。 

進撃の巨人の壁を想像してもらうといいでしょう。 
私はそんな面倒くさいだけの人が反応しないように壁を作って、その中に引き籠もって穏やかに暮らしていたのです。しかし、その壁を越えてきて猛者がいました。 

私は思い出したのです。 
世の中はこういう困った人たちであふれていたという事を・・・。 

どういう人だったかを今風の言葉で言うと、 

「どうしたらマウントをとられないか?」 

をひたすら考えている人たちでした。 
たちというのはご夫婦で来られたからです。たぶん、ご主人がそういう人のようで、奥さんがその影響をもろに受けて染まっていると感じました。 

話を聞いて、それはこういう事ですね。 
と私が説明をすると、耳が遠くて聞こえないというので大きな声で話したら、怒っているとかいいだしました。どないせいちゅーねんと思いましたけど、穏やかに大きな声で説明をするように努めたら、ご主人が 


「大人を舐めるなよ。」 


とかいって帰っていきました。 
50歳目前のおっさん相手に言う台詞ではないから、何を思ってそんな事をいったのだろうかと後になって考えてみましたけど、 


「一度、言ってみたかった。」 


のではないでしょうか? 

ここから先は推測が混じります。
 
ご主人はコンプレックスに苛まれている方だったのでしょう。 
私の物言いが上から目線に感じたので、マウントを取られてはいけないと必死だったのじゃないかと思えました。 

それで、そういう人たちが、 


「どうしたら健康になれますか?」 


と聞いてきたら、 


「あなたたちは、健康になるより、自分たちのコンプレックスを埋める事の方が大切なのではないか?」 


と、質問で返すのが適切な答えになってしまいます。
先に述べた通り自律神経というのはあなた自身が心の奥底で抱えている本当の目的に反応します。そして、その目的を達成するためには、健康ではない方が都合がよい事の方が圧倒的に多いのです。 

今回のようなご夫婦では、社会とうまく関わっていく事は難しいでしょう。
そして、そういう人たちの大半は、病人である事を盾にして自分を守っています。

「病気だから。」 
「妻の具合が悪いから。」 

とかいっていれば社会との関わりを簡単に絶つ事ができる訳ですからね。 

私の所へ来て、私の言うとおりにしたら多分体は元気になりますよ。 
それで、体が元気になったとき社会や周囲の人たちとどのように関わっていくかよく考えてみることです。私のように1人で壁の奥に引き籠もっている方が都合がよい人っていうのは想像以上に多いと思われます。

その場合、 


「本当に自分は健康になる必要があるのか?」 

という事についてよく考えなければいけません。 
健康になったら自分の心の安定が保てなくなる人が健康になる事を本心では望みません。自律神経は本当の気持ちに素直に従いますから、そんな人が健康になることはありません。

ピンとこないようなら、

「大人を舐めるなよ。」 

みたいな意味のわからない捨て台詞を言うために私のところに来るのは時間の無駄だという事だけでも理解しておいてもらうとよいでしょうね。
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