ブログ「日々整体」

華陀という医師の話

三国志の末期のころに、華陀という医師がいました。
外科手術を行ったもっとも古い記録は彼によるものです。外科手術というと、西洋のものだと思うかもしれませんが、一番はじめは中国、当時の魏において行われた事になります。ですから、全身麻酔をはじめに開発したのも彼だという事になります。

世間で一般的に行われている足つぼというのも華陀は駆使していたようです。
足つぼにもいくつか流派があるのですが、そのうちのいくつかは、華陀からの流れをくむという事を謳っていたりします。ただ、この手の団体は縄張り争いをしていて好き勝手な事をいっているところが多くて、私も絡まれた事があります。そんな経験をしていると、流派の話は本当かどうか妖しいなぁと思いますし、少なくとも当時の華陀の技術は残っていないだろうなと思いますね。

ちなみに、世界でもっとも古い医学書は傷寒論という本になります。
書いた人は、張仲景という人になるのですが、どうも華陀とほぼ同じ時期に存在していたようです。ネットで傷寒論の事をみると、当時の風土病を解説したものだなんて書いてありますが、これは間違った認識です。私も翻訳されたものを読んだ事がありますが、人間の体の仕組みをかなり掘り下げて書いてあります。ただ、難解すぎて理解は私には無理でした。体の不調の症状、体の様子を観察した事が記述されているわけですが、そういう事が

「〇〇という気が強くなる。」

なんていう表現で書いてあったりします。それで、この気の種類が何十種類と分類されているのです。これをきちんと理解して説明できる人は、現代には存在していないでしょう。多分、当時でもいなかったと思いますけど・・・。


華陀の話に戻ります。


華陀の偉業は現代ではあまり知られてはいません。
この理由は、おそらく、華陀は彼自身がもっている知識や経験が学問だと認識していなかったのではないかと考えます。身につけた事をを全く文字に残していないからです。当然ですが、彼が開発した全身麻酔の薬も彼の死後、再現される事はありませんでした。

当時の医術は方技として扱われていました。
方技というのは、現代の感覚でいうと芸人、職人だと考えると一番近いと思います。方技に類する職業は、画家、音楽家、彫刻家、舞踊家、そして医者だったという訳です。医者という職業の現代のステータスの高さをを考えると、なかなか実感しにくいかもしれませんけどね。

インターネットの辞書、wikiで華陀のことを見ると、医者として扱われる事を不満としていたと書いてあります。
儒者として政治や行政に参加したいと考えていたけど採用されませんでした。それを理由に宮廷に仕えるのを拒みましたが、その姿勢に腹をたてた当時の指導者、曹操に殺されてしまいました。確かに、医者として宮仕えをすると地位が低く侮られることも多かったことでしょう。しかし、そんな自分の出世を目的としてくだらない理由で殺されるような人ではなかったと私は思います。

理由は簡単で、そんなみみっちぃ理由で宮仕えを断るような人間であれば、殺されてしまうような状況で我を通す事はなかったでしょう。
華陀は、自分の身をもっとも大事だと考えるのであれば、曹操に言われたように医師としての仕事をしていれいばよかったですし、殺されそうになったときでも命乞いをしたらよかったのです。実際、曹操の側近は彼の処刑を諌めて止めようとしたなんていう記述は残っていますから、華陀には自分の命より大切ななのかがあったのだろうと思います。

それでそれがなにかなのですけど、華陀はたぶん、


「何十万、何百万単位の人の命と健康を守りたい。」


そう考えていたのではないか?
という事に思いが至りました。世の中がこういう状況になってしまうと、私ぐらいの半端者でもついついそういう事を考えてしまうのですよね。そして、それを成すためにできることがあるなら、なんでも取り組んでいいたいとそう考えてしまいます。でも、それができないのであれば、


「目と手の届く範囲の人にしっかりと接していきたい。」


そう考えます。
華陀も同じような事を考えていたのではないだろうかと。技術やら知識やらに関しては大きな隔たりがあるので、私程度が華陀を語るのはちょっと問題があります。でも、華陀がそう考えていたのであれば、彼の行動が理解できるのです。
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